1997.12.28(Sun.)
玉造温泉8:27−(普通・143D〜545D)−10:17亀嵩
亀嵩12:43−(普通・549D)−14:00備後落合
備後落合14:13−(普通・448D)−15:38新見
新見16:03−(特急・1030M・やくも20号)−17:02岡山
岡山17:19−(特急・19D・しおかぜ19号)−18:45伊予三島

 この旅行もカミさんと一緒でした。実は帰省の途中だったりします。
 いきなり玉造温泉から行程がはじまっていますが、これはむろん前もって現地入りしていたからです。ちなみに、この前日は松江・出雲大社を駆け足で見て、その間に一畑電鉄に全線乗車し、玉造温泉に宿泊していました。
 さて、朝早起きして乗車した列車は3両編成だったのですが、2駅目の宍道駅でいきなり2両が切り離され、わずか1両となって木次線に乗り入れていきました。
 亀嵩(かめだけ)駅で下車した理由は、”出雲そば”でして、実は亀嵩駅は、”駅長さんがそば屋さん”、ということで結構有名です。国鉄時代、合理化のため無人化された際に、近所の方(つまり、今の駅長さん兼そば屋さん)が駅を荒廃させるのはもったいないからと、駅舎を借り受け、駅の事務室部分を改造してそば屋をはじめた、ということです。屋号は”扇屋”さんです。
 そばを食べるのに2時間半かけても何ですから、ガイドブックで見つけた、亀嵩駅近く(と言っても車で5分)の”寿山荘(ことぶきさんそう)”へ、温泉に入りに行くことにして、地元のタクシー会社に電話したのですが、これがなかなか来ない。2度確認の電話をした結果、約40分してやっとタクシーがやって来ました。乗り込んで聞いてみると、「1台で動いていて、おまけにここらでは出たら遠いから」とのことで、聞いて納得でした。なお、亀嵩駅−寿山荘間は、行き帰りとも1,180円でした。
 寿山荘は町営の施設のためか非常に安く、300円でお湯に入ることができます。”亀嵩温泉”なんて名前がついていましたが、どうも冷泉を沸かしているようです。ちなみに、「砂の器」(むろん松本清張作)の記念碑が近くにあります。
 お湯に入ってから亀嵩駅にもどり、いよいよ待望のそばです。カミさんともども割子に入った出雲そばを注文しました。割子3枚で一人前、確か550円でした。割子の数は、1人前にさらに追加していくつ、という風にも頼めるので(逆に「割子1つだけ」なんて注文ができるのかどうかは不明)、細かく調整が効いて便利です。このときはカミさんが1人前、私が2人前の計9枚の割子(と思っていたのですが、後でこのときの写真を見るとカミさんの分は1人前+1枚で4枚、計10枚でした。私の記憶は全くあてにならない)ですから、まあおとなしいものでしたが、数年前U竹先輩(このページの1997.08.16(Sat.)の項に登場しています)と一緒に訪れたときは、私が7枚、U竹先輩が8枚で、計15枚の割子が2人の前に積み上げられて、壮観でした(実は、このときは前日に出雲大社近くの”荒木屋”さんというお店で、私が6枚、U竹先輩が7枚の計13枚の割子そばを食べていたという話があります)。そばは数年前と同様まことに結構でした。ちなみに、”扇屋”さんは毎月第1、第3火曜が定休です。
 さて、美味しいおそばで昼食を済ませて、再度木次線の列車に乗り込み、備後落合を目指します。途中の出雲坂根駅は、3段スイッチバックの駅として、また、ホームに”名水百選”に選ばれたという、”延命水”がわき出していることでも有名です。延命水は、出雲坂根駅で1.5リットルのペットボトルが、220円で販売されていました。
 出雲坂根駅を出てしばらく行くと、並行する国道314号線のループ橋(”奥出雲おろちループ”なんて呼ばれているようです)と赤く塗られた橋(地図を見ると”三井野大橋”という名前がついていました)がよく見えます。三井野大橋は、出雲坂根駅からもよく見えますが、列車はこの車窓の名所(?)のあたりでは写真撮影の便宜を図ってか徐行していました。全く雪のない三井野原スキー場を横目に見ながらようやく下りにかかり、備後落合に到着です。備後落合は、昔は乗り換え客でさぞかしにぎわったんだろうなあ、という感じですが、いまや山間の小駅です。それでも3番ホームまで全て列車で埋まり、ちょっとした喧噪に包まれていました。
 木次線に比べれば平凡な印象の芸備線でしたが、疲れもありよく眠りました。実は、備中神代では伯備線の普通列車(926M)に接続していて、乗り継げば岡山には6分早く着いていたのですが、時刻表を確認していなかったので、芸備線の車内で接続する旨の案内を聞いたときには少々びっくりしました。まあ、今回は青春18きっぷを使うつもりはなかったし、四国への特急乗り継ぎでは時間としては後続の特急でも同じことなのですが。それでも備中神代駅では、青春18きっぷ利用と思われる人たちが7〜8名、足早に跨線橋を渡って乗り継いでいったので、1両の車内はすっかり閑散としてしまいました。
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