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       アメリカツーリング'02                                      
2001年03月25日

オレはアメリカを走りたいんだ!

高校の英語の教師をして20年。突然、ハーレーに乗り出したんで、生徒には"不良教師"と呼ばれちゃうんですが(笑)…。自分では、今をもっと楽しもう。それを行動に移しただけなんです。大好きなアメリカをハーレーで走って、自分のナマの体験として英語や文化を感じてみて、そこで学んだことを生徒に語ってみたい。とてつもない距離を走りきったあとに、心のそこから沸いてくる達成感、満足感、充実感を味わって、その時自分が何を感じるのか自分自身に問いかけてみたい。
とにかく、
オレは
アメリカを走りたい!



2001年03月27日

マイ・ハーレー・ダビッドソン

2年前、そんな思いが頂点に達し…、妻に内緒で学校の帰りに教習所に通って、6ヶ月かかりましたけど、免許を取得。その年のクリスマス、ハーレー買ってしまったんです。初めてのハーレーは川口セントラルモータースオリジナルペイント仕様のFLSTC。アロハを着て乗ったら似合いそうな、ちょっと派手なハーレーです。でも、内緒で買ったからでしょうか、ナンバープレートは2257。これって「夫婦のご難」って読めるんです(笑)。



2001年09月09日

See You in Sturgis!

ハーレーを手にしてからは、ハーレーにのめり込み、クラブハーレーやインターネットを通じて同じような感性の持ち主との出会いがあって、どんどん"アメリカを走る"っていう夢の下準備が進んでゆきました。そして、昨年夏、学校のホームステイの引率でアメリカ東海岸ニューハンプシャーに行った時、そこのディーラーでパットとペニーに出会って、意気投合。湖のほとりに建つ彼らの家に招待されて、その帰り際に、
See you in Sturgis!
軽いノリで言ったのが…あれよあれよと話が進んでいって…。秋には、半ば強引に「スタージスのコテージの予約、お前の分も取っておいたから…」で…行くことになっていたんです(笑)。



2002年07月25日

旅のテーマは?って聞かれて………
“ウルルン滞在記”って答えたんです。

行くと決めてからは毎日が楽しかったです。アメリカ人のロングツーリングに1人加わってハーレーのある休日を体験する。これってTV番組の"ウルルン滞在紀"の世界じゃないですか?!だから、パット達と別れるときは泣くのかな(笑)〜。とか考えちゃうと布団に入っても眠れなかったです。全行程5500マイル。片道一週間、スタージスでコテージを借りて一週間、帰りに一週間。ドンドン計画が具体的になってくると、アメリカの州地図を広げて走るポイントを確認。すでに地図の上で風を感じていましたね(笑)。



2002年07月25日

一緒に旅した“愉快な仲間たち”

パットペニーがツーリング仲間に呼びかけて最終的に集まったのが、アニーリンキャロル、現地集合のデニースビルの総勢8人。
驚いたことに、ペニー、アニー、リンの3人は、合わせて10人の孫がいる"おばあちゃん"だったんです。
スタージスへツーリングに行く。
これって"アウトローなヒゲヅラ、タトーあり"っていう人たちだけが行くお祭りだと思っていたんですけど…
ごく普通の、いやある意味普通じゃないかもしれないんですけど(笑)、どんなライダーも一度は行ってみたい"憧れ"だったんですね。



2002年07月25日

Once-in-a-lifetime-trip!

走り出す前にペニーが一冊の日記帳をくれました。「一生に一度の最高の旅をするんだからこれに思い出を綴りなさい。」って…。最初、面倒だと思ったんですが、通り過ぎていく素晴らしい景色に出会ってもカメラが間に合わない。だったら文字にしてやろうって…だから、「このトウモロコシ畑はどんな風に表現すればカッコイイかな…」とか考えながら走っていました。



2002年07月25日

お前も走ってみろよ!

そして、モーテルでひとりになった時、その日にあった出来事を振り返ってみるんです。手にはまだロードキングの振動が残ってて、文字も震えてしまうんですが、今見てきた景色、語られた言葉、肌に残った感覚、通り過ぎていった匂い、大きな感動から、小さな心の動きまで、色々なことを思い出しながら日記帳にペンを走らせました。この静かな時間は一番贅沢な瞬間であったのかもしれません。誰もが詩人になれるアメリカの道、そう実感できました。日本に帰ってきてから、早速、日記帳になぐり書きしてあったことをまとめ直し、それを抜粋する形で、今回の旅の一部を紹介してみます。でも本当は…
アメリカツーリングどうだった?」っていう問いに対する正解は、
お前も走ってみろよ!」 そんな文字を超えた体験だったんです。



2002年07月26日

第1日目(7月26日)
From Salem NH to Amsterdam NY (226 miles)

いよいよイグニッションに火が入った。ペニーに借りたロードキングの野太いサウンドが静けさを切り裂いて轟く。ドコドコドコ〜ン…エンジンを吹かす。スクリーミングイーグル社製のエキパイが実にいい音を奏でている。武者震いがしてきた。パットのFLSTSC、ペニーのファットボーイ、キャロルのスポーツスター、アニーのゴールドウイング、リンのバルカンにも火が入り、不思議な連帯感に包まれる。
Hit the road! 
めざすはスタージス!片道4000キロ!アドベンチャーが始まった。



2002年07月26日

Hit the road!

慣れない右車線走行、前日に教わったグループ走行の際の右折、左折、障害物、緊急停止を走行中メンバーに伝える最低限のボディーシグナルもうる覚えのまま、軽井沢を思わせる林と湖の美しい町、ニューハンプシャー州セーラムを静かにスタートした。最小限の荷物を積んだロードキングを、地面の感触を確かめながらゆっくりと滑らせる。日ごろFLSTCに乗っている身には、その重たさに正直最初悩まされた。ボストンへ向かうインターステイト93号を南下。通勤幹線道路のせいかボストンに近づくにつれて込んできて、とうとう渋滞にはまる。



2002年07月26日

Ride against the wind!
  風が気持ちよく流れていく!

Go around the car!
パットがそう叫んで渋滞している車を脇から抜かし495へ右折。そして今回我々が主に進むことになる東西にアメリカを結ぶインターステイト90号に進路をとった。重かったロードキングにもようやく慣れ、手前に多少に引いてきてあるペニーのロードキングのステアリングとリアシートにくくりつけてある荷物が背もたれにもなって、時速70マイル、快適に風を感じて走れるようになってきた。
Ride against the wind! 
風が気持ちよく流れていく!



2002年07月27日

第2日目(7月27日)  
Sarina ON Canada (475 miles)

時差ぼけのため、朝の5時にモーテルの自分の部屋を抜け出し、朝食に行くと、みんなもうすでに起きて自分の荷物をバイクにくくり付けている。6時に出発のはずなのだが…。誰もが今回のツーリングに興奮しているのがよく伝わってきた。今日は長丁場、500マイルの走行だ。森に2本の直線を刻んで進むインターステーツ90。ほぼまっすぐでゆるやかなアップダウンを繰り返す道を内陸へとひたすらスロットルを開放する。左右の木立がだんだんと低くなって、緑がうすい色合いになっていく。ところどころに見える湿地帯にはピンクの花が咲き乱れている。



2002年07月27日

Welcome to the iron butt club! 

Amsterdam, Dublin, Manchester 川沿いにあるヨーロッパの地名のついた町は、やはりヨーロッパの佇まいに溢れている。見慣れないアメリカの景色、その流れていく風景の変化が嬉しくてたまらない。都会から田舎への変化、地形の変化、植物の生態系の変化、暮らしている人の生活の変化。感性を痛く刺激されながら西へ西へとひた走る。そんなことを考えているうちにあっという間にカナダの国境を越え、500マイルを無事に完走。モーテルにつくとペニーが抱きついてきて言った。
Welcome to the iron butt club! 
これで俺も鉄の尻の持ち主か?!



2002年07月28日

第3日目(7月28日)
Ludington harbor  Manitowoc WI(305 miles)

朝から激しい雷雨で足止めをくらう。2時間ほど様子をみて、小雨の中をスタート。心配した天気も、カナダとアメリカ国境近くのデュティーフリーでアイスワインを買う頃には雨もやんで蒸し暑くなってきた。今日はリンガートンの港からミシガン湖をフェリーで横断する。前日の走行距離に比べるとかなり余裕があった。それがいけなかったのだろうか、最後尾を走っていたペニーがパスポート、トラベラーズチェックの入ったバッグを落としてしまった。全員で走ってきた道を探しに戻り奇跡的に見つけることができて一件落着。その後はひたすら港へと急いだ。



2002年07月28日

Where are you headed?

旅する人が集まる港にはドラマがある。
乗船を待つ退屈な時間なのだがそんなに嫌な感じもしない。映画で見たことのあるアーミシュの女性たち、白い小さな帽子を被り、地味な服装をしている。CHEVY PICKーUP TRUCKのボンネットの上に座り笑っている美しい姉妹、ワゴン車で旅する家族連れ、我々と同じようなハーレー乗り…Where are you headed? みんな話し掛けてくる。
Sturgis! 
We came from New Hampshire and …this gentleman from Japan.そこからハーレーの話に花が咲く。



2002年07月28日

海のようにでかいミシガン湖

バイク、車、トラックの順で大きな口を開けたフェリーに飲み込まれ港を出港。海のようにでかいミシガン湖を走るフェリーの甲板で、フェリーを追うカモメと戯れ、夕日と雲の作りだす光と造形のコラボレーションを楽しみ、そして満天の星空を眺めながらくつろいで過ごす。いつしか皆、口をあけて寝入っている。ペニー、アニー、リン、キャロル、大柄な彼女らの姿は豪快そのものだ。



2002年07月28日

On the board…

下船の準備をする人の気配に気付いて目を覚ますと幻想的な夜の港がそこにあった。昼間暖められた湖水が夜風に冷やされ作る水蒸気が、湖の表面を低く覆っている。それをフェリーからこぼれるライトが照らし、その光の中をたくさんのカモメが飛び回っている。灯台の灯りもアクセントとなって、この神秘的な時の流れを空に横たわる星たちが見つめている。塩の匂いもなく波の音もないここは湖、実にミステリアスな光景だ。寝ぼけた乗客があちこちでフラッシュを焚いているが、この景色は心で納めておくものだろう。
時計の針が翌日を告げる頃、ようやく今日泊まるモーテルの床についた。



2002年07月29日

第4日目(7月29日)
From Manitowoc WI to Wisconsin Dells WI (215 miles)

ウイスコンシン州ミルウォーキー。今日はハーレーダビッドソン本社見学の日だ。「ここの牧場のミルクはおいしいんだろうな〜、でも、ビールが有名なんだっけ?」そんなことを考えながら、ルート43号を南下。きれいに整えられた牧草地を走り、ハーレーのお膝元ミルウォーキーに入る。「ウォーここがハーレーの故郷か〜!!」こころはなぜか帰ってきたゾって感じで一杯になった。ミルウォーキーの本社工場を見学して(ちょっとがっかり…かな?)、ガソリンを補給するためにインターステーツを下りた。



2002年07月29日

On the road again!

街の様子はその街を走る車を見ればよくわかる。壊れかかった車、ボリュームいっぱいにした車から漏れてくるヒップポップ、昼間だというのに若い男たちをよくみかける。彼らの目がハーレーに乗る我々を歓迎していない。走っていくうちに、これがアメリカのダウンタウンだということがはっきりしてきた。
インターステイツ94号を北上し、ウイスコンシンデルに到着。ここはアメリカ人の集う行楽地だ。モーテルにも室内プールがあり、これまで泊まってきた素泊まり専用のところとは明らかに雰囲気が違う。まだ、我々にとっては旅の途中で最終目的地ははるか先なのだが、十分リゾート気分が味わえる。



2002年07月29日

リゾート気分!

我々も到着するなりプールに飛び込んだ。身体に残る日焼けの跡と振動をひんやりとクールダウン。気分がいい。軽く泳いで気がついた。「あっ!久しぶりに口で呼吸をしている。」そう言えば、バイクに乗っている時は鼻で呼吸をしているな〜。そんな発見に一人感動しながらゆっくり口で深呼吸をしてみると、それまで通っていなかった体の隅々にまで血液が流れるような気がした。サウナに入って、ジャグジーに浸かって、のんびりプールサイドでパットとバイク談義だ。



2002年07月29日

Suicide Clutch!

「オレは1944年製のインディアン社製のチーフを持っていたけど、シフトダウンが自動じゃなかったから大変だったんだ。急に止まらなくちゃいけない時にはあせったな。タンク横のギアを入れてグリップをまわしこむ、これを繰り返さなくちゃシフトダウンできなかったんだから…Suicide Clutch “自殺クラッチ”て呼ばれてたんだぜ。」そういうパットの顔は子どものように輝いていた。「インディアンが新しい技術を開発すれば、ハーレーが真似して、ハーレーが一歩リードすればインディアンも追いつこうと努力して…その繰り返しでオートバイが進化してきたんだな〜。」まさにバイクの進歩の歴史とともにバイクを乗り継いできたパットの話は知的好奇心をくすぐった。「実は今の妻、ペニーも3台目なんだ…」といって肩をすぼめた。男同士っていい。心までほぐれるようなリラックスした気分に浸ることができた。部屋に戻るとドアを叩く音がする。
Haji, I bring you a cocktail. 



2002年07月30日

第5日目(7月30日)
From Wisconsin Dells WI to St. Cloud MN (323 miles)

Road Kill
道で死んでいる動物のことを彼らはそう呼んでいる。これまで走ってきて色々な動物が道の上で死んでいるのを目撃してきた。野良犬、野良猫が少ないせいだろうか、ターキー、アライグマ、スカンク、鹿が圧倒的に多い。人の手が入らない林の近くではターキーと鹿が、畑ではアライグマが多い。前を走るパットが手シグナルでroad killの存在を後続に伝えていく。特にスカンクの場合は要注意だ。経験したことのない強烈な匂いが身体にまとわりついてくる。日本ではそんなことすら感じないくらいディーゼルの排気ガスの中で走っているんだな〜。五感のすべてを使って,の走る感覚を身体に覚えこませておこう、そう思った。



2002年07月30日

Gas Station!

50から100マイルごとで燃料の補給と休息のためにサービスエリアに寄った。だいたいガソリンは2から3ガロン入って、2ドルから4ドルという値段だ。もう少し走ってから給油したほうがいいのでは…、なにせ2ドルじゃVISAカード使うのをためらいがちにもなるのだが、「疲れを貯めず停まって、停まったら給油する。」それが彼らのやり方だ。
最近は日本でもセルフのスタンドが増えてきているから、珍しくも難しくもないことだと思っていたが、大きな違いを発見した。アメリカの給油機にはGoとStopしかない。もう少し入れたいからといって給油レバーを緩めても、チョロチョロ出るっていうのがない。「出る」か「出ない」かなのだ。それでもガソリンが目視できるところまでは入れたいという島国根性?がでてきて、なんどガソリンを吹きこぼしてGパンを臭くしてしまったことか…。でもそれも発見があって嬉しい楽しいアメリカツーリングだ。



2002年07月31日

第6日目(7月31日)
From St. Cloud MN to Jamestown ND (282 miles)

曇りのち雨。朝、天気予報を確認すると大きなストームが自分達の行くてにあるという。慌てずストームをやり過ごすことにした。それでもじっとしてられずに、パッキングは皆済ませている。
10時、我慢できずにスタートしたが、すぐに空の異変に気付く。遮るもののない360度牧草地の上空は、黒い雨雲の脅威を引き立たせるのに十分過ぎた。あっという間に黒い雲に覆われて、激しい雨が容赦なく地面を叩きつけてきた。雨宿りする場所を選ぶこともできず、道路わきの木工所に緊急避難。嵐とともにやって来た我々を寛大に迎え入れ、約一時間もハーレーの話に付き合ってくれた木工所で働く人たちには感謝。



2002年07月31日

Keep the wind in your face!
  風の色を感じながら…

雨がやんで再びルート94号を北上。空がこれだけ広いと日ごろいかに小さな自然現象しか見ていないのかよくわかる。ここはまるで広大な地球の創世を検証するラボの中にいるようだ。地面が暖められ、水蒸気が上空にたまり、うすい雲となる。うすい雲がさらに水蒸気を溜め込んで黒くなり、もうこれ以上貯められなくなったところで雲がくずれ、雨となって地上を湿らす。この地球が生まれた時から続いてきた地球のメカニズム。壮大で芸術性さえ感じてしまう。遠くに見える雲の崩れを見ながら、大地に刻み込まれたまっすぐなアスファルトの道を爆音あげてひた走る。
Keep the wind in my face! 風の色を感じながら…



2002年08月01日

第7日目(8月1日)
From Jamestown ND to Stanton ND (176 miles)

アメリカ人はSURPRISEが好きな国民だ。今回はジェームズタウンから先はどこへ行くのか知らされていなかった。「どこへ向かって走ってるんだろう?」パットの後をついて行きながらクネクネと黄色や緑の牧草地を走リ抜ける。同じ地域なのに生えている草の種類の差か、刈りいれた時期の差なのか大地に縫いこまれたパッチワークのように見える。その上にロールパンのように丸めこまれた干草が、単なる農夫の気まぐれなのか、誰かにメッセージを伝えようとしているのか、ミステリアスな趣きを漂わせ置いてある。



2002年08月01日

タイムスリップ!

道はどんどん細くなって、とうとう砂利道になった。車の轍を選んで、荷物を一杯積んだロードキングのバランスをとりながらノロノロと、みんなに置いてかれないようにそれでも一生懸命スピードをあげてついて行くと、急に視界がひらけて、かつてネイティブアメリカンの部落があったといわれる場所が眼下に見えてきた。約400メートルはあるだろうか赤土の坂道を下っていくと、西部劇いやそれ以前のアメリカに迷い込んだような感覚に包まれる。きっと昔はここにはバファローが群れをなし、誇り高きネイティブアメリカンのコミュニティーがあったのだろうな〜。当時を思い出させるネイティブアメリカンのテントの木枠も組まれている。坂を下った丘の裏側にロッジがあって、穏やかに流れるミズーリリバーからのさわやかな風を感じながらサプライズツーリングも無事終了。今日はここミズーリリバーロッジに宿泊する。



2002年08月01日

刈られたばかりの草の匂い…刈られるのを待つ草をそよぐ風の音

荷物を下ろしてすぐに、ロッジの主人が育てているトウモロコシ畑とハーブ畑を通ってミズーリ川までみんなで散歩することにした。そっと鳥に近づき写真を撮ったり、たわいもないことしゃべったり、少し寒かったので厚着をしていたせいか、運動不足になっている体がうっすら汗ばんだ。しばらく川を眺めて戻ると、主人が除雪車にもなりそうな巨大な耕うん機でハーブを刈っているところだった。その刈られたばかりの草の匂い。刈られるのを待つ草をそよぐ風の音。それだけでも心が満たされる。



2002年08月01日

It's mine!
  ハーブ畑はほほえましい笑顔で包まれた…。

ふと足元に目をやると、水たまりのドロの上にHARLEY DAVIDSONの文字がくっきり見てとれる。誰かの靴のソールがさっきこの道を通った時につけたのだろう。笑いながらみんな窮屈に体を折り曲げて誰のソールか確認する。It's mine! それはパットのだとわかってハーブ畑はほほえましい笑顔で包まれた。それからパットとペニーは手をつないで歩き出した。やさしい時が流れていた。
オーナーのダイアンのやさしい笑顔に迎えられ、ローズの香りのするロウソクの明かりに灯された室内は、暖かい温もりで溢れていた。クラシックのピアノのメロディーが流れ、高級レストラン思わせる豪華な手作りの料理、ここは小じゃれた大人の隠れ家という雰囲気だ。



2002年08月02日

第8日目(8月2日)
At Missouri River Lodge (Stanton ND)

今日は移動せず、ロッジでリゾート気分にひたり,のんびり過ごした。馬に引かれたコーチに乗ってイーグルの巣を見に行ったり、インディアンの聖なる丘へ登ってみたり、日の高い日中は日陰で友達に手紙を書いたり、いつかレストアしたいと納屋に収納されているオーナーの古いキャディラックやジープを見せてもらったり、ゆっくりとした時の流れを楽しんだ。



2002年08月02日

Earth Lodge
福島の田舎のわらぶき屋根の家の匂いがした…。

午後、少し日差しがやわらかくなってから、近くのインディアンビレッジを見学に行った。この地に昔暮らしていたネイティブアメリカンを後世に伝えるための公共の施設だ。そこにある再現されたネイティブアメリカンのEarth Lodgeの中に入ってビックリした。その匂いが幼い時、父親に連れていてもらった福島の田舎のわらぶき屋根の家の匂いとそっくりだったのだ。実になつかしかった。「本当はこの中で火も起こしていただろうから、もっとすすで天井とか壁は黒ずんでいたはずだし、木の足場を組んでベッドにしているのは白人の発想から生まれてきたもので、本当は地べたで寝てたんだろうな〜。部屋の隅に穴を掘った場所を冷蔵庫と説明していたけど、漬物とか発酵させて日持ちする食料を食べていた証拠だぜ!」色々な時空を越えた空想が頭に浮かんできた。



2002年08月02日

ネイティブアメリカンとバッファロー

「彼らはバッファローの肉だけでなく、その身体のすべて部分を有効に使ったのよ。」ペニーが説明してくれた。「おいおい、それだって日本人と鯨の関係と同じだろうが…」そう喉まででかかった。なぜだかネイティブアメリカン文化が急に近くに感じられ、愛おしくさえ感じてきた。ネイティブアメリカンのイメージというのは、ビーズやイーグルの羽で独特の飾りをつくり着飾り、奇声を発して踊ってきたことばかりが強調されがちだが、本当の姿はもっと質素だが崇高な社会生活を営んでいたのだろう。



2002年08月02日

You'll be back before dark!

帰ってきてからロッジの裏の丘に登って夕日を見ることにした。
You'll be back before dark.「暗くならないうちに帰って来いよ」
パットに声をかけられて、急にパットの子どもになったような気分になった。学校から帰るとランドセルを投げ出して原っぱに遊びに行った時と同じような気分で丘の上に立った。そこはBuffaro Jump と呼ばれる場所だった。古代ネイティブアメリカン達が目の悪いバッファローをここまで追いやってきて、この崖からから落として殺したという、そういう場所なのだそうだ。丘の上から遠くを見渡しても、眼下をのぞんでも、ネイティブアメリカンの姿は見えない。ただ彼らの残した聖なる丘、聖なる谷は自分達とは違う時計に従って時を刻んで、今も息づいている、そんなふうに見えた。



2002年08月02日

心の距離がどんどん近くなっていくのを感じてた…

しばらく風に吹かれていると、パットも夕日の写真を撮りにやってきた。その姿は聖なる丘からはアリのように小さく見えた。遠い昔「ごはんよ〜」と帰りが遅くなると原っぱに迎えにきた母親を思い出した。走って丘を下り、パットと二人でネイティブアメリカンテントの傍で夕日を見つめていた。空がグングン赤みを増し、テントの落とす陰がジワジワ長くなっていくのに反比例して、パットとの心の距離がどんどん近くなっていくのを感じてた。



2002年08月03日

第9日目(8月3日)
From Missouri River Lodge (Stanton ND) to Dickinson ND (278 miles)

My home is your home. ダイアンにそんな言葉で見送られ、なごり惜しい気持ちでいっぱいになりながら"故郷"のようなミズーリリバーロッジを後にした。どんよりとした雲の切れ間から朝の日差しがなんとか差し込もうと放射線状に大地を照らす。朝靄も残るひんやりとした空気を切り裂いて、ハーレー特有のサウンドを轟かせながら、畑を巡るワインディングロードを走るPack of Harley。なだらかな丘の上で草を食むHerd of Cattle。道のすぐ近くの柵にまできている美しい二頭のサラブレッド。農家の庭先ではシェビートラックに荷物を載せている老夫婦がこちらに向かって手を振っている。アメリカを縦断するハイウエイよりもこうした道は旅人の心を鷲づかみにしてくれる。



2002年08月03日

ガソリンスタンドで群れるハーレー軍団

94号線に戻ってDickinsonへ。ノースダコタに入ってからは給油に立ち寄ると必ず他のハーレー軍団がいる。だが、もう誰もどこへ行くのかとは聞いてこないし、お互い会話を始めることも少なくなってくる。なぜだろう?皆目的地が同じなのはわかっているからというのは確かだが、もうひとつ気が付いた。アメリカ人はどこから来たのかということから会話を始めないのである。これは、つねに明日にのみ興味を持っている国民性ということなのか、それとも、初対面の人にそのバックグラウンドを最初から聞くことになるような質問は避けているのか。イギリス人は天候のことから会話を始めるというが、それは話の内容から自分の社会階級がばれないようにしている為だとも聞く。もっともイギリスでは、その発音で社会階級やどこの地域に住んでいるかまでわかるというのだが…。  



2002年08月03日

Enchanted High Way

インターステイト94号線にもどりDickinsonを目指す。途中Enchanted High Wayと呼ばれる道を南下。ここにはバッタや鳥などの巨大なモニュメントがある。アメリカ人はこういった馬鹿げたほど巨大なものが好きだ。
ちょっと待てよ。日本にも大阪のカニや、浅草にはウンコ?そういえば碓氷峠には余ったセメントで作ったといわれる強大なカエルが座っていた。こういったモニュメントの大きさは国土の大きさと正比例していると考えられるが…はたしてヨーロッパにもあるのだろうか?これは宿題だ。



2002年08月03日

二人みたいに歳はとりたい…

Dickinsonのモーテルについて荷物を降ろし、そこからTheodore Roosevelt National Parkへ向かった。ペニーはパットの後ろに乗った。ノーヘルでしかもタンデムンで高速道路を70マイルで走行する。その二人の姿は美し過ぎた。風景に完全に溶け込んでいる。実にかっこいい。こんな風に歳はとりたいな…そう思った。



2002年08月03日

Theodore Roosevelt National Park

Theodore Roosevelt National Parkは地層の重なりが模様に見える美しい公園で、バイカーのみならずたくさんの家族連れがキャンプをしに訪れていた。広大な公園内を軽くなったロードキングを右に左に揺らしながら景色を楽しみ、そこに住む動物を探しながら走る。そんなに肥沃ではないであろう土地の上に力強く生える草、それを目当てにプレーリードッグやバッファローが生息し、彼らの糞が肥料にもなって、さらに大きな木々が育ち、小動物が増え、コヨーテなど肉食動物も棲息するようになったのだろう。そんなことを考えた。公園の素晴らしさ、ライディングのおもしろさ、前を走るキャロルのSpots Ster Hugerの排気ガスの匂いをかぶりながら、次のコーナーの向こうにはどんな景色が待っているのかワクワクしながら、時速35マイルで公園内をゆっくりと走る。



2002年08月03日

Shiney Side Up!

公園の外で、フロントマスクにバッタをいっぱい潰しているトラックを発見。その数が尋常ではない。そうか〜。今日こつこつバイクや足にぶつかってきたのはこのイナゴだったんだ。ヘルメットよりもサングラスなどの目を保護するプロテクターをどこの州の法律でも重要視しているが、あらためてその必要性を強く感じた。
「食事も済ませ、あとは寝るだけ」心も軽くして、夕陽を背に、今日最後のライディングを楽しんだ。小さな丸いバックミラーの世界に映し出される大きな真っ赤な夕焼け空を楽しみながら40分でモーテルに到着。インターチャンジ沿いにある、どこのモーテルの駐車場には、食べ物に群がるアリのようにハーレーがじっと息を潜めて停まっていた。ハーレーを積んだトレーラーを牽引したピックアップトラック、キャンピングカーも顔を揃え、いよいよ祭りが近いことを感じさせる。



2002年08月04日

第10日目(8月4日)
From Dickinson to Rapid city (282 miles)

朝早くからモーテルの外から生きのいいエギゾーストサウンドが聞こえてくる。若者たちが、シェビーピックアップトラックK−2500エクステンドに牽引されたトレーラーの後部のドアを開けてハーレーを降ろし始めている。Road King、 FLSTCにVROD。新旧のハーレーが揃い踏みだ。その図の美しくカッコイイこと。羨ましすぎる光景だ。どうやら彼らはここからはハーレーに乗ってスタージスに乗り込むらしい。祭りだ!祭り!!



2002年08月04日

荒野を突き進む!

イグニションに火を入れた。我々も今日スタージスに向かう。モーテルを出て右折、ルート22を南下し始めるとすぐに、あたりに家がなくなり、ほぼ直線の田舎道が殺伐とした牧草地、いや、何にも使っていない、使えない荒野と言った方がいいかもしれないのだが、どのくらい広いのかその大きさが現実のものとして捉えられないくらいのでかさで静かに淡々とそこにある。東京ドーム何個分というレベルで測れるものでなく、東京都がいくつというレベルでも言い当てていないように思える。「日本がまるごと1つくらい入るのではないか?」と真剣に思えるぐらい、とにかく、とてつもない広さでそこに横たわっているのだ。そして、100マイル進んでも10台も対向車とすれ違わなかった。それぐらい人に見捨てられてしまったような土地なのだ。



2002年08月04日

ライダー達のオアシス

ルート12と交叉して左折。やっとグローサリーストアーがあって、その店の横に古臭いガソリン給油機が野ざらしで2機あった。そこにスタージスを目指すハーレーの長い列ができている。ここで給油しなければこの先にガソリンスタンドがないらしい。一度通り過ぎていったハーレーもしばらくすると引き返してくる。雑貨店にはベニヤで作った棚の上にお菓子や日用品、野菜さまざまなものが乱雑に並べられている。店の奥にはバーがあって給油を終えたライダーが談笑している。室内の薄暗さとライダーのいでたち、ちょっとその中には入っていけそうにない。



2002年08月04日

雨の中をスタージスへばく進!

グローサリーストアーに着く頃から重たい雲が空を覆いはじめてきていたのだが、店を出てルート85に入るとすぐに雨が降り出した。ストームではないので雨宿りもせず、すばやくカッパを纏いシールドに顔をくっつけるようにして先を急ぐ。さっきまで荒涼とした土地が水を含むことによってその表情を一変させた。黒の世界、異次元の世界、月の上を走っているようにさえ感じられる。生暖かい風、不気味な匂い。非日常的な味わいがある。空も大地も神秘的なルート85を、雨がやまないものかと雲の流れを観察しながら水しぶきを飛ばしSturgisをめざす。自分達の進む方向に、薄くその奥にある日差しをすかしてみせている雲があるのを見つけると、さらに身体を前傾に倒して、青い空を迎えに雲の切れ間に突き進む。



2002年08月04日

ここが有名なスタージスなのか!

雲を振り切って、雨がやんで柔らかな日差しにつつまれた頃、Spearfishからインターステイト90に乗った。そこは群れるハーレーでいっぱいだった。視界に広がるハイウエイ上には両車線ハーレーが切れることなく行き交っている。みんな爆音あげてそれぞれのSturgisを目指している。我々はWhitewood で90号を降りDeadwood という町にはいる。そこで雑誌でよくみるハーレーがたむろう町の光景を目のあたりにする。
「これが有名なスタージスなのか!」
静かな山林の田舎町も一年に一度、このバイクラリーの期間だけはその様相を変えるのだろう。



2002年08月04日

Rushmore Mountain Cottage

ひとつの町を通り過ぎて、また次の町に移動するとそこにも道の両側に前輪を道中央に向けてハーレーがぎっしり停められている。そしてその奥のレストランやバーのテラスから、今年のハーレーの出来を品定めするかのように、多くのライダー達は通り過ぎて行く自慢のハーレーを眺めている。
我々はMount Rushmore、ここは4人のアメリカ大統領のモニュメントが彫られている山として知られているが、その山の麓のコテージを1週間借り、共同生活をする。



2002年08月04日

Bill and Denise

コテージにはすでに仕事の関係で遅れてたビルとデニースが待っていた。二人は夫婦なのかと思うぐらい仲がいいが、それぞれの連れ合いがハーレーにまったく興味がないので、ハーレーで自分自身を解放する際には夫婦別行動し、"ハーレー用のベストパートナー"としてつるんでいるのだそうだ。「ん〜難しい。わからない。」夫婦であっても個人の生き方を尊重する国民性ということなのだろう。



2002年08月04日

Mid Life Warrior

食事を済ませた後、みんなに集まってもらって、我家の子ども達が作った折り紙付き団扇をプレゼントした。想像以上に喜んでくれて…SURPRISE好きなアメリカ人の心をグッグっとつかむことができた。すると今度はリンが「私もみんなにプレゼントがある」とおそろいのTシャツを持ってきてみんなに配った。それが素晴らしいオリジナルTシャツで、ハーレーのロゴ、バーアンドシールドをかたどった中に Mid Life Warrior と Born to be mild 書いてある。Born to be mild が Born to be wild のパロディってことは分かりやすいが、Mid Life Warrior にどんな意味があるのかというと…。



2002年08月04日

お父さんが急に大型バイクに乗り始めるは"男の更年期障害"?

リンに聞いてみると、これは、もともと、「40〜50歳という年齢は、自分に自信をなくしてしまい、心配や失望で押しつぶされそうに思い込んでしまう危険性がる」という意味の Mid Life Crisis という言葉があって、それをもじった、Mid Life Warrior は「みんなそんな年齢だけど…これからの人生戦って行きましょう!」そんな心意気を表しているのだそうだ。実際、多くのアメリカ人は Mid Life Crisis を乗り越えようと、もう一度自分の人生を見つめ直し、若さを取り戻すような行動でている。バイクに乗り始めたり、刺青したりすることもそんな自分への挑戦の表れのひとつだろう。そういえば、日本の週刊誌では「お父さんが急に大型バイクに乗り始めるのを"男の更年期障害"」とコピーしていたのを思い出した。



2002年08月04日

"Wild " Bill !

10歳年上のBillとはルームメイト。
「Wild Billと呼んでくれ!」
ふっくらとした手を差し伸べられ、ギュっと握手をする。
「ホームページは隅から隅まで読ませてもらったぜ!お前はいい奴だ!」
アメリカ流の挨拶だ。すぐに打ち解けることができた。これから始まるスタージスでのバカンス!かなり興奮してきた!



2002年08月05日

第11日目(8月5日)
From Rapid city to Balck Hill HD Dealer (130 miles)

 朝から厚い靄がかかり今にも雨が降りそうだが、みんな早く町に出て行きたくてウズウズしている。今日は自分がスタージスにいる間、乗ることになるロードキングをレンタルしにディーラーへ最初に行かねばならない。みんなもそこでお土産を買いたいようで一台先のバイクしか見えない濃い霧の中を出かけることにした。
インターステイツ90号沿いのBlack Hill Harley Davidsonディーラーに入るのにインターチャンジから渋滞。ようやく店内に入るバーゲンセール中かと思わせるほどの人また人でごった返している。値段はみんな正規料金。自分には判別はできなかったが、ペニーが耳打ちしてくる。
「色々ななまりの人がいて、ここはどこ?って感じね〜」
みんな今年もスタージスにやってきたという証に記念Tシャツに長い列を作って買っている。



2002年08月05日

HD ROAD KING INJECTION MODEL

長い時間待たされて…ようやく今回借りるライトブルーのロードキングが目の前にやってきた。一週間950ドル。ここまでキャブのロードキングに乗ってきたので、インジェクションモデルの乗り心地が気になった。さそくまたがりながら簡単に始動の仕方の説明を受けてセルスイッチを押してみる。一発で正確にエンジンがかかった。スムーズな始動と反比例して始動直後のアイドリング時の振動が気になった。どことなくわざとらしい。本当はこの振動も押さえることができるのに、ハーレーらしさを残そうと味付けしているかのようだ。しかし、高速になるとその安定感は乗用車を思わせるほどで、信頼のおける乗り心地を実現している。どうだろう?自分なりの簡単なライドインプレッションだ。この日は、慣らしもかねて、Black Hills National Park周辺の道をぐるぐる回ってロッジに戻った。



2002年08月05日

PAT's New Bike!

午後パットとペニーと3人で、コンベンションセンターでのHOGの展示会に参加。Willie GのTシャツなど…またまた買いあさってしまう。
「スタージス初日なのにさすがにハイペースで買いすぎか?」
どこか心の中で妻に悪いことしている思いに駆られて外に出ると、我々のコテージのある方向が鈍い光を放った。雷が近づいている。Rapid Cityからコテージまでは40分はかかる。やはりポツポツと雨がシールドに当たるのを感じるとまもなく、激しい雨に見舞われた。叩きつけるような雨、近づく稲妻、目にできるのはライトに照らされて光る前を走るペニーのレインウエアーのバーアンドシールドだけ。
「パットならハーレーの限界点を知っているはずだから…このスピードでも大丈夫!」
そう信じて彼らのペースに合わせて必死についてゆく。自分一人ならこんなには飛ばさない。立ち止まって雨宿りしてるところだ。
 どうにか無事にロッジに着いて、びしょびしょになった頭に手をやりながら…ペニーが声をかけてくる。
How are you doing? 

その気づかいがまた嬉しい。こうしてハーレーの世界にまた深くハマっていく。



2002年08月06日

第12日目(8月6日)
From cottage to Custer national Park (110 miles)

今日はCuster National Parkへ行った。ここは自然を上手に残して野生動物を保護した公園だ。なだらかな丘をいくつも巡る道を回ると、湖があり、キャンプ場があり、プレーリードックの生息地があり、コヨーテの丘がり、ロバやバッファローに出会えるそんな場所だ。
バファローの群れが見えるところには、バッファローの数に負けないぐらいのバイクがズラッ〜と並ぶ。少し離れた所から見ていると、バッファローの方もハーレーを見物しているかのように感じられた。



2002年08月06日

BOOB SHOT!

見晴らしの良い丘の上でところで、若い10名ぐらいのグループが盛り上がって写真をとっている。普通のスナップ写真では物足りないのか、下着を取るように男達は言っている。
「どうする?やっちゃう?」そんな感じで大自然の中でポロン〜豊満な胸が風に揺れた。
It's your turn.ってことで次に男達がパンツを脱いで尻をこちらに向けた。
嫌らしくもなく、むしろさわやかな香りを残して若者のグループは去っていった。自分の彼女のオッパイをこういうノリで皆に見せちゃうっていうのは、どのくらいアメリカで暮らせば平気になるのだろうか。
Do you want to join that party? とキャロルに突っ込まれ、Yes, Of course.と答えたものの日本人であることを再認識させられた。
(アメリカンクールフレーズに詳しい写真が載せてあります。ぜひ!)



2002年08月07日

第13日目(8月7日)
From cottage to Black Hill National Park (135 miles)

今日はのんびりとRockervilleからルート385をLeadへ、そこで少しのんびりくつろいでから戻ってきて、その後、夕方になってクレージーホースへ見学に行った。
クレージーホースは勇敢なインデアンとの約束を守る一人の男の作業から始まったモニュメント作りで、彫られるインディアンの顔の大きさだけでも、ラッシュモアの大統領の顔の4倍だという。国家的プロジェクトではないのでいつ完成するのだろう。自分の小学生の息子が、今の自分と同じ年齢になった時には、その完成のニュースを知ることになるのだろうか。そんな壮大な一族の浪漫が感じられた。



2002年08月07日

Vacation in America!

アメリカで実際走ってみて気付いたのは、想像以上に中年ライダーが多いってことだ。「ハーレーに乗りたいけど、いい歳して乗れないよ。」そういう心の中でブレーキをかけるリミッターがアメリカ人には装着されてない。ぜい肉がレザーのベストからはみ出していたって気にしない。人と比べる前に、自分がやりたいことをやる。それが人生を楽しむコツなのだ。
バケーションの過ごし方にしてもそうだ。先を急いで沢山の観光を名所を見て、お土産買って、そんな窮屈なことしない。太陽が頭の真上にある時は、ジャグジーに浸かって、ワインを飲んで、好きな本でも広げて、昼寝する。訪れた名所の数ではなくて、ゆったりとした時間を過ごす。そうした時間に身を委ねることこそが貴重なのだろう。



2002年08月08日

第13日目(8月8日)
From cottage to Custer and Keystone and Rapid City (116 miles)

午後になると、大統領の顔が陰になってしまうので、朝一番でMount Rushmoreへ行った。5分くらいの距離だったのでほとんど他に観光客もいなかった。抜けるような空の青さとすがすがしい高原の空気は、壮大なモニュメントをひときは厳かなものに感じさせる。



2002年08月08日

自然が創るディズニーランド!

午後は再びCuster National Parkに入り、前回とは違うKeystoneに抜けるルートをとった。この道はバイカーのために作られたジェットコースターといった感じで、草原あり、林道あり、岩山あり、カーブを描く木製の橋はあり、トンネルを抜けた向こうにはRushmore のモニュメントが見えるといった演出もあって、自然をさりげなくデイズニーランドのアトラクションのひとつにしてしまうその巧妙な技にただただ脱帽だ。どこへ行っても同じようなガードレールに囲まれた道をつくる行政とはあきらかに異なり、そこにある自然に上手に人の手を入れるアメリカ文化に深く共鳴してしまう。



2002年08月09日

第14日目(8月9日)
From Cottage to Bad land (222 miles)

Keystoneからルート16を北上しRapid Cityに入る直前を右折しルート44を東に向かう。気持ちのいい田舎道を1時間くらい走るとBad Land National Parkがある。ここはセメント色した土の層と赤茶けた土の層が交互に織り成した土地が風雨にさらされ侵食してできた国立公園だ。それにしても、いつ、どのくらいの時間をかけて、どうやって自然の力はこういう場所を作り上げてきたのだろうか。草木が生えることを拒絶した広大な土地。同じ地球の上で、こういう地形を残していること自体が不思議でならない。いや、草木が生えず生物が入り込んでこないと大地というのはこういう状態になるものなのかと考えてしまう。たまにツーリングにくるだけなら、日常からかけ離れた雰囲気漂う最高の場所だが…、その昔、白人にこの土地を与えられたネイティブインデアンはどんな思いでこの景色を目にしたのであろうか。歴史をひも解きたくもなる。



2002年08月09日

Sturgis Night!

夜、スタージスにでかけた。アメ横やどこかの祭りの出店と同じようなノリで、もともとそこにあるお店とラリーの期間中だけバイク用品や食べ物を販売しているテントが軒を連ねている。そこにバイカー達が自慢の愛車を見せびらかしながら、メーンストリートを行ったり来たりする。ここはどこかの町と町とを結ぶ通りではないので、行き交うバイクはみな、見てもらうことを前提にした特徴的なバイクばかりだ。電飾をド派手につけているバイク、ジャットエンジンを積んで炎を上げて走るバイク、インディアンの服装で目立っているバイク、金髪グラマラスなネーちゃんでドレスアップしているバイク、通りを眺めているだけでも十分楽しい。さらに人並みに流されながら歩いていると男達が輪になっているところがある。輪の中心にはセクシーな女性がいて、男達にはやし立てられオッパイをポロンとさせてくれたりする。さすがにスタージスラリーの中でもここだけはアウトロー的な要素が強く感じられた。



2002年08月10日

第15日目(8月10日)
From Hill City to Newcastle 184 miles

スタージスに来てからずっとワイオミング州にあるDevil's Tower National Parkへ行こうと計画していたのだが、天候に恵まれずそこまで足をのばすことができなかった。そんな思いがあったので午前中Hill Cityで買い物した後、アニーとリンとキャロルがワイオミングまでツーリングに行くと言うので付き合うことにした。Custerを右折Newcastleまで行きLeadを抜けて帰ってくるといったルートだ。
先頭をいつも走るパットがいないせいか彼女達の口も滑らかだ。アニーが「パットが右だと言って、ペニーが左だと言えば、私達はペニーについていくわよね〜。ここまで走ってきてよ〜くわかったわ。」リンもキャロルも大きくうなずく。
途中山火事に見舞われ全体的に黒く木の幹だけが突っ立ている山を目にする。こうして次第に土地は豊かになり、さらなる生命の誕生を迎えいれる準備をしていくものなのか。ワイオミングの看板のあるところで写真を撮って、快適な午後のツーリングを楽しんだ。



2002年08月11日

第16日目(8月11日)
From cottage to Riverside camping ground 114 miles

 午前中、1時間半、馬に乗った。ハーレーで闊歩してきたスタージスを馬でも巡ってみたかったからだ。しばらく喧騒を忘れ、この土地の日常の静けさを味わった。
 午後、パットとペニーとバイクを返しに行き、帰りに再びペニーのロードキングに乗りながら考えた。
スタージスの凄さはどこにあるのか。
バイクが途切れることもなく、爆音を上げて町を我がもの顔で走る。アウトローなカッコはしていても暴走族とはちがって町や自然を破壊することはなくルールは守り、必要以上に他人を威圧したり、挑発して喧嘩の相手を探しているという様子もない。それでもやはり日常の社会通念のレールを外れた"異界"だからこその熱気というものがスタージスには溢れている。そういう空間だった。



2002年08月11日

It couldn't be better!

アメリカをハーレーで走り、実際3週間をともに過ごしてみて、まるで子どもの頃の宝探しを楽しむように驚きや発見の連続だった。ハーレーはアメリカの文化だって肌で感じることもできた。
道はまっすぐなのにその先が見えない。向こうにはどんな景色が待っているんだろう。そう思ってスロットルを開き、心の中で「おおおお〜っ!」とか叫びながら好奇心いっぱいに道の先に目をやると、さらに遥か彼方まで大地に道が刻まれている。その雄大な眺めに心をおもいっきり揺さぶられながら、またさらにあの道が消えている山の向こうには何があるのだろう。新たな謎が沸いてくる。走って走って走りぬけば、その先に答えが待っていると思っていた旅であったが、実際走ってみて気が付いた。走っても走ってもさらにその先の景色がみたくなる。あっ!人生ってこれだって…人生って"発見の旅"なんだ。"しあわせ"って止まっている中にあるものじゃなくて、走りつづけるってことのなかにあるものだって。
ワイルド・ビルが別れ際に言った言葉が忘れられない。
Keep on riding, you won't lose your way. We will meet again somewhere else.
「お前走りつづけろよ!そうすりゃ道に迷うこともないんだから…またどこかで会えるから…」
そして固く抱き合い帰路についた。

帰路
8月12日From Hill City to Sioux Falls (376 miles)
8月12日From Sioux Falls to Wisconsin Dell (378miles)
8月13日From Wisconsin Dell to Howe IN (333 miles)
8月14日From Howe IN to Fredonia NY (361 miles)
8月15日From Fredonia NY to Amsterdam NY ( 316 miles)
8月16日From Amsterdam NY to Salem NH ( 222 miles)
8月17日( Salem town riding  97 miles)
8月18日From Salem to Maine State (156 miles)



2002年11月13日

クラブハーレー社 表敬訪問!

今回“クラブハーレー”という雑誌で紀行文を載せて頂けるというチャンスに恵まれました。とても貴重な経験でした。ありがとうございました。
そして、また、2003年もアメリカを走りたいっていう気持ちで…ワクワク…ルンルンしています。




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