それはいつかきっと
       

  


××年4月19日天候晴れの日の午後4時12分の出来事


 その日、バスケ部唯一のマネージャーであり、同学年はおろか先輩にあたる3年達もが恐れ嫌煙す

る少女矢部希理子はひさしぶりに部室に顔をだし机の上に突っ伏して『お昼寝』ならぬ『お夕方寝』

を楽しんでいた。

 他の部員達はすでに体育館に向かい練習を開始している。

 一年生が何人か入り、やる気のなかったバスケ部を現2年の旧1年が軌道に載せはじめていたとこ

ろであったから、部員一同ハリキリ全員やる気を見せていたのだ。

 だが希理子はそんなことお構い無しにひたすらに惰眠をむさぼっている。希理子はこの部屋で、こ

の時間、ひとっこひとりいなくなる静まり返った運動部長屋の感傷にも近い静寂とともに、適度……

とはちょっと良すぎる表現だが、適度に汚れて乱れたこの独特の雰囲気の中で眠るのが大好きだっ

た。

 さすがに男子運動部の部室ということで男臭さは免れないが、それでもというよりそれだからこそ

何となく落ち着く空間なのだ。

 だが希理子にとってそんな至福の時間を撃ち破るように扉があけられた。もうかなり老朽化し、充

分にさびとりをしていない扉は開けるだけでギィギィと激しい音をたてるのだ。

「遅くなった、……!!───」

 荒い息をしながらそうつぶやいて部室に入ってきたその訪問者は、男しかいないはずの空間で堂々

と突っ伏して寝ている希理子の存在に気付いて目を見開いた。

 しかし、それに対して寝ていた希理子は扉越しでも聞こえる程の足音とともに勢い良くあけられた

扉のたてた不快音に顔を微かにしかめただけで、そのまま同じ体勢で寝ようと再び同じ体勢をとろう

とした。

 だがその希理子の行動を後からやってきた少年が声を駆けることで食い止めようとした。

「あ、あの……どうしてこんなところで寝てるんすか?」

 優しい、戸惑いに満ちたテノールの声───声変わりをしたばかりの少年だけが持つ独特の滑らか

さで、少年はやんわりとそう希理子に問いかけてきたのだ。

「ああ、あたし?」

 希理子は眠い目を擦りながら、その声の持ち主に心当たりがないことから判断して今度の新入部員

の一人だろうと憶測をたててから、その顔を拝んでやろうと微かに首を突き出すようにしてぐいっと

顔を上に向けた。

「眠いから寝てるのさ。気にしないでいいからさっさと着替えて出て行きな、馬呉たちゃとっくに練

習はじめてるよ」

 そう言いながら確認した希理子の知らない声の持ち主は、その声の柔らかさとは正反対といってい

い程鋭い目をした少年だった。

 タレ目の人間は普通優し気に見えるものなのに、口元がきゅっとしまってどこか不機嫌そうな印象

を与えてしまっているせいか、怒っているようにも見える。

 普通より色素の薄い髪は美容師の母親を持つ自分から見れば髪質に合ってないシャンプーを使って

いるらしく、本当ならもっとまとまっていてもよさそうなものなのに硬質な、バサついた感じがして

いた。

「もったいないねぇ……」

 その言葉は希理子の正直な感想だった。

 名も知らぬ少年は磨けば充分美少年の素質が有る容姿をしているのに、『自分』という存在の見た

目に無頓着なようだった。学生服から除くカッターシャツの襟が夕方のこの時間になっても綺麗なラ

インを保ち続けていることから考えてみたら清潔ではあるのだろうけれど、その髪型はいっさいまっ

たく似合ってない。自分でも人にキツイ印象を与えてしまっていることを自覚して、それを少しでも

和らげようと幼い感じの髪型にしているのだろうけれど、そのことが余計に瞳の持つ強さを際立たせ

てしまっているのだ。

「あんたさあ、ちょっと髪のばすか、それとも逆にもうちょっと切った方がいいと思うよ。その方が

ずっと恐くない」

「はい?!」

 さすがに自分の予想外の存在に呆然としていたその少年も、希理子の正直かつ歯に衣着せすぎぬそ

の言動に我を取り戻してきていた。『不機嫌そう』な顔が本当に『不機嫌』な様子に変わっている。

誰だって初対面の、見知らぬ人間からそのような失礼きわまりない言葉を言われれば怒りもするだろ

う。

 だが希理子はその少年の表情の変化にどこか面白そうな意地の悪い笑みを浮かべると、くいっと顎

を動かして『行動』するように指し示した。

「ほら、さっさと着替える!そうでなくても練習に遅れてるんだよ。1年坊主が入部した早々からこ

んなに大遅刻していいと思っているのかい?」

「!!」

 その言葉にハッと我に返り、少年は慌てて部室の中に駆け込んできた。そして自分用のロッカーの

扉を慌てて開けると手早く脱いだガクランを中に放り込んで、持っていたバックの中から練習用のジ

ャージ一式を取り出した。

 希理子はその様子をしばし見守ると、また先程同様に午睡の続きを楽しもうと机の上に顔を伏せ

た。

「……あの」

 だがそんな希理子に再び邪魔が入った。

「俺、今から着替えるんですけど……」

 もう今さら希理子が誰か誰何することは諦めた、というか忘れてしまったのだろう。とにかく目の

前の、今から着替えるというそのことに集中している少年が、思春期ゆえの潔癖さで顔をいささか赤

くしながら、そして同時に彼にとっての───というか、世間一般の常識である『異性の前で着替え

などしない』もしくは『異性の着替えに同席しない』ということを守ろうとしない希理子の存在をい

ぶかしんで、批難も含めた口調でそう声を掛けてきたのだ。

「そんなことわかってるよ」

 だがそんな『常識』は希理子には通用しない。もしもこれが逆の立場なら簀巻きにして東京湾に沈

めるであろうことだが、男の着替えなど慣れ切ってしまっている希理子は平然とした様子で顔だけ向

けて言い返した。

「男の裸なんざ見られたって減るもんじゃないだろう?パンツまで脱いで着替えるっていうんなら考

えてやらないでもないけどさ、こっちは下向いて寝てるんだし出ていく必要無いだろう?」

 それが嫌なら自分が出ていきな───そうハッキリといいたげな口調で希理子はそれだけ言うと再

び机の上に突っ伏した。

「でもっ」

「うるさいっ!!」

 だがそれでも少年は希理子に向かって食い下がってくる。その声の様子にこのままでは何度でも食

い下がってくるだろうと判断した希理子は眠りをさまたげられている不機嫌さも手伝って、そこから

先を封じる言葉を口にした。

「あたしは矢部希理子、現在2年であんたの先輩、そしてこの部のマネージャー。あんた、1年の分

際でこのあたしに逆らおうっていうのかい?運動部で『縦』の関係崩したらどうなるかガキじゃない

なら判るだろう?!」

「……!!」

 その言葉に少年は絶句する。運動部の『縦』の関係は不文律だ。もしも上の学年に逆らおうものな

らレギュラーになれないどころか部にもいられなくなってしまう。

「わかったらさっさと着替えて練習にいきな。あたしの機嫌がこれ以上悪くならない内にね」

 それだけ言うと今度こそはとばかりに希理子は再び机の上に突っ伏した。そして『寝た』ふりをす

る。さすがにこれだけ会話をしてしまうとすっかり目がさめてしまい眠気も吹き飛んでしまったの

だ。

 だが『寝る』格好をしなければ恰好がつかなくなってしまっていたので『寝たふり』をして少年を

やり過ごすことにしたのだ。

 案の定その様子に少年は希理子の様子を伺いながらもかなり慌てた様子で着替えを済ませるとそそ

くさと部室を出ていった。希理子は扉が締まり、完全にこの周辺から少年の気配が消え去ったのを確

認すると起き上がってため息を付いた。

「やれやれ、また正直なヤツが入ってきたもんだねぇ」

 先程、あの少年が着替えて出ていくまでの2分足らずの間にかもし出されていた雰囲気を思い出し

ながら希理子は肩をすくめた。

 今考えるとほんの少しだけキツかったかな、と自分の言葉に反省をした希理子だったのだが、それ

に対して返ってきていた反応があまりにも率直すぎ、分かりやすすぎたのだ。

 顔を見ずとも雰囲気だけで少年が怒っているのが判った。先輩の理不尽さに怒りながらも、でも

『先輩』ということだけで逆らえない自分に腹を立てているのが嫌という程判った。

 まっすぐな自分にウソがつけない正確なのだろう。おそらく今日のところは引き下がったが、今度

ぶつかりあうことがあったなら一歩も引く気はない───そんな感情さえハッキリと読み取れた。

「ええっと、名前なんていうんだろ───」

 希理子は立ち上がってその少年が使っていたロッカーの扉に手を掛けた。急いでいるあまりチャッ

クが開けっ放しだったカバンの中からノートがのぞき見えていた。それを勝手に手に取り、硬質な、

あの少年の瞳の強さに相応しいキチンとした字で書かれた名前の羅列を音声に直した。

「『こばやしじゅんちょく』───って読むのかね、これ」

 そう言ってその文字の上をなぞる。──────これが当時1年だった小林純直と2年の矢部希理

子の最低で最悪の出会いだった。


 
 

*********************************************


 
 

 出会った時思ったのは『ああ、まためんどくさいヤツが入ってきた』っていうことだった。

 あたしはこれでも結構謙虚で自分を知ってる女だからね、苦手や限界を知ってるんだ。

んっ、誰だそこで『どこが謙虚だ!』なんてチャチャ入れたヤツ!

後でどうなるか覚えておきな!

 ふうっ……ってことは置いといて、とにかくアイツとは『合わない』ってことだけは

ハッキリ判ったんだ。

 いいかげんで適当が大好きなあたしと生真面目で完璧が大好きなアイツ。

口先だけで誤魔化してきたあたしと言葉よりまず行動

(……っていうか言葉が出ないからその分を行動で補ってる気もしないではないんだけど)な

アイツとじゃ水に油、猿と犬、ハブとマングースみたいな感じじゃないか?

 まあ、出会ったその日には多分そうだろうな、っていう予感しかなかったけど

それから1月もしたらそれが当たりだっていやっていう程わかってきたりしたりなんかして。

 とにかく、そういった意味であたしはアイツのことが気になって仕方がなかった。

あたしがどこまでアイツを嫌いになるか、アイツがどこまであたしのことを嫌いになるか、

そんな普通じゃない娯楽を見い出しちまって毎日が楽しかったんだ。


 

 そう、あの日、アイツのことをもう少しだけ理解する日がくるまでは─────


 
 

*********************************************

 
 
 

 出会った時思ったのは『何でこんな人が世の中に存在するんだ!』っていうことだった。

 俺は自分という人間を結構理解しているつもりだ。

 口下手で、上手く周囲を和ませることが出来なくて、

人を不愉快にさせてしまうばかりの存在だということを嫌というほど認識している。

 でもだからこそ責めて周囲や自分の行動に対して誠実にありたいと思っているのだが、

そのことがまた周囲を不愉快にさせてしまうようで、

どうすれば他人にとって『やさしい』存在になれるのかずっと考え続けていた

(もちろん今もそうなのだが)。

 そんな時、俺とはまったく違う『生き物』に出会った。

化け物みたいに凶暴で、化け物みたいに乱暴で、化け物みたいに

いいかげんな『生き物』に出会ったんだ。

 出会ったその日、俺はとりあえず『この人とは合わないだろう』と予感した。

そしてそれは正解で1月も経たない内にそれが正解だったと理解した。

ハッキリいって一生関わっていきたくない存在だとその時には確定事項に記されていた。

 だけど何故だかあの人から目が離せなかった。ハチャメチャな存在だから、

いざとの時にはその騒動に巻き込まれてしまうから気にしているだけだと

最初は思っていたのだが、そうじゃないことがそれからずっと後になって判ったんだ。

 そう、あの日、あの人のことをもう少しだけ理解することが出来たあの日に

俺は自分の中で何が起こっていたか理解出来たんだ。



 

 そしてそれは俺にとっての永遠の始まりだった─────。




 

                                    後編に続く
 

   

  文字工房実験室
  index へ     メール