1999年(1月−6月)

1999.06.13(Sun.)
 ここ数日、ディレクトリを構築してファイルの移動・修正に励んでおりましたが、ようやく終了しました。なんで今更そんな面倒なことをしたかというと、同じ階層内にファイルがたまりすぎて、更新が非常に面倒になったのが理由です。主観的にはずいぶんすっきりしました。あわせて、「最近の鉄道旅行」のページのバックナンバーも分割してみました。
 どちらの作業もはっきり言って面倒でした。まあ最初から考えてページ作成しておけばいいというだけのことではありますが。まだまだ画像ファイルの形式の統一やら、サイズの統一やら、色々とやらなければいけないんでしょうが、とりあえず一段落です。
 で、少しほっとしたので表紙の画像も変えてみました。この調子でサポーター(^^;が増える毎に表紙画像を変える、というのも一つの手ですが、どうしましょう?

 さて、親バカな話題です(^^;。
 理紗子は宵っ張りというのか、少なくとも夜1:00くらいにならないと眠くならないようで、なかなか親の思うとおりには眠ってはくれません(当たり前か)。
 それから、何故か私があぐらを組んで座っている、そのあぐらの上だとよく眠ったり、おとなしくしています。こんな感じで、とっても眠りにくいと思うのですが、ホットカーペット代わりなんでしょうか(それにしても自分の足の上に理紗子をのせたままで写真を撮るのは難しい)。実は、いま、この文章を書いているときも私のあぐらを組んだ足の上で眠っています。
 こちらは、ベビーベッド上で、ベッドメリーを鳴らしながら撮ったものです。一丁前にカメラ目線になってます。

1999.05.30(Sun.)
 理紗子も生後1カ月になったことであり、”お宮参り”に出かけてきました。これは、近くの稲毛浅間神社の境内で撮影したものです。
 また、こちらは、その稲毛浅間神社でのお祓いの前に、控室で撮影したものです。
 現在、理紗子は約4kg。日に日に重たくなっています。

1999.05.17(Mon.)
 出生届そのものは1999.5.12(Wed.)に提出していたのですが、そういえばきちんと書いていませんでしたね(実はprofileには当日書いておいたのですが)。
[命名:理紗子]
 名付けにあたっては、私自身の名前は発音しにくい点が嫌いなので、”呼びやすい名前にしよう”と考えていました。で、この名前は、カミさんといくつか候補を出して選んだものの中から響きの良さで決めて、その後、字画を確認してこのようにしました。
 実は、カミさんはつわりの際、やたら梨ばかり食べていたので、いっそのこと”梨佐子”(蛇足ですが、”梨に助けられた子”の意味になります)にしよう、という案もありましたが、即座に却下されました。(^^;
 舞台裏はともかく、本人はすくすくと育っております。眠っている写真ばかりも何ですので、本日は起きているところで、満腹した直後の表情を撮影してみました。
1999.04.30(Fri.)
 本日11:58、長女が誕生しました。母子ともに健康です。
 誕生時のデータは下記の通りです。
  • 体重 2,905g
  • 身長 49.8cm
  • 頭囲 33.5cm
  • 胸囲 31.5cm
 実は、予定日は4/27もしくは4/28と言われていたのですが、予定日になっても何もなく、4/28の検診時にも「まだまだ」みたいなことを医者に言われたため、”しばらく生まれそうにないね”等とカミさんと話していたところ、本日未明から陣痛がはじまり、入院後4時間、分娩室に入って30分で長女誕生と、何か急激、かつ、めまぐるしい展開で、今日はとても1日が長かった、というのが感想です。
 まだあまり父親になった実感はありませんが、”子供と同時に親馬鹿も産まれる”のだそうで、お約束の画像はこちらです。名前はこれから考えます。
 最後になりましたが、カミさんには心の底から感謝、です。
1999.04.04(Sun.)
 花見かたがた、近所の稲岸公園をカミさんと散歩してきました。
 夕方6時過ぎでしたので、あんまりきれいに撮れてはいませんが、ちょうど満開でしたので画像をおいておきます。こちらが稲岸公園の桜の木、こちらが、公園近くの遊歩道・自転車道沿いの桜並木です。
 少々肌寒かったのですが、花見客も数組見かけました。
 千葉は暖かいと思っていたのですが、桜に関する限り都区内や埼玉の荒川沿いより2日ほど満開が遅いように思いました。
1999.03.06(Sat.)
 ついに、と言うか、とうとう、と言うか、携帯電話を持つことになり、契約&購入してきました。
 職場の課長に言わせれば、「なんでわざわざみんな自分で自分に首輪と鎖つけたがるかねえ〜」ってことになりますし、私のイメージでも”携帯電話やポケベルは、忙しい人間を捕まえるため、仕事上どうしても必要なときに上司を呼び出したりするためにあるもの”、だったのですが(この考えが古いらしいことは重々承知)、まあ、妊娠9か月目に突入した、カミさんの保険でもありますから、仕方がないですね。
 契約したのはNTTDoCoMoで、機種はソニー製のSO206という1世代前のものです。契約事務手数料¥3,000−を含めて計¥4,800−(税別)でしたから、残りの¥1,800−が、本体と電池と充電器の合計価格ってことになるみたいです。これが相場と比べて高いかどうかよくわかりませんが、同一機種で新聞の折り込み広告にあった価格は¥3,000−、また、近所の釣具屋では¥1,800−(ただし翌日渡し)です。でも、契約事務手数料は値切れそうにないし、どういうことなのかな?実際、件の広告には他社の他機種で”本体+キット=¥0−、事務契約手数料のみ¥3,000−”というのも載っていましたし。でも、同じ広告に、単に”超激安¥1,800−”ってのがあるんですよね...
 最初は最新のものを買おうかと思ったのですが、まず自分ではほとんどかけないだろうし、職場関係者に教えるつもりも毛頭ないので、よく考えてみればなんでもよかったわけです。
 で、持ち帰っていろいろと説明書読みながらいじってましたが、いやあ、新しい機械類を触るのは面白いですねえ。いくつか必要な電話番号を登録したりして、遊んでいます。
 で、実際に通話したかというと、現在のところ家の電話を鳴らしてみたり、逆に家の電話から携帯を鳴らしてみたりしただけです。まさしく単なるおもちゃって感じですね。ちなみに、わが家では窓から離れていてもアンテナ3本しっかり立っています。
1999.02.11(Thr.)
 PowerBook540cのヒンジ部分が数日前とうとう破損しました。まあ、使っている内にどこか割れてしまっていたらしく、2年近く前から右側のヒンジ部分が浮いていたのに、そのまんまだましだまし使っていたものですから、壊れてもしかたないのですが。
 そこで、古い機種なのでまず部品の在庫確認の電話をしたところ「ある」とのことだったので、日本NCRのクイックガレージ千葉に持ち込んで、部品交換をしてもらいました。ここは、目の前で修理をしてくれます。
 修理自体は、破損したヒンジ部分を含む”ディスプレイベゼル”という部品と、ヒンジの”クラッチ”を交換しました。”ディスプレイベゼル”は、液晶を挟むプラスチック部品なのですが、プラスチックが割れていたり、ずいぶんと痛んでいました。一方、”クラッチ”は元々ついていた部品にはスプリングがあったのですが、スプリングがないタイプのものと交換しました。開閉してみると若干操作感は堅くなったように思います。
 あと、”ディスプレイベゼル”にスピーカーが固定されているので、結果的に内蔵スピーカーごと交換したことになるのですが、何故か音量が大きくなったように思います。とくに、モデムを使っているときの音が大きくなってしまいました。
 修理しているところはずっと見ていたんですが、さすがはプロ、すいすいと作業が進んでいました。見ていた感じでは実に簡単そうでしたが、まあやっぱりシロウトじゃあそうはいかないんでしょうね。修理も完了し、実に快適です。ということで、いつも通りこのページはPowerBook540cを使って書いています。
 でも、部品代が”ディスプレイベゼル”8,820円、”クラッチ”が2,820円。これに技術料7,000円を加えて税込19,572円。痛いよ〜。
1999.01.23(Sat.)
 久しぶりに競馬場に行ってきました。ここのところ馬券は買ってもほとんどがPAT(パソコン通信形式)での購入で、競馬場に行くのは久しぶり、中央競馬に限れば昨年の皐月賞以来です。
 京都での友人の結婚式(なんと式場は八坂神社)に出るというカミさんを東京駅まで送った後、京葉線からの直通快速で船橋法典駅へ行き、長い地下道を通って中山競馬場に入場しました。
 実は、大学時代の友人、K持氏とO賀氏と待ち合わせていて、「指定席があれば買っておく」ということにしていました。私が競馬場に到着した10:50くらいの段階で、指定席はゴンドラ席を除いて全てまだ余っていたのですが、「3枚下さい」と言っても、場内整理担当らしい緑の制服を着たJRA職員(アルバイトか?)からは「残りの2人を連れてこないと売れません」と言われるばかりで、ラチがあきませんでした。
 結局、当初予定の待ち合わせ時間である12:00に到着したK持氏とまず2人分指定席を買い、その後すぐに私が荷物と上着をK持氏に持ってもらった上で窓口に行って、指定席を1枚買ったのですが、指定席窓口のおばさんは「これだとさっきのと並ぶでしょ」と、しっかりわかっていて、販売してくれましたし、周囲のJRA職員も今度は何も言いませんでした。この日はずいぶん遅くまで指定席が残っていましたし、こんなことならさっさと最初から売ればいいのに、と思うのですが。しかも、次の開催からは指定席の予約販売もするというのに、何なんですかね、これは。
 さて、O賀氏も6R発走の頃には到着し、その後は指定席にずっと陣取って、チビチビと馬券を買っていたのですが、どうもこの日はスランプで(スランプじゃない日がいつだ、というのもありますが)、とにかく軸にした馬が来ないので、お話になりませんでした。おかげで、今年の中山金杯と京都金杯で稼いだ儲けをだいぶ吐き出してしまいました。
 実はこの日までに、岡部幸雄騎手が中央競馬通算で2,499勝しており、1つ勝てば通算2,500勝という大記録達成の日だったので、岡部騎手の乗る馬の単勝馬券を毎度毎度買っていましたが、結局岡部騎手はこの日は2着が最高で、目の前での2,500勝達成の瞬間を見ることは残念ながらできませんでした。
(付記:岡部騎手は1999.01.24(Sun.)の1回中山8日目8R”ジョンカラノテガミ”号で、中央競馬通算2,500勝の大記録を達成しています。)

 K持氏もO賀氏もあまり調子が良くなかったようですが、「競馬やるのは3年ぶり」というO賀氏は最終レースの1番人気の馬の複勝で勝負して、トントンには戻していたようです。3年ぶりのせいかどうか、O賀氏が勝負師に変身していたのには、K持氏ともども驚きましたが。
 帰りは京成線東中山駅まで歩きましたが、案外と近く、天気さえよければ京成からの方が便利にも思いました。
 その後、京成船橋へ出て、3人でK持氏の奥様から教えていただいた店で次回の大勝利を期して乾杯しました。このお店、入口では思わずたじろぐような構えだったのですが、料理やお酒の単価はそれほどではなく、実に結構なお店でした。ご紹介いただいたK持氏の奥様に感謝申し上げます。
 もっとも、かなり長居した上にいいお酒もかなり飲んだので、お勘定も結構なものになってしまいましたけど。
1999.01.15(Fri.)
 カミさんのお供で、バレエを見に出かけてきました。レニングラード国立バレエの公演、会場は新宿の東京厚生年金会館、演目はジゼル(全2幕)です。
 実は、昨年もレニングラード国立バレエ公演の白鳥の湖を、やはりカミさんのお供で東京国際フォーラムで見たのですが、そのときに比べてずいぶんと盛り上がっていました。「ブラボー!」という声もずいぶんかかっていました。この声、最初私には「ウラー!」に聞こえてしまったのですが(^^;。
 これは、どうもルジマトフ(Farukh Ruzimatov)がアルベルト(アルブレヒト)を踊っていたのがその理由のようで、確かに、2幕目の踊りは私のようなドシロウトがみても、すごいの一言でした。もっとも、私にはルジマトフがどれくらいすごい人なのかについては何ら知識がないのですが。
(1999.01.17追記:実はカミさんは現在妊娠7か月なのですが、ルジマトフの影響か1999.01.16の検診では(私も医者までついていきました)、”逆子”になっていました。わが家では、「目指せプリンシパル」と言ってお腹の中で爪先立ちして踊っているんじゃないか(笑)、と言ってます。ブレイクダンス見せて元に戻すか(笑)、とも言ってますが。)

 カミさんは2幕目の最初、ミルタ(ウィリーの女王)役の踊り手が出てきたとき、”ジゼルの踊りにしては踊りがずいぶん堅くなったな”と思ったそうです。カミさん曰く”まあ、これはミルタを踊った人がわざと堅く踊っていた、ということかも知れない”とのことですが、私には堅いとか言われてもどこがどうかはさっぱりわかりませんでした。
(1999.01.17追記:実はカミさんはジゼル役とミルタ役を最初間違えて見ていたそうな。そりゃ、踊りが違っていても当たり前か?)

 個人的には、バレエよりはオペラの方が好みです。といって、オペラも2回しか見たことがないですし、大学時代の下宿の先輩のT内氏のようなオペラ好きと言うわけでもありませんが。
 面白いと思ったのは、バレエの場合、踊っている途中でもいい踊りだったりしたら、拍手が起きたりすることでしょうか。クラシックのコンサートやオペラでは、ちょっと考えにくいことですが。あと、昨年11月20日に東京地裁で下されたベジャールの振付の著作権に関する判決(注:これはきわめて雑な書き方です。本当は上演権やら著作者人格権やら何やら、いくつかまとめて争われています)について、会場で配っていたパンフレットの中に、原告側・被告側双方の言い分を書いたものが入っていたのも職業柄か面白かったです。双方のパンフレットの内容はというと、どうみても、原告・被告のどちら側とも勝った、と言っているようでしたが。

 バレエの帰り、某お寿司屋さん(年に1回くらい行くお店:最初は大学時代の先輩であるU竹氏に連れていってもらいました)に立ち寄ると、柳家小さん師匠がカウンターの奥にいらっしゃったのには驚きました。師匠は常連さん(大将と30年くらいのつきあい)だそうなのですが、私が滅多に行かないので、お見かけしたのは初めてでした。
1999.01.01(Fri.)
 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申しあげます。
 昨年は1月1日に階段から落ちて骨折、12月30日にインフルエンザで39.2度の発熱と、最初と最後が寝込む羽目になりましたので、今年は健康には注意したいものです。
(1999.01.16付記:とは言え実はそのインフルエンザとともに年を越してしまい、結局正月3が日は元旦に熱っぽいのに初詣に出かけた以外はほとんど外出できず、また、お屠蘇も飲まずで、文字どおりの寝正月でした。初詣以外にやったことはWebの更新くらいでしょうか(^^;。ちなみに、3が日一滴も酒を飲まなかった、という年はちょっと記憶にないので、今年が物心ついて以来たぶん初めての年でしょう。)

 何よりも、4月下旬には家族が一人増える予定ですので、もう少し自覚が必要なんでしょうけど。まだあまり実感がわかないと言おうか、何と言おうか...(^^;
 初詣は近くの稲毛浅間神社へ出かけてきました。昨年7月のお祭りにも出かけたところですが、安産と子育ての神様なのだそうです。そのせいかどうか、子供連れが多く、また、御神酒の代わりに甘酒(初穂料200円也)が湯気を上げていました。そのコップがくずかごに串刺しになっていたのですが、最初見たときは一体何だ、と思いました。子供向きと言えば、他にもランドセル型のお守りやキティちゃんのお守りがありました。何もそこまでせんでも、という気もしないではありませんが。
 そうそう、第78回天皇杯決勝は横浜フリューゲルス2−1清水エスパルスという結果でした。横浜フリューゲルスにはいいものを最後に見せてもらったと思います。

 元旦の近況報告の最後に記しておきますが、コンサドーレ札幌の今季J1昇格をサポーターとともに祈念しております。
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