2004.07.31(Sat.)
羽田10:05−(ANA751)→11:05能登
能登空港11:25−(ふるさとタクシー)→12:15?蛸島駅前
蛸島12:21−(普通・220D)→13:58穴水
穴水14:02−(普通・138D)→14:42七尾
七尾15:09−(普通・854M)→16:27津幡
津幡16:55−(普通・553M)→17:20高岡
高岡駅前17:30−(万葉線)→18:11越ノ潟
越ノ潟18:15−(万葉線)→18:29中伏木
中伏木−(如意の渡し)→伏木
伏木19:04−(546D)→19:16高岡
高岡19:30−(455M)→19:48富山
2004.08.01(Sun.)
富山5:55−(普通・1121M)→6:12岩瀬浜
岩瀬浜6:17−(普通・1122M)→6:35富山
富山6:52−(普通・527M)→8:46直江津
直江津9:41−(快速・3373M:くびき野3号)−11:25新津
新津11:32−(普通・228D)→14:16会津若松
会津若松14:50−(快速・9238M〜9144M:フェアーウェイ)→19:39池袋

 2004.07.31 09:00、羽田空港にてU竹氏と待ち合わせて、少し時間の余裕があるのでラウンジに立ち寄ってから手荷物検査場へ向かうと、結構な長蛇の列でした。乗機するのは、ANA751(東京10:05発)能登空港行きで、ANK塗装のB-737、さすがに小型です。座席は1ABで、前方乗降口のまん前でした。
 羽田を飛び立った飛行機は横浜上空を通り、糸魚川付近で日本海へ出てから、ほぼ定時に能登空港へ着陸。1日に2往復の羽田便しか発着しないためか、実にこじんまりとした、のんびりした空港でしたが、いちばん驚いたのは、空港が”道の駅”を兼ねていたことでしょうか。
 能登空港からはまずのと鉄道の蛸島駅を目指します。この移動には”ふるさとタクシー”という、予約制の11:20発の乗合タクシーがあることがわかったので、それを予約しておいたのですが、U竹さんが確認したところでは「飛行機が遅れなければ、所要時間は50〜55分だから間に合う」ということで、12:21発の220Dに間に合うかどうかは結構ぎりぎりかなあ、と考えていました。幸い飛行機はほぼ定時到着だったものの、予約なしの客も拾っていこうという魂胆か、他の客も揃っているのに出発は11:25とのことで、いきなり時計を気にする仕儀と相成りました。
 まあそれでも、空港から珠洲へ向かう珠洲道路は空いていて、道中2組の客を先に降ろしても、蛸島駅に到着したのは12:15頃。無事に間に合ってやれやれでした。U竹さんに、全線乗車すると元のとれる1日乗車券購入を依頼して、私はまず缶ビールの確保に走りましたが、駅売店にはビールはなく、駅前に店もありません。駅前の食堂で尋ねると、兼業しているとなりの民宿の玄関の中に自動販売機があるとのこと。1本300円でしたがとにかく入手して、単行のディーゼルカーに乗り込むと、これが意外なことにほぼ満員でした。
 それでも、大きな荷物を持った女性が一人で座っている海側のボックスがあったので、そこへ座るとすぐに発車。ちなみに1日乗車券は蛸島駅では販売がなく、ワンマン列車だったので運転士に確認すると「珠洲駅で買ってくれ」とのことであり、3分停車の珠洲駅で購入しようと席を立って前方を見ていると、ヘッドマークをつけた臨時急行「リバイバル能登路」の停車していた珠洲駅構内は、鉄チャンで黒山の人だかりです。で、運転士に「1日乗車券買ってきます」と確認の上、窓口へ急ぐと...なんと閉まっています。自動販売機もありましたが、これには1日乗車券はなし。駅舎内には、キーホルダーなどグッズ販売の職員がいるので確認すると、「こちらはグッズだけです。切符は窓口で」ということなのですが、全く駅員は戻ってきません。そうこうするうちに、「発車します」の声。1日乗車券は入手できないまま、あわてて車内へ戻ります。確かに、運転扱いの上に、鉄チャンの集団で大変なのはわかりますが...、切符も売らずにグッズだけは売るってのは、本末転倒というんじゃないでしょうかねえ。
 さて、蛸島発車前から、私たちの乗車後すぐに同じボックスの女性が話しかけてきました。彼女は、なんと”琉球新報”紙の記者兼添乗員(?)のような人で、「北海道からこちらに来たので暑い」とか、「ツアーの申し込みの席が余ったりすると、代わりに乗車して記事を書いたりする」とか、「いったん沖縄に帰ってまたこちらへ来ると交通費がかかるので、そのまま居続けて次の仕事に入る。なので、沖縄に帰るのは月に1回」とか、いろんな話をしましたが、いちばん驚いたのは「祖父が沖縄県営鉄道の元職員で、たくさん切符があったけど、汚いので祖父が死んだときに大分処分した。それでもかなり残っているけど、こんなの価値がないですよね?」という話でした。「そんなことないですよ、値打ちありますよ」なんて答えましたが、何枚か送ってもらいたかったくらいですねえ。彼女は「温泉に入る」とのことで、縄文真脇で下車していきました。
 あんまり冷房の効いていない車内から、付いたり離れたりする海岸線を眺めているうちに、列車終点の穴水が近づいたので、降車口の前へ。右手から、ひと足早く廃線となった、輪島からの線路の路盤が見えてきて、穴水到着、これで来年春の廃止区間には乗車したことになります。ここで4分の乗り換え時間を利用して、私が1日乗車券を購入しようと改札口兼出札口へ行ったところで初老の駅員と一悶着。 要するに、蛸島でも珠洲でも販売しなかったにもかかわらず、また、運転士は珠洲で買えといったにもかかわらず、そして、珠洲ではグッズは売っていても切符は売っていなかったにもかかわらず、乗車前に切符を買わない方が悪い、でも、車内では規則で売れない、確かに蛸島では売っていない、しかし事前に郵送で買えるんだから問題ないだろう、ということを、いやいや1日乗車券を販売しながら、嫌味ったらしくご説明いただいたわけでして、つまるところ「のと鉄道に乗ってくれと頼んだ覚えはない」という、そういうことですな。一刀両断にしてしまえば、「貧すりゃ鈍す」(ニワトリ卵でどちらが先か知りませんが)ということです。さすがに書いていてまたむかついてきましたが、この一件で非常に気分を悪くして接続の七尾行きに乗車。今度は2両編成ですが、全部ロングシート、しかも、また冷房があんまり効いていません。ま、「のと鉄道にこれ以上金落としてたまるか」と思ったのも事実です。
 能登島大橋をちらりと眺めて、田鶴浜駅で対向列車の遅れで少し待たされた後に七尾到着。さてこの先はどうしようか、直江津まで行こうか富山泊まりにしようか、とU竹さんと相談の上、多少はまともなものも食べたいから富山泊と決めて、ここで富山駅前の東横インJr.を予約、JRに乗り換えです。
 乗り換えた七尾線の車両は、冷房がずいぶん効いていて、快適でした。先に和倉温泉始発の特急を通してから、発車です。車内も割と空いていて、早速仕入れてきたビールで乾杯。列車は海岸線から離れて淡々と田園地帯を走ります。途中、ビールの補給を考えて、後続の特急”はくたか17号”に追い抜かれる高松駅で駅舎を覗いてみましたが、特急停車駅にもかかわらず駅は無人、駅舎内には売店もなければ駅前にはタクシー会社と整備された駅前広場があるだけで、結局ビールの補給はできませんでした。
 駅ごとに乗客が増え、夏祭りがあるのか、浴衣姿の女性も見かけられるようになった中、津幡手前でいきなり停電、デッドセクションがあったようですが、七尾線って直流電化だったんですね。少々驚きましたが津幡で下車。ここではしばらく乗り換え時間がありますから、軽くそばでも、と思いましたが、駅ホーム上のそば屋は残念ながら営業していませんでした。平日は営業している雰囲気ではあったのですがねえ。駅構内の、倶利伽羅峠の牛の像などを眺めて時間をつぶし、直江津行に乗車、高岡を目指します。
 高岡では駅前から出ている万葉線(旧加越能鉄道)に乗車する予定ですが、万葉線と”如意の渡し”がセットになった、1日乗車券を入手しようと、JR駅舎内にあった観光案内所で訊くと、「地下の、ますのすし屋の隣の服やさんで売っています」とのことで、これを私は最初”ますのすし屋の屋号が『ふくや』”と解釈したのですが、なんと実際にますのすし屋の隣の洋服店で1日乗車券が販売されていました。さすがにこれには、意表をつかれました。
 800円なりの1日乗車券を入手して、万葉線の高岡駅前電停に上がると、やって来たのは新車の低床車ではなく、在来車でしたが、そこは予定の範疇で、時間の関係もあり低床車を待たずに乗車、終点の越ノ潟を目指します。第3セクターの万葉線に営業が替わったからと言って、いきなり新車が大量投入できたわけでもなく、また、路盤なども急に強化されたわけでもないので、乗り心地はおよそ10年以上前の乗車時とそんなに変わったわけではないのでしょうが、駅名標は新しくされており、中伏木電停には、以前はなかったと思う、”如意の渡し”の乗船場への案内表示もありました。また、すれ違った新車の低床車はさすがにきれいでした。海王丸電停を過ぎたところで、海王丸の4本のマストのみを左手に見てしばらくすると、もう終点の越ノ潟。駅前には相変わらず、県営渡船が待機していました。
 すぐに折り返して今度は中伏木電停で下車、”如意の渡し”の高岡側の乗船場へ。事前に調べた限りでは15分おき、という話でしたが、1日乗車券購入時に「手を振ればすぐに来ますよ」ということを聞いていたので、半信半疑ながら手を振ってみると、なるほどすぐに”如意の渡丸”がやってきました。1日乗車券の乗船客には、サービスで多少遠回りしてくれるのだそうで、船は小矢部川を少し下流側へ、直線状ではなく半円状に回って、新湊側の乗船場へ到着。渡船の係の人は、なんか、ずいぶんとサービスがよかったです。新湊側の乗船場は、それこそ待合室しかなかった高岡側とは違い、事務室や物販コーナーもありました。ここで時刻表を確認しましたが、7:00と19:00の、始発と終発のみ時間が決まっており、あとは随時運航ということのようでした。
 係の人に念のために伏木駅への道順を聞いて、氷見線伏木駅へ。ここは高岡側よりは少し距離がありますが、乗船場からも駅の跨線橋は見えますし、まあ300m位じゃないでしょうか。高岡行、富山行と乗り継いで富山へ。
 荷物をホテルに置いてシャワーを浴びてから食事。一軒目は”一粋”という店へ行きましたが、魚はさすがにおいしかったです。「ハチメ」という赤い魚の塩焼きを頼んだのですが、これが結構美味しかった。実物を見ても何だか名前はわかりませんでしたが、帰宅後調べたところでは、どうもメバルかソイの仲間のようですが、赤いメバルというのは私の意識にはなかったので、なかなか面白かったです。ついでのことに、”駅前ラーメン”という、あんまり駅前じゃない位置にある店によってラーメンを食べて帰りましたが、ラーメンは古き正しき東京ラーメンという感じで、醤油ラーメンとしては結構こってりとしてこれまたなかなかでした。このラーメン店、おでんもあれば何故か水木金土はレバ刺しもあるようで、今度は持ち帰り容器を持参して、おでんをここで買って列車内に持ち込んでみたい気もします。
 翌朝はホテルのロビーで5:40に待ち合わせ、富山港線の一番列車で岩瀬浜へ。それにしても富山駅北口は、ずいぶんとビルが増えたなあ、という印象です。朝の一番列車の下りなんて、客なんかいないだろうと思ってましたが、少ないながらも途中駅での乗降もあって岩瀬浜到着。富山港線はLRT化の噂も出てますが、さてどうなりますかねえ。
 富山へ戻り、直江津行の座席を海側に確保してからホームの立ち食いそばを朝食にして、直江津行に戻ります。列車は海水浴客などで案外と混雑していました。滑川のあたりから遠くに海が見えはじめ、また、谷浜付近でやたらと”信毎海の家”という赤い幟が目立ったのが印象に残りましたが(”信毎”だから信濃毎日新聞でしょうけど、いくら長野県に海がないからと言って、地元新聞が海の家をたくさん設ける必要があるものなんですかね?)、降車は糸魚川で多少目立った程度で、案外と最後まで空くこともなく直江津到着。
 さて、この後の”くびき野3号”の座席確保を問題視していたので、接続列車がないことから高田か春日山へバスで回ることも考えたのですが、バスで行けるのは春日山がせいぜいで、しかも、下手すると列車に乗り遅れる可能性すらあることから、早めにホームで待機することにしました。やってきた”くびき野3号”は4両編成で、何故か後ろへ行くほどは混雑していましたが、先頭車両はガラガラで、余裕をもってまた海側の座席を確保、直江津駅の売店で購入してきた”エチゴビール”で乾杯。ヱビスビールより少し高い程度で、地ビールとしては安いほうにあたるせいか、U竹さんが地ビールを買うことを承諾したのが珍しかったですね。2人あわせて4本、同じ350mlの缶を買いましたが、これは飲みきれなくて自宅まで持って買えるにせよ、地ビールなら珍しいからまあいいか、という計算が働いてのことでした。列車は停車駅が少ないだけになかなかの飛ばしっぷりで、柏崎でもそれほど乗車はありませんでした(少しは増えました)が、長岡では大行列で、ここからでは座席確保は難しかったでしょうねえ。集中豪雨の爪痕を所々に見ながら、駅ごとに乗客が増えて、デッキは身動きも大変になっていましたが、その中をかき分けて新津で下車。磐越西線に乗り換えです。
 新津で乗り換えた磐越西線の普通列車は、2両編成でしたが、何故か後ろの車両はがらがらです。不思議に思いましたが疑問はすぐに氷解、前は冷房車で後ろは非冷房車でした。それにしても、こういう編成は珍しい気がします。タイならば、2等エアコン車と3等車の違い、ということになるのでしょうが...これまた幸いに、冷房車に座席を確保して、駅弁を購入するとすぐに発車、ビールを買う暇はもちろんありませんでした。車窓風景では、東新津駅すぐ近くに温泉施設があったこと、五泉駅構内の蒲原鉄道ホームがすでに撤去されていたのが小さな発見でした。道中、車内はどんどん空いてきて、津川到着。ここでビールを買いに、駅舎へ出てみますが、ここも駅の売店はなくなり、駅前にも売店はありませんでした。新潟県から福島県に入ると、少しずつ乗客が増えてきて、最後はほぼ座席が埋まり、少し立ち客が出て会津若松到着。1番線、2番線の西若松方を仕切って、平面の通路を作り、2・3番線ホームと1番線ホームが平面で結ばれるようになっていたのが、大きな変化でした。確かにこれは便利です。
 駅前のSATYでビール、ワインなどを購入して”フェアーウェイ”に乗車、指定された禁煙車の6号車は、”ムーンライトえちご”なのでは女性専用車両となるようで、シートの色は他の車両とは異なり、また、デッキとの間の扉のガラスは、すりガラスになっていました。1番線に新潟行の”SLばんえつ物語号”が入ってくるとすぐに発車、こちらもすぐに乾杯、酒宴の開始です。郡山の停車時間を利用して補給(何せ、兵站は重要ですからね)、黒磯からのゴルフ帰りの客のマナーに眉をしかめつつも、まずは快適な5時間弱の宴会を経て、最後は18きっぷが分割できないこと、お互いの帰宅路線の関係から、終点新宿までは乗車せず、池袋で下車して解散、のと鉄道では不愉快でしたが、めでたく「終わり良ければ」という結果となりました。
 それにしても、直江津からの乗り換えが2回、列車は3本のみで都内に帰って来ることができる、というのは、少々画期的かもしれません。うち2本は、特急用車両ですしねえ。2日目は、実に座席も安楽でした。
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