境界線

〜6.Limited 〜


     
「……ル…」
声がする。
波の音にまぎれて、遠く近く…
自分に向けられたものなのかそれとも違うのか…
誰かを呼んでいるようでもありそうでもなく…
いや、自分のわけはないのだ。
自分の名を呼ぶものはもういない。
自分名を呼ぶものも最早どこにもいない…。
その波の手前で何をするでもなくぼんやりと波を見つめる。
目を凝らしてみても波の向こうは白く霞んで声の主はたぶん限りなく遠く霞の向こう…。
 
 
 

「………」
沈んでは浮上する意識。目には、岩壁にうつされたたき火の炎の揺らぎがちらちらと映る。
長い死闘といい、先ほどの不可解な精神的圧迫といい、酷くあちこちが疲弊していたようだ。
眠るというにはあまりに浅いが、無意識レベルでの意識の浮き沈みを感じる。
大丈夫といえるほどのものかどうか分からないが確かに意識が少し落ちていたようだ。
背中を大岩に持たせかけた姿勢のまま、手にはたいして役にも立たない剣を握りしめて
それでもくつろいでいるような体勢に移行していることに自分で驚く。
我ながらいい度胸だ…首に手を当てて自嘲気味に嗤う。
なにかあったらどうする気だ。
死ぬだけだろう?
いつもの自分の問いに間髪入れず答えを返す自分がいる。
1人で生きていくうちに癖になってしまった。
答える人は決まっているから答えはいつも同じ、境界線の向こうに行くこと。
行ったらどうなるかなんてわかりもしない、大事な人たちに会えればいいなんて感傷
残された方がもつにはあまりに切なすぎる。
額を一つ叩いて、どうにか意識を完全に浮上させる。
浅い眠り特有の頭の後ろにわだかまる気持ち悪さと寝汗の感触が意識をひんやりと覚ましていく。
もたれかかった大岩と背中の痛みに、感覚が告げる寝ていた時間はいくばくか。
ひとつ頭を振って完全に覚醒する。
また、あの夢を…みていたようだ。
ただ意識に残る断片的な後味の悪さだけが名残…。
いい夢か悪い夢かも分からない。
境界線の無い死んだ夢。

「もしかしてあの夢の向こうって彼岸ってやつかね」
夢で呼ばれているのはとうにしんじまった仲間とかそんな奴らかもしれない。
それならば呼ばれるのも分かる。
いつも死のラインのすれすれに立って向こう側を見るようなことばかりしているし。
いまもまた…。
 

「夢を見ていたようだな…」
いきなりたき火の向こうからかけられた声にぴくりと眉を反応させ注意深くその声の主の様子をうががう。
「何か寝言でも言っていたか?」
「…いや、何も…」
「ではなぜ分かる?」
「そういう意識の色をしていた…」
ああ、目の前の男はそういう生き物だったっけ。
この男は銀の鎖でがんじがらめに縛られ動くことすらできなくても油断をしていい相手ではなかったな。
他人事のようにぼんやり相手の目を眺めながらそんなことを思う。
綺麗な空色の目に炎が映るのかちらちらと紫の光が見る。
先ほどと一分の変化もない体勢…状況。
「色?心を読むのとは違うのか?」
よまれて困るようなことはなにひとつ持ち合わせていないが、注意深く言葉を選ぶ。
「心など読めない…」
「嘘をつくな。おまえ達は心を読むのだろう?」
吸血鬼は人の恐怖を読み当て、己の隠し持つ恐れを嘲笑うという。
「…それは間違いだ。たしかに我々は力の源となる生気は見える
その生気に感情や体調の揺らぎや色を見て取るだけだ」
それっきり顔色の悪い男は疲れたように口を閉じる。
自分も興味を失ったように枝を折り火にくべる。
正確には興味を失ったフリ…それも見抜かれているのだろうが。

しかし、こいつもこんなに口が軽くていいのだろうかと首を傾げたくなるほどあっさりといろいろ答えてくれた。
思いついたように当たり障りの無さそうなこと…しかし全ては彼らに関すること、そんな疑問ばかりを口にしているのに、
向こうも気まぐれと言うにはあまりに律儀に、でも酷くどうでもいいことのように答える。
その繰り返し。
一番効きたいことには触れることが出来ないままでも
とても有意義ではないとはいえない問答。
おまけに敵対しているとはとても思えない、いっそ穏やかで和やかとも呼べてしまいそうな空気が時間と共に流れていく。

先ほど感じた殺意は心の隅に小石ほどの重さを残して
あっけないほど綺麗にどこかに消えた。
すとんと落ちるような音がして肌を刺すように感じた寒さも
体中から血を吹き出すかと思うような奔流も、あったことを疑いたくなるほどあっさりと消え失せて
今はただ暖かい空気が回りと自分に流れるだけ。
傷の痛みすらどこかへ行ってしまったようだ。
 

薄気味悪いほどに…。
 
 
 

「ネクロードを知っていると言ったな?あれは、お前達の仲間だろう?」
「同じ種族という点を見れば仲間だな。だが裏切り者だ…」
 忌々しげな声。
「どういうことだ?」
しかし彼はこの件については、やはりそれ以上答える気がないらしく黙り込む。
仕方がないので次の質問を考えながら手に持った小枝を火にくべて
寝返りを打った子供の毛布をかけ直してやる。
「こだわるな。ネクロードと…あのものと何かあったのか?」
 はじめて相手からの問い。
「俺の村を滅ぼした」
 答えてもらう代価ではないがこちらも聞かれたことには真っ直ぐに答える。
どうせ嘘も誤魔化しもきかない相手だ。
口にするのもおっくうで、心を読めるならいっそ読んでもらってもかまわない。
たぶん今の自分にとってはその程度の事実だ。
「復讐か、難しいな…」
「悪いか」
「いくらお前が強かろうと一介の戦士でどうにかなる相手では無いぞ」
 場所によっては国を挙げて狩りだそうとしてなせなかった相手だ。
「わかっているさ、そんなことぐらい。でも俺の手で倒す。どんな手を使っても…。そう誓った」
「若いな…」
「だから知りたい。奴を倒す方法を…?」
 すんなりと本題を口に出来たことを不思議に思うでもなくやはり話の端にという風情。
「答えるとでも?」
「ふん、聞いてみただけだ」
 応えてくれたところでここから解き放つことも助けることもできない以上言うだけ損というものであろう。
答えが得られるだなど思ってもいない。
誰も好きこのんで同族の弱点をべらべらしゃべる奴もいまい。
それでもこんな話をしているのは縛られたまま死を待つだけの目の前の男の目が
あまりにも穏やかであったこと、
そして先ほどかいま見せた同族であるネクロードへの嫌悪に興味をひかれたからかもしれない。
何よりこの生者の息吹を感じさせない夜の静寂が忌まわしい記憶へとつながるのを
彼自身が嫌っているためかもしれなかった。

「まぁ、応えてやってもいいが…」
 だから次に続いた彼の台詞には心底驚かされた。
「ふん、なんて言う顔をしている。尋ねたのはお前だろう?」
 よほど間抜けな顔をしていたのだろう。吸血鬼の方こそいっそ年に似合わない冷静さと殺気をもつこの未熟なハンターの反応を面白がっているようで疲れ切った顔に笑いの色をのせる。
「嘘なら聞かないぞ」
 言葉に殺気すら乗せて、からかわれるつもりはないと強く牽制する。
「嘘などいわんさ、ちゃんと教えてやる。それが出来ることだかどうだかはしらんがな」
「………」
 なるほど、そういうことか。
一気に肩の力が抜ける。
方法は知っていてもそれが実現不可能なことならば知らないこととたいして変わりはないだろう。
「聞くのはやめるか?」
 にやにや笑いながら言う相手はやはりこちらの反応を楽しんでいるのだろう。
「いや、聞かせてもらう」
 からかわれるなどなおさらまっぴらだと思うが会話を途切れさせたくはない。
それに実現不可能だとしても情報として蓄えておけば何かの役には立つだろう。
 
 
 

「そうだな、まず一つ目。我ら以上の闇の力でねじ伏せる。消滅させる」
「闇の力?」
「そうだ、我々の力の根元は闇に属する力だ。だからその根元たる闇の力以上の力を持ってすれば
我々の力を奪うことが出来る」
「具体的にはどれくらい?」
「真の紋章…クラスだな」
そりゃ確かに無理だ…
おもわず膝の上に突っ伏してしまいたくなる。
真の紋章なんて話半分で本物など一つも見たことがない。
しかもそのなかで闇の力を持つものといえば…。
「…一つ目といったな。次は?」
 

「キラー因子をもつものに依頼する」
「キラー因子?」
「聞いたことはないか?吸血鬼の父を持ち人の母をもつとその子供は吸血鬼を
消滅させる力を持つ骨のない子供ヴァンイロビッチになる…」
「ああ、聞いたことはある」
 有名なハンターの血筋は元をたどればヴァンパイアだったことは珍しくない。
「私も話だけで長い生を生きて一度もお目にかかったことはないが探せば一人ぐらいは
見つかるかもしれないぞ」
 雲をつかむような話だと思う。
だいたい出来れば自分の手で始末はつけたいと思う以上この案も却下だろう。
 
 

「あと私の知る限り最後の手段だ。かなり確実でしかも成功する確率も一番高い…」
「……」
「より力の強い同族による殺害」
「同族…?」
「同じ力を持つもの同志であれば力の強い方が勝つ。そして力を吸収して奪うこともできる。
まぁ一番目の案に近い話かもしれないが…」
「しかし、そう同族といっても手を貸してくれるわけは…」
 それよりまえにその同族というのを見つけられるのかどうか…。
これも自分の手で出来れば討ち果たしたいという願いからは外れるが…。
 
 

「鈍いな…お前が同族になってしまえといっている。」
 
 

「なんだとぉ!!!」
一 瞬理解できなずに沈黙が流れ、そして空気が爆発する。
とんでもない提案に今にもつかみかからんばかりの相手を前にそれでも吸血鬼はさらりと言い放つ。
先ほどと同じ、なんてことはないといいたげな調子で…。
「これが一番確実な方法だぞ」
「そうかもしれねぇが…」
「我が血と力を少し与えればそれで終わりだ。痛くもなくなにより手っ取り早い方法だとはおもわんか…」
「いや、しかし…」
 背筋に冷たいものが走る。
こんな話し一蹴してしまうべきなのに。
「お前ならばもともと体力も力もなにもかも持っている…よいヴァンパイアになるだろうな。」
「よい吸血鬼…?」
「もちろんそのままでは勝つことは出来ない。力は自分でつけて行ってもらわなければならないからな」
「力?」

 何故?
何故自分はこんな話を聞いている?

「力の源…他の者の血よ…」
一つ一つ言葉を区切るように強調する。
「なっ!!」
「何を驚くことがある?お前も十分知っているであろう。人の生気、血こそが吸血鬼の糧、力の源であることを…。奪えば奪うほどそれはそのものの力となる。
相手があの男だというのなら大変だぞ?なにしろ一晩で村一つを食い散らかすような
暴食の徒だ。それに匹敵するだけの力を貯めねばなるまいよ」
「…ふざけ…」
 激高しそうになるのを相手の不思議なほど冷静でしかし射抜くような視線が押さえ込む。
完全に気圧される。縛られているだけの男に何故これだけの威圧感を感じなければならないのか…。
いや、自分の四肢を押さえ込んでいるのは自分。
そんな気がして今はならない。
「ふざけてなどおらん。ならば試してみるか?己の身で…
ほんのわずかの時間でどれだけ変化が出るか試してみたらどうだ?
死ぬことのない身体、溢れ出る魔力、…そうだな、その足下にいる生け贄の子供の血を少しでもすすってみるがよい。それだけでお前ならあのものの前に立っ勝てはしないまでもそうそう引けを取ることもあるまいよ」
「…ばか…な…」

 自分の声が遠くに聞こえる。
声が喉に絡む…。喉がひりひりと焼き付いて頭ががんがんと警鐘を鳴らしている。
それなのに話を遮ることが出来ない…。
 

何故
何故
ばかげている、おかしい。
 

「お前を一目見て分かったよ…その年に似合わぬ力、殺気。軽い口調に押さえ込まれているが押さえきれずににじみ出る感情の色は…復讐…おまえは力を欲しているはずだ、だれよりも…」
「おれは…そんなことは」
 必死の反論。
そうだ自分は別にそこまで復讐などに固執しているわけではない。
怨んでも泣いても死んだ人間が帰ってこないことはよく知っている。
ただ、生きていくのに行く先が…

「どうかな?ならばなぜ私にあれほどの殺気を向ける?」
 殺気?いつ?
「あのとき…ほんの少し私がお前の心を引き出したらすさまじい拒絶反応だ
そこまで怨まれるようなことを私はしていないと思うが?」
あの時?
ああそうか…あの時すでに…。
 

そうだ、力だ。話を遮れないのは笑い飛ばせないのはただ一つ自分が力を望むその欲望故だ…。
一瞬にしてあの憎き敵と同等の力が手に入る。
あいつを倒すためならばどんなことでもやる!泥をすすり地べたを這い、悪魔に魂を売り飛ばしたって敵はとるとあの死霊となった友に、かぞくにとどめを刺しながらたぶん自分は誓った。
涙は血の色になり、前身を腐肉の破片に埋めても絶望も死も凌駕してこの魂に刻み込まれた
飢えにも等しい傷。
どうして忘れられていたのだろう。
信じられないほどの自分の中での矛盾は当たり前のように同居して、もう痛みすら感じなくなってあることすら無視できた傷。
それでも無意識下できりきりと今も心を締め上げる呪縛。
それは力…。
「何をためらうことがあろうか…お前の望む力はここにあるというのに…」
 みれば語る吸血鬼の目は薄く紫色の光を帯びて赤い口元は薄い笑みを浮かべている。
魔性の色。人を惑わし魅了する邪眼。
 
 

オレノノゾミハ…
 

熱くもないのに額から冷たい汗がしたたり落ちる…。

唐突に気付く…

ああ、すでに自分は奴の術中に落ちていたのだ。
奴の紫色に変わった目から視線をそらせない。
気付くべきだったのだ、もう寒さを感じなくなったあの時にはすでに遅かったことに…。
いまや闇もない風もない…ただ奴と自分とその間の距離しか自分にはない。
こんなにも世界は狭い。
逃げ場も他の人間も何一つ無い。
まるで誰1人住むこともできない、乾いた自分の心のように。
 
 

そして、境界線はここにある。今目の前に。

そのラインは死という名前でなかったとしても…。
 
 

 

 
 
 
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どこで切っていいかわからなくなりました(笑)
ここで切るのは正しいかどうかは先を書いていないので(爆)わかりません(殴)

(2002.1.3 リオりー)