水の彼方、夜の谷間


 
  あなたは出ていく
私に全てを残して……
貴方が何も言わないのなら私も何も言えない…
    ◇  ◇  ◇
 

   ふわり…ふわり…
白いドレスの裾が木立の間に翻る。
さして速くもなく、体重が感じられないほどに軽やかに滑るように歩く少女の後を追うのは実は容易い。
鎧を音のしない布を咬んだ軽いものに変え、武器にも布を撒く。
息を潜めずとも高い木立がこちらを隠してくれるし見失っても少女はあまり道から外れた場所を歩きはしないので
探すのは難しくない。
いや、人里をそれほど離れないと言うべきだろうか…。
そして歌うのだ。
あの美しい声で…。
ならば見つけられない方が不思議というものである。
少女はこちらに気付くでもなく周囲の生き物と話でもするようにくるくると
しかし休むことなく歩く。
今日はまたあの湖の畔まで行くつもりなのか…。

「パルマン隊長!目標の少女の斜め前方に猪が!」
「先回りして道を開け」
「はい!」
彼女は傷つけずに生け捕るよう言われている。
ならばこれは任務の内だと自分に言い聞かせて、
そんなことはなくても魔物に人を傷つけられないように守るのは
我々のようなものの役目だということを
思い出しヌメロス遊撃隊長パルマンは苦い笑みを口元に浮かべる。
そんなことも思い出せないくらい頭が硬化してしまっているようだ。
任務だから、国のためだと自分に言い聞かせ今まで何をしてきたか、
これから何をしようというのか…。
 
 

今自分が受けている、ある任務はその硬化した心でもっても受け入れがたいものであった。
目の前を歩く少女の捕獲。
なんらかの悪事を働いたわけではない、軍とも戦時とも関わりのない、ただ歌で人々を癒し、旅をする
そんな優しい存在…。
それを本人の意思を無視して連れ去るにはまだ自分を納得させるだけの理由が必要だった。
だから見付からぬように後を付け、魔物を狩り、
自分なりに無理に理由を付けて実行を延ばしのばしにしているのだ。
指令が言っていた世間を騒がし混乱に陥れるというその力を確認するという理由を付けて…。
どこまでそれでごまかせるかは分からないけれども…。
本国で待つ司令を…
何よりも自分を…。
嫌みなほど晴れ渡った空を仰いでも何一つ心は晴れない。

     
◇  ◇  ◇
 

   このあたりは森が多いので身を隠して休むところには事欠かない。
今日も標的とそれほど離れない位置で野営をすることができた。
湖畔の森、美しい夕暮れ。
ここから湖畔沿いに半時も歩いたあたりに彼女の泊まっている宿が見える。
木々は水際まで茂り、その間から臨む湖の夕暮れは静かで、幻想的ですらある。
湖畔を見渡せる
やがて決まったことのように湖畔に歌声が響く。
何回も聞いて憶えてしまった、ただの歌の時もあれば傷をいやす歌の時もある。
彼女はただの歌も唄う。
人々の慰めとなるようにか、歌の練習か、それともただ好きなだけなのかもしれない。
綺麗な声で決まって夕方になると何かの歌を歌う。
今日は傷をいやす歌だ…。
それが分かる自分に苦笑する。
だれか怪我人でも出たのだろうか…。
苔生した大きな岩の上に座り腐りかけた大木に寄りかかり目を閉じてその歌を聴く。
心の奥の湖に水が一滴落ちて沈んでいくようなそんな澄んだ静謐な響き。
任務の2文字につぶされかかった心をこの一時は癒してくれる。

「きれいな声ですね…」
不意に声をかけてきたのは部下のラテルだ。
「ああ、そうだな…」
「あんな子が人々を惑わす元凶なのでしょうか…」
そうして捕らえて国まで護送しなければならないほど重大人物なのでしょうか…
ラテルは歌声を聞きながらひっそりと問いかける。
「……それを確認するのも我々の仕事だ…」
いいわけに過ぎなくても、いずれ望まぬ行動に出なければならないとしても…。
「そうですね…」
部下達もきっと気付いてしまっているのだろう…
この自分達の危うい立場を。
国の歪みを…。
 

「ねぇ隊長…平和ですよね…」
「そうだな…」
「隊長…つまんないことですけど聞いてくれます?」
「なんだ?」
「俺ここに来てすごく平和だなって思ったんですよ。
人々はそこそこ裕福で、笑って楽しそうで仲良くて幸せそうで…。
少女は歌うし空気は穏やかだし、森は緑で畑は実り豊かだ
人々の往来は盛ん……こういうところに俺達って必要ないんじゃないかって…」
「………」
「必要ないとかじゃなくても、そうですねこういう世界を守るために俺達っているんじゃなかったのかな…って」
「………」
「俺達何をしているんでしょうね」
「………そうだな」
「あ、すいません。変な話しちゃって」
「変な話でもないさ…多分私達みたいなものには忘れてはいけない話だ…」
沈みかけた茜色に照らされた顔はかすかに微笑んだ気がしてラテルは泣きそうな気がした。
多分一番心を痛めているのはこの人だ。
忘れることなく今の状況にずっと傷ついているのはこの人だ。
自分が傷ついて他の人が助かるのなら何一つ躊躇することなくその身を差し出すこの人が何も出来ずにいる
現状の不満など、任務えの疑問など口にして、不敬や反逆を疑われることなく
自分のことのように受け止めてくれる隊長などこの人だけだろう…。
自分達はこの隊長の力になりたくてここにいるのに何一つ出来ない。
今の痛みはこの偽りの安寧では癒せるわけもないのに…。
「ねぇ隊長?」
「ん?」
「不謹慎ですけど、こんな時間がずっと続けばいいですね」
「そうだな…」
らちもない願い…。
そのまま続けば、いっそ死ぬまで続けば偽りの平和も本当になるのに…。
 

その時歌が変わる…。
傷をいやすものから疲れをいやし、心を落ち着かせるものに…。
(また…?)
「あ、この歌」
ラテルは嬉しそうにその歌の聞こえる方角に顔をほころばせる。
その歌の効果がそうであると知ったのはついこの間。
長い無理な行軍とあまり環境のよくない野営続きでつかれていた部下達が
この歌を聴いた直後に次々に身体の復調を訴えてきたのである。
かくいうパルマンも変わらぬ状況にいらついていた神経がすっきりと落ち着くのを
歌と共に不思議な思いで感じ取っていたのだ。
後を追い始めて最初の頃には聞いたことのない歌だった。
しかし最近毎日のようにその歌を聴く。

(なぜ…?)
誰に問いかけることもできない問いは歌声にのって夕闇のなかに消えていく。
夕闇に湖が沈むころその歌も終わりすべては眠りにつく。
ただ心だけを夢に残して…。
 

◇  ◇  ◇

 しとしとと雨が降る。
 

同じ国、しかもそれほど離れていない場所でもこれほどまでに空気が違うものかと思う。
湿地帯に足を踏み入れたときにはそう思った。
アリアがそこに入ったと報告を受けたときには何事かと思った。
今までの足取りは決して人里から離れるものでは無かったから。
もし彼女が人を助けることを目的として歩いているのならそれは当たり前のことで
最近ではそう信じて疑っていなかったのに…。
前髪が水を含んで顔に張り付くのをうっとおしそうに振り払う。

湿地帯には人は住んでいない。
曰くありげな危険の高い洞窟と足場のよく分からないぬかるんだ大地が広がって
空模様は常によくない。
背の高い芦が一面に生えていて姿を隠すのにはもってこいだ。
魔獣も強い。
まさしくつかまえてくれ、連れ去ってくれと言わんばかりの土地だ。
「何を考えているのか…」
ため息と共に胸のつかえを吐き出そうとして失敗する。
捕まえれば全てが分かるのかもしれないが、捕まえればここからあの危険な人たちの処に連れて行かねばならない。
「隊長、どうします?彼女の少し前に魔獣です!」
「彼女は生け捕りせよとの命令だ、先回りしてその要因となるものは切って捨てろ」
「へへ!了解隊長!」
部下達もこういう命令には嬉しそうに出ていく。
たいがい因果な隊長をもたせてしまったと思ったがよく似た部下なのかもしれない。

やがて夕暮れが来てこの空の見えない土地にも夜の帳が落ちてくる。
パルマンは指示を出し広目の乾いた丘を選んで野営をさせる。
この位置からだとアリアの様子はほとんど見えないが、夜にこの土地を歩き回るようなマネはしないだろう。
こんな湿った雨の土地にあの白いドレスを濡らし、華奢な足をぬかるみに汚してアリアは何をしたいのだろう…。
あの危険な洞窟になにか用事があったのかもしれない。
会うことはかなうべくもないのですべては憶測の域を出ることはないけれども…。
今夜は周りに人もいない。
あの歌声も聞くことは出来ないだろう…。
それは迷惑な客人である自分達には、しかたがないこと。
でも、せめて布の一つでもわけてあげたい。
この小雨ばかりが降る大地にせめて暖かい寝床を提供できたら…。
何一つ望めない身にそれだけが何よりも残念な気がした。

そのとき空間に音が満ちる…。
しとしとと芦の上に降る雨の音をかき消して静かで、それでいてとぎれること無い凛とした歌声。
「アリア…」
それは紛れもないアリアの歌声。
傷をいやし、疲れをいやし、心をも癒す歌。
「どうして…」
その問いかけは空気に溶けて届くことはない。
しかしその答えとも思えるほどに歌声は響きを増してあたりに満ちあふれる。
パルマンはテントをでて雨の中に立ちすくむ。

「アリア…まさか…」

そんなはずはない。
幾度も頭を振って否定をする。
つけられているのは気付かれているのだろうとは思っていた。
でも、そんなはずはない。
彼女が自分に害をなす存在である自分達に歌いかけるなどあるはずのないことなのだ。
 
 

もし空が晴れていてそして太陽が天にあったのならきっとお互いに姿を認めることが出来る距離であるのに…。
いまは二人の間には夜の闇とぬかるんだ大地が広がり側にはいても
もうこれ以上一歩も近寄ることは出来ない。
もし駆け寄ってなにかを伝えることが出来るならなにもかも分かるのかもしれないのに
まさにそれこそが今の自分に許されないこと。
パルマンはそれでも確かにアリアのいるであろう方向を食い入るように見つめる。
握りしめた指先に、自らつけた爪の傷跡がまたアリアの歌で直っていくのも気付かないままに…。
ただ心に赤い血の跡を残して…。

「どうして…」

やがてその歌も終わり、彼女は新しい歌を歌い出す。
彼女は時折力のもたない歌を歌う。
歌の練習をするかのように、人の心を慈しむように…
今も唄う歌は力のもたない歌。
港の酒場女がよく歌う情熱的な歌。
力無く、ただ心を唄う歌を…。
 
 

 

私は歌う
この地の果てで…

あなたは出ていく
私に全てを残して……
貴方が何も言わないのなら私も何も言えない…

私は知っているわ、貴方のくれたもの…
戸惑いは心に思う何かがあるから…
たとえ何も言葉にしなくてもこの痛みは消せないし
この涙も乾かない…

貴方はずっと気付いていたのでしょう?
私の目に…私の声に…
この歌に…

それなのに…

それなのに
どうして何も言ってはくれないの…?
 
 


ほむら氏に捧げ物SSです。
またなにやらファルコム熱が出たようで
大騒ぎをしているので
手持ちのデータを引っかき回しましたら
大量のゲームデータと共に昔のネタ帳が…(笑)。
けっこうちゃんと書かれていたので
何か欲しい?とほむら氏にたずねたら
速攻で「パルマンとアリア!」と返ってきました。
3秒ぐらい悩んで下さい…先生…(笑)。

ほむら氏が大騒ぎをするので何となく
一歩引いていますがたしかにこのシリーズは
話が魅力的で好きです。
どうもおちょくりやすいキャラが多い気がするのは
気のせいでしょうか?

ネタは…どうでしょうね。仮にも職業軍人
そうそうまかれっぱなしではなかったと思うのですがね?
ましてやしょっちゅう歌っている相手に…。
ただ単に捕まえる判断が出来ずにうろうろしていたような気が
部下の台詞からはするのです。

(2001.8.5 リオりー)

おまけのアホネタ