隊長の戯言


 
2003/10/15 (水)

 へらへら隊のメールアドレス宛てにかくなるメールが来た。

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 糞、わしらはホモ集団じゃねぇっつぅの。

 現在、イーダ炊事長・ジェームズ隊員の両名により、へらへら隊のアルバムが製作されている。先日、ジャケットの製作を頼まれたわしは「これしかあるまい」とばかりに、某隊員が下半身丸出しで海岸に立ち尽くしている写真を起用した。
 そして近頃、段々と心配になってきたのだが、アルバムに収録されている新曲、「トモダチ」の存在だ。これは作曲はポール・マッカートニー(『GET BACK』)、作詞がジェームズというとんでもないもので、歌詞の内容は
 「たいちょうのトモダチィは〜 ♪み〜んなぁ ホモダチィ。KETU BACK!」
 である。
 隊員同士が互いに誹謗中傷の歌を歌いあうことは何時ものことで、愚劣愚鈍愚昧愚図なる隊員どもはこれを聞いて歓喜しておったが、ちょっと待ち給えキミたち。しばし考え給え。
 一般的な解釈はこうなるのだ。
 たいちょうのトモダチはへらへら隊。へらへら隊のトモダチはたいちょう。へらへら隊はみんなホモダチ。
 
 イーダ炊事長、注意書きの検討をお願いします。


2003/10/14 (火)

 ハンバーグ、ですね。美味いですね。それからタルタルソースですね。フレンチですね。ハンバーガー。アメリカ人これ食って太りますね。それでモンゴルですね。わしの故郷ですね。
 と、ハンバーグ、タルタルソース、ハンバーガー、モンゴル。これらの単語がまさか一本線で結ぶことが出来るとはつゆにも思わず、わしは驚愕狂喜のあまりにウンコ漏らしそうになったのでありますよ。そんなわけで、いささか自慢たらしく解説しますと。


 ジンギス・カンが登場した13世紀以後、世界の半分はモンゴル一色となったわけですが、この時のヨーロッパ進行にあたったのがタタール族なのですね。タタール族はジンギス・カンのオヤジさんを殺したモンゴル系遊牧民です。
 当時のモンゴル人の数は、わずか50万人。これだけの人口で世界を席巻できた秘密は騎馬民族でしか持ち得ない恐るべき機動力にあったと言われとります。んで、中でも特に優れていたのが、このタタール族ってなわけで、ヤツらはずんずんヨーロッパの征服を進行していったわけでありますよ。
 ところで、戦争の要となるものに食料確保の問題がありまして、特に携帯食のなかった古代では、メシのせいで負けた戦争っつう事例が沢山あるわけです。日本の戦国時代も兵糧攻めは兵法の王道でしたな。そこで、タタール人はどのように食料の確保をしたか。いちいちメシの調達したり、家畜を同行させては、機動力という最大の武器がなくなるではないですか。
 ということで、タタール人は極限まで乗りつぶした馬を食料としていたとのこと。しかし、こんな馬は筋肉だらけで硬くて食えぬわけでして、彼らは常時、馬肉を鞍の下に置き、それがミンチ状になったところを食っていたのですな。
 やがてそのミンチ肉はある場所に定着し、ヨーロッパ各地に広がっていきまする。ある場所とはドイツのハンブルク。そうしてミンチ肉は、「ハンバーグ」となったのであります。
 またタタール人はミンチ肉を食う際に使っていたソース、これは「タルタルソース」の原型なのですな。うわぁ、すげぇな。モンゴル最高。

 19世紀末、「ハンバーグ」は新大陸・アメリカへ上陸。パンに挟まれ「ハンバーガー」となる。


2003/10/10 (金)

 インターネットで流用され、しばしば見かけるネタですが。
 問、次の文章を読みなさい。
 真田太平記
 またおおひらき
 
 美人局アナ
 つつもたせあな
 
 好々爺
 すきすきじじい
 
 植木等にご注意ください
 うえきひとしにごちゅういください

 問、「〜なり」を使って短文を作れ。
 答 コロッケはおいしいナリ。

 問 「みるみるうちに〜」を使って短文を作れ。
 答 ヤクルトおばさん、ミルミルうちに持って来る。

 問 「まさか・・・ろう」を使って短文を作れ。
 答 まさかりかついだきんたろう。

 問 「うってかわって」を使って短文を作れ。
 答 彼は麻薬をうってかわってしまった。

 問 「あながち」を使って短文を作れ。
 答 お尻のあながちょっと痒い。


 高校時代、わしは作文やこの種の国語問題が大好きで、また唯一の楽しみでもあった。人権教育、反戦教育、それらの授業には感想文が付き物だったが、わしは決まって担任教師への痛烈な批判を書いた。思ったことをなんでも書け、と言うのだから書いたまでである。部落問題から言及する教師批判というのもムチャな話しだが、こういった論理展開はわしの得意とするところだった。
 「〜を使って短文を作れ」ってのは、特に大好きで、それこそ皮肉たっぷりの文章を書いたものである。死ぬほど憎んでいた高校時代の担任は、国語教師だった。
 今でもはっきりと覚えているのは「取りつくしまもないを使って短文を作れ」という問題で、わしはなんと書いたか。
 担任教師に進路相談をもちかけたところ、出世とオノレの保身にしか目にない彼は取り付くしまもない態度を見せた。
 何でこんなことをしっかり覚えているかというと、わしは推薦入学狙いで進学クラスから普通クラスにわざと落ち、推薦入学間違いなしコースを進んでいたはずが、この直後に推薦を外されたからである。元々、すべり止めの高校に入学したものだから、一応ながら成績は良かった。そして普通クラスのトップには推薦入学の資格が貰えるのだが、わしには一切の推薦入学の話しはなかったのである。クソ、書いてて段々腹が立ってきたぞ。
 ちなみに同窓会幹事もクラスで成績トップのヤツが選ばれるのだが、わしの通っていた男子校は本当に馬鹿高校であったので(朝礼で"皆さん、痴漢は止めましょう"などという放送がある)わしは幹事に選ばれた訳だ。
 卒業後、何度か同窓会の企画が持ち上がったものの、わしは悉く無視し続けて、ある日担任に電話したのである。
 「センセェが参加するような同窓会は毛頭企画するつもりはありません」
 結局、高校の同窓会は今までに一度として行なわれていないわけだが、これにはチョットだけ責任を感ずる。
 ※週末は多忙につき、更新はサボります。勘弁。下の戯言は明日読んで下され。


2003/10/10 (金)

 塩が好きでたまらないのである。塩のためなら死んでもいい。
 肉を食う時は焼肉のタレなどは邪道極まりないと思っているので、塩をわんさかかける。
 メシには塩をかけて食うこともあり、天ぷらも塩が一番。刺身を塩で食うことも多々ある。サラダはドレッシングなどという不遜なるものは使わず、塩がやはり一番美味い。
 当然ながら歯磨き粉は花王の「薬用つぶ塩」が大好きだったけれども、幼少時代に見た時代劇の中で、塩を歯磨き粉代わりに使っているシーンを見かけた時は感動するあまりに、その後しばらくは塩で歯を磨いていた。
 日本酒における最高のツマミは塩だと確信しており、ビールを飲む時もタマに塩で飲む。ホントは居酒屋でも塩で飲みたいのだけれども、「何だ、お前そんなに金がないのか。可哀想に。ほらこれでも食べな」と憐れみの目つきで見られたことがあるので、こればかりは我慢している。
 サウナは塩サウナがたまらない。目の前に盛られた大量の塩を見ると、血湧き肉踊り、失禁しかねない。
 歴史上の人物で最も好きなのは大塩平八郎で、歴史の教科書に「大塩平八郎の乱」と書かれているのをみただけでも、ムラムラと興奮して仕方がなかった。
 激しい運動には塩の摂取が欠かせないと言われるが、学生時代は塩を大量摂取したいという理由付けの元に激しい運動を好んでいた。足元に溜まった汗の水溜りを見て、ニンマリとしたものだ。
 わしはきっと塩分過多で腎臓はボロボロだと思うのだけれども、わしは50代ぐらいでポックリ逝きたいと思っているから、この辺は計画的にやっていきたいところだ。さらに言えばアルコールとの併用で、腎臓・肝臓をきっちり使いきってしまうのが理想だが、臓器移植のドナーとしては誰も受け取り手がないだろう。 
 わしに結婚の意志は毛頭ないが、仮に結婚したとする。その場合の結婚相手の条件は「表では良妻を装いながらも、裏では密やかにわしのことを憎み、早々に死んでもらいたいと思っている」女性がよろしい。長期的殺人計画により手料理にこっそり塩分を多くしてもらえるからだ。わしも喜び、妻も喜ぶ。大変素晴らしいことだ。
 
 先日、モンゴルから塩と茶っ葉を取り寄せた。今我が手元には二キロのモンゴル産岩塩がある。


2003/10/9 (木)

 カリフォルニア州の皆さんがやってしまわれました。
 本日の新聞の社説でもその話題は触れられていて、曰く、
 「あちらではどのように呼ばれているのかは知らないが、日本での"ちゃん"づけ人気は、この人の魅力を衝いているように思う。気は優しくて力持ち。そんなヒーロー役が似合った」
 
 随所にツッコミ所が散りばめられておりますが、それはさておき。
 「シュワちゃん」の命名者は、淀川長治だったという話しをどこかで聞いたことがある。あのサヨナラサヨナラ、サヨナラの人だ。人生を綺麗に使いきったヒト、評される淀川長治だけれども、その天真爛漫に人柄(と、彼と会った人は皆そう思うらしい)通りの強烈なエピソードがある。それは、淀川長治が天皇家に呼ばれて会食をしたときの話し。
 天皇家との話しの内容は当然ながら、映画を中心とした話題となったのだが、淀川長治は皇太子(現・天皇)に尋ねたそうだ。
 「で、ボクはどんな映画が好きなの?」
 皇太子を"ボク"呼ばわりしたことに、天皇家取り巻きの人は驚愕したが、淀川長治はあくまで"素"のままである。そしてさらに、昭和天皇に向かってもこう質問したそうだ。
 「じゃ、パパはどんな映画が好きなのカナー?」

*

 最近、ホームページ閲覧者からのメールが多くて、嬉しいのですが。
 「ばかじゃないの?あんたたちアホだろ。日記はシモネタ望む」
 「隊長の日記はお下劣で良いです」
 「久しぶりにきました。相変わらず馬鹿で素敵でした」
 「隊長さんの下品さが好きで、いつも見てます」
 「これからも変態志向を突っ走ってください。応援してます」
 「非日常的な独自のスタイルが好きです」
 「こんなに珍しい多面体を発見できるとは。へらへら隊がんばれ」
 
 一応、誉めてくれているんだろうなとは思うのだが、小生は複雑な気分です。ばか、アホ、下劣、馬鹿、下品、変態。


2003/10/7 (火)

 テレビは殆ど見ない。腹が立つからである。のべつまくなしに放映される三流芸人どもの下卑たギャグは顔を見ているだけで胃がムカムカする。泥酔したオヤジが吐く下品な冗談と同じく、低俗極まりない。
 凡そそれらのギャグは蔑笑を誘うもので、つまりは人を見下す質の笑いだ。これをエスプリとは呼べない。老人、ブス、肥満、或いは社会的弱者を嘲り笑って、優越感に浸っている。小林よしのりや、ビートたけしは笑いの本質とは「差別」であるというが、それはアンタらのギャグセンスが貧しいからだろう。
 
 エスプリとは攻撃性のあるギャグのことで、真のエスプリには蔑笑を伴わない。攻撃された本人にしても思わずニヤリと笑ってしまう。フランス人お得意のジョークだ。
 
 豪華客船が巨大な氷山に衝突した。やがて浸水が始まり、船体は傾き出す。
 しかし、救命ボートに乗れる人数は限られており、これでは女性と子供を優先させて乗せるしかない。
 そこで船長は、男性客達に言った。
 「さあ、イギリス人の皆さん。貴方たちは紳士たるべきです」
 それを聞いたイギリス人は、冷たい海の中に飛び込んだ。
 「さあ、アメリカ人の皆さん。今こそ英雄になりましょう」
 それを聞いたアメリカ人は、嬉々として海に飛び込んだ。
 「さあ、ドイツ人の皆さん。規則と了解に従いましょう」
 それを聞いたドイツ人は、みんな海に飛び込んだ。
 「さあ、日本人の皆さん。誰もが飛び込んでいます。貴方も一緒に飛びこみましょう」
 それを聞いた日本人は、次々と海に飛び込んでいった。


 これを聞いて怒る日本人はあまりいないだろう。苦笑するしかないのである。攻撃的でありながらも、差別とは趣が異なる。これがエスプリジョークというヤツだ。
 得てしてエスプリはブラックジョークと重なることが多いが、それと双璧を為すのがユーモアである。ユーモアは後々にじわりと込み上げてくるような笑いで、温かみのあるギャグが多い。ちなみに自虐的なギャグもユーモアの一種であり、これはイギリスのお家芸。ちなみにジョージ・ミケシュや、バーナード・ショウもイギリスの作家だ。
 
 中世の修道院では、修道士になるための厳しい試練があった。
 様々な試験を乗り越えた三人の若い修道士見習いを前にして、試験官は言った。
 「神に仕える者は愛欲に心を動かされてはなりません。あなたたちは最終試練として順番にあの小部屋に入って服を脱ぎ、この鈴を珍鋒の先につけなさい」

 最初にヨセフが鈴をつけて待っていると、部屋に裸の美女が入ってきてなまめかしい踊りを始めた。
 「………リンリンリン」
 試験官は部屋の外からヨセフに声をかけた。
 「あなたはまだ修行が足りません。庭で冷水を浴び、また修行を続けなさい」
 次に部屋に入ったのは、三人の中で一番若いパウロである。
 しかしパウロは美女が入ってくる前に、鈴をつける刺激だけで音が出てしまった。
 「………リンリンリンリン」
 試験官は嘆いた。
 「あなたは修行を一からし直さねばなりません。庭で水を浴びて反省しなさい」
 そして最後に部屋に入ったのは、神学においても最も優秀な成績をおさめ、将来が渇望されていたミカエルだった。
 鈴をつけたミカエルの前で裸の美女は激しく踊り狂ったが、聖者のような面もちをしたミカエルの目は澄みきっており鈴はピクリとも動かない。
 試験官は満足げに言った。
「よろしい!あなたは見事に合格です。修道院長もさぞお喜びになることかと思います。叙任式の準備の間、庭の水浴び場で身を清めてくるとよいでしょう。先にヨセフとパウロが行っていますから、一緒に浴びてきなさい」

 「………リン!リン!リン!リン!」


 わしは芸人ではないから、ネタのあるギャグはできるだけ避けたいものの、どうしてもそれに頼ってしまう。面白い事象を面白く書くよりも、面白くも何ともない事実を面白く書きたいのである。それにはレトリック的なギャグが必要とされるが、土屋賢二はこの手法の使い手だと思う(多用するあまりにウンザリするきらいもあるが)。語法の豊富な日本語はこのギャグをやらせれば、世界一の言語となる。以下は、『われ笑う、ゆえにわれあり』(文春文庫)より抜粋。

 わたしの職業はダンス教師で、タレントの女の子たちにダンスを教えている、というと大抵の男性に羨ましがられる。しかし実態は、そんなに羨ましがられるようなものではない。第一に銀行員と同じで、価値あるものを扱っているからといってそれを手に入れたり、自由にすることができるわけではない。第二に、価値あるものを扱っているかどうかかなり疑問である。第三にわたしの職業はダンス教師ではない。ほんとうをいうと、わたしは女子大で哲学を教えている。

 ここでふと思ったのだが、わしの書くギャグはエスプリでもなく、ユーモアでもなく、ましてやレトリック的な手法を取ったギャグなど皆無に等しい。
 もっとも多用しているのは糞尿譚の類で、これこそ人間が一番最初に習得するギャグである。これについては物凄く好きな人と物凄く嫌いな人が存在するが、ただわし自身はウンコが物凄く好きな人の部類に入る上、これはしかもスカトロジーというよりも、単なる小学生レベルのギャグであることに気がついた。
 しかしウンコが好きなのだ。仕方ないじゃないか。 
   


2003/10/6 (月)

 「てめぇの傑作は"Yesterday"のただ一つだけだった」
 という歌を、ジョン・レノンはポール・マカットニーに捧げ、またポールもそれに応戦した。それはビートルズが解散して間もないことで、そうして両者の冷戦が勃発したのである。
 これは歌を手段にとったある種の決闘といえる。ちなみにわしも「♪じゃじゃじゃーん。サトォ副隊長ォ、死ねぇ〜」という歌を長崎の孤島でサトー副隊長に捧げた所、「ラリラリラ〜人間は死んだら星になるがァ〜タカ隊長はブラックホールになったアァ〜」という歌が即座に返上され、おかげで品位の全くない熾烈な争いを延々と繰り広げることができた。

 もとい。
 ミュージシャンは歌を手段にした決闘で済ませれるのだけれども、帯刀禁止令が発布される明治以前の日本では決闘、つまり果たし会いは刀での切り合いがゴマンとあったし、またそれが法律でも認められていた。
 日本での果し合いは暗黙の了解の元で行なわれ、しかもそれらは「敵討ち」を名目としたものが多かったから、それらは決まって悲痛な思いが伴う。かの宮本武蔵は果し合いのプロで、彼の場合は暗黙の了解を無視するからこそ強かった。つまり勝つための手段を選ばなかったのである。

 ジョンとポールはイギリス人だが、果たしてイギリスでも決闘はしばしば行なわれた。彼らは名誉を重んじての決闘が多く、いずれにせよ日本と同時代に決闘は大流行していたわけだ。
 しかし、イギリスでの決闘はルールとマナーに厳しかった。そこが笑えるが、さすが紳士の国である。
 かの国の決闘はピストルが用いられるが、例えば、互いに十二歩離れて打ち合うこと、打つのは一発限り、用いるピストルは不施条銃(命中制度が極めて悪い)に限る、等々のルールが定められ、不意打ちなどはもっての他。騎士道精神というヤツか。
 
 17世紀初頭には後世に残る最高の決闘が行なわれたそうだ。対決者はロマン派詩人のトマス・ムアと文芸批評家、つまりは文人同士の決闘である。その発端は批評家が詩人の作品を酷評したことによる。
 両者はやる気満々で早速ピストルを購入し、介添え人を連れて決闘の地へと向かった。そして「いざ、尋常に勝負せよ」というところで、困った事態が起きる。二人ともペンしか持ったことがないので、ピストルの使い方が分からないのである。
 仕方ないので、二人は介添え人にピストルの使い方を教えてもらい、また弾丸の込め方すら知らなかったので、それもやってもらう事にした。
 この時代のピストルは準備に時間がかかったそうだ。介添え人は二挺のピストルの準備に追われ、詩人と批評家はそれを待った。しかし、あまりにも待ち時間が長いので、その間詩人と批評家は再び文学論を戦わせる。ところが、その壮絶なる舌戦を続けるうち、次第に両者は意気投合し始めた。意外と共通した文学理念を持っていたのである。
 詩人と批評家は段々と話しに花が咲き、やがてそれは談笑に変わり、結局決闘するのもバカらしいという結論に落ちつく。
 と、ちょうどそこへ決闘の噂を聞きつけてやって来たのは警官隊、不運にも詩人と批評家は逮捕・投獄されたというバカらしいオチがついたという話しでした。

 本当はハッシー隊員とタケ隊員で行なわれたケンカをオチに持ってきたかったのであるが、紙面が尽きたので又後日。
   


2003/10/5 (日)

 前回の『戯言』を読んだ方からメールを貰う。
 「隊長はパンツひとつだけでカヤックを漕いでいるのですか。さすが隊長です。感服しました」
 そうなのである。わしは冷気が日増しに加わる秋涼爽快の候、トランクスだけを身にまとい、裸同然の格好のまま、カヤック担いで公道を渡って海に出かけ、それから颯爽と大海に漕ぎ出でる。衣服を着ていると風の抵抗を受けやすく、漕ぎにくい……わけないだろう。わしは海の猟を営む原始人か。
 日頃の行いから想起されたのでしょうが、キチンと衣服を身につけとります。僕は某ホームページで「隊長はタキシードの似合う洗練された都会の男で大変繊細なロマンチスト」と記載された人物ですぞ(疑う方はこのホームページの日記を見なされ。上から9行目に太字で記載されておるでしょう)。


 ところで。
 「もし裸で泳いでいいのだったら、もっと良い記録を出すことが出来る」
 と、女子競泳選手が公言したことがあった、随分と昔の話しだが。
 実際、裸で泳いでみたところ、100mで0.5から0.8秒のタイムが縮まったそうだ。
 これは納得のいく話しで、それだけ水の抵抗が滑らかになるからである。よって昔は水着の生地をいかにして木目細かく、小さい面積に抑えるかってのが競泳水着の開発における要点であった。
 近年では全身スーツ型の水着が開発されたけれども、これは逆転の発想をした開発者の勝利であり、こういった発想の転換は面白い。男にとっては面白くないけれども。

 わし自身も水泳部に入っていたことがある。中学生の頃だ。当隊のサトー副隊長も同じ水泳部だった。そしてわしらの入部動機は、夏だけの活動で済むと思ったから。この頃から既に根性が腐りきっていたのと思われる。
 水泳部に入ったからには、競泳用の水着が必要となるわけで、わしらは早速近所のスポーツ用品店を探しまわったのだが、これがなかなか見つからない。苦労惨憺の末、ようやく二枚の競泳水着を見つけることが出来たけれども、ここに重要な問題が生じた。その内の一枚はブーメランカットと呼ばれる超ハイレグ仕様の水着だったのである。
 当時は多感な中学生だった。この選択は今後の死活問題に関わる。よってわしらは当然ながらハイレグ水着の押しつけあいとなり、結局はジャンケン決戦の末に、わしがノーマル水着を勝ち取ったのである。わしはここぞとばかりにサトー副隊長をこけにして、嘲り笑った。これは勝利者の素晴らしき権限だ。
 この日ほど、次の部活の日が楽しみでならなかった日はない。

 それから約五年後、高校時代の話し。サトー副隊長が「市民プールに行こうぜ」と誘いをかけてきた。泳ぐのは随分と久しぶりだ。
 わしは昔履いていた競泳水着を引っ張り出し、プールに出かけた。
 が、水着がなかなか入らない。そりゃそうである。わしは高校時代に二十cm近く身長が伸びたのだから、当たり前の話しだ。サトー副隊長はさっさと着替えて更衣室を出ていったものの、わしは水着が入らずに、準備に手間取る。
 それでも無理やり水着を履いて更衣室を出たけれども、わしはまず真っ先にサトー副隊長を探して開口一番言ったのだ。
 「今日は泳がずに帰ろうや」
 ギリギリセーフとならずギリギリアウトとなってしまった超極小変態水着を履いて泳げるかよ。わしは股間と尻の割れ目を両手で隠しつつ、悲痛な叫びを上げ、そしてそれを見たサトー副隊長は嬉しそうに嘲り笑いつづけ、その嘲笑は止まることがなかった。そんなこんなでわしはプールサイドを移動する際は両手で局部を隠しつつ、走って行動するハメとなった青春の一ページ。
 
 今だから問うが、あれは巧妙に仕組んだ復讐劇だったのですか? サトー副隊長。
 


2003/10/3 (金)

 帰りがけに古本屋に立ち寄ったのだが、人の視線を感じて仕方がない。その視線の先をつぅっと辿れば、その延長線上にあるものはまさしく我が股間であり、そしてその急所部位にはクッキリと水分が染み出していた。
 これは何も小便を漏らしているわけではなくただの海水なのである。普段は速乾性のパンツを履いて海に出るのに、この日ばかりは普通のパンツを履いて海に出ていたのがどうにもマズかった。パンツの水気が乾ききれずにズボンに染み出しているのである。速乾性の下着が生命の明暗を分けた、とは「たか号」漂流の唯一の生存者、佐野三治さんの言葉だが、なるほどこういうコトだったか。
 手で股間に風を送りつつ、古本を購入。

 
 歴史モノの小説が好きで、それらの類をよく読む。時代小説で言えば、藤沢周平の描く哀感は何とも身に染みるし、歴史小説は側面攻撃の陳舜臣、掘り下げ真っ向勝負の司馬遼太郎が好きだ。
 ちょいと面白い位置にあるのが、骭c一郎である。中でも時代小説と歴史小説が交錯しているヤヤ伝奇小説寄りの作品は秀逸だと思う。作家活動は短かったけれども、『一夢庵風流記』や『影武者徳川家康』などはお前はもう死んでいるあべしひでぶが漫画にも書いたから、案外広く知られているんじゃないか。

 ところで、生物の生態系においては必ず「はみ出し者」が生まれてくる。生物学者によれば、本来、群生して生活する生物の中において、ある程度の絶対数が生まれるように出来ているのが、そのグループに属することを嫌う生物だそうだ。そして人間も然り。
 隆慶一郎はそんなアウトローを題材に取った小説を書かせると面白いのである。
 例えば、『一夢庵風流記』は「傾奇者」を主人公とし、『影武者徳川家康』は「公界人」が主たる題材となっている。
 「傾奇者(かぶきもの)」とは、奇を愛し、異風異体を誇示することによって、敢えて無秩序の世界を生きようとした人々で、つまりはロッカーなのである。
 「公界人」とは組織に属することを嫌い、全国を漂泊した自由人である。
 彼らの生き方には自由という清々たる言葉に糊塗された苛烈さが見え隠れしてすごく興味深い。

 
 さておき、へらへら隊は、組織に属することが嫌いな人間で構成された奇行集団という不思議な団体なので(おかげで協力・一致団結して事を成し遂げたことは結成以来一度もなく、各個が自由気ままな個人プレーを無計画にしているだけである)、ここは「傾奇者の集まり」又は「公界人」と称したいところなのだけれども、これはやはり連帯感・責任感のないいい加減な変態どもの集まりでしかないのでした畜生。


2003/10/2 (木)

 ページ右下に感想フォームを設けた。すごく目立たないのだけれども、早速初の感想が来る。差出人は空手部在籍時代の忠実なる後輩。フルチンで学内を歩け、と命令すれば、一切の躊躇なく実行した男である。
 
 name=まおうーろん
 mail=xxxxxxxx@hotmail.com
 kannsou=糞くらって地獄へ落ちろ!

 下克上か、精神錯乱か。いずれにせよ凄い事をやってくれたものだ。わしが運営していた空手部は、一応ながらも体育会系一硬派な集団と当時の同期連中には謳われていて、上の存在、即ち「神」である。「神」への反乱は死を覚悟せねば出来ぬ。怒りどうこう以前に、後輩の根性に感心した。
 その直後にもう1通。

 name=まおうーろん
 mail=返信を希望する場合
 kannsou=書き忘れました!今後ともまおう〜ろん日記を宜しくお願いします。

 なるほど、先ほどのメールはやっぱり間違いだったか。驚いたぜ、わしゃ。
 が。待ちやがれ。よくよく考えれば、これは「間違い」ではなくおくまで「書き忘れ」なのである。つまりは正式なる感想は、
 「糞くらって地獄へ落ちろ!今後ともまおう〜ろん日記を宜しくお願いします」
 だ。
 ここ数年、ヤツを殴っていない。近々、粛清を計ろう。

 

 ここ数日飲んでばかり、漕いでばかりで忙しいです。明日はマトモに更新します。





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