1999.07.24(Sat.)
蘇我8:42−(普通・6145M)−8:52五井
五井9:20−(普通)−10:28上総中野
上総中野10:31−(普通・16D)−11:22大原
大原11:45−(普通・539M)−12:04上総一ノ宮
上総一ノ宮13:11−(普通・272M)−14:01千葉
千葉14:05−(普通・453M)−14:36成田
京成成田15:20−(普通・1543T)−15:26東成田
東成田15:32−(急行・1542T)−16:03ユーカリが丘
ユーカリが丘16:19−(普通)−16:33ユーカリが丘
ユーカリが丘16:53−(急行・1569K)−17:01京成佐倉
京成佐倉17:03−(特急・16A07)−17:12京成成田
成田17:16−(普通・876M)−18:01我孫子
我孫子18:03−(普通)−18:18馬橋
馬橋18:32−(普通)−18:44流山
流山19:00−(普通)−19:08幸谷
新松戸19:13−(普通・1861E)−19:29西船橋

 カミさんと娘が先に帰省したこともあり、乗りつぶしに出かけてきました。
 千葉に住んでいる間に乗っておくか、と考えて、まずは小湊鉄道〜いすみ鉄道のルートで房総半島を横断することだけ決めて、時刻表を開いたところ、なんと小湊鉄道の終点・上総中野まで行く列車は休日4.5往復(平日5往復)しかなく、一番列車は五井発9:20でしたので、コンサドーレサポーターに留守番をお願いして(^^;、ゆっくりめの出発となりました。
 五井駅に着いて、小湊鉄道のホームへ行くと、駅弁売りのおばさんがいました。時刻表には五井駅に駅弁販売を示すマークはないのですが、なるほど私鉄の場合は別なのねえ、と妙に感心しましたが、朝から何も食べていなかったので、何種類かある弁当の中から、おばさんが「名物だよ」とすすめる、”傳馬喰漬”という牛肉のみそ漬けが入った弁当を買いました(ちなみに800円)。まずまずおいしかったです。そのとき、「今晩(7月24日)、テレビ東京の19:00からの番組に出るから見てね」、とおばさんに言われたのですが、その番組というのは、”ローカル線途中下車こだわりの限定駅弁”という番組でした。まあ、放送時間には結局家に帰り着かなかったのですが。
 さて、小湊鉄道は、単線非電化のローカル線で、やってきた車両は2両編成の古びたディーゼルカーでしたが、それでも感心に冷房化改造が行われていました。車内は、養老渓谷へ遊びに行く小学生と母親の団体でちょうどロングシートが埋まるくらいでした。
 駅弁を食べたり、ホームから車庫を眺めたりしているうちに発車時刻となり、エンジン音とともに、小湊鉄道のディーゼルカーはのんびり走り出しました。五井から2駅目の海士有木(”あまありき”、と読みます)は、京成千原線(元は破綻した第3セクターの千葉急行電鉄)が乗り入れてくるはず(計画はあっても経済状況の変化などで工事はストップしています)の駅なのですが、実にのどかでひなびた駅で、「本当に京成が来るの?」という感じの駅でした。むしろ、五井から5駅目の光風台の方が、駅に跨線橋もあり、また、五井方の丘の上に住宅が広がっており、いかにも新興住宅地、という感じがしました。
 風景自体も、内房線よりはのんびりしていて、五井から7駅目の上総牛久(ここまでは列車本数もかなりあります)を過ぎるとよりいっそうローカル色が濃くなってきます。まあ、山に分け入っていくので当たり前ですが、線路の両側が木立に囲まれていたり、家が全然ないところを走ったり、なかなか面白かったです。残念なのは、座席がロングシートになっていることでしょうか。
 養老渓谷で団体客が降りてしまうと、2両の車内は閑散としてしまい、乗客は全部で7〜8名となってしまいました。その乗客から車掌が乗車券を車内で回収した後、終点の上総中野駅に到着しました。
 上総中野駅は、以前は有人駅で、小湊鉄道の職員がいすみ鉄道(転換前は国鉄木原線)の運転業務や集改札業務を扱っていたと聞いたのですが、駅舎も待合室部分だけが残るのみで完全に無人化されていて、なるほど車内で集札が行われた理由が納得できました。現在は、小湊鉄道といすみ鉄道の車両がそれぞれのホームに寂しく並ぶのみです。
 乗り継いだいすみ鉄道は、先にもちょっと書いたとおり国鉄木原線から転換した第3セクターの鉄道です。車両は小湊鉄道とは違い、転換時に新製したらしいレールバスでした。沿線は、小湊鉄道よりは明るい、開けた感じの地形を通ります。少なくとも、木立の間を抜けるようなことはありませんでした。小湊鉄道の沿線同様、水田の稲が風にそよいできれいでしたが、それだけに休耕田の荒れ方が痛々しかったです。
 大原で外房線に乗り継いで、上総一ノ宮へ。何故上総一ノ宮で途中下車したかというと、”焼玉エンジン調査研究会”(笑)を主催する、I井氏おすすめの”一宮川観光汽船”に乗船するためでしたが、この船は実に面白かったです。興味のある方はこちらをどうぞ。
 上総一ノ宮から乗車した外房線は茂原を通るのですが、茂原ではなんでも第45回を数える”茂原七夕まつり”がちょうどおこなわれていたようで(ちなみに期間は7月23日〜25日)、ゆかた姿もちらほらと見かけました。でも、7月23日〜25日で七夕というのも、結構珍しいんじゃあないでしょうか。
 まあ、この後の経路はあんまり旅情を感じるようなところではなく、単に”乗りつぶし”に走った結果です。鹿島臨海鉄道とJR鹿島線に乗車することも考えましたが、結局千葉県内の”乗りつぶし”を重視することにして(実際は時刻表と格闘の結果、どうせならば茨城交通と日立電鉄をセットにして出直す方が効率がよい、と思っただけのことですが)、まずはまだ乗っていなかった京成成田−東成田間と、山万ユーカリが丘線という、新交通システムに乗車することにして、京成の時刻表を購入しました。
 東成田駅はその昔は成田空港駅だったのですが、駅施設の半分以上が閉鎖されていて、なんともうらぶれた感じがしました。まあ、これで京成電鉄は全線乗車したことになりました。ちなみに、成田駅から行くと、マロウドインターナショナルホテル成田を過ぎたあたりで、成田空港へ向かう線路と東成田へ向かう線路が分岐します。
 山万ユーカリが丘線は、ちょうどユーカリが丘駅がしゃもじの手で持つところ、というか、テニスラケットのグリップの先端部分に位置しており、そこから地区センター→公園→女子大→中学校→井野→公園→地区センター→ユーカリが丘と、公園駅からは反時計回りに一周するワンマン運転の新交通システムです。乗車した編成にはこあら2号という名前が書かれていましたが、きっと”ユーカリ=コアラの大好物”という連想なのでしょう。何号まであるのかはちょっとわかりませんが。新交通システムなのですが、ちょっと似つかわしくないような田園風景を走ったり、そこそこ面白かったです。
 京成成田とJR成田駅の間を4分で乗り継ぐのは少々きついかな、と思ったのですが無事乗り継げたので、成田線の電車が1本早くなりました。途中、内輪ではS田氏がこの春まで住んでいたことで有名な小林を通りましたが、考えてみれば、小林って、大井競馬の小林分場があるところだったんですね。最初は10両編成の通勤型が似つかわしくない田園風景でしたが、我孫子に近づくといかにも都市近郊、といった感じになりました。
 成田線に1本早く乗車することができたので、まだ日が暮れるまでに余裕があり、総武流山電鉄に乗車することにしました。総武流山電鉄の車両はこちらにまとめておきましたが、馬橋駅の次の幸谷駅がJR新松戸駅のすぐそばだったというのは、不勉強にして知りませんでした。新松戸駅からは武蔵野線の高架沿いに南浦和方面へほんのちょっと歩いたところですね。ここに、新松戸駅の西船橋方面行きホームから撮影した画像を置いておきますが、中央やや下に見える明かりが幸谷駅の入口です。
 でも、流山−馬橋間は190円、流山−幸谷間は160円ですから、総武流山電鉄にとっては、幸谷駅でJRに乗り換えられてしまうのはつらいところかも知れません。

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