★  第7回  ★ 

 ついに5万km達成
所有しているBMWロードスターのオドメータが5万kmになった。5万kmといっても走行距離1.78万kmの中古車を手に入れたので、実質的には3.22万km達成なのだが。とはいうものの、メータが5万kmを表示した時は嬉しかった。その時は、会社の人達とツーリングの途中だったので、バイクを道端に停めて記念写真を撮って5万km達成を祝った。
ロードスターを手放そうと思った時期があった。ビッグ・ツインが欲しくてロードスターを手に入れたものの、物足りなさを感じていた。機能優先で色気のないデザイン、そして地味なカラーリング等々、BMWには所有する喜びというのはあまり感じられない。
しかし、結局手放さなかったのは何故だろう?36回払いのローンが終わっていなかったせいもあるが、大きな理由は日常の使い勝手がとてもいいからだ思う。荷物を積むのに便利なパニアケース、急ブレーキの時に安心なABS、低回転域からトルクフルなエンジン等々、BMWほど日常での使い勝手を最優先して作られているバイクは他にはないと思う。と、理屈を並べて自分を納得させる一方で、欲しいバイクは数知れず。一体、いつまで我慢できるのだろうか。

 引退を考える時
'94〜'98の500cc世界チャンピオンのM=ドゥーハンが引退するという話しを聞いた。99年、6連覇を目指していたドゥーハンは、シーズン序盤のスペインGPの予選で転倒してしまい、再起を危ぶまれるほどの重傷を負ってしまった。99年後半から復帰するという話しもあったが、結局姿を現すことがないまま今シーズンは終わり、彼は引退を決意したのだった。
どのような状況になった時、引退を考えるのだろうか?勝てなくなった時、速く走れなくなった時、走るのが怖くなった時、…。レースは始める時よりも止める時のほうが難しい。それはプロでもアマチュアでも一緒だろう。

■レース日記 第7回

11月24日 筑波練習走行

ついに雨が降ってしまった。その上、仕事がどたばたしていたせいもあって、練習には行かなかった。というより、行く気になれなかった。

12月1日 筑波練習走行

レースと同じ週の練習というのは、日程的にきつい。万が一転倒したりしてバイクが壊れてしまったりすると、修復が間に合わない可能性があるからだ。
レース前の調整と割り切って、タイヤは4時間半走った後のものを使った。1回目の走行は、古くなったタイヤが硬化していたのと寒さで体が硬くなってしまい、思うように走れなかった。しかし、2回目はタイヤも人間も硬さがとれていい感じで走れた。コースは混雑していたものの何回か8秒台が出た。
あとは、最近疲れがとれないので、体調を調えておくだけだ。

12月4日 テイスト・オブ・フリーランス

ここ数ヶ月、寝不足が続いていて体調が思わしくない。寒さが厳しくなってくるにつれて、特に胃の調子が悪い。食欲はあるのだが…。天気予報は、午前中は雲が多いが晴れて日中は暖かくなるというが、筑波サーキットの上空は厚い雲に覆われたままである。
今回のレースは、ライバルのゼファー櫻井君・FZ津田君はエントリーしているが、VF友杉さんの名前がエントリーリストに載っていない。H社の実験部署で働いている友杉さんは、長期出張のためレースの準備ができずにエントリー出来なかったという。観客として現れた友杉さんは、走りたくて仕方がない様子だった。友杉さんは5月のレースの最終ラップの最終コーナで負けたお返しをしたかったらしいが、来年までお預けとなってしまった。最近調子がいい僕も対決を楽しみにしていたので残念だった。
予選が始まる9時半頃になっても曇ったままで、気温が10度あるようには思えない。気温が低い上に曇っているので、路面温度が低く転倒が続出している。そんな状況なので、予選開始ぎりぎりまでタイヤウォーマを使ってタイヤを暖めていた。そのせいで、予選のコースインは最後になってしまった。
いつもであれば、暖めておいたタイヤを武器に走りながらタイヤをウォームアップしているライダーをどんどん抜いていくのだが、今日は上手くいかない。なんとか数台抜いたものの同じようなペースで走るRZにひっかかってしまった。最終コーナと1コーナの進入でインに入れそうなのだが、なかなか抜けない。これは練習ではなくレースなので当たり前であるが、このままではタイムが出せないので、1コーナの進入で強引にインに入ってようやく抜く事が出来た。「これでペースアップできる」と思ったのだが、気合ばかりで走りがギクシャクしてしまいペースがあがらないまま予選は終了してしまった。パドックに戻ってタイムを聞くと8秒台真ん中で、思った通りよくない。かなり気温が低いせいでガスが薄いのだろうか、ストレートの伸びに力強さが感じられない。タイムがでなかったのはそのせいもあるのだろうか。プラグを見ると焼けすぎていた。決勝の時間になっても気温は上がるようには思えなかったので、ガスを濃くすることにした。
予選の結果はあまり期待していなかった。「8秒で予選落ちはないとしても、順位は真ん中よりも後だろうなぁ」と思いながら予選結果を見て驚いた。なんと予選8位で3列目!それを見て小野君と井出君、そして友杉さんが「チャンス、チャンス」とけしかける。「余計なこと言うなよなぁ」と言いつつ、あわよくば表彰台の端っこに立ちたいと思っていた。しかし、正直なところ僕は久しぶりの予選の好位置に戸惑っていた。僕はレースの前に極度に緊張すると眠くなる習性があるらしく、眠くなってきてしまった。高校の水泳部の時、大会の予選の順番待ちで座って待っている間に、気が付くと居眠りをしていることが何回かあった。平常心を取り戻そうとしても、緊張はほぐれるどころかますます高まっていくのだった。
今回のレースは気温が低いので、タイヤは決勝の2時間前からウォーマーをかけたまま、エンジンのウォーミングアップも念入りに行った。幸いなことに風がなかったので、グリッドに並んでもタイヤとエンジンはあまり冷えることはなかった。予選3列目は、1コーナが近く見える。同じ列の右には、ライバルのゼファー櫻井君・FZ津田君が予選9・11位で並んでいる。これで予選10位に友杉さんがいれば、夢の対決になるのにとても残念だ。ウォーミングアップが始り、クラッチを繋ぐ。アクセルを大きく開けていくと、2速でもゼファーのフロントの接地感は小さくなる。キャブレターのセッティングは完璧だ。後はアクセルを開け閉めしてタイヤのウォーミングアップをしながら、ダンロップコーナに入った。その時、目の前を走っていたバイクがいきなりリアタイヤを滑らせて転倒した。それを見た僕は、さらに慎重にタイヤを暖めるのだった。グリッドに戻ると、極度の緊張はいつものスタート前の心地よい緊張に変わっていた。シグナルではなく日章旗が振られ、いよいよ99年最後のレースがスタートした。
フロントを少し浮かせながら絶妙のスタートをしたつもりだった。しかし、周りのバイクは僕よりも100cc近く排気量が大きく、予選タイムは1秒近く速い。前回のレースの二の舞にならないように、強気で1コーナに進入した。イン側には少しでも有利に前に出ようとするバイクが殺到して、アウト側の予選8位からスタートした僕の入る隙間はまったくない。そこで、リスクを承知で誰もいないアウト側から、スピードをのせて1コーナをクリアした。この作戦は上手くいって8位で1コーナを立ち上がることができた。先頭集団が目の前にいる展開は久しぶりなので、とても嬉しかった。気がつくと前を走るのは、ライバルのゼファー櫻井君だった。排気量が大きくなっている彼のゼファーは、コーナの立ち上がりが速いが、コーナの進入は僕の方が速いという嫌な展開だ。速くなったバイクに慣れていない彼は、コーナー進入でインにつくのが早いのでインに入るのが難しい。無理にインに入り接触して転倒することだけは避けたいが、このままでは自分のペースが作れない。2周目の1コーナの進入で、櫻井君のインを突いて前に出た。そして、前をいく先頭集団の追撃を始めた。しかし、1周ごとに先頭集団との距離は確実に開いていく。冷静に考えれば予選7位より上は僕より1秒近く速いので、追いつくはずがない。前に追いつけないとわかっても、ペースは変えなかった。 今までに、レース後半になるとペースが落ちてしまってゴール寸前に順位を下げてしまうような悔しい思いを何回かしたが、そんな思いはしたくない。しかし、今回は後から迫ってくる気配が全くない。恐る恐る後ろは見ると、意外にも誰もいない。安心してペースを落としそうになるが、気を引き締めてアクセルを開け続ける。もしかすると、順位を上げられるかもしれないという期待をしながら…。すると、遠くに1台ペースを落としているようなバイクが見えてきた。「もしかしたら」と思ったが、周回遅れだった。少しガッカリしたが気を取り直してアクセルを開け続けた。そして、そのまま無事ゴールした。
結果は7位。6位以内で表彰台獲得は叶わなかったが、予選結果を考えれば妥当な結果だ。パドックに戻ると、井出君と小野君が笑顔で迎えてくれた。ピットに戻る途中で櫻井君がいたので話しをした。僕に抜かれたあと、追いかけようとしたが追いかけきれなかったという。彼は僕の後ろの8位でゴールした。これは彼の最高位だという。ピットに戻ると友杉さんに「言っていた通りの展開じゃない?」と言われた。スタート前に僕は友杉さんに、「スタートで後の集団に巻き込まれなけれずに、前についていければいいところにいけると思うんだけど。」と理想のレース展開をもっともらしく話していたのだった。自分でもこんなに上手くいくとは思っていなかった。しかし、順位よりも気になるのはラップタイムだ。2人にタイムを聞くと、なんと7秒2が出ていた。もちろん自己最高のタイムだ。その上、2周目からゴールまですべて7秒台というのもとても嬉しかった(小野君・井出君、タイムはすぐ教えてネ)。
後片づけをしていたら、FZ津田君に会った。残り2周のホームストレートのグリーンでスローダウンしているバイクの後姿が津田君に似ていたので、もしかしたらと思っていた。そのことを聞いてみると、やはり津田君だった。彼は燃料タンクをレース専用の小さいものに作り直していた。しかし、出来上がったのがレースの直前でタンク容量をよく確認しないで決勝を走ったので、ガス欠を起こしてしまったという。最近、津田君のFZは化け物のようなバイクに変わってしまっている。彼のFZは、ノーマルよりはるかに太いタイヤとパワフルなエンジンに、ノーマルのフレームがついていけなくて直線でふらつくという。彼は、レース中にブラックマークを残しながらコーナを立ち上がる僕を見て羨ましがっていた。アクセルを開けられないことは辛いものなのだ。 自己最高タイムを達成して、無事に99年のレース活動を締めくくれたことで安心したのだろうか、今までの疲れがどっと出てしまい帰りは車の運転が出来なかった。翌日も1日中寝て過ごしたのだった。

◆ 99年のレースを振り返って

去年のスランプを克服し、99年最後のレースで好成績を納められたことはとても嬉しかった。しかし、ペースが上がった分、タイヤを1サイズ上のものに変える必要がでてきたように思われる。これは、ホイールの変更を伴うかなり大きな出費になってしまうので、慎重に行いたい。なによりも、グリップが大きくなるので、サスペンションのセッティングを見直す必要が出てくるだろう。特にフロントサスペンションは今の時点ですでに、ブレーキング時のGを支えきれなくなってしまっている。少しでもラフにブレーキをかけると、フルボトムして物凄いチャタリングがでてしまう。そうなるとバイク全体が暴れ出してしまって、リーンができなくなってしまう。
ノーマル排気量の空冷エンジンのゼファーで、水冷エンジンのバイクと互角に走ることは難しい。直線のスピードで勝てない分は、コーナーで挽回するしかない。その為には、サスペンションのセッティングを完璧にしなければならない。足回りのセッティングは、とても難しい。せっかくの好調さを台無しにしないように、慎重にすすめようと思う。
最後に、99年のレース活動を支えてくれた人達に感謝の意を表したいと思う。ありがとうございました。00年もよろしくお願いします。

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