眼前に満ちるは色褪せた空なれど…


 
 遠き道のりに思いをはせ、その行き先に実りあれ。
険しき道のりを恐れることなかれ。
面を上げてまだ見える事無きその先を厭うなかれ…。

カツ…
カツン…
一つ階段を上がる
自分のほうが一歩だけ先に…
カツ…
ほんのわずかだけ遅れて彼の足音が響いて青い影が隣に並ぶ。
それを目の端に止めて後ろは振り向かずにまた一歩だけ階段を上がるために
足をあげる…。
 
 

そこは荘厳な空間。
天窓からの光ろうそくの明かりだけがその空間を照らす。
 
天にまします我らがマチルダの神よ天
我らを守護し奉るあまたの英霊たちよ
この日に立ち添わしましたる…


大聖堂に響く力強い声。神と英雄をたたえるおきまりの言葉。
儀式の始まり…。
やがてこの儀式の主役である青年の名前が呼ばれる。
「マイクロトフ」
「はい」
凛とした声と共に立ち上がる、まだ20過ぎたばかりに見える黒髪の青年。
 
 

「うわっ」
強い風が階段を吹き抜ける。
城の外壁から城壁の上に続く階段。
石壁に挟まれて隙間を疾走する冬の風は強く冷たい。
「大丈夫?」
「大丈夫だ、いきなりだから煽られただけだ」
「風が…つよいね」
「すこし…な。この程度なら困るほどの事もあるまい」
「でも寒いね、外套でも持ってくれば良かった」
「俺のはまだできていない…」
この新しい制服用のは注文したばかりでまだ手元には来ていない。
「そういえば私のもだ…」
「……おまえ俺よりも3ヶ月早く就任したんだろうが!」
「引継でごちゃごちゃしていてね…おまえが生真面目に寸法を採らせているのを見て気がついたくらいだ」
風の寒さに身を震わせても、顔は前を向いたまま、
目は上を見つめたまま、ゆっくりと、止まることなく上へ、上へと登っていく。
 
 
「青騎士マイクロトフよ、前へ…」
その言葉で彼は階段を上がり、祭壇の前へ進み出る。
す真新しい青い服ですらりとした長身を包み生真面目に真っ直ぐ前を見つめる。
昨日までの白に青いラインの入った服ではない。
マチルダを支える三つの騎士団、その一つである青騎士団のトップである青い長衣。
真っ直ぐに前を見るその顔は若くしかし精悍で強い意志がみられる。
周りの騎士たちの羨望、賞賛、嫉妬、そのほか雑多な数々の視線を受け
ものともせずに真っ直ぐ歩く様は騎士の頂点にふさわしいもののふるまい。


とん…

ゆっくりと、ことさらにゆっくりと城壁の石段を一段上に上がる。
高台にある建物には遮るものはなく、容赦なく吹き付ける風が城壁にそって噴き上がり
紫のマントを跳ね上げる。
風が体の隅々まで行き渡り体の熱を奪っていくかのように…

とん…

それを追って青い長衣をはためかせ、もう一人が追うように隣に並ぶ。
風が緩やかにまく。
並んでいる肩の場所だけ暖かくなる。
思わず口元に笑みが浮かぶ。
でもそちらの方には振り向かない。
みなくてもわかる。いることが伝わる…それだけ。
そしてその暖かさを振り切るようにまた一段上にのぼる。
ほんの少しだけ早く…。
そうして言葉を交わす。
ぽつり、ぽつりと…たわいもないこと。
さっきまでの式典の話…
 

式典の主役は祭壇の前に進み出て膝をつきふかく頭を垂れる。
この国の神に英霊に祈りを捧げるために。
いままで騎士として歩んできた行いを報告するために。
すでに形式化して意味すらも忘れかけられている動作だが
彼はそんなことなど知らぬげに無心に祈る。
「マイクロトフ…」
「はい」
「祈りがすんだら中央の祭壇へ…」


「あの時、まじめに何を祈ったの?」
「…いろいろだ…騎士になってからあったいろいろなこととか、マチルダの平和とか…、カミューは何を祈ったんだ?」
「私?うーん?」
「おいおいたった、三ヶ月前かそこらのはなしだろう」
「私には別に祈らなければならないことがなかったからね、さしあたってこの後の昼ご飯の献立のことを考えていたかな」
「この罰当たりが…」
「そんなことはないだろう?お昼のポトフにあのいまいましいラディッシュが入っているかどうかは人生の重大事、食事って言うものの大問題だろう?」
「冬のポトフにラディッシュは入っているものだろう。栄養があるんだぞ」
「だからこそこういう日には入っていないことを心から祈ったね」
「まったく…」
笑いながら冗談めかしていう友人に盛大にため息をついてみせる。
言葉の内容ほど口調は軽くない。

聞きたい言葉はあるけれどもそれは言わない。
触れない、振り向かない。
そんな騎士であるときの二人の距離。
それなのに側にいることが至上という存在。
いつからそうなったのか、そしていつまでそうであるのか。

少し笑ってそのまま軽やかに次の一段をあがる。
 

マイクロトフが祭壇の最上段への階段を一歩一歩上る。
頂上で待つのは騎士団最高の位になる白騎士団長ゴルドー、
教会の最高責任者司祭長…そして両脇を固めるのは
今日から前の文字が頭に付く現青騎士団長
そして一足先に赤騎士団長になった親友…カミュー。
マイクロトフが最上段、4名の前で膝をつくと両脇の二人は
剣を真っ直ぐにかまえ新しい騎士団長を認め
そして騎士団の永遠の存続と忠誠を誓う言葉を読み上げる。
とん…
城壁の頂上に続く階段の一段を
強い風が吹き抜ける中を一歩一歩、登って行く。
彼が隣に来たときだけ二人の間に舞う風に目を伏せて肩を預けるように立ち息をつく。
そしてまた目を開け前を見つめ一歩を踏み出す。

焦ったわけではない、急いだつもりも無い。
ただ強くあろうと、周りに負けまいとひたすらに己の道を歩いたにすぎない。
風が強く、降る雨が冷たく、時代があまりに血を欲していたためかもしれない。
時は進むたびに血と屍を飲み込み、その風雨に負けず、道を歩く力を持った二人を
ひたすらに上へ上へと追い上げた。
彼らにそれを拒否する理由も無く、逃げるいわれも無く…。
只喜ばしいとは心のどこにもいえなくて…。
 

そしてあまたの英雄よ、聖霊達よ照覧あれ。
ここに神々の祝福を受けし新たなる騎士の長が誕生する。
このものの手によって、剣によってマチルダの更なる発展と繁栄をもたらされん事を…
司祭長の言葉が静かな部屋に響く…。
 

あまたの英霊よ…願わくば…。
 
 

そして階段の一番上に上る。

「ここまできたのか…」
「ここまで?」
「一応一番上までってことさ」
立場ってやつかな、と肩を竦める。
「ああ、なるほどな、それでおまえはここに来たがったのか…」
「別に…そういうつもりでもなかったけれどもね」
ここからの眺めは格別だから…こういう時にはいいだろう?
そう言って城壁の端までゆっくりと歩いていく。
「ここに立つ事があろうとはな…しかもこんなに早くにな」
同調するようにマイクロトフは呟いてため息を一つ吐き出す。
 

何も無い平和な時ならこんなに早く若い自分達がここにいる事はなかった。
武官の昇進が早いのはひとえに活躍の場が多い事、そして上に立つ人々の死が多いからだ。
さもなければいくら有能とはいっても20代前半の若造が騎士団のトップに立てるわけも無い。
周りの人間もすべて自分より年上ではあるが若い人たちばかりで、
世代交代の速さを物語る顔ぶれである。
「あと5年は、のほほんとあの人の下で楽できるはずだったんだけどね…」
カミューの言葉は、あまりにも不利な状況で始まったハイランドとの戦いで殿を務め、味方を守りぬいて死んだ
前の赤騎士団長の事を言っているとわかってマイクロトフは苦笑して同意する。
「俺も…あの人からもっと教わりたい事がたくさんあったのにな…」
自分が上っていく度に、失いたくない人を失う。
前の赤騎士団長も若い人だった。
30をいくつか越えたばかりで、その人が健在なら確かにカミューといえども5年あるいは10年はその地位に着くことは
なかろうと言える人だった。
『あいつの方が先に道を降りてしまうなんてな…』
急遽赤騎士団長となることになったカミューが、いろいろと教わりに青騎士団長のところに通っているとき
普段はそんなところは欠片も見せない団長がぽつりと言った言葉を思い出す。
『あいつのほうが5つ以上も下だったんだ…わかっているつもりだったけど…辛いな…』
そういう風に言った青騎士団長も敗戦の後始末をつけた後責任をとって辞任した。

「あの人まで辞める必要はなかったんだ…」
マイクロトフが辛そうに呟く。
そのままいけば次の白騎士団長であろうと言われ、回りからもそう望まれていた人だった。
『がらじゃないよ…それにあいつを亡くしてここに立っているのはかなり…つらい』
笑っていた。彼は笑っていた。笑って、笑って騎士達を勇気づけて、けれども笑っていないことは何も見なくてもわかった…。
そして、最後につかれたよ、とほとんど誰にも気付かれないように呟いて、笑って辞めた。

色あせぬ人…。
いつまでも仰いでいてもかまわないと思えた人…。

「あの戦は始まった段階でもう負けが決まっていたんだ。それをあの人が責任取ることなんて!」
あの戦いで名前に傷が付かなかったのは別働隊を率いて敵を横から突き崩して負けを完全な負けにしなかった
カミューとマイクロトフぐらいなものだった。
その二人が今度一番上に立つ。
ある意味正しい人事なのかもしれない。
そして、仰ぎ見る人は今やただ一人。
『ちょうど良いチャンスだと思ったんだ…お前達二人に後を託す。お前達二人なら大変なことがあっても大丈夫な気がしてな』

自分が出来ないとは思わないが、大丈夫なんてとても言えない。思えない。
でもあの時は笑い返して言うしかなかったのだ。
微力ですが全力を尽くします…と。

いきなり与えられた高さに目眩がする。
誰も大丈夫だとは言ってくれるわけもなく、自分で言い聞かせることも出来ずに
与えられた高さと時代の重さと風の強さに3ヶ月間ただ奥歯をかみしめて堪えてきた。

そして同じ高さにマイクロトフが来る。
単純に喜べないのはどちらも同じ。

「青騎士団長マイクロトフ」
「何だあらたまって…」
「おまえはここで何を誓う?何を願う?」
 
 

新たに与えられた剣は"権"でありこの国の守護者の証。
うやうやしくその剣を受け取り、回りから大きな歓声がわきあがる。
新たなる騎士団長が誕生したのだ。
新しい騎士団長はそこですっくと立ちあがりその剣を抜き、剣にかける
騎士の誓いを詠唱する。


「誓い?騎士の誓いじゃ駄目か?」
「あれって決まり文句じゃない、青騎士団長マイクロトフ…おまえの言葉が聞きたい。気分はどうだい?」
「実感がまだ無い」
あっさりとマイクロトフらしい言葉が返ってきたので肩を竦めてまた前を見る。
「騎士団長の仕事は激務だぞ、しかも書類仕事が多い。すぐに実感できるさ」
「忙しいのは望むところだ!といいたいところだが…書類はなぁ…」
「ぼやくな。ぼやいたって変わりはいないぞ。…そういう職だからな」
つらくても、笑って、怒って…見せてはいけないのは気力を失うところ、疲れているところ…。
一騎士とは比べものにならない世界。
「分かっている。」
騎士団長の椅子。それは騎士団を、この国を見渡せる一番高い場所。
やはり、早いというべきか…
この地を見渡せる最も高い場所に来た。
高みを望んだわけではない。
ひたすらに己を磨きここまできたといえる。
 

「動きやすくなったと言うべきなのか…」
しかし自由と、それなりの力を望まなかったわけではない。

ここより上は…
カミューは後ろの壁を振り仰いでその頂上にはためく色褪せた旗を見る。
 

「動く事ができるようになって…おまえはなにをする?」
では誓いの代りに…とたずねる。
「もっとたくさんの人を守る」
「おまえらしいな」
「最低限の犠牲という名のもとに仲間や国の人々を見捨てるのはもうごめんだからな」
あっさりと吐き出される言葉。
繰り返される小競り合い。マチルダは都市同盟の軍事的要でもあったりするから
何度も出撃し、そうして出撃を止められた。
どちらかを選ばなければならない事もあった。
救助にすら出してもらえない事もあった。
幾度となく進言を繰り返しては突っぱねられ飛び出しそうになった。
それが自軍を最大限に生かす事、守る事ひいてはマチルダを守る事だとわかっていても
何度歯噛みをしただろうか。
マイクロトフらしい答え。
「でも…それは場合によっては味方を殺す事だよ」
分かっているのかい?
最低限…の選択をえらばないということは誰かに死ねという命令を出す事だ。
おまえはそれに耐えられるの?
堪えられる人間になるの?
「俺が出る、俺が上ならば俺が出るのをそうそう止められ無いだろう?」
「はい?」
なにそれ、それは上に立つもののやることじゃないよ。
「俺はこれから部下の命を預かるのだから部下の命も守らなければならないからな」
「……あっているような、あっていないような…」
自覚があるのか無いのか…。
飛び出そうとする新しい青騎士団長を寄ってたかって止めようとする青騎士達の図が頭の中に浮かんで
苦笑する。
前から何かって言えば自分で飛び出そうとしていた。
それを止めるのは自分の役目だった。
これからもそういうことになるのだろうか。偉くなった分枷がなくなり止められる者が少なくなった分…
「苦労が増えそう…」
「守る者が増えるからな」
そういうことじゃないんだけど。
でもそういうことか。
偉くなった分、高く上った分両手を伸ばして彼はすべてを守ろうとするのだろう。
でも高く上っても強くなってもマイクロトフの両腕の広さなどそう変わりはしないものを…

今のところ、たぶんあまり代わり映えのしない自分達。
変わっていく周囲は思うよりずっと速く…。

「風が強いね」
「ああ、思いのほか寒いな」
上に上がればあがるほど風は強く冷たくなる。
吹き抜ける寒さに思わず隣の人のいるほうに少しだけ身を寄せると
そこからの風だけがわずかに跡切れ、巻く空気にほんの少しだけ温かさを感じる。
多分自分達はこうやって風を、吹き付ける寒さをやり過ごしてきた。
でも一番上のここは遮るものなど何も無い吹き付ける風、身を切るような寒さ。
ここに二人だけ…
ここに来て二人だけ…
ここにいて凍えずに変わらずにいられるのか…。

マチルダ騎士団は歴史の長さほど腐ってはいない。
若いマイクロトフを、移民のカミューを団長に選ぶだけの
力を認め、賞賛できる強さがある。

それでも…

まだ年若い騎士だったころあこがれた、恐れを知らぬ強さを誇った
今は白騎士団長となった人の昔の姿を思い浮かべる。

でも時代は回りをめまぐるしく変化させ、変えられてしまった人の姿に悲しみとそれ以上の醜悪さがつきまとい。
そして、それに合わせるように時は今、自分達に何をつきつけ、どのような変化を望むのか。
 

高さに目が眩まずにいられるのか。
寒さに凍えずにいられるのか…。
権力の高みと圧力の強い風とのなかであの旗のように色褪せずにいられるのか。
いまだ強く、そして愛するに足るこの騎士団を汚さず守りぬけるのか…

ただ強くあろうと、周りに負けずに自分らしくあろうと真っ直ぐ前を見て上へ、上へと歩いてきた。
そして、視界が開けて初めて気付いたこと。
もう目指す先のあまりにあいまいさ、たよりなさ。
考えたことがないわけではなかった。
しかし実際に来てみるとその景色はまるで違った。
この寒さの中で、今まで共に歩いてきたものを引っ張るのか背負うのか。
どこを指し示していいのか…。
考えるだけ無駄としか思えない脆弱きわまりない彼方。
このまま歩けばやがて隣の人間までいなくなる道行き…。
そして何よりも恐いのは、それに負けて変わっていく何か…。
 
 

もちろん、今の自分は少しずつ変わった結果で、これらも自分達は何かしら変わっていくのだろう。
それは分かっている。
でも回りの変化はそれを凌駕するほど早く、そのまま流されるのはあまりにも危険な感じがする。
そして小さな変化を積み重ね
今の事も、この景色も表情も思い出せない時がくるのかもしれない。
痛みも寒さも孤独もそれを早めてくれるだけの…
 

もう一度城の一番高いところに掲げられたマチルダの象徴を眺める。
前や上だけをまっすぐに見ていればいい時はこの階段の上にきて終わった。
ここに来るまで隣のぬくもりは、振り向かずとも離れる事無く変わる事無くぬくもりを分かち合い
寒さも厳しさもつらさも半分以下にしてくれた。
でもあそこにいけるのはただの一人。
どちらかが行かねばならないのか。
それを自分は望む事になるのか…
彼が望む事になるのか…
その時お互いはどうするのか…何を思うのか…
彼は変わらずにいられるのだろうか…
寒さに色褪せずに厳しさに歪まずにいられるのだろうか。
自分はどうするのだろう…
ぬくもりを手放して…

「何ぼーっと旗なんか眺めているんだ?」
「ん?別に、ただね、ずい分色が褪せているなぁ…って」
「長い事使っているからな。そろそろ取り替え時かな?」
「どうだろう…」
「何を考えている…?」
「これからの事…」
隠すような事でもなく説明できるほどはっきりとしていない感情をあいまいに口にする。
「なにか気になる事でもあるのか?」
「無いといえば嘘になる。あるというには漠然としすぎている…」
「ふん…むつかしいな」
「私にも分からないんだ」
「おまえに分からなければどうしようもないな。…しかしおまえと同じ位置に立てば
少しは見えるかと思ったが」
全然だな、とマイクロトフは首を振り息を一つ吐き出す。
「同じ身分でいたかった?」
奇妙なことを言われたような気がして首を傾げる。
「身分というか、立場だな。おまえは分からない事だらけだから、ほんの少しでも
同じ高さでものを見たかった。そうすれば少し分かるものがあるんじゃないかと思った。
追いつけたからって同じ物が見られるわけでもないんだが…」
「……」
「やっぱりこれからもおまえの隣に立っていたいからな」
友というだけでなく、同僚というだけでなく、ライバルでもあって、そしてだれよりも同等になるために。
「おかげでこんなところにきてしまった…」
長などという立場は本来、性に合わんのだがな…
ぼやく言葉にほんの少しだけ笑う。

「青騎士団長マイクロトフ」
平静を装って、からかうように笑いながら言葉を望む。
「…はい?」
呼びかけて続ける言葉など無い事に気がついてしまう。
誓いも道行きもこの二人ならば
ともに歩く事も守ろうとする事もなにもかも今まで通り過ぎて誓いにもできない。
変わらないで欲しいことなど願いに出来ないことなど100も承知だから
誓いはなく願もまた…

「マイクロトフ…」
「………」
「何か言う事は…」
何か言ってほしい…誓いでも誓いでなくても…
今のお前の言える言葉を…。

平気な振りをして風の髪を遊ばせて、その実とまどって
風が吹くたびに頭を巡らせ見えない先に道しるべを探して
前のように上を見つめてしまってはもう無い力強い影を探してしまっていた。

でも今は上を見ても色あせた旗が見えるばかり。
だから見えるものの代わりに言葉を…。
答えなど無いと一番自分がわかっているのに。

「うーん…やはりこれしかないか…」
言葉を望まれて、しばらく腕を組んで悩んでいたマイクロトフが顔を上げ何かを決めたように頷く。
「何?」
「さっき聞かれた誓いの言葉だ、これなら誓える」
剣を抜かずカミューの前にすっくと立ち、腕を半ば前に出すように広げそして厳かに宣言する。
「青騎士団長マイクロトフ!俺はこの任に就くにあたり、おまえの隣に立つにあたり以下の事を誓う
俺が俺として生きる事、誰にもこびず心を、信念を、魂をいかなるものにも売り渡す事無く
己と己の周りにいるものを守り通す事を誓う…」
一気に言い終え、当たり前すぎたかな?と照れくさそうに笑う。
「剣は抜かないの?」
「剣はもう騎士団にささげた。これは騎士としての誓いじゃない。
剣に誓ったのでもない、おまえの隣で生きている限りこの身すべてをかけてあがなう誓いのつもりだから…」
地位についてでも国についてでもない。
唯一自由に出来る自分のことだから、立つ位置が変わっても何一つ前と変わらないと足を踏みしめて新たに誓う。
変わらぬ同じ事を…。
それだけは変わらないという誓い。
「なんだか私に苦労しろっていわれているみたいだけど…」
「なんだそれは!それは気のせいだ!」
そりゃぁ…いままでいっぱい迷惑かかけたかもしれないけれども…と口の中でごもごも言うマイクロトフに
今まで肺と心の中にため込んでいた空気を思いっきり吐き出し押して天を仰ぐ。
「こんなのしか思い付かなかったんだが…?」
さっきの堂々とした態度はどこへやら、ちょっと上目遣いでだめか?と聞いてくる。
「だめなわけ無いだろう?」
友として、同僚として、ライバルとして、そしてその他さまざまな思いを込めて…
いや、新しく手を携えるもう一人の騎士団長として…
「おまえは最高だよ」
決まった道は当然のようになく、それを分かり切っているからどんな答えでもきっと満足できなかった。
だがこの男は、道でなく、答えでなく自分の足を指し示した。
どんな道でも変わることなく歩いてみせるとそういったのだ。
ならばこの場合、いかなる虚しい問いも棄却される。
 
 

「そんなことより外のほうを見てみろ」
振り向くと西日に照らされて輝く大地が眼下に広がっている。
「きれいだな」
「ああ、やっぱりここから見渡せる景色がマチルダでは一番きれいだな」
「端のほうまで見渡せるね」
「ミューズのほうは…無理か」
「遠眼鏡でもあればなんとかなるんじゃないかな、無理かな」
「遠すぎるかな。」
「もっと遠くまでミューズの向こうまでも…どこまでも見えればいいのにな」
「なにか見たいものでもあるのか」
「いいや、でも異変があったときすぐに分かれば早く駆けつけられるじゃないか」
「ミューズまで守るつもりか。あそこは一応独立都市だから要請なく行けば国境侵害だよ」
「もしものときにそんなこと関係あるか!」
きっぱり言い切った口調に頭を抱える。
「あきれた…これ以上手を広げる気か…」

高さに目が眩まないようにするには遠くを見れば良い。
この男はマチルダとその周りを守ることしか見えないみたいだがそのうち世界を見る事になったらどうなるだろう。
世界が危なくなったらやはりその取るに足らない人の体一つで目いっぱい手を広げて世界を守ろうとするのだろうか。
その時彼はどこに立っているのだろうか…
この旗のあるところだろうか、彼自身がその旗となるのだろうか
そして自分は…?
頭の中で繰り返される言葉は先ほどと同じでもほんの少しだけ違う重みが加わる。

「団長としてやることがたくさんあるからな…」
「たくさんあるよね」

こんな時代だから…
世界はまばゆくとも暗く、遠く先など見渡せもしないがそれでもかまわないとこの男は言う。
それでもその先から目を逸らさないように身を乗り出して、身体いっぱいに風を受け止める。
 

「その制服…すごく良く似合うね」
おめでとうも良くきたね、は今は心から言えるセリフではないので
心から言える事を口にする。
表情はたぶん憑き物が落ちたみたいな顔をしていることだろう。
自分事ながら現金だが、今度は友人の顔で隣に近寄って飾り紐をひっぱる。
「そうか?これはえらく厄介な代物なのだが」
「やっかい?」
「そうだ、ベルトが多いしこの飾り紐もどうなっているのか良く分からん
結構練習してみたんだがそれでもいつもより10分早く起きなければならん」
「ははっ…じゃぁ私はいつもの時間におまえを寝かせてやるために
5分前にベッドに誘わなければならないね」
「な………五分?」
「そう五分」
「これが五分か?」
一瞬にして顔が赤くなるが、それにも増して今のカミューの台詞がひっかかったのだろう
幾重にも巻かれたベルトを指差してふに落ちない声で聞き返される。
「……試してみる?」
くすくすわらって後ろの壁にマイクロトフを縫い付けると片手で器用に
首のところのベルトを外してみせる。
「わ!待て!!分かった!分かったからよせ」
胸元をゆるめてふわりと顔を寄せるとマイクロトフは我に返ったのか
真っ赤な顔をして壁にへばりつき制服の前を両手で掻きあわせる。
「試させてくれないの?」
そうしたら嘘じゃないって証明してあげる、そういって悪戯っぽく笑う。
本当に我ながら現金などと心の中で笑いながら。
「夜だ!夜にしろ!!」
間近で妖艶に笑うカミューは最早友や同僚のものではなく
マイクロトフは大慌てでストップをかける。
「今夜…いい?」
「ああ…」
「いいの?マイクも大人になったね」
OKくれるなんてさ。
「なんだそれは…」
「早く立ちあがらないとせっかくの新しい服が汚れちゃうよ?」
「誰のせいだ!誰の!」
真っ赤な顔をして壁に沿ってへたり込んですねたような顔をするマイクロトフの顔もやっぱり
団長の顔ではなくカミューだけのもので、彼がいつからこんな顔を見せてくれるようになったか思い出してみる。
不思議とあまりはっきりと思い出せない。
普段あまり考えないからなのかもしれない。
そしてこれから先のことも…。

「こういうのを鬼が笑うっていうのかなぁ」
「なんだ?」
「ん?先の心配より今晩のほうが大事ってことさ」
「今晩はアイリッシュシチューだぞ」
「ラディッシュが入っていないといいね」
「それはおまえだけだ…」
「あと、マイクロトフがいつもより5分前にきてくれるといいなって?」
「本当に行くのか?この服で…」
「せっかくだからね。私もこの服でお出迎え」
自分の赤騎士団長の服を指さして似合いだろう?と片目をつぶってみせる。
取って置きのワインをだしてあげるよ。
新しい騎士団長のお祝いに…

変わらないでいて欲しいと思う。
それでも変わっていくのを受け入れるのが生きていくことだとも思う。
そして変わってきたからこそ今の自分達がある。
昔をあまり思い出す事が無いのは今がなによりも幸せだからだ。
変わるのを恐れるのは今の関係がなによりも自分にとって都合が良くって居心地がいいからだ。
過去からそうなるように少しずつ変化してここまできた。
これからもそうあればいいと思うし、そう努力をしていかなければならないのだろう。
 

ここはただの通り道。騎士として生きていく自分達の寄り添うように平行に引かれた道の途中。
人生の分岐点に立ったわけでもないのに
変わり行く分かたれる道におびえて自分は何を今見ようとしていたのか。

「見晴らしが良くなるのも考え物って事かな…」
 
 

そう…まだここでやるべき事もやっていない。
色褪せた旗と残像は二人にはまだ関係なく
マイクロトフが見せる変化は自分にはあまりにも甘く
少なくとも次の季節は自分達は肩を寄せ合って凍えもせずに歩いていくのだから…。
 

だから団長になって初めて真っ直ぐに向き直り
面倒くさそうに手をさしのべよう。
しかたがないからまだ面倒見てやるよっていいながら
道の続く限り共に歩こうと…。

そして、今はこれだけを心の中で…
願わくば…君、道の途中で降りる事なかれ…。
 
 
 

「青騎士マイクロトフ…。
今日この日、この時間より大いなる慈悲と勇気を心とし、神々の英知を頭とし、
己が剣を己が腕とし赤き大地、青き水、純白の天の名をもって
このマチルダの大地を統べ、守る3つの守護者の一人に汝が名を加えん。
過去の英霊達の名に恥じぬよう騎士の誓いを剣に刻みてこの任をうけるべし」
「はい」

 
 

当たり前のように重ねられた手に、ふわりと白いものが舞い下りる…。
「風花だ…」
ふぅわりと風に舞う白い雪。
「もう春も近いのにめずらしな」
「道理で冷えると…」
「でもこの時期の風花は春の訪れを告げるものだというぞ」
「ああ…季節が変わるんだな」
「暖かくなるといいな」
よどみ無く流れる時は変わり行く季節をうつし、ただ先へ先へと急ぐ。
変わり行く季節に変わらない何かを望みながらそれでも変わらないものなど本当はほとんど無かった。
二人の立場も、背も、関係も…。
風は強く冷たく、時代を暗い方向へ揺り動かし、
何もかもを少しずつ変化させ、それが良い事なのか悪い事なのか分からないまま自分達は
いまこの高みから大地を見下ろしてまた新しい季節を迎える。
「いっしょに守っていこうな」
心の中を見透かされたような
それでいて何も分かっていないような言葉に切なくなる。
こういうところだけマイクロトフは何一つ変わらないから…。
「そうだね」
その救いにも似た言葉に、同意するしかないのだ自分は…。
 
 

全ての儀式が終わり青騎士団長となった男は赤騎士団長と並んで壇上にたちならぶ。
背後のステンドグラスからこぼれる鮮やかな光を背に受けて、
その堂々たる姿に騎士達から喝采が上がる。
その声に誓いの剣を掲げて答える二人。
光を受けて浮かび上がるそれはまるで英雄達を導いた軍神のようで、
または失われし道を指し示す英霊のようで…
目を細めて仰がずにいられない光景…。
これから彼はマチルダを、騎士達をどこに導いて行こうとするのか…。

それは未だ彼ら達自身にもわからないことだけれども…。
 


風花は二人の間に風を巻き柔らかく今日の日の祝福のようにふりそそぎ、そしてまた風に舞いあがる…。
言葉を持たぬまま城壁より眼下の景色を見下ろす。
今、沈みかけの太陽の光に照らされた大地はきらめき朱金の光を二人に投げかける。
その光に目が眩まぬよう、高さに自分を失わぬよう、寒さに凍えぬように二人は、ほんの少しだけ距離を縮めて地平線のかなたに目をやる。

色褪せないで…
世界を覆う光の中、闇の中、…何一つ心失う事無く
寒さを痛みに変える事はなく
 

振り返ることなかれ、はやることなかれ道の途中…
 

〜終〜



 
 

900番を踏んで下さいましたヒロイ様の
キリリク『青騎士団長就任式』の話し…でございます。
どこが就任式なんでしょう…しかもなぜかメインはカミューさん(爆)
リクエストをクリアしていないような…(殺)

それは、横に置いておいて…(おくな!)
彼ら、軍のトップとしては破格に若いではないですか。
(まぁ幻水メンバーみんな無駄に若いですけれどもね…
キバとかゴルドーとか…いいですけど…)
かなり大変だったのではないかとこっそり思っていたもので、
こんな曖昧な暗い話になりました。
何はともあれ彼らはこれからなのですけれども…
ということで思わずおまけSSというか
決着編(……汗)なぞを書いてしまいました。

ヘボSSですけれどもヒロイ様
おまけともども捧げさせていただきます。
リクエストありがとうございました〜\(≧▽≦)/

しかし就任早々彼らは服を一着駄目にするのね…(爆)

(2000.2.25 リオりー)


そのままおまけへ…