最終回 臼井光昭 全身が伸び切りリラックスした儘波に揺れていると、総ての物から解放された体から魂が抜け出し、空の上を飛び回っている様な錯覚に陥った。白い砂浜から反射する光と降り注ぐ光が、眩しすぎる空間を作り出している。山の影で食事が配給されている。オレンジ1個、ゼリー4個、ケーキ1個、サラミ1本を受け取り、夫々山の陰に入る。山は海に迫り出していて、岩が幾つかの空間に砂浜を分けている。調度日陰になったその空間に各人が入り、個室に収まって休んでいる。斜めに溜まった砂は、リクライニングシートの様に快適で、サラサラした砂は気持ちよかった。山影から目も眩むように光り輝く空間を眺める。カヤックを上げた砂浜だけ長く突き出し、障害物のない広々とした空間を作り出している。昼食の終わった人達は、個室に入り昼寝を始めている。時間は1時だ。仲村さんと数人の人達は、流木を探しに島の回りを波打ち際に沿って歩いていった。平野はハテ島と中島の間の水道を泳いでいる。島と島の間を流れる海流はかなり速く、浮かんでいるだけだとアッという間に流されてしまう。流されないように流れに逆らって泳ぎながら水中を観察する。強い流れが砂やごみを洗い流し、美しい珊瑚の群生に群がる熱帯魚が泳ぎ回っている。珊瑚の影にハナミノカサゴが2匹隠れていた。種類も数も豊富な水道を後にし、島に沿って泳いでみる。流れの少ない浅瀬が何処までも続き、流されてきた砂が珊瑚の上に積もり、何処と無く濁った海を作っている。魚の数も少なく、単調な風景を眺めながら前島に向かった。
前島と中島の間の水道も流れが速く、透き通った海に魚たちが群がっていた。前島は、昔、人が住んでいたらしいが、今は夏場だけ人が住んでいる。そのため、今回のアイランドホッピングの目的地から外されることになった。中島から前島を眺め上陸するか迷ったが、人が住んでいると思うと興味も半減してしまい、結局、キャンプの設置された砂浜に戻る事にした。
無の世界に飲み込まれた意識が戻り、砂の布団の上でまったりとした時を過ごす。光の空間は相変わらず輝いている。心地好い痺れを味わい、寝ぼけたままの頭で光の海を眺めた。動き出した頭が時間を気にしている。午後5時を少し回ったところだ。3時頃眠りに着いたのだから2時間ほど寝ていた事になる。他の個室が気になり覗きに行くと、平野と伊藤さんは砂の上で何やら話していた。中野さんは焚き火の側にたっている。焚き火にかけられた鍋から湯気が立ち夕食時が近いことを教えている。焚き火を取り囲む輪が少しづつ膨らみ、燃え盛る炎と池上君を中心に集まってきた人達は砂の上にしゃがみこんで薄暮の空間を漫ろな目で見入っている。海に潜って漁をしていた加藤さんが台湾サザエと岩シャコ貝を捕って戻ってきた。岩シャコ貝は岩の間に入っているシャコ貝で、なかなか捕ることは出来ないが、たまたま脆い岩だったので岩を砕いて取り出す事が出来たらしい。早速さばいて貝の刺身にした。全く臭みが無く、シャキシャキした歯応えが心地好く、適度な塩味がバランス良く調和している。初めて味わう味は、何処にでもある人工的な美味しさでは無く、自然の中に溶け込んだあっさりとした味覚を味合わせてくれた。 夕食の準備ができると池上君が焚き火のそばに立ち、散らばっている人達に知らせてくれる。その声を聞きつけ食器を持って焚き火の回りに集まって来た人達は、各自自分の食器に盛り付けていく。今晩のメニューは、高野豆腐と台湾サザエの入ったダコ汁とライスとサラダだ。台湾サザエは10個に1個は当たるらしい。池上君は皆に説明しながら平然と汁に入れ、食べることが当たり前のように調理した。ツアーの参加者は、その動作を見ながら動揺するでも無く、当たり前の事のように眺めていた。集まった人達を眺めながら、自然の中に溶け込んだ感覚が、全ての観念と基準を変えてしまったように思えた。 闇に覆われた砂浜は、オレンジ色の炎に浮かび上がり、食事を終えた人達の輪が出来上がっていた。オレンジ色に浮かび上がった人達の顔を眺めながら自己紹介が始まる。今回は学校の先生が半分、薬品会社やテレビ局の会社員などで構成されていた。みんな神奈川、東京、埼玉の出身で、隣近所に住んでいる様な親近感が沸き上がる。仲村さんがショップの表向きの代表で、池上君が毒の研究者だった。ショップの実質の社長は、我々に親切にしてくれた女の人だった。お互いの事が少し分かり、気心が通いあう。昨日より小さくなった那覇の光をハテ島に脇に見つけた。話は星の話題になり、天の川や流れ星、星座の話が中心になる。闇にちりばめられた無数の輝きを、砂に横になり会話を聞きながら眺める。見つめていた星の光が、一瞬の内に移動したように見える。個室に戻って寝ようと思ったが、闇に包まれた空間に移動することにためらいを覚え、人の温もりを感じる焚き火の側で寝ることにした。
10時を回った頃、人の話し声の様な囁く声が聞こえてきた。耳の錯覚だろうと思ったが、少し気持ち悪くなる。寝ぼけた頭は直ぐに出来事を忘れ、闇の世界に入っていった。
まだ暗いうちに目が開き、星のきらめきの残る空を砂浜の感触を体全体で味わいながら眺める。昨夜の様に流れ星を見ることはないが、衰えること無く輝き続ける無数の小さな光の点を、涼しい朝の空気を感じて見つめた。
砂浜に戻り、潮が引いてむき出しになった海底を歩いていくと魚が潮溜りで飛び跳ねていた。鯊とは違うやや大ぶりの魚を追いかけ回して掴まえた。仲村さんに魚の種類を聞くと、イワシだと答え、直ぐ掴まえた場所に探しにいった。魚屋で見るイワシよりやや平べったい体型をした魚は、運が良いと潮溜りに大群が取り残されている事があるそうだ。今回は居なかったが、潮溜りでもう一匹掴まえ伊藤さんと分ける。爪で鱗を剥がし生きたまま齧る。内臓と頭はさすがに食べなかったが、全く癖のない自然な味で、野生のまま過ごしている実感を与えてくれた。伊藤さんは魚を焚き火で炙っていたので、少し貰い食べてみる。肉の旨味が現れ、文明の匂いを感じさせてくれた。
朝 食を終え、平野がハテ島との間にある海峡を泳いでいる。昨日は流れが強かった所だ。出発前に潮が引いたときの状態を確認するため泳いでみる。昨日までの流れが完全に止まり、澄んだ海底に色とりどりの魚と珊瑚を観察できる。海の中にある大きな岩の上を眺めていると、保護色をした細長い魚が岩の窪みでじっとしているのを見つけた。最初は海蛇の子供かと思ったが、とんがった口に尾鰭と背鰭があり魚の特徴を持っている。ヨウジウオは、動きが遅く手で触っても僅かに動くだけで逃げようとしなかった。初めて見る魚に興奮し、暫く泳ぎ回ってキャンプに戻った。
9時45分にカヤックを海に浮かべて出発した。食料と水が減りだいぶ軽くなったが、それでも4人で持ち上げて調度良い重さの舟に乗り込み、浅くなって岩が露出した海を深場を探しながら進んでいく。リーフの外に出る前で深場が無くなり降りて舟を引くことになった。ゴツゴツした海底は歩きにくく、水の抵抗で足取りも重い。ようやくリーフの縁に辿り着き、カヤックに乗り込んでスプレーカバーをコックピットに被せる。さあ出発だ。渡嘉敷島と儀志布島(ぎしっぷじま)の間の海、シル(瀬戸)を目指し一団となって進んでいく。心なしか今日が一番体が軽い。体が野生に帰ったからだろう。出発前に伊藤さんが仲村さんに毎晩何度も目が覚めてしまう事を訴えていた。仲村さんも毎晩定期的に目を覚ますが、それは体が野生に戻ったせいだろうと答えていた事を思い出す。野生の生き物は、布団に横になって熟睡することはない。常に危険と隣り合わせなのだから自然に目が覚めるのだろう。野生という言葉を新鮮な気持ちで心に焼き付け、野生の心に戻ってカヤックを操作した。
黒島を右手に眺め、遠くにゴリラの顔のような島を見つける。男岩(うがん)だ。儀志布島の近海は、大きく波が盛り上がり白く砕けた波が寄せている。海が浅くなっているのだろう。先を行く船団が数十羽のアジサシの群れが乱舞する光景をパドルを休めて眺めている。その先に大きな島が横たわっていた。渡嘉敷島の緑に覆われた山並みに白い筋が小さく見える。この島には滝もあるのだ。シルはもう目の前だ。乱舞するアジサシの群れにカヤックを入れると、群れは散らばり別の海域に飛び去った。
キャンプに戻り昼食を取る。大きめのケーキ一切れ、グレープフルーツ、トウモロコシ、ビスケットを食べ、海に入った。強い流れを横切り向かい側の儀志布島に向かう。強い流れは海底の砂を持ち去り、素晴らしい珊瑚の群生を作り出していた。大きく切れ込んだ海底にテーブル珊瑚や枝珊瑚が密集し、その回りを今まで見たこともない程種類の豊富な魚たちが泳ぎ回っている。色とりどりの魚たちの中で取り分け目を引く魚が泳いでいた。ナンヨウハギは、目に焼き付くようなコバルト色をブルーの海で引き立たせ、黄色い尾鰭がワンポイントになっている。流れに逆らって追いかけてみる。狭い瀬は舟や人が入り込んでないのだろう。全く荒らされていない海底を夢中になって眺めていく。潮通しの良い澄んだ海を横切って儀志布島の砂浜に辿り着いた。島に沿って泳いでいくと、白い砂地に溶け込むように大きな魚が2匹泳いでいた。体形から考えてコバンアジだと思うが、こんな浅瀬にこんなに大きな魚が泳いでいるとは、驚きと共に嬉しくなって一緒に泳ぎ回る。ゆっくりと泳いでいく魚を追いかけて行くと、フウライボラの大群が目の前を横切って行った。縦横無尽に泳ぎ回るボラの群れを追いかけ、岩場に出るとツバメウオにそっくりな大魚が1匹ゆっくりと泳いでいく。近付いてみるが、全く逃げる素振りが無く、逆に後ろから付いてくる。手を伸ばして触ってみようとすると、素早く体をかわし近くを泳ぎ回る。ペットの様な不思議な魚と暫く泳ぎ、瀬を渡って戻ることにした。先程まで激しく流れていた水が、完全に止まり湖の様になっている。潮が完全に止まったのだろう。干潮から満潮に変わり、潮の流れも逆になり、暫くすると激しく流れ始める筈だ。流れの止まった海底を眺めながらキャンプに戻った。
照り付ける太陽が砂浜を銀色に輝かせ、僅かにできた日陰に入って午睡を楽しむ。暖かい砂が体を包み込み、直ぐに眠りに就いた。
爽
快な目覚めを迎えた日の朝は、海の色も空の色も砂の白さも輝きを増して迫ってくる。那覇を出て4日目。今日が最終日かと思うと、暑く照らし出された景色と共に黒く日焼けした体もほてりを増し、流れの向こうに佇む無人島がより大きく崇高な物に見えてくる。波打ち際に座り何処迄も澄んだ海を眺め、その上に座り続けた日々を思い出していく。海の上にいた4日間は33度を記録し、那覇の最高気温を更新していた。照り付ける太陽と渇き喘いだ肉体との戦いの日々も懐かしく思えてくる。光り輝く色彩に酔い、夜の闇に浮かび上がった那覇の光に文明の温さを感じ、零れ落ちそうな星の光や砂浜を埋め尽くしたヤドカリの群れ、大空を飛び交うアジサシの群れも一瞬の光を放ちきらめきながら消えていく花火のように目の前に蘇ってくる。沖縄に来て11日目を迎え、羽田を飛び立つとき食べたあづさからの差し入れの御握りの味が思い出される。感傷に似た思いを水平線の彼方に見付け、走馬灯のように浮かび上がってくる出来事に僅かな間浸り、目の前を流れていく流れの中に入った。
終わり。
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