マレーシア・シンガポール マレー鉄道の旅A
(バターワース〜クアラルンプール・マラッカ・タンピン〜シンガポール)
 マレー鉄道の旅、第2弾。
 今回は、ペナン島からシンガポールへの帰路。
 行程としては、バターワースから寝台列車でクアラルンプール(KL)へ。KLすぐに乗り換えタンピンへ。そこから、バスでマラッカへ寄って、再びタンピンからシンガポールへという予定だったが…。
バターワース出発
バターワース駅で出発を待ていると、KLからの列車が到着。
そして、こちらが今日の宿になるSM/9 セナドン夜行列車
(上)機関車は、1987年制の東芝&川崎の日本製
(左)客車は、現代社の韓国製。
22時15分予定どおりの出発
私のベットの周りには、蚊がブンブンと飛び回っていた。
持っていた虫除けスプレーを撒いて、おやすみなさ〜い。
明けて翌朝7時半前、KLは目の前。列車は遅れている。次に乗り継ぐ列車は、KL7時30分出発。乗り継ぎは、絶望的。
KLに着いてみると、やはり乗る予定の列車は無し。

次の列車までは、何時間もある。
仕方なく、バスでマラッカへ行くことへ。
そう決まって、プラドヤ・バスターミナルへと移動。
 プラドヤ・バスターミナルへ行って、チケットを買おうとすると、ここからはバスは出ないと言われ、あそこのバスに乗れと案内された。
 そして、バスに乗ること数分???スタジアムというところへ到着。けど、バスがいっぱいで、どのバスかわからない、聞いてまわった結果、下のバスだった。
ほとんど車の姿の無い、ハイウェーをひた走り約3時間マラッカへ
オランダ植民地時代の街並みが残るスタダス。
クアラルンプール(KL)
セントポール教会その昔、キリスト教イエズス会のアジア宣教の拠点となっていたところ。あのフランシスコ・ザビエルの遺体が一時安置されていたところでもある。
マラッカ
 マレーシア最古の町。海のシルクロードの交差点として、15世紀ごろから栄えてきたが、その後ポルトガル、オランダ、イギリスと支配され、ここを拠点にマレー半島の植民地支配が進んでいったという歴史の町。
サンチャゴ砦の近くで、見つけた保存車両。
しかも、機関車のドアが開いたので、中に入ってみた。客車の方は、閉まっていた。
マラッカ
明けて翌朝、このバスでタンピンへ!!のはずだったが、エンジンがかからず、隣のバスへ乗り換えさせられ、出発!
タンピン
町外れにあるタンピン駅へ到着。
バスを降りたのは、私だけ。
マレーシアの長距離輸送の主役は、バス。
列車好きとしては、寂しい限りです。
列車の時刻が近づくと、日本人ツアーのご一行が駅に到着。それを見計らって、猫が一匹。餌をねだりにやって来た。それにしても、ベンチに座って、でかい態度。
餌がもらえないと思ったのか、退散。
構内に保存されていた、バラスト散布車?
XSP/5 シナラン急行シンガポール行き。
この列車で、シンガポールへ。
グマス駅のホームにあった保存SL。
マレーシアといえば生ゴムの生産地と学校で習ったような気がするが、今では、立派な産業国へと変わってきている。しかし、まだまだ、ゴムの林(上)をよく見かける。
車窓は、(右)ヤシ林とゴム林の繰り返し。
途中、ER/2ラヤッ急行と交換。
ジョホール・バルで簡単な出国審査が車内であり、シンガポールへ。






シンガポール
シンガポールへ到着。
このホームの先で入国審査を受ける。
バターワース発着の列車
マレーシア国鉄(KTM)公式ホームページhttp://www.ktmb.com.my/