マリン岬−デリー−オマー−ダウンパトリック

一路アイルランドの最北端を目指しました。地図で見て一番北、と思っただけで、特に何の案内もありませんでした。


途中の道すがら、羊に道をふさがれてしまいました。(前方の白いのが羊の群れです)

ここら辺りの羊は、羊だけで団体行動を取って移動しているようでした。ゆっくり5分ほど、道を通って別の場所に行くのを見送りました。

アイルランドでは車の運転の際、歩行者よりも歩行羊や寝ている羊に注意しなくてはなりません。車がぜんぜん恐くないのか、よく分かりませんが、平気で道端でご飯を食べたり、寝ていたりします。












マリン岬へ行く途中で見かけた教会です。晴れた空の下、白い壁が非常に印象的でした。

草原にはのんびりした羊が寝ていました。
















アイルランドの最北端、マリン岬です。最北端という確信はなかったのですが、着いてみると、その旨の表示はありました。

天気が非常によく、風もあまり強くなく、予想していた冬の最北端とはちょっと違ったものでした。

最北端であるだけで、他には何もありません。しかしこういう所に来たがる私としては非常に満足でした。














マリン岬から西の方向の景色です。すこし、もやが、かかっていて、対岸の半島が島のように見えます。
















デリー(ロンドンデリー)
その後南下し、またボーダーを超えて北アイルランドに入りました。デリーは学生時代一度訪れたことがあるので、素通りしようかと想いましたが、町の近くまで来て、大きな教会が見えた途端、ちょっと寄って昼ご飯でも食べてみたくなりました。
ここは、未だ中世の城壁の残る町で、左はそのゲートの一つです。現在、一部を除いて、城壁の上は歩けるようになっていて、右のように歩道のようになっているところもあって、なかなか面白いです。
ここは、20年ほど前に、カトリックのデモ隊に向けて警官隊が発砲し、13人の人が亡くなったBlody Sunday事件のあった街です。そんな暗い歴史もありますが、日本でも有名なロンドンデリーの歌の故郷です。

 





デリーから南下し、オマーの町に着きました。残念ながら不勉強でこの町の歴史については、全く分からないのですが、町中にカトリック、プロテスタント、共に、教会が非常に多い町でした。

少し高台に町があり、遠くからでも教会が目立つ町でした。



その後、さらに南下し、嵐が丘の作者のエミリー・ブロンテの父親の生まれた町、といわれているダウンパトリックという町に向ったのですが、ツーリストインフォメーションは閉まっており、町の博物館で聞いてみたのですが、残念ながら彼にまつわる情報を手に入れる事は出来ませんでした。


夜はニューカッスルという町の海沿いの安宿に泊まりました。










ニューグレンジへ