chapter11手術当日

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1999年6月3日(木)

<手術日・午前>

午前中は、前のページに書いたことが粛々と行われました。書いてないことと言えば、朝も絶食・絶飲なので点滴が行われたということくらいでしょうか。なおこの点滴は11時頃から行われ、それまでは完全に自由でした。

朝の浣腸も昨日と同じように行われました。しかし出た便を看護婦に見せる必要があります。浣腸で便を出した後、トイレ個室に備え付けたナースコールのボタンを押し看護婦さんを呼びます。まあまあかな、という様子でした。

ネームバンドは名前がない状態で渡され、自分で名前を書くようになっています。これは自分で書くことにより、より確実に患者を特定しようというもののようです。

私はコンタクトレンズを使用しているのですが、今日ははずしてじっと呼ばれるその時を待ちます。

<手術日・午後>

昼過ぎに、1時15分に手術室へ来るようにという連絡が入ったとのことです。前のページでは表中で、「筋肉注射をして手術室へ」と説明しておきましたが、これは軽い麻酔のことです。実は麻酔医からの説明でこの注射を止めて手術室に入ってから麻酔をかけることもできる、ということでした。そこで「それでは病室での筋肉注射はやめましょう」ということで、注射はなしになりました。

1時、O看護婦さんがストレッチャーを押して来ました。(車椅子でもいいとのことでしたが、一度ストレッチャーに乗ってみたいと駄々をこね、ストレッチャーにしてもらいました。)

前から羽織る(?)格好の手術着に着替え、ストレッチャーに乗り換えます。ストレッチャーは思ったよりも幅が狭く、その上にちんまりと乗り、歩くのには慣れた通路を天井向きで行くのは少し変な気分でした。

寝台用のエレベータに乗り、3階の手術室へ。家族は手術室の前にある家族控え室で待機となります。ここまでは下見しに来た事が何回もありますが、ここからは未体験ゾーン。自動ドアを通りぬけると、左が回復室(リカバリールーム)、まっすぐ行くと手術室という標識があり、20mくらい行くと次の自動ドアがあります。自動ドアの手前には受け付けのような小さな部屋があり、ここで見た時計は1時15分を少し過ぎていました。Oさんは「私はここまでです。」とのこと。ここでもう一台のより小ぶりのストレッチャーに乗り換えです。そして「手術室の看護婦xxです。」と2名の看護婦さんへ引継ぎ。氏名を書いた用紙を見せられ本人を確認し、さらに右手首のリストバンドで本人を確認し、病棟看護婦のOさんとの引継ぎが完了。最後にOさんにキャップをかぶせてもらい手術室へ向います。この乗り換えの間に、M先生は手術着姿で颯爽と登場し、先に手術室へ消えて行きました。

<手術室で>

2番目のドアを越すと10mくらいの直線、右折したところ手前右側の手術室(J室)に入って行きました。入り口右横のシャーカステンにx線フィルムをM先生がつけているのが判りました。手術室は全体が緑色でまだ真新しい感じ。看護婦さんから、「手術台へ移ってください。」そして「一番きれいな手術室ですよ。」と言われました。

右腕に自動血圧計のセンサーが巻きつけられ、看護婦さんが「血圧測定開始します」と言います。

手術台の上では右を下にして横向けになり、背中を丸めるよう麻酔医から指示が出ます。背骨の位置を確認し、硬膜外麻酔のための麻酔注射が打たれます。少し痛い。そして硬膜外麻酔が背中に入ります。横になり手術中の左手を置く位置を確認する。「後で手が痛くなることがありますから」とのことで、60度くらい脇を開いた位置にしてもらいました。よく判らなかったのですが、きっとここで麻酔の点滴もはじまったのでしょう。口にマスクがつけられ、2・3回深呼吸をしているともう…。その後はまったく記憶がありません。

(このページここまで)
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