沖縄三昧紀行
第4回 臼井光昭

護市は西海岸沿いに市の中心があり、ヘリポート建設を予定されたのは東海岸の辺野古(ヘノコ)付近、キャンプ・シュワーブ沖だ。途中、本島最大の慶佐次(ケサシ)のマングローブ林を通過するが、道沿いに立てられた綺麗な建物が目に入り人の手が入り過ぎてしまった雰囲気を漂わせていた。順調過ぎるくらい順調に国道331号線を走り、目的地を通過してしまった事を途中で気付く。少し戻り二股の道を辺野古に向かう。辺野古は国道から少し入った所にあり、小さな村程度に家が集まっていた。辺野古崎から海を見ると青い海が広がり、この何処かにジュゴンがいるはずだ。岬から街に入ると、ソンブレロを被ったメキシコ人の街といった雰囲気の町並みは人通りが殆ど無く、英語の看板が掛かった商店は統べてしまっていた。道の至る所にヘリポート反対と書かれた看板が建っていたが、その中に賛成の看板も建っていたのが印象的だった。

局、時間が早すぎたのか総ての店が閉まっていたため、諦めて金武に向かうことにした。金武ではタコライスを食べ、米軍の払い下げのキャンプ用品を安く手に入れようと意気込んで車を走らせた。東海岸は西海岸と違って初めて沖縄に来た人は殆ど訪れない。そのため、車は空いており順調に目的地に到着した。しかし、ここで困った問題が起きてくる。いったい何処が街の中心なのかさっぱり分からないのだ。仕方なく繁華街の雰囲気のする道を走り回ることになった。真言宗の日秀上人が建立した金武観音寺を通り、町役場前を通過し金武大川(キンオオカワ)と言う湧水群で一休みする。これは「長寿の水」として大切にされてきたものだ。近くの公園で子供達が遊ぶ姿を眺め、気持ちを入れ替えて繁華街を探す。結局、国道を南下したところにキャンプハンセンの入り口があり、その前に払い下げの店が並んでいた。しかし、ここでも時間が早過ぎて総て店が閉まっていた。仕方なく石川に向かうことにした。

を走らせ石川に入ると石川市役所の横の公園でお祭りをやっているようだったので、車を市営プールの駐車場に入れ見学に行くことにする。見学に行く前に泳ごうと思ったが祭り中は休みになっていた。港に沿って会場に向かって歩いていくと、プレハブ作りの食堂があり旨いものが食べられそうだったので入ることにする。入り口に寿司が600円と書かれていたので安さに引きずられるように店に入った。広々とした食堂の中ではたくさんのテンプラが揚げられ、透明のプラスチックケースに入ったたくさんの寿司が並べられていた。コンビニの寿司のようだったので少しがっかりしたが、メニューの中から寿司と魚汁(シチューミーバイ・ミナミイスズミ)のセット1200円を注文する。色々な寿司が入っていたが、脂が乗ったサバ寿司が飛び切り旨かった。
 店から出ると雨が降っていたが、気にせずに祭り会場に向かった。広場には住民が出した露店が並び、ステージではのど自慢をやっていた。平野は露店で欲しかった本を半額で買い、ベンチに座って読み始めた。 雨が止み照り付ける太陽の下、緑の芝生に覆われた広場の横に建てられた露店を覗いて行く。沖縄そばやタコスなどの飲食店が多かったが、昼食を食べた後だったので全く興味が湧かない。面白そうなものを探して歩いたが、しだいに眠くなってしまい気持ちが集中しなくなってくる。しかたなく平野と芝生に座ってステージの踊りを眺めることにした。体がだるくなってしまい、とうとうその場に寝転んでしまった。照り付ける太陽が暑く剥き出しの肌が焦げていくが、それでも容赦なく眠気はおそってきた。意識があるのか無いのかはっきりしないまま、まどろんでいると何時のまにか深い眠りに陥ってしまった。

りの暑さに気が付くと、午後1時を過ぎていた。起き上がりステージを見ると司会者が何か話していた。隣で横になっていた平野も起き上がり暫くステージを眺めている。このままいても仕方が無いので取り敢えず今日の宿を探す為に車に戻ることなった。行く場所も考えずに車を走らせていると、平野が伊計島(イケイジマ)に行ってみようと言い出した。頭の中にある沖縄地図の何処にも石川市の近くに島は無かったので、直ぐに行ってみたくなる。伊計島は与勝(ヨカツ)半島の屋慶名(ヤケナ)から長さ5キロの海中道路を通っていくことになる。距離は近いので慌てずに半島を走っていると、今まで晴れていた空に低い雨雲が立ち込め大粒の雨が落ち始めた。どうせ天気雨だろうと思っていたが、雨は止むどころか本格的に降り始めてしまい、疲れも手伝って憂鬱な気分になっていった。落ち込んだ気持ちを持て余し、目の前を行ったり来たりするワイパーを眺めていると、綺麗にふき取られたフロントガラスの先にフルーツパーラーが見えてきた。あいにく閉まっていたが、昼頃からパイナップルの様な酸味の利いた果物を食べたかったので、開いているフルーツパーラーを探すためフロントガラスを覗き込むように見つめた。雨はドンドン強くなり、閉まっているフルーツパーラーを次から次へと通り越していく。暫く行くと開いている店が見えてきた。意気込んだ気持ちで通り過ぎていく店を眺めると、軽食やかき氷を売っているだけで、新宿駅前のフルーツ屋の様に皮を剥いた果物を棒に刺して売っている雰囲気は全く無い。その後も数件に一軒は開いていたが期待した様な店は全く無かった。諦めて雨が打ち付けるフロントガラスを通して見える街並を眺め、島に着くことだけを考えた。

然、道路の先に米軍施設のゲートが表れ先に進むことが出来なくなってしまった。道を走れば米軍施設にぶつかってしまい、本当にここは日本なのか疑わしくなる。取り敢えず戻ることにするが、いずれにしても屋慶名を通り越してしまったようだ。叩き付ける雨の中を海中道路目指して走っていくと、反対側の車線の殆どの車が左折する交差点にぶつかり、そこを右折してみる。車の列に混ざって走っていくと、海の中に真新しい真っ直ぐな道路が現れてきた。有料道路と間違ってしまいそうな綺麗な道路は、遠浅の海を埋め立てて作られ、道路から見える下の海岸では引き潮で露出した珊瑚の上で何かを捕っている人の姿を見る事ができた。その頃には激しく降っていた雨も止み、平安座島(ヘンザジマ)に見える巨大石油備蓄基地のコンビナートの白が太陽の光に浮かび上がり青空の中で輝いていた。平安座島にあるコンビナートの脇を通り、宮城島に向かう。宮城島では道の両脇に砂糖黍が植わり、車より高い砂糖黍の中を走り抜けた。コンビナートの島から砂糖黍の島を通り、赤い欄干の真新しい橋を渡る。伊計大橋の上から見える海峡は、何処までも青く澄んでいた。橋を渡ると道の上に突き出した巨大な岩が、訪れたものを威圧するように聳え、そこを通過するとエメラルドグリーンの海岸に小さな島が浮かんでいた。
 伊計ビーチの前は路上駐車の車が並びフェンスで囲まれた砂浜を行楽客が歩いていた。入場料400円を取る海岸にはバーベキューの施設が整い、レストランやキャンプ場まであった。予想外の光景を横目で睨みつつ、その脇を通り抜けて畑に囲まれた細い道を走っていくと、真っ白い巨大ホテルが現れた。この頃には平野の腰痛がかなり悪化しており、カヌーツアーは断念しようか迷っている程だった。車の中で今晩は贅沢に休憩する事に決める。ホテルの空き部屋を確認する為、綺麗に整備された敷地を通りホテルの入り口にむかった。平野がホテルの中に入って行ったが、すぐに戻って来て空き部屋はあったが高過ぎると言い、結局、相談して民宿に変更する。ホテルのプールで泳ぎ、プライベートビーチで日光浴をする光景が、輝きを増す青空に吸い込まれるように消えて行った。

 で唯一の民宿に泊まることになり、今通った道を引き返すことになった。一軒しかないのですぐに分ると思ってたが、島の道は予想以上に狭く家が重なるように建っているため、何処に民宿があるのか全く分らなくなってしまい、スーパーの駐車場に車を止め歩いて探すことになった。平野が場所を島の人に聞いて戻って来たので車に乗り込み民宿に向かう。スターレットがやっと一台通れそうな道を港に向かっていくと、港の脇に民宿を見つけることができた。
 民宿の脇の空き地に車を止め、砂地がむき出しの路地を通って民宿に入った。民宿は85歳のお爺さんとお婆さんがやっていて、コンクリートで出来た家の一階奥の畳の部屋を借りることになった。薄暗く布団が積まれた部屋にはクーラーはなく、澱んだ空気を掻き回すように扇風機がブンブン音を立てて回っていた。時間はまだ3時なので近くの浜に行くことにする。砂浜の延長のような小道を歩いていくと、眼下に真っ白い海岸が現れた。宿を出るときハブクラゲが気になったのでお爺さんに聞くと、半分聞き取れない言葉で今は居ないが東風が吹くと流されてくると教えてくれた。
 海の中は白い砂に覆われた珊瑚が顔を出し、白い保護色をしたオグロトラギスが惚けた顔でこちらの動きを探っていた。水の色と海底の景色から北谷の海を思い出す。海を取り巻く景色は変わっても、海の中は同じ物の様に見える。平野と二人、行動を共にしても海に入ると全く別になり、それぞれ好きな所で泳ぎ回った。  つづく


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