2013.08.12(Mon.)-08.14(Wed.)
2013.08.12(Mon.)
浅草17:40−(1833・特急・りょうもう33号)→19:02足利市

2013.08.13(Tue.)
足利6:40−(3425M〜425M)→8:56黒磯
黒磯9:39−(2131M)→10:40(10:42?)郡山
郡山11:06(11:09)−(1137M)→11:54(11:56?)福島
福島12:00−(1185M)→12:34白石
白石12:37−(445M)→13:26仙台
仙台13:46−(3829M・快速)→14:53(14:56)羽前千歳
羽前千歳14:53(14:59)−(1439M)→16:03(16:26)新庄
新庄16:10(16:40)−(730D)→17:10(17:44)鳴子温泉
鳴子温泉18:00−(735D)→19:02(19:23)新庄

2013.08.14(Wed.)
新庄6:14−(151D)→7:08余目
余目7:19−(822D)→9:42村上
村上9:54−(1932M)→12:15吉田
吉田12:33−(235M)→12:53東三条
東三条12:56−(438M)→13:23長岡
長岡13:46−(1738M)→15:43水上
水上15:53−(746M)→16:56高崎
高崎17:14−(2290Y・快速)→19:00池袋
 大東亜交通問題研究会(仮称)夏期調査研究会というものに出かけてきました。
 初日は浅草集合。この日のみはI塚氏が同行。とりあえず集合は浅草駅改札口前に17:00として、福岡から空路やってくるU竹氏を待つことに。I塚氏と私は、浅草駅の1階で出くわして、一度2階へ。以前は2階に出札窓口があったように思いますが、1階にまとめたんですかね。U竹氏から連絡が入り、17:10の”りょうもう31号”には間に合わないだろう、ということで、”りょうもう33号”の指定券を確保してから、松屋の酒売り場へ集合場所を変更。”りょうもう31号”の発車時刻くらいになってから、U竹氏登場。酒とつまみを買い込んでから駅構内へ移動。
 ちょうど清掃が完了するところだった”りょうもう33号”の指定席に荷物を置いて、17:32発の太田行き2409・区間急行を撮ってる際に気づきましたが、なんか雨が降っていたようです。浅草発車時点での車内は半分も埋まっていなかったでしょうか。早速乾杯。業平橋…じゃない、とうきょうスカイツリーの乗車はそれほど多くはありませんでしたが、北千住からの乗客で車内はほぼ満席に。ビジネス客も多いのですが、時期のせいか、帰省客や行楽客もそれなりに乗っています。
 18:30を回るとどんどん暗くなってきて、U竹氏曰く「九州より1時間早い」。足利市に到着したときには、もうすっかり夜でした。ここからJRの足利駅近くまで歩くか、と思っていましたが、雨もぱらついていたのでタクシーで今夜の宿の東横インへ移動。渡良瀬橋の一本下流側にある、中橋を渡って対岸へ。タクシーの運転手曰く「店は足利市駅の側が多い」だそうですが、いくら空洞化が進んだとはいえ、元々の中心市街はJR足利駅の側だし、そんなことはないだろう、そりゃ話の内容からもロードサイトの店のことだと思っていました。 雨がかなり激しくなった中をホテルに到着。歩かなくて正解でした。
 早速チェックインしてからロビーに集合。雨は依然として結構強く、かといってこのまま降り込められていても仕方ありませんから、温泉のあるらしい、幸の湯という銭湯に行くことに。徒歩45分というのがフロントで聞いた所要時間でしたが、そんなにかかるわけはないだろう、というのと、行きは雨の中とてタクシー利用にすりゃいいや、ということで、車呼んでもらって幸の湯へ。
 温泉は露天風呂だけだったようですが、それなりに堪能して、予定通り、雨が小降りになったところで徒歩で出発。住宅が続いて、あまり居酒屋風の店はありません。結局、面白がって渡良瀬橋まで行きましたが、私の携帯ではまともな写真は撮れずじまい。その後も歩き回りましたが、なかなかすっと入れる店、どころか店そのものが見当たらない有様で、この時点で21時を回っていたこともあり、結局とりあえず見つけた、和ダイニング 一蔵に。いきなり飛び込んだものの、結構よい感じの店でした。
 明けて8.13、この日は私は早く目が覚めたので、前夜まともに写真が撮れなかった渡良瀬橋へ。中橋方向へ戻りながら見ましたが、見事なワーレントラス橋。下流側の中橋も趣きのあるアーチ橋ですね。昨夜、夕食を食べた一蔵の前を通って足利駅前へ。やはり昨夜取り損ねたEF60 123を撮影して、趣きのある駅舎も写真に収めてからホテルへ戻り、U竹氏と合流。I塚氏とは足利で別れて、本日からは2名での調査研究です。
 黒磯行きは、残念ながら事前調査通りの107系2両×2の4両編成。足利発車の時点ではロングシートに余裕があったのが、せめてもの慰め、というところ。各駅とも乗車の方が多いようでしたが、大平下で下車が目立ったのがやや意外だったでしょうか。入れ替わりが多かったのが栃木でしたが、結局、座席全てが埋まることなく、小山駅の東北本線下りホームに到着。下車が目立ちますが乗車もそこそこ。ここで上野からの宇都宮行き527Mがホーム向かい側に後からやってきて、先に出て行きますし、小山駅の東北本線下りホームには駅そばはないので、宇都宮まで先行する手がないではなかったのですが、乗り換えたところで結局黒磯に行くのはこの列車なので、私達はそのまま。結局、満席になることもないまま、黒磯到着。
 まずは残念ながらロングシートの701系6両編成の福島行き2131Mに座席を確保して、構内のEH500EF210を撮影してから改札を出て、ようやく駅そばの朝食にありつきました。駅前へ出て、皇室専用待合室を眺めて(しかし、正面にバス停置いてよいものだろうか?)、9:35着の1537Mが到着する前に車内へ。やはり、1537Mからの乗り継ぎはかなり多く、ほぼ満席となって発車。
 この日は、那須塩原と新白河の間で停電があったとかで東北新幹線に遅れが出ていたようですが、こちらは定時。新白河と白河で多少の入れ替わりはあったものの、矢吹あたりから乗車客の方が多くなって、「鏡石で精算に時間がかかって遅れたが”あいづライナー1号”への接続は取ります、お急ぎ下さい」との旨の車内アナウンスの後、郡山到着。すぐに跨線橋を渡って福島行き1137Mに乗り継ぎ。今度もロングシートの701系で、4両になっていましたが磐越西線の1211M・快速”あいづライナー1号”へも分散してくれたおかげか、無事に座席確保。しかしロングシートが続くと、磐越東線のキハ110系がうらやましく見えますね。遠くにキヤE193系 East i-Dを眺めて、こちらは遅れている東北新幹線からの接続を待って発車。
 本宮や二本松での下車よりも乗ってくる方が多く、かなり混雑した状態で福島到着。向かいに白石行き1185Mが停まっていますが、これまたロングシート。どうにか乗り込んで座席確保しましたが、混雑はいっそう増しています。それもそのはず、白石で気づいたことですが、なんと2両編成でした。すぐに発車、福島盆地を右手に見て、国見峠を超えて白石へ。ここで向かいのホームにいた仙台行き1185Mがようやくクロスシートのある719系4両編成。2人掛けのシートを確保しましたが、白石では何ら補給ができないのがつらいところ。
 仙台に到着、混雑度合いも勘案して、このまま東北本線を北上するのではなく、仙山線に回ることにしましたが、仙山線の列車は入線前。どうも、1852Mの折り返しの様子で、とりあえずは座席確保を優先。無事に3839Mの座席は確保して買い出し。ようやく汽車旅らしくなってきました。発車して早速乾杯。昼食かねての笹かまぼこは、成形型でそれらしく作ったものだった東京の企業の製品だったのが、仙台駅の売店の商品としては残念ですねえ。しばらく仙台市内の住宅地を走り、愛子を出ると山間に広瀬川が織りなす風景は、県庁所在地を直結する路線とは思えません。ニッカの宮城峡蒸溜所を左手に眺めるところでは、ここに臨時駅ありゃいいのに、と思いました。作並出たあたりで折よく車掌が通りかかったので、羽前千歳で奥羽本線1439Mへの接続を取るかどうか確認すると、「接続する」とのこと。仙山トンネル内の面白山信号場を過ぎて観光客の乗降が目立つ山寺では転車台を眺め、さて、列車は少し遅れが出て、羽前千歳の接続が怪しくなってきましたが、「接続する」旨の車内放送が流れて一安心。車掌に確認した甲斐がありましたかね。
 結局、羽前千歳には3分遅れて到着。かなりの客が奥羽本線1439Mに乗り継ぎ。その1439Mも遅れていて、3839Mが北山形へ向けて発車してからしばらく間を置いての到着。で、これが、またもや701系の2両編成、しかも車内には高校生含めて立ち客大勢。天童でやはり遅れてきた137M・特急・つばさ137号に追い抜かれ、高校生がかなり下車した村山で私はようやく着席。ところが、ここで車内放送が入り、「新庄駅構内信号機故障」とのことで抑止がかかってしまい、もう仕方ないな、と、向かい側に座っていたU竹氏と思わず顔を見合わせます。が、それでも案外早く、村山発車は15:42。芦沢でも少し停車して16:12の発車で、 結局23分遅れの16:26に新庄到着。
 新庄到着直前の車内放送で、接続待ちをしていた16:14発の陸羽西線酒田行き165Dや16:18発の奥羽本線秋田行き2451Mへの乗り継ぎ客があわてて乗り換えていきましたが、こちらが一応予定していた、16:10発の陸羽東線鳴子温泉行き730Dの姿が見えない…どころか、ホームの発車案内の電光表示には、16:10発の表示が残っています。駅員に聞いてみると、東北本線の遅れの影響で陸羽東線自体が遅れていて、16:03に着いていなければならない731Dが約30分遅れているとのこと。あまり陸羽東線に乗車する客もいないようなので、早速買い出しに。
 結局、遅れていた731Dは16:37の到着。発車は16:40で30分遅れ。この時点で、鳴子温泉の共同浴場に浸かるのは無理そうですし、途中に手頃な駅近くの未入湯の温泉もなさそう(瀬見温泉は駅に近いとはいえないし、また、U竹氏が入湯済み。大堀温泉、赤倉温泉、中山平温泉は駅からかなり距離があります)なので、空いた車内でそのままのんべんだらりと景色を楽しみながら途中の鳴子温泉まで陸羽東線を往復することに。特段、どうということのない車窓ですが、平均点が高い感じの車窓を眺めてくつろぎ、駅前に盆踊りの矢倉が組まれていた、中山平温泉のC58 356を一瞥して鳴子温泉に34分遅れの17:44に到着。
 私は今年の1.04以来でしたが、乗ってきた列車がそのまま盛り返しの735Dになることを確認して、さて帰りの飲み代を、と駅舎内のキヨスクを覗くと、なんと閉店時間を過ぎてシャッターが下りていました。仕方なしに、小体な温泉街らしい、雰囲気のある駅前を少し散策して、なんとか酒店を見つけて鳴子温泉駅へ。U竹氏は足湯を試していました。
 735Dは定刻の発車。これまた空いていて、のんびりとしたものです。ところが、所定ならば732Dが既に待っているはずの最上で、新庄駅構内の信号機故障の影響がまだ続いており、交換待ちでかなり発車が遅れるとのアナウンス。おかげで、運転士に断って、駅舎を出て駅前近くの店に補給に出かけて戻る時間が取れましたが、周囲は大分暗くなり、735Dも前照灯を点灯しました。結局、25分遅れて18:53に発車。新庄にはとっぷり日も落ちた19:23に21分遅れで到着。
 この日は、駅近くのポストホテル、というホテルに宿泊。1泊朝食付きですが、明日の行程を考えると残念ながら朝食は味わえそうにありません。夕食に、前もって目を付けていた”あけぼの街”というあたりを目指します。道々、居酒屋等の飲食店を探しながらですが、なんだか足利市よりも新庄市の方が多い感じすらして、人口比からするとちょっとあり得ない気も。結局、かなり大回りして目的の”あけぼの街”に到着。なんともレトロな一画でした。扉が空いていて、常連が通り過ぎる私達を睨みつけるような店もありましたが、”小政”というラーメン店に。ふぐ取扱者の免状なんぞも飾られていましたが、お盆のせいかどうか、仕込みが少なく、メニューのホワイトボードは結構消されていました。お通しをつまみにビールを飲んでいたら、サービスで茄子漬けを頂戴し、これにチャーシューをつまみにもらって、締めにしょうゆラーメン(あっさりしたいい味でした)を頼んで\4,400-なり。大満足でした。新庄の街全体としては、あけぼの街に限らず、火曜定休の店が多い模様で、休みの店が多かったですね。ホテルに帰って大浴場で一風呂浴びて就寝。
 翌8.14、新庄の街には朝もやがかかっています。朝食に心残りがありますが、ポストホテルを出発。「自主規制」の一方通行というよくわからない標識のある駅前広場を回り込んで新庄駅に。乗車する151Dは、秋田行き2430Mと並んで停車していました。しかし、1.04に来た新庄に再度同じ年内に来る、どころか宿泊するとは思っていませんでした。そのときは吹雪の中だった機関庫も、全容を表しています。
 151Dは定刻に発車、しばらくは田園地帯を走り、津谷の手前で車窓右手から左手へ下る鮭川を渡り、しばらくしてその鮭川が合流した最上川本流が、左手から右手へ横切って、古口到着。150Dとの交換待ちで時間があるので、駅舎を撮ったり、151Dを撮影。古口からは右窓に最上川が沿っていい感じ。次の高屋には、30年近く前、余目川から入って、ここで折り返した記憶がありますが、当時駅裏手にあった、国設最上川スキー場は閉鎖されてしまったようです。清川手前で最上川は車窓から離れていきますが、清川を出たところで右手に風力発電の風車群が。「清川だし」と呼ばれる、日本三大局地風のひとつが吹く地域だからですかね。すっかり平野部に出て、左手からの羽越本線と合流して余目到着。少し時間があるので一度駅舎を出てみましたが、駅舎内の物販店がもう開いていたのにびっくり。
 酒田からやってきた822Dは4両編成。鶴岡までは座れないかと思いましたが、進行方向右手、すなわち海側に空きボックスを見つけて着席。鶴岡で、予想通り、車内の大半を占めていた高校生がゆっくりと下車。20分停車なので朝食を仕入れにいくことにしますが、昨日来、「山形日和。」の幟が目につきますね。駅前に出て観光案内板を見ましたが、到道博物館まではかなり距離がありますから、鶴岡宿泊(今回も調査研究の有力候補でした)の場合は自転車借りるなど、考えないといけないようです。駅舎に戻り、朝食等仕入れて改札を入り、822D車内へ。私はなんでか一瞬、進行方向を勘違いしてました。
 鶴岡を出て、ガラガラの車内で乾杯。羽前水沢には、活性白土専用コンテナ車が停まっていました。三瀬を過ぎると海沿いへ。朝のビールも相まっていい気分です。あつみ温泉は、温海が読めないのでひらがなにすると同時に”温泉”の2文字を追加して改称した駅名ですが、温泉自体が駅から近いとはいいがたく、「こういうのに◯○温泉という駅名やめて欲しいよな」というのがU竹氏の弁。私もせめて”◯○温泉口”くらいでとどめて欲しいとは思います。鼠ケ関手前では、前のボックスに座っていた祖父と孫2人(?)が、自宅に向けて手を振ると、その家で、家族が列車に手を振っていたのが印象的でした。その祖父と孫2人が降りた鼠ケ関を出て新潟へ。沿線の海岸には、9時前なのに既に海水浴客が目立ちます。日本海の眺めもすばらしいのですが、少し残念なのは上り列車なので複線化の際あとから建設された山側の新線を通るため、トンネルが多く海岸から少し遠ざかる点ですかねえ。越後早川で2001M・特急”いなほ1号”との行き違い待ち合わせの後、村上到着。
 その村上到着は、予想通り村上止まりの822Dと、この先の吉田行き1932Mが、同じホームに停車。1.04に乗り継いだ際の類推でしたが、それにしても、妙な感じです。まあ、おかげで、前方の車両に余裕があったのはありがたい限りで、乗り継ぐ1932Mが5両編成だったこともあり、クロス部分の座席確保は余裕でした。安心して駅舎前へ出てから、買い出しして戻ると、正直よくわからない回送車両がやってきましたが、これは一体何だったんですかね…。ともあれ、1932Mに乗車。
 早速、村上で補給したチューハイで乾杯。しかし、朝酒は回りすぎるというのか、私は、坂町の先は新発田に気づかず、一度意識が戻ったときは佐々木で、そのあと気がついたときは、ちょうど新潟駅に到着する直前でした。
 さて、新潟到着時点で、長岡行き438Mに乗り継ぐ選択もあったのですが、それほどの乗車もなく、面倒になった私達はそのまま越後線へ。白山、関屋と、新潟交通の電車線の跡が残ってないか探しましたが、結局よくわからず。新潟大学前で、そういや越後線も駅が増えましたねえ、などと話をしながら、吉田到着。
 そういや、吉田駅の属する自治体は今どこなんだ、という話になり、駅舎を出てわかったことですが、燕市でした。弥彦からの東三条行き235Mと柏崎行き140Mが並んでいましたが、235Mは吉田からの乗客も多く、車内は結構一杯です。それでも、燕、燕三条と下車があり、多少は車内も空いて、東三条の0番線到着。
 長岡行き438Mへの接続はよすぎるほどですが、438Mの車内に空いたボックス席をみつけて確保。長岡は、以前はホームに駅そばがあったと思ったのですが、階段上がった改札内の待合室横に駅そばがあり、集約されたのでしょうかね?乗り換え地下道もなんだか閉鎖されていて、作業用の詰め所か何かになっており、駅の改築中なのかどうか、ホームの一部も狭くなってました。駅そば食べて、はて、これは座席確保できるかな、という人数がホームにいましたが、1737Mの折り返しとなる1738Mのボックス席はU竹氏が無事確保。いったん改札を出て、改札横のNEW DAYSで買い出し。発車してから乾杯。車内はそこそこ混んでいます。昼間の上越線は久しぶりです。あまり小千谷や小出での下車はなく、見回してみれば確かに長距離客が多い感じ。根本的に、越後中里と水上の間の列車本数が少ないのが問題なのですが。むしろ、六日町や越後湯沢から大量乗車があって、ループ線を通り水上到着。
 水上からは編成両数が増えたこともあり、また、狭い跨線橋を渡っての乗り換えが却って功を奏した形で、746Mのボックス席を無事確保。またまた買い出しして出発とともに乾杯。渋川で、8736・快速”SLみなかみ”を追い抜きましたが、写真は撮れずじまい。高崎で買い出し。グリーン券も買ったので座席は余裕、と思っていたら、そのグリーン車が案外の混雑で、2階席はほぼ一杯で、ようやく階下席に2人並んだ空きシートを見つけて着席して乾杯。
 まあ、最後の最後で、「いついかなるときも、座席確保に手抜きしてはいけない」という、教訓になりましたかねえ。U竹さん、I塚さん、おつかれさまでした。
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