取材(2)

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<校正>

インタビューの後、2週間ほどして予告通りライターのC氏からメールが届きました。インタビューをまとめたものです。もちろんインタビュー内容はMDに記録されていたのですが、あの内容をよくこうしてまとめていただけたものだと思いました。
同時に感じたのは、尋ねられたことに対して正しく答えることの難しさです。自分ではこういうニュアンスで言ったつもりなのに、ちょっと違ったことになっている部分もありました。これはインタビュアーがある程度「このストーリーで記事を書こう」と決めているからかもしれません。

頂いたメールに幾つかのコメントをつけてライターのC氏に返信を打ちました。

<C氏からの連絡>

校正依頼には次のような連絡も書かれていました。

「月刊がんは名前が変わりました。『月刊がん もっといい日』になります。」

<発行>

それから約1ヶ月、何も無かったかのように過ぎ去りました。そして9月13日会社で昼休みが終わろうとした時間帯に電話がかかってきました。日本医療情報出版からの電話で、雑誌ができたのでどちらにお送りすればいいか、という問い合わせの電話でした。そう言えばライターのC氏とは、インタビューの申し込みから校正までメールでやり取りしただけで、名刺交換はしたものの自宅の住所・電話番号もお伝えしていませんでした。敬老の日を前にしてのご連絡だったので、自宅への送付を出版社の方へお願いしました。

<記事>

以下が掲載された記事です。記事内容はC氏の許可を得て掲載しております。

本文2本文1表紙

<キャッチ>胃がん患者がネット公開-写真や診療費用をホームページで

<本文>

●手術に踏み切った「5年生存率90%以上」

診断法や診断装置の発達によって、より早い段階でわれわれはがんと出会うようになりました。仕事にも家庭にも充実した日々を送っている健康な体を、がん告知が青天の霹靂のように襲うのです。
コンピューター関連の会社に勤務する広野友英氏はそうした経験をしたひとり。働き盛りの39歳の時、会社の医務室で受けた内視鏡検査で早期の胃がんであることが判明したのです。
 「たしかに、手術するかどうか悩みました。会社の産業医から『いま手術すれば5年生存率は90%を超える』と聞きましたが、放っておいても大丈夫なのではないかと何度も考えてみました。最終的には、印鑑細胞がんというリンパ節転移の可能性が高いがんであると知り、手術に踏み切りました。」

確定診断から入院までの間にゴールデンウィークが挟まったこともあり、不安を胸にひたすら入院を待ち続ける日々を送った広野氏。さらに、手術入院までに実に3週間をベッドの上で過ごさなければならなかったのです。手術では、幽門を温存しつつも、胃の約3分の2を部分切除。ほぼ2週間の手術入院は、逆に、広野氏も驚くほどの短期間となりました。

●検査、告知、入院の経過をキメ細かく記録

その入院期間中、病室にノートパソコンやデジタルカメラを持ち込み、検査、告知、病院選び、入院、治療方針についてのインフォームド・コンセント、手術、退院の経過をキメ細かく記録。そして、退院後2カ月を経た昨年8月に広野氏は自分の闘病記をまとめたホームページを立ち上げました。「会社を2カ月休みましたが、ホームページならば、社会復帰した際に関係者全員へいちいち説明しなくても、正しく病気のこと、闘病の様子を知ってもらえると考えたのです」と広野氏はホームページ作成のきっかけについて説明します。
広野氏がホームページをつくる上で参考にしたのは、奥さんの裕子さんからのアドバイス。裕子さん自身も個人のホームページをもっているだけに、読みやすいホームページにするための提案がありました。
「インターネット上では主人と同じ病気にかかった方が何人も自分の闘病記を紹介し、その中で告知から退院までの細かいことを患者の立場で書いていることを知りました。それが心の支えになりました」と語る裕子さんです。

●自己満足に陥らない情報発信をこころがける

さて、広野氏のホームページは、1冊の本に相当する闘病記です。おそらく広野氏は「本人だけが納得する情報発信にしてはいけない」と考えたのでしょう、闘病記のところどころに医師や看護婦たちの会話をそのまま紹介しています。
たとえば、検査結果を教えてほしいという広野氏に対して、検査技師は「この検査で判ったことだけでなく総合的に判断しないといけないので、私はお教えできないのですよ。一つの検査の結果をばらばらでお伝えすると、もっとも軽いのだけを患者さんは信じてしまいますから」と語るあたりです。アクセントとなり、その場にいない人間でも雰囲気をつかみやすいのです。
初めての胃がん闘病で出くわすさまざまな検査・手術やその説明、それに伴う身体と意識の変化、さらに専門用語や食事、医療用の設備など、あらゆるものに好奇心を抱きながら、広野氏の闘病記は進みます。
ところで、広野氏の闘病記がユニークなものになっている理由のひとつは、デジタルカメラを駆使した画像の紹介です。「他の人と同じことをやっていては情報提供にはならないと思ったからです」と広野氏。腹部を縫合した金属製のステープルが生々しい手術後の写真は、ベッドを傾け、一人でデジタルカメラで撮影したもの。そのほか、フォトギャラリーと題されたページには、病院からもらった内視鏡写真など約30枚が掲載されています。

●胃がん治療に要した医療費用をネット公開

診療費用の公開も興味深いページです。診療費用は、健康保険などでの支払いのため、実際の医療費と本人の支払いとのギャップがあり、患者本人や家族がそれほど意識しないケースが見受けられます。要するに、気にはなるけれども、なかなか表に出てこない部分です。広野氏はそこにこだわりました。食費を含む医療費の合計約126万円、病院での精算時自己負担が26万円。健康保健組合からの法定給付等で約20万円が戻り、最終的には約6万円の自己負担金。これが、広野氏の胃がん治療にかかったコストです。
「とにかくマメに記録しました。『マメな性格だから病気になりやすいんだ』という人もいますが‥‥」と広野氏は苦笑します。ちなみに、愛用のノートパソコンは病院内においては「電気を使用する機器持ち込み」に相当し、1日あたり60円の請求が生じていたそうです。患者側からの情報開示が密室医療からの脱却につながることは間違いありません。危機感を抱くある医師がこんなことを言っていました。患者が主人公の医療を実現するためには、診療情報や診療プロセス、そして診療費用の開示が必要だ、と。過酷な体験をした患者だからこそ、具体的な情報を公開できる立場にあるのです。
「入院してからの医師は若く、熱心で、こちらが聞けばなんでも答えてくれましたが、やはり医師に対してこんなことを聞いたら嫌がられるだろうなという感覚はずっとありましたね」と広野氏は反省をこめて振り返ります。闘病を経て、広野氏自身の意識も変わりました。
退院後1年3カ月ほどになる広野氏。風呂に入り傷口を目にする時には手術当時の記憶が甦るものの、体調は手術以前とほぼ変わらない状態。それにもかかわらず、現在の広野氏には少し複雑な思いが交錯すると言います。

「社内でもたまにしか会わない他部署の人間からは『もうすっかり元気になったの』と聞かれます。私としてはとっくに手術前と同じ元気になったつもりなのですが・・・・。治ったと思われていないのかなと感じるんですよ」。
日常生活に戻ることと、胃がん患者としての記憶を忘れないこと。その難しさを広野氏は感じているようです。

<コラム>

■広野友英氏のホームページ

●http://www.ne.jp/asahi/super/beagle/cancer/index.htm

大阪・高槻市に住む広野友英氏のホームページ。自宅療養後からの内容は、病理診断結 果と会社医務室、社会復帰と食生活、運動能力の快復、術後6カ月の検診などとなっている。

 術後18ヶ月

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