何か不満があるというのでは無いのです。
人生を天気に喩えるならたぶん今は春の穏やかな陽気にも似た
晴れた秋の日というところでしょう。
吹き付ける風はさほど冷たくもなく
日差しはおだやかで、回りの木々も花も親しげにその梢をよせてくる。
それなのにその緑の作る柔らかい影が何故か自分を憂鬱にさせるのです。


 

ミセスメランコリー4



 
 
 

 

「あーーっはっはっはっは」

綺麗な庭に遠慮のない笑い声が響く。

「そんなに笑わなくてもいいだろう!!」

「ぶくく…あはは…だめだ。笑わずにいられるかって」

笑っているのはカミュー。今回の被疑者。

「早とちりしたのは悪かったって言っているだろう?だけどおまえこそそんなこそこそしているから勘ぐられるんだぞ」

「まぁねぇ。隠しておきたかったのは事実だよ。こんな綺麗な人が相手じゃいくら何もないといっても口差がない人はくだらないことを言ってきそうでしょ。
それだとミセス・ロスターシュにも隊長にもわるいからね…」

「しかし、知らなかったなぁ。ミセス・ロスターシュとお前が同郷だとはな」

「ええ、おなじカマロの出身ですのよ」

ミセスロスターシュはふんわり笑う。
言われれば、なんとなく分かる同じ様な空気。
茶に近い金髪は風をはらみ、色素の薄い目の色の割には幾分小麦色に近い肌が繊細さと情熱的な印象を同時に与える。どこがどうとはいえないがなんとなく纏っている空気が似ている、とマイクロトフには思えた。
あくまで言われれば、だが…。

事の真相は、マチルダに来てまだ長くない自分の妻を置いて長期遠征にでなければならなかったロスターシュ隊長が、新妻が寂しくないように、ふるさとの話ができるように、そしてなによりマチルダに早くなれてくれるようにと、カミューに時折様子を見てくれるように、カミューに直々に頼んで置いた。というものだった。
カミューは尊敬する隊長のため、慣れない土地で知り合いもいなく苦労している同郷の女性のためそれを受けた。
しかし若い男女の事である。そのことが人の口に上ればくだらない噂でカミューだけでなく隊長も奥方も傷つけられることは容易に想像がついた。だからカミューはそのことを隠していたのだ。
 

「本当はね、みんなで賑やかに来ていただいてかまわないのだけれどもね…」

ふふ…と楽しそうに笑う婦人にカミューがこれだからと頭を抱える。

「あなたはそれほど身体がお強くないのですからそういう疲れる事は駄目です…」

これだから隊長は心配でお目付役に自分を立てたのだ、とカミューはやんわりとくぎを差す。

「もう!体が弱いわけではないのよ。まだここに来て日が浅いから空気になれていないだけだわ」

「だったら慣れるまでなおさらです」

婦人と旦那の部下、というよりもお目付役、もしくは世間知らずの姉と心配性の弟のような口の効き方にマイクロトフはおろおろと間に入る。

「あ、…あの大丈夫です。おれここのことは誰にも言いませんし…もしなんなら俺も来ますから」

「マイク?」

「カミュー、1人ででるより、俺と遠乗りとでも言った方が回りに勘ぐられずに済むと思うんだが」

マイクロトフにしては融通の利いた提案。

「ああ…そうだけど」

「やぁね、本当にやましいみたいで」

「え!そういうんじゃないですけど…」

子供のように可愛らしく膨れる婦人と慌てるカミューがまるで本当の姉弟のように微笑ましくてマイクロトフはやっとほっとしたように笑えた。
これなら心配しなくても良さそうだ。

やっぱりカミューは自分でいたとおり、自分のことはきちんと管理できる奴だった。
自分のような融通の利かない人間が口を出すような事など無いのだ。
少し寂しくは思うがもとより頼りにされても何か出来るわけでも無し…。
マイクロトフは清々しい気持ちで目の前の二人のやりとりを眺め、そして少しでも疑った事を心の中で詫びた。
 
 

本当に関係ないことなのだから。
 
 
 
 

「ありがとうね…、マイクロトフさん」

「え?」

カミューが帰る支度をするために席を外したとき思いもかけずロスターシュ婦人より礼の言葉。
当然マイクロトフがあわてふためく。

「…何がですか?俺は邪魔こそすれ…」

「最近少しカミューさんいらいらしていてね。でもあなたが来てくれたせいかしら?今日はとっても明るくて。とても楽しかったわ。また来てちょうだいね」

「カミューが…不機嫌ですか?」

すぐには信じられない言葉にマイクロトフがいぶかしげに聞き返すと、ええ、と婦人は緩く首を縦に振る。
その寂しそうな様子にマイクロトフはよけいに慌ててしまう。
いつもはなんにも弱みなんか見せないのに、大事なときに婦人に気を使わせるような態度を見せるなんてカミューらしくもない。
そのマイクロトフの態度をどうとったのか、婦人はすこうし顔を落として寂しそうに銀のスプーンをくるりとまわす。

「いつも無理してきてもらっちゃっているからかしらね」

その影のある表情にマイクロトフはあわてて頭をぶんぶんと横に振る。

「無理してなんて絶対にそんなことありませんよ!カミューはこういう人を出し抜くの大好きですし、紅茶とかも好きだし…そのいつも素敵なレディが悲しまないようにするのがつとめだなんて言っちゃう奴ですし、なによりわがままで嫌いなことはちっともやってくれない奴なので…だから無理なんて」

ある意味とんでもない友人に対する言いぐさ。
マイクロトフの必死の慰めは全て本当のこと。
カミューならこんなこときっと無理でも何でもないのだ。
でも婦人は少しうつむき加減のまま寂しげに笑うだけ。

「ふふ…ありがとう。でも確かに私みたいなのが独りで住んでいるところに、確かに若い男性が通っているというのは何もなくてもまずいことなのよね…」

「でも!それは…」

別にしかたのないことで!とマイクロトフは一生懸命言いつのる。

「ふふ…いいのよそれは…私にも分かっていることだから…」

それでもその心遣いは嬉しかったから…呟くような言葉になおも言葉を探すマイクロトフは相手をはかりかねて言葉を止めた。

心遣いとは
カミューの?
ロスターシュ隊長の?

「でも、あの人はそのへんどう思っていたのかしらね…」

あの人とは遠くにいまは出かけているロスターシュ団長であることは、今度は言われずとも、マイクロトフにも分かった。

「でも隊長は、あなたのことが大事で」

「ええ、もちろんそうね…あの人は本当に優しいからこうやって頼んで置いてくれたのよね。やさしい…とても優しいのよ…。それに文句があるわけじゃないの。ここの周りの人も凄く優しいのよ。慣れない土地に来た私が大変な思いをしていないかって。
だから悲しいことも苦しいことも何一つ無いといってもいいのよ…」

にっこり笑うミセスの顔はそれでもどこかに影が差す。

「ミセス…」

「ただ…」

「ただね…」

柔らかい午後の光にはらりとまた花びらが舞い散った。
 
 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇
 

ロスターシュ家を辞した後、ふわりと花の香りが漂う玄関をくぐり、城への道を二人はだまって歩く。
門から通りには金色の小さな花が、暖かい太陽の光と共に惜しげもなくその花弁を二人に降り注ぐ。
なぜか婦人が言ったようないらいらは見いだせず、上機嫌のカミューの後をマイクロトフはとぼとぼとついていく。
頭の中味は難しいことだらけ。

『こっとこれはただの贅沢なのね…』

考えること、いわなければならないこと。
難しいと思うのはやっぱり自分がものを分かっていないからなのだろうか?
 

「すまなかった、カミュー」

「いきなり何?」

何も言わずに後ろからついてきたかと思えばいきなり謝りの言葉を口にするマイクロトフに、カミューは肩越しに振り返る。

「疑った、放って置いてやれなかった。それでまた今さっきもくだらないことをいいそうになった」
言わなくてもいいことを言う。誤らなくても黙っていればいいことを真っ直ぐに口に出す友人にカミューは心得たようにかかとで振り向いて悪戯っぽい視線を返す。

「そういえば最近何も言ってこないなぁって思ってはいたけど?」

「煩くしないように…迷惑かけないようにしていたんだが…」

やはりマイクロトフにとってはこういう話は慣れていないのだろう、少し赤い顔をしてそっぽを向く姿は、ただの子供のようだ。
本当に分からないことだらけで…だから関わっちゃ駄目なのか。

「べつに…この前は言い過ぎたかなとは思ったし」

「でも、理解できないことに煩く言った俺は…」

「まぁ、お酒を飲む楽しみは禁酒法を破ることだし、夜遊びの最高の楽しみは門限を破ることだもんな」

夜いつまでだって遊んでいていいですよなんて言われたら、逆に夜遊びのスリルは半減するしね、と悪戯っぽくカミューは笑う。

「俺は禁酒法で門限か。」

ついでに目覚ましで出し抜きたい風紀かもしれない。
言われた言葉の意味にマイクロトフは苦笑する。少しは口うるさくしてもいいらしい。
もっともそれを聞いてやる気はないと言外にいわれたようなものだが。

「お前にはいうだけ無駄なんだろうな?」

ならいわないようにするだけなんだが…。
 

「でも気にしてたんだろう?」
 

「べつに」
 

カミューは片目をつぶって憎たらしいことを言うのでマイクロトフは膨れ気味に反発する。
その少しふてくされた物言いにカミューはくすくす笑ってもう一度揶揄するように目を覗き込んで

「だから追ってきたんだろう?」
 

気にしていたんだろう?

私のことを…
今日だって…
だから追ってきたんだろう?

その言葉に少しだけ首を傾げて真っ直ぐに目を見返すと今度はきっぱりと首を横に振った。

「追ってきたのはただの巻き添えだ」

「……」

「いや、気にならないといえば嘘だけれども、気にしないようにしてたし、本当は今日も参加するつもりはなかったんだ」
言い訳のようにマイクロトフは下を向いて手ため息を一つ。
「ほんと、巻き込まれた。お前が誰とつきあおうと俺には関係ないし、…」

だからこんな茶番にはつきあいたくなかったって。
 

「茶番…ふぅん」

心なしか返事をするカミューの声が低くなる。今まで後ろにいるマイクロトフの方に身体を向け、後ろ向きに歩いていたカミューは、またくるりと前を向き何も言わずに歩くスピードを上げる。
マイクロトフが慌てて横に並んでカミューの横顔を見れば、さっきまでの浮かれたような様子と違って表情が消えている。

あれ?機嫌が悪い?
さっきまであんなに楽しそうに人のことをからかってもいたのに。

やっぱり怒っていたんだ。
マイクロトフは豹変に近いその態度を自分に対する怒りと解してしょんぼりと下を向き自分の影を眺める。
やっぱり怒っている?そんなのあたりまえ。
さっきまではあんなに明るく楽しそうだったのに…。
でもそれも当然。ミセスの手前そんなところを出すわけにもいかなかったんだろう。
そりゃは気分悪いよな。後を付けられて行動を嗅ぎまわられて良い気のする奴なんていない。

「ごめん」

小さな声でマイクロトフは謝る。

「何で謝るの?」

「だから、邪魔をした。信用していないようにみえたんだろう?」

見当違いの回答にカミューは舌打ちする。
そしてその自分の感情に気付いて憮然とする。

とんでもない。
確かに最近カミューは理由も分からずいらいらしていた。
その原因。

謝ってなんか欲しくない、なんて。

マイクロトフは首を傾げる。
本当にすまなさそうな様子で少し距離を取りちょこんと縮こまってみせる姿は 意識していないだけになおさら凶悪にかわいく見える。
本人は何も気づいていないのだから、怒るのもこのもやもやもすべて筋違いで 見当はずれの感情だ。
カミューは離れていれば気付かなかったであろう、いきなり目の前に現れた感情を吐き出そうとして失敗する。

なんてことはない。全て自分の望み通りのはずなのに。
彼はちゃんと自分の言ったことを尊重して出しゃばることなくそっと離れて道をあける。
突っぱねたのは自分。
やさしさからかそれ以上介入することなく離れてくれたのは相手。
それだけのこと。
差し出がましいのも出しゃばりも大嫌いじゃないかと自問しても答えは理性から返ることなく。
金色の花を付ける柔らかい街路樹の隙間からまだ高い太陽を透かし見る。
まだ太陽は高く空は申し分なく青く、空気は香しく、今のカミューにとってはそれがいまいましい。

日の光は暖かく、さしのべられる木々の枝はあくまで柔らかく
惜しげもなくその実を振り落としてくれるのです。
冷たい風が吹かないわけではありませんが今の状況はおおむね順調で。
その枝は時によっては自分をかばうように冷たい風に立ちふさがり、
しかし行く手を遮ることもなく、ただ道の邪魔をすることもなく
それが、それがなによりも…
 

「すまない。俺に関係ないことなのに…」

何も悪くはないのに…。
それが何よりも…
 

「誓う…、もう絶対に気にしない。信用するし一切口ださない!」
 

ただ…、いらいらする…………!!
 

「!!」
 

ふわりと二人の間に紅茶に香りが広がる。

「な!」

目の前一杯に広がる金茶の波にマイクロトフが我に返ったのは
言葉を奪われてたっぷり10秒近くたってからだった。

我に返っても自分の身に起きたことをマイクロトフはしばらく理解できなかった。
「な…何をした」

「何をってキス」

「何」

「キス」

顔を赤くするとかそれ以前にそのものを理解できない純粋さと愚鈍さが腹を抱えて笑いたくなるくらいほほえましかった。
横っ面を張り飛ばしたくなるくらいむかむかもした。
やっと何が起きたか理解したらしいマイクロトフはその瞬間顔を真っ赤にして酸欠の魚のように口をぱくぱくさせる。

「キキキキキ…キス…って…」

「うん?」

「何…で」

「お裾分け」

「何…を?」

「関係ないって、仲間外れ喰ったみたいにさびしそーにしてるからさ」

「さ…びしくなんかないぞ!!何を」

「それともただの気分かな」

「大体いきなり何をするんだ。おまえこういうことは双方ともに納得ずくですることだって言ってたじゃないか」

「バカだねおまえ」

「なにが!」

「何それ。恋なんて感情でする物だし我を忘れるって知ってる?それを納得だ?理性と計算でするような物じゃないよ」

「だ…ておまえ…このまえ」

「だから唐変木のばかだっての」

ああもう自分勝手なことばっかり。
そんなことカミュー自身だって分かっている。
分かっていて自分で止まらないのは何のせい?
目の前のバカが自分が丸め込むために言ったことを真に受けるからだ。
真に受けて本当に何も言わなくなったからだ。
なんでそんなことで自分に近づかないの?
何も言わないの?腹が立つ。
でもこれも恐ろしく自分勝手でわがまま。
わかっている目の前の友人は。友人として訳も分からないまま最大限の敬意とか理解とかそんな物を持って自分を尊重しようとしていたことぐらい。
でもそれがつまらない腹立たしい。もう止まらない。

「ほんとバカバカ。」

「嘘ついたな」

「嘘?さてね」

「もう怒った。ちゃんと俺はお前の言葉信じて何も言わないようにしていたんだぞ」

「それこそよけいなお世話」

目の前の男はただ優しい。
暖かく何よりも自分を尊重してくれる。
でもその優しさが。一歩引いて近づこうとしない優しさが…自分にとって何よりも都合のよいはずの春の日溜まりのような優しさが…
 
 
 

『変ね…私は嬉しいはずなのに…。それは本当よ?あの人の心遣いが優しさがとっても嬉しいと思っているのは本当なの…』

『でもね…でもね…ううんきっと私が贅沢なだけなのね』

『誰かに私のことを頼んでなんて行って欲しくなかった。誰にも関わるなって言って欲しかったなんて…。』
 
 
 

「あーーもう!お前がそういうつもりなら俺は絶対に止めるからな。全く騎士たる物!」

「どうぞ好きにすれば。全くよくそうも堅苦しく言えるもんだね。感心する」

うんざりという封を装いながらもカミュ−はどこかこのやりとりを楽しんでいた。
久しぶりなのだから。こんなばかげた言い合いは。
ここしばらくずっと感じていたいらいらは、またどこかへ消え失せてしまっていた。

「少しは自省しろ!」

「うるさいなぁ」

「人の忠告はまじめに聞け!」

「ま、いいか、酒の楽しみは禁酒法を破る事だというしね」

「だから!俺は禁酒法でも門限でもないって!」

青い空にマイクロトフの怒った声と、カミューのそれは楽しそうな笑い声が吸い込まれていく。
 

あなたは正しい…
そして限りなくあなたは優しい。

分け隔てなく降り注ぐ太陽のように…
でもその光が大地に影を作るように…
どこか私の心を憂鬱にさせるのです。
 
 

私を、とても寂しくさせるのです…。
 
 
 


 
 

 

なんなんでしょこれは。書き直しすることになってとんでもない難産しました。
最初に書いたのとだいぶ違うような気がします(苦笑)
ちなみにミセスメランコリーとは金木犀のことらしいです。季節も外すし。

(2002.1.8 リオりー)






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