沖縄三昧紀行
第8回 臼井光昭
  嘉島に渡って2回目の朝がやってきた。夜は早く朝も早い生活には慣れているが、寝ている途中で切れる有料クーラーには辟易した。ジワジワ襲ってくる暑さに目が覚め、だれか100円入れてくれないか寝ぼけた頭で待つ辛さは蛇の生殺しに似ている。それでも暫くするとぶつぶつ言いながら起き上がりお金を入れてくれる人がいるので、辛さをじっと絶える事になる。男部屋では決まって森谷君がその役目を果してくれた。女部屋は誰か分からない。奇特な人達のおかげで毎朝早起きが出来ると思うと早起きにも一層力が入る。今朝も伊藤さんが起き出し、次々に夜明けのコーヒーを飲みに屋上に集まる。その顔ぶれの中に何時も森谷君と中野さんと彩ちゃんが居ないのは気のせいだろうか。

 今日もゆっくりと太陽は上り、ラジオ体操の音楽と共に強烈な暑さで島を照らし始めた。島中を飛び回るイソヒヨドリの高い声が響きコーヒーの甘さに活力を呼び覚まされる。7時30分に朝食を取り、8時30分には港で船を待つ。時間が少し有ったので港の脇の前浜をうろついてみた。木陰に張られたテントの前で一人で海を眺めている女性に声をかける。昨日のダイビングのとき同じ船に乗り合わせ伊藤さんと話していた女性だ。九州大学探検部の4年生でテントの持ち主だ。一人でダイビングのライセンスを取りに阿嘉島にやってきたらしい。過去にアイルランドの川をカヌーで下った事も有り、そこの川は川下りには調度良いと言っていた。世の中にはいろんな人が居るものだ。軽く挨拶を交わし港に戻った。

日の船は漁船をチャーターしたもので、その船に乗るのは我々9人とガイドの出口さんだけだ。ポイントは佐久原の鼻(サクバルノハナ)という名前で、船で5分、港から右に見える切り立った岩礁の下辺りだ。サクバル奇岩群と呼ばれ、展望台も岬の先端にある。幾つもの切り立った岩の間を波が洗い、潮の流れも速そうだ。出口さんが先に入り流れを読んで漁師に指示を送っている。船が安定したところで我々も海に入った。流れが速く、海に入ると直ぐにロープに掴まり潜航した。海底に着くと流されないように岩に掴まったり岩影に入ったりして全員が揃うのを待つ。流れに逆らって岩影を泳いでいく。岩から離れ潮通しの良い所に出そうになると、出口さんから流れの中に出ないように指示される。ここの流れは前浜に向かって流れているので流されたら浜で待っているようにいわれた。気合いが入り適度な緊張が集中力を高めている。両側に切り立った崖の間を流れに流されないように進んでいった。そして、岩の間を抜けると深く青い世界がぽっかりと口を広げていた。大きく開かれた青一色の広場が目の前に広がり、深く透明な色合いに刺激された体が青い広場に飛び出して行きそうな錯覚に襲われる。華やかなブルーに覆われた宮殿の広場を連想させる空間を後にし先に進んで行った。流れは依然早く、注意しながら泳いでいく。回りを取り巻く岩壁の間をロッククライミングの様な格好で水平に這っていく。疲れを感じるよりも目的に向かって突き進んでいる時の充実感の方が強く、気持ちの高ぶりを感じる。方向はガイドの後を付いていくだけなのでどの辺りを進んでいるのか分からないが、水の流れが変わった事から船に向かっていることを感じる。流れに乗って岩の間を進んで行くと、岩壁に洞窟が開いていた。入り口から洞窟の内部をライトで照らすと、光の中に魚の群れが浮かび上がってきた。キンメモドキの群れを掻き分けて洞窟に入ると、徐々に狭くなり行き止まりになってしまった。後退りでやっと穴から抜け出す。洞窟の外は流れが速く、その流れにのって進んでいくと青い広場に戻る事が出来た。崩れ落ちた岩が幾重にも重なった海底を泳いでいくと船を繋ぐロープが目の前に現れる。海底から伸びたロープを辿って行った先に、鏡のように輝いている海面を見つけ、黒く浮かび上がった船底を見つめた。地形が入り組み激しい流れに翻弄された海中散歩は、スポーツの後の壮快感を体に与えてくれた。

船に戻ると朝の爽快感を漂わせた光が迎えてくれた。船の移動に時間が掛からなかったので、まだ時間は10時過ぎだ。ゆとりと達成感を胸に港に戻ると、売店はまだ準備中だった。売店で働いている人に無理を言いかき氷を買う。緑色のシロップの掛ったかき氷を木陰に座り口の中に運ぶ。冷たい刺激がほてった体を駆け巡り頭の先から太陽の下へ抜けていった。明るくゆったりとした光の中できらめきを増して行く海面だけが、動きを止めてしまった南の海に変化を与えていた。

 前浜のビーチは波打ち際から50メートル程のところにテトラポットが並べられ、波消しと砂の浸食を防ぐ役目を果たしている。太陽の陽射しの下、むき出しの儘横たわっている純白の砂浜を歩いて海に入る。生暖かい海水に顔を浸し水中メガネから見える景色を注意深く観察する。真っ白い砂浜が何処迄も続き生き物の気配がない。先に入った津田ちゃんは、テトラポットの付近を泳いでいる。流れがある所ではテトラポットに吸い込まれて溺れる事もあるので、少し危険だと思ったが沖を目指す。沖に行くと珊瑚が現れ魚が泳ぎ回っていた。テトラポットまでの海に期待しなかった光景が広がり景色を追い求める事に夢中になる。テトラポットの回りには砂が滞積し遠浅になっていた。テトラポットを回り込み外海に出ると水の色が変わり、魚の動きも生き生きと感じられる。素早い動きの魚を追いかけてみるが、水の流れと下がった水温が気になり中海に戻る。海に入ったときは気付かなかったが、体の至る所がチクチクする。全く見えないがクラゲが居るようだ。海から上がり木陰に入る。後から上がってきた津田ちゃんが小さいクラゲがいっぱい居たと言っていた。

当の昼食を取り、今日2本目のポイントに向かう。嘉比海底砂漠(ガヒカイテイサバク)は座間味島と阿嘉島の間に浮かぶ嘉比島の北東に位置する。嘉比島は無人島だが、座間味から観光客を渡しているため光り輝く砂浜にビーチパラソルが立てられ、その下に白い椅子に座った人の姿が見える。横にいた中野さんがここでダイビングのライセンスを取ったと嬉しそうに話しているのが聞こえる。こんな綺麗な所で取ったのだから感激しただろう。話を聞きながら準備に取り掛かった。今回は伊藤さんと彩ちゃんはパスしたので7人で潜ることになる。明るく伸び伸びとした空間が体の力を抜いてくれる。真っ青な海の中は、海底を覆う砂浜が透明な藍色の空間に吸い込まれるように続いていた。青いベールに覆われた砂漠の上をゆっくりと進んでいくと、出口さんが砂の上に跪き遠くの方を凝視している。我々も近寄り視線の先を追いかける。ホワイトボードでヤシャハゼが居ることを伝えてくれる。この魚は回りの動きに敏感なため、砂地に腹這いになって相手の動きを観察する。回りの景色と同化しているため、長く伸びた背びれでやっと見つけることが出来る。目が慣れてくると他にも見つける事ができる様になり、顔を砂地に近付けて更に多くの固体を探し求める。回りでは同じ様に腹這いになった仲間達がカレイの様に砂にしがみついていた。  月の砂漠を散歩しているような空間から港に戻る。帰りの船の上からニシ浜が見え、道路が山の上の方に続いている。この道はダムを作るための工事用の道路で島を一周することは出来ないそうだ。午後の行動を頭に描きながら説明を聞いた。

本目のダイブは港に着いて50分後に出発した。横井さんは夕べ風邪をひいたため耳抜きが上手くいかず3本目はキャンセルすることになる。俺と二人で港から出ていく船を見送る。その代わりに伊藤さんと彩ちゃんが船の上から手を振っている。その姿が堤防に隠れる頃、宿に戻った。宿に戻ると直ぐに器材を洗い空いている空間に干す作業に取り掛かった。明日はこの島から那覇に戻る日だ。水が溢れる水槽の中で今まで使った器材を丁寧に洗っていく。横井さんは一足早く洗い終り、シャワーを浴びに風呂場に向かった。溢れる水が流れ落ち足元を濡らしている。ふと気が付くと照り付ける太陽を浴びブロックの脇に咲く赤い花が咲いていた。

 ジョギングスタイルで宿を飛び出す。今日は阿嘉島の山に登ってみよう。阿嘉小中学校の前の道をニシ浜と反対方向に向かって走り始めた。暫くは家々の間を縫うように走るが、直ぐに山の中に入った。陽射しを遮るように生い茂る木々の間から、草をかき分けながら遠ざかっていく音が聞こえてくる。足を止め林の中を目を凝らして見るが、何も見つけることが出来なかった。比較的大きな物が動いた音だったので、おそらくケラマ鹿だったのだろう。少しがっかりしながら先に進んで行くと脇道があった。草に覆われていたので注意しながら入っていくと、家の土台だけが草の中でその存在を示すように残っていた。昔はここにも人が住んでいたのだろう。家が無くなった理由を考えると、物悲しいような怖いような不思議な感覚が襲ってくる。背筋に凍る様な感覚を覚え逃げるようにその場を立ち去った。

 その場から少し登っていくと島の年寄りたちが草刈りを済ませて休んでいる所にぶつかった。彼等は最初不思議なものが現れたといった雰囲気で眺めていたが、通り過ぎる時にこやかに挨拶をしてくれた。その雰囲気に飲まれるように思わず挨拶を交わす。こんな山奥の草刈りをする理由を考えながら急な坂道を登って行く。心臓破りの坂道は何処迄も続き、登り切ったところに公衆トイレが建っていた。そこから少し上がったところが島の最高峰中岳に建つ展望台だが、更に奥を目指す。今度は下りなので少し楽だが、帰りのことを思うと足が重く感じられる。覆い被さっていた樹木も無くなり、下の方に真っ青な海が広がっている。その中にシーサーVに似た船が泊まっていた。平野たちは今頃海の中で散歩を楽しんでいるだろう。アスファルトの色が真っ白になる程強い陽射しに照らされた下り坂を一気に下っていくと道の脇に廃車が放置されていた。廃車が作った影に鋭い目をした猫を見つける。総てが消えてしまいそうな光の中に僅かに黒い影があり、その中からじっと睨め付ける鋭い目に気押されながらその場を通り過ぎた。

 道はドンドン下っていき大きくカーブを回った所に後原(ウシバル)展望台の入り口があった。草が生い茂り細くなった道は行く者を拒んでいるような錯覚を与えている。迷いながらそこを通り越し道の終点に向かう事にする。海岸に突き当たった所が道の終点だった。50CCのバイクが止められ、岩場で釣りをしている叔父さんがいた。ゆっくりしている時間が無かったので、直ぐに引き返す。来るとき下りだった坂は、登りになり照り付ける陽射しの下汗だくになる。時折降ってくる天気雨が唯一の救いだった。

想以上にアップダウンが激し過ぎたため、民宿に戻るとダイビング組が戻っていた。皆でじゃんけんをして負けた者が他の人の器材を洗っている。平野が負けたらしく、冗談を言いながら動き回っていた。部屋に戻ると伊藤さんがのんびりとクーラーの利いた部屋で休んでいる。3本目は海亀が見れたらしい。今回のダイビングで一番の大物だろう。山の上から見たダイビングの船が、平野たちの乗った船だったのか確認出来ぬまま夕食の時間になる。夕食は沖縄そば、ぎょうざ、卵炒め、刺身で今迄で一番豪華だった。今晩で最後かと思うと酒が進み、ほろ酔い気分でログ付けまでの時間を過ごした。 8時に出口さんが民宿に来てくれた。ビデオを見ながら今日1日のポイントの説明をしてくれる。ビデオの中に自分の姿を見つけ嬉しくなる。魚の名前を記録しながら写っている魚と比較する。最初は気合いが入っていたが、段々眠くなり終わる頃にはその場に居るだけになっていた。  10時に平野と横井さんと3人で民宿の前の居酒屋白鯨に行く。生ビールで乾杯をした後、ソーミンチャンプル、刺身、ミソトウフイタメを摘みながら話をする。暫くして文代さんと津田ちゃんも合流して5人で11時30分まで飲んで民宿に戻った。離島の居酒屋だったので他では見れない特徴を期待していたが、地元のラジオで放送された録音を流しているだけで小綺麗な店内から何も感じることが出来なかった。

時ごろ伊藤さんと二人で民宿を出て阿嘉大橋に向かった。まだ暗いなか外に出ると強風が吹き荒れていた。橋の欄干の影に隠れてお湯を沸かす。豆を挽きながら月と星を眺める。強い風がコーヒーの香りと共に風情を感じる心も飛ばそうとする中、景色だけがいつもと変わりなく輝いている。気が付くと他のメンバーも橋の上でそれぞれ島の景色を感じていた。太陽が登り明るくなってきた東の空を雲が覆い、橋の上から朝焼けを見ることは出来なかった。吹き荒れていた風は、日の出と共に収まって行った。西の空を夕焼色に染めていた光が薄れていく。コーヒーを味わいながら橋の袂を眺めていると、雌のケラマ鹿が集落の中から現れ森の中に消えていった。

 すっかり明るくなり風がおさまった中を民宿に戻る。部屋では森谷君だけが布団にくるまっていた。朝食を食べ出発までの時間をのんびりと過ごす。器材を宅急便で送る準備をしたり、集落の中を歩き回ったりした。民宿から少し行った所に神社が有ったが、僅かばかりある境内にすら入る事を躊躇させる雰囲気を漂わせていた。また、細い路地の角には石敢当(イシガントウ)と書かれた魔除けがあった。沖縄のマジムン(魔物)は曲がるのが苦手で、真っ直ぐ進んでくるため石敢当で侵入してくるのを防ぐらしい。派手やかで過去の習慣など一切拘らない自由奔放な雰囲気を漂わせるダイバー達の天国の片隅に昔ながらの慣習が強く息づいていた。それは島にしっかりと根を張りウチナーンチュ(沖縄人)の持つ激しい強さを南国の暑い空気の中に漂わせていた。

後2時の船で那覇に向かった。阿嘉の港は照り付ける光で輝きを増し、海の色が浮き上がってくるような迫力を静水から発していた。静けさの中に表面だけの思いなど一切受け付けない強さを漂わせ、暑さと共に総てを飲み込んでいった。

3時30分に泊港に着く。6人が羽田に向かい、3人が沖縄に残る。9人で過ごした4日間のお別れに食事を取りに国際通りに向かった。照り付ける太陽は容赦なく光を注ぎ、むき出しの肌から大粒の汗を吹き出させる。排気ガスに塗れ、まとわり着く汗に辟易しながら裏道を歩いていった。国際通りに出る前に、インド人が働くカレー専門店が目に入った。綺麗に装飾を施された店内は冷房が利いて、いかにも涼しそうな雰囲気を漂わせている。慣れない味に疲れた体はカレーの強烈な刺激と懐かしさを求めていた。洒落た作りの店内に入ると冷たい空気が、まとわり付いていた総ての物を体から解放してくれた。さっぱりとした気持ちで注文をする。ホッとした気持ちが無口にさせる。ビールを飲み、専門店のカレーを食べた。ゆっくりとした時間を楽しみ、ここで別れることにした。


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