アイルランド

なぜ、香港からアイルランドなの?と聞かれると困りますが、実は96年の夏に行こうとして、時間の都合で行けなかったところがあるのです。それは、アイルランドの北西部ドニゴール地方にある歌手のエンヤの父親が経営しているパブです。(96年の夏についてはこちらのページまで)
今回の第一番の目的が、そのパブで1杯やること、そして、第2がドニゴールの海岸と山へ行くこと、でした。

ロンドン−ダブリン
香港からの飛行機は遅れもせず、約13時間の飛行でロンドン、ヒースロー空港に到着しました。が、現地時間は1月20日の何と、午前4時半。冬という事もあり、当然真っ暗。飛行場は開いていますので、寒くはありませんでしたが、ダブリン行きの飛行機の出るターミナルは、どの航空会社のカウンターも開いていません。しばらく待つことになりました。


その日の第1便、午前6時50分発のブリティッシュミッドランド航空に乗り込みました。こちらも朝早くという事もあり、出発も到着も遅れず、8時過ぎにはダブリン空港に到着しました。前回は西部のシャノン空港でしたので、この空港は初めてです。到着してようやく日が開けてきました。


さて、ここで一つ問題がありました。忘れ物の多い私は、国際免許を北京に忘れてきてしまったのです。当然大手は断られてしまいましたが、何度か利用した事のある2番手のところは漢字でしかも有効期限も平成でしか書いていない日本の免許証で車を貸してくれました。


これで準備は万端、一路ドニゴールの玄関、同じ名前のドニゴールの町を目指します。





ダブリン−ドニゴール
レンタカー屋のおじさんに言われたとおり、道を進めましたが、このままだと途中で以前来た時の道に戻るため、進路を西から北に変え、一旦北アイルランド(イギリス領)に入りドニゴールへ抜けるルートを採ることにしました。途中のGranadという町で丘に変わった遺跡を見つけました。調べてみないと分からないのですが、後で見たタラの丘の造りに似ているので、多分古代の儀式か何かに使われた場所だと思います。


その後さらに北上し、気が付くとチェックポイントの表示、そのまま走ると、脇に監視等が建っており、道の真ん中には、いつでも道路を封鎖できるように鉄の柵が出てこれるようになっていました。さすがに一人で運転していましたし、ベルファストでのテロも相次いでいましたので、写真は撮らずに通過しました。
が、別に何の事もなく、イギリス側が主張する国境を越えました。越えた途端、何故かアイルランド共和国ではSOSの発信しか出来なかった携帯電話が、イギリスということで通常のローミングを始めました。また、以前は共和国かもしくは北アイルランドかという風にボーダーを超えた事はなかったのですが、いざ超えてみると、超えた途端道路の標示は英語だけになるし(アイルランドはゲール語と英語の二重表記)、道路の線の引き方もイギリスになるし、公衆電話もアイルランドテレコムからブリティッシュテレコムになるし、と同じ島、同じアイルランドなのに何とも言えない違和感を覚えました。



エニスキンという湖沿いの町に到着しました。城を見学しましたが、他には訪問者はいないようでした。先程の町ではお金はアイリッシュポンドだったのにここではスターリングポンド。城にはなぜか、イングランドの旗(白地に赤十字)が掲げられていて、私としては本当に違和感がありました。


車のナンバーもロンドンと同じで、UKの旗が掲げられている通りなんかを走る時は、共和国のナンバーを付けている私のレンタカーは何となく変な視線を受けているみたいで、不思議な緊張感がありました。
















この町を後にする頃いよいよ雪が激しくなったので、ドニゴールの町に向けて急ぎました。そろそろ、共和国かな、と思っていると、ふと見た電話ボックスが共和国のものであったので、ようやく気づきました。今回は監視所も何もありませんでした。気を付けていなければまった気が付かなかったところでしょう。午後5時過ぎにドニゴールの町に辿り着きました。


ドニゴール−グウィドーへ