★ 第6回 ★
■レース日記 第6回 11月5日 筑波練習走行 ここ数ヶ月、何故か忙しい。そのせいかで「グランド・スラム4」前の最後の練習なのに、準備がきちんとできていなかった。前回の練習のキャブのセッティングがあっていないままサーキットに着いて、大慌てする始末。「気温がかなり低いから少し濃くても大丈夫だろう」とたかをくくっていたが、やはり濃すぎてまともに走れない。その上寒くて体が動かず、1回目の練習は無駄に終わってしまった。2回目の走行前にキャブのセッティングを変更して、左端のプラグの焼け具合を調べようとしてプラグキャップを外した時、大変なことが起こってしまった。プラグキャップの中の部品が破損していまい、プラグに電気が伝わらなくなってしまったようだ。そんな状態ではエンジンがきれいに回るわけもなく、結局2回目は走れなった。レース当日のトラブルではなかったので、不幸中の幸いと言うべきなのだろう。翌日、4気筒全てのプラグキャップを新品に交換したのは言うまでもない。しかし、なにか不安な思いが残った。案の定、これがレース当日のドタバタの原因になるのである。 11月13日 グランド・スラム4 心配していた雨は朝には上がり、朝の天気予報は"晴れ"となっていたが、サーキットについた時は、空は厚い雲に覆われたままだった。路面はウェットのままである。このまま予選までに乾かないかも知れないと心配したが、9時頃になってようやく青空が見えてきた。車検を終わらせたあと、前週の練習走行の時に起きたプラグキャップのトラブルが解決しているかどうか、ウォームアップエリアでエンジンをかけてみる。暖気を終えてエンジンを高回転まで回してみると、途中でせき込むようになってしまう。明らかにトラブルが起きている。プラグキャップは新品であるから原因がよく分からない。念の為に、前週にトラブルを起こした左端のプラグを外してみると、プラグはガソリンで真っ黒。これでは火花が飛ぶわけない。左端のプラグは前週のトラブルの時からそのままであったので、プラグキャップを新品に換えても、プラグの調子はわるいままであったのだろう。慌てて今度はプラグを4本共新品に換えた。すると、ようやくエンジンは機嫌を直してくれた。 ドタバタしていたせいだろうか、予選が始まろうとしているのにどうも落ち着かない。なぜか喉が乾くので、水を予選開始直前までがぶ飲みする。今回はタイヤをミシュランのパイロット・レースに変更してからの初レース。しかも、パイロット・レースがとてもいいタイヤなので好成績を残せると思っていたが、それがプレッシャーとなってしまい体が硬くなって上手く走れない。しかし、走り終わってみると、タイムは自己ベストの1分7秒6が出ていた。これはかなりいいタイムのはずなのに予選結果は18位。でも、周りは最新鋭の水冷エンジンのバイクばかり。そして、決勝に残った空冷エンジンはわずかに3台で、水冷エンジンのバイクに割って入ることができたのは僕だけだったので、とりあえず予選の結果には納得したのだった。予選が終わった後、再びプラグをチェックした。すると、1本のプラグギャップが規定の半分しかない。決定的なトラブルではないが、トラブルの原因になる可能性は充分ある。慌てて4本ともプラグギャップをチェックして調整した。 決勝を迎えた時間は、午後3時を過ぎていた。この時期にこの時間になると、西日が眩しくなる。筑波サーキットは最もスピードが出る最終コーナの進入が、この西日の影響を受ける。その上、前のレースで転倒したバイクが、1コーナの立上りライン上にガソリンを撒いてしまっていた。これは、石灰を撒いて処理はしているものの、滑り易くなってしまっている。ウォーミングアップラップにこの2つの障害を確認していたが、決勝の展開を大きく狂わせてしまう程の障害だとは、その時全く考えていなかった。 スタートは、久々のロケットスタートを決めることができた。あっという間に2列を抜き1コーナに進入…するハズだった。最近、前の集団でレースをしていない僕は、あまりの好スタートに自分で驚いてしまって、なぜかビビッてしまい自分でアクセルを緩めてしまった。気がつけば1コーナに進入する時には、同じ列に並んでいて置いてきぼりにしたはずの後輩井出君が斜め前を走っている。彼はそのままアウト側から一気に集団を抜く事に成功したようだった。その一方で、僕はYZFーR7(400万円!)を1台抜くことが精一杯で、1コーナを立ち上がっていった。そこには、ガソリンを処理した石灰が撒かれていることは確認していた。しかし、運悪く前を走るバイクが石灰の固まりを踏んでいったらしく、目の前が真っ白になってしまった。そんな状況では、アクセルを思いきり開ける事ができずに、前を走るバイクとの差が少し開いてしまった。第一ヘアピンに進入すると、井出君は彼の前を走るSV650のインをついて、強引に抜いていった。その様子を見いた僕は少し焦った。彼をそのまま逃がすわけにはいかない。僕は、裏のストレートでSV650を抜き、さらにアクセルを開ける。と、その横をGSXーR750が抜いていった。それもかなり勢いよく抜いていったので、僕は焦ってしまった。必死でついていこうとするあまり、最終コーナのブレーキングポイントを過ぎていた。その上、ちょうど西日で逆光になってしまっていると、突然目の前にGSXーR750の姿が現れた。 「ぶつかるっ!」と思ってプレーキをかける。前を思いきり強くかけると転倒してしまうので、とっさに後ブレーキの方を強くかけていた。最終コーナに備えて少しリーンしていたので、リアが横に流れてしまう。「こんなところで転びたくない」と思うが、視界にはコースの切れ目とその先のグラベルが迫ってくる。もう最終コーナを曲がり切れるとは思っていなかったので、そのままグラベルに飛び出す。しかし、グラベルに飛び出すのは始めてではないので比較的冷静に対処できたのが幸いした。グラベルに取られそうになるハンドルをホールドし、スピードが落ちるのを待つ。とにかく、転倒しないようにするのに必死だった。逆光で前があまり見えないのが怖かったが、目の前にスポンジバリアが現れた時はほとんどスピードが落ちていた。無事スポンジバリアにたどりついた(?)ところで、バイクを支える気力がなくなり立ちゴケをした。スポンジバリア沿いは草が生えているような所なので、クランクケースに少し泥がついただけで済んだ。バイクが無事なのを確認して、直ぐにエンジンをかけてコースに復帰した。 コースに復帰した時には、目の前には当然誰もいない。当然、順位は最下位。貸し切り状態のサーキットを寂しく走る。走りながら「最下位と周回遅れだけは免れたい」と思い、必死で走る。暫くすると目の前に、最下位らしいバイクの影が見えてきた。徐々にその後ろ姿が大きくなってきた時、青旗を振られてしまう。後を見ると物凄い勢いでトップ争いの2台が迫ってくる。アクセルを緩めたくはなかったが、トップ争いを邪魔するわけにも行かないのでラインを外して譲った。その後は、気を取り直して、最下位脱出を目指す。残り1周で何とか抜く事ができたが、チェッカーが振られてレースは終わってしまった。後輩井出君は、レース中4台で接戦を繰り広げ見事10位でゴールした。ラップタイムも6秒台に入り自己ベストとのこと。一方で僕はコースアウト後の単独走行で、予選を上回る7秒台前半を目標に走ったが、コースアウト後の動揺のせいか、8秒台後半を出すのがやっとだった。 今回のレースは、プラグキャップのトラブルを大きく引きずってしまったレースだった。レース後にタイヤのグリップ感が練習の時と違っているように感じたが、後になって思い出すと、プラグ交換のドタバタでタイヤの空気圧を0.1間違えてしたことが判明したのだった。そして、クライマックスは、最終コーナのコースアウト。カメラマン森下さんは、僕のコースアウトの様子を見ていて思わず「あーっ!」と叫んでしまったらしい。すると、近くにいた人が、「知り合いの人なんですか?」と聞かれたらしい。それくらい、激しいコースアウトだったようだ。 調子が出てきたのに残念な結果に終わってしまったが、12月4日のテイスト・オブ・フリーランスでなんとか今年をいい形で締めくくりたいと思う。 |