★  第6回  ★ 

 スーパーバイク世界選手権観戦記こぼれ話
前回、P=F=キリと話をしたことを書いたところ、原稿を読んだ編集長が言った。「大澤は英語ペラペラなんだぁ。」そして「あの部分は、彼女に自慢するために書いたんじゃないのかぁ。」と。去年、ピットに招待されたにも関わらずにキリと一言も話すことができなかった僕は、英会話を習おうと密かに思っていた。しかし、それは「思っていた」だけで時間だけがどんどん過ぎてしまっていた。
数ヶ月前、会社で英会話教室の募集があった。クラス編成の参考にする為に試験を受けた結果、アメリカ人講師担当のクラスになった。幸運だったのは、その講師が住んでいるのが僕の家の近くで、帰りの電車はずっと一緒ということ。つまり、週2回の授業2時間+帰宅までの1時間の合計3時間どっぷり英語にはまることができるのである。しかし、授業が始まったのは9月の中旬。レース当日までは1ヶ月もない。1ヶ月ですぐ上達すれば、誰も苦労しない。1ヶ月で学んだことは、「度胸」と「単語を並べれば、なんとか通じる」の2つだった。レース当日はその2つを実践できたおかげで、なんとかキリと話すことができたのだと思う。その上、話しをする相手のことを僕はよく知っている。話す相手のことを全く知らなかったら、話しはできなかったに違いない。
残念ながら、編集長の「彼女に自慢するため」というは考えすぎである。なぜなら、彼女はあの場に一緒にいて一部始終を見ていたからだ。「英会話を習っているっていうから、もっとカッコよく話せると思っていたのに。」 彼女の言葉が、僕の英語力を物語る。

◆週末は走りまくる
今年の前半、バイクに乗ることが面白いと思わない時期があった。しかし、9月に泊りがけでツーリングに行って以来、以前のように毎週走りに行くようになった。
◆10月16日中津川林道を走る
会社の先輩阿部さんと林道に行くことになった。彼とは8月下旬に走りに行く予定だったのだが、僕が思いっきり寝坊してしまって中止になってしまった。その罪滅ぼしと言うわけではないが、久々にTT250を引っ張り出して、喜び勇んで林道に行ったのだった。しかし半年以上もオフロードを走っていないので、バイクは横に滑りまくってしまって思うように前に進んでくれない。その上、タイヤもかなり磨り減っているので、林道が曲がりくねってくると思い通りに走れずに何度も転びそうになった。
帰り道は御荷鉾スーパー林道を走った。しかし、走っても走っても路面はアスファルトのまま。4年くらい前に走った時は、ダート天国だったのに…。群馬県に入るとダートが多くなってきだので、今までの鬱憤を晴らすように2人はアクセルを開けた。しかし、調子がでてきたところで、林道は工事中で行き止まりになってしまった。エネルギーを発散しきれていない2人は、その場でブレーキターンとアクセルターンを繰り返してダートをかきむしった。僕はアクセルターン2回転に挑戦したが、バイクが自分から少しづつ離れてしまいコケてしまった。悔しがる僕を見て阿部さんは大笑い。僕も一緒に大笑いしてエネルギーを発散しつくしたのだった。
◆10月23日 日本海を見に行く
この時期に日本海を見に行くのは、今年で3回目くらいになる。なぜこの時期の日本海かというと、海が荒れ始めているからだ。荒れている日本海を一人で見ていると、自然の大きさを身近に感じることができて、自分がいかに小さい存在かを実感できるからだ。ルートは、"自宅→秩父→R254→R18→長野の善光寺→R463→鬼無里村→白馬→R141→糸魚川→R8→直江津→R18→R17→自宅"というお決まりのルートを走った。その日は埼玉を走っている時は暖かかったのだが、長野県に入ったところ急に寒くなった。10月下旬だから当たり前なのだが、今年はいつまでたっても暖かい日が続くので、つい油断してしまっていた。幸い冬用のアンダーウェアを持っていたので、慌てて着たら少し楽になった。あまりの寒さに引き返そうとも思ったのだが、せっかくここまできたのでとにかく日本海を見に行くことにした。家を出たのが9時近くだったので、日本海沿いのR8に出た時は既に2時をまわっていた。日本海は期待通りに荒れていた。バイクを停めてヘルメットを脱ぐと、「ドーン」という波の音が響いてくる。遠い海岸沿いの景色は、波しぶきで白く霞んでいる。そんな風景の海岸沿いのR8を気持ちよく走る。気持ちいいのは風景だけではなく、信号がほとんどないのでストップ・アンド・ゴーのストレスがないことも影響しているのかもしれない。
途中に海産物を売っているところがあったので、そこで休憩した。店先を眺めていると焼きイカを売っていたので、1つ注文した。海を見ながら食べる焼きイカはとても美味しかった。しかし、イカが大きくて空きっ腹に食べたので、その後少し消化不良を起こしたのは辛かった。
日が落ちかける日本海を背に、帰りを急いだ。妙高高原を通過している時には既に5時をまわっていた。しかも、気温は8℃にまで下がり、体中が震えてきた。さすがにいつもはケチって高速道路を使わない僕だったが、高速道路で一気に帰る事にした。心配した渋滞もほとんどなく、2時間半であっという間に本庄児玉ICに到着。ここからは、R17で帰ることにした。高速を使ったおかげで家に着いたのは9時だった。寒かったけど、荒れた日本海はとてもよかった。
◆10月30日 会社の仲間とツーリング
Eメールは便利だ。ツーリングに行く時はいつも社内メールを乱用して打ち合わせをする。今回集まったのは、TX650松永さん・CB1000和泉さん・CB1300千阪君・BMW K1小野君・そして僕の5人。去年、同じメンバーで走りに行った時は大変だった。帰りの途中の雁坂トンネル付近で雪に降られ、東松山付近で先輩松永さんのTX650のエンジンが止まってしまい、僕が後ろに乗せて帰ってきたという大波乱のツーリングだった。その時と同じメンバーなので、今回も何か起こりそうだった。
今回のルートは、西湘バイパスを走って箱根を抜けて沼津で寿司を食べて、山中湖を経由してあの雁坂トンネルを通って帰宅に決定した。しかし、僕はそのルートに一部反対だった。なぜなら、都心を通過していくルートでは渋滞に巻き込まれるのは確実である。しかし、反対は僕だけだったので皆の後ろを大人しくついていくしかなかった。案の定、首都高から西湘バイパスまでは渋滞の連続で僕は一人で不機嫌になってしまい無口になってしまったのだった。
ようやく沼津に着いた時は、午後1時をまわっていた。松永さんには目的地があるようで、いきなりUターンをしたりして皆をパニックに陥れていた。辿りついた場所は、ショッピングセンターのような所だった。中に入るとお目当ての立食いの寿司屋があった。少し混んでいたので、2手に分かれてカウンターに陣取った。お腹が空いていたので一心不乱に寿司を食べた。ネタが新鮮なのだろうかとても美味しかった。午後の日差しは暖かい上に全員満腹になるまで食べたので、しばらくボーッとして幸せなひとときを過ごした。
山中湖を目指して走り出すと、少しづつ雲がでてきた。標高が徐々に高くなってきたせいか、気温が下がってきて少し寒い思いをするが我慢できない寒さではなかった。去年雪に降られて大変な思いをした雁坂トンネルも無事に通過した。ここまでくれば大丈夫というところでトラブルが起きた。トラブルを起こしたのは去年と同じ松永さんのTX650だった。バイクが約20年前のものなので仕方がない。松永さんはトラブルの原因が判っているようで、「バッテリーが駄目になってしまっている」のだという。幸いだったのは、ここが秩父市内のR140沿いで近くにホームセンターがあったということだった。しかし、時刻は7時。閉店間際の店に慌てて駆け込んでバッテリーを探した。無事、バッテリーを手に入れて交換すると、TX650のエンジンは無事に回り始めた。「やっぱり松永さんのバイクがまた壊れた。」トラブルも無事解決すれば、笑い話に変わってしまうのだった。

■レース日記 第6回

11月5日 筑波練習走行

ここ数ヶ月、何故か忙しい。そのせいかで「グランド・スラム4」前の最後の練習なのに、準備がきちんとできていなかった。前回の練習のキャブのセッティングがあっていないままサーキットに着いて、大慌てする始末。「気温がかなり低いから少し濃くても大丈夫だろう」とたかをくくっていたが、やはり濃すぎてまともに走れない。その上寒くて体が動かず、1回目の練習は無駄に終わってしまった。
2回目の走行前にキャブのセッティングを変更して、左端のプラグの焼け具合を調べようとしてプラグキャップを外した時、大変なことが起こってしまった。プラグキャップの中の部品が破損していまい、プラグに電気が伝わらなくなってしまったようだ。そんな状態ではエンジンがきれいに回るわけもなく、結局2回目は走れなった。レース当日のトラブルではなかったので、不幸中の幸いと言うべきなのだろう。翌日、4気筒全てのプラグキャップを新品に交換したのは言うまでもない。しかし、なにか不安な思いが残った。案の定、これがレース当日のドタバタの原因になるのである。

11月13日 グランド・スラム4

心配していた雨は朝には上がり、朝の天気予報は"晴れ"となっていたが、サーキットについた時は、空は厚い雲に覆われたままだった。路面はウェットのままである。このまま予選までに乾かないかも知れないと心配したが、9時頃になってようやく青空が見えてきた。
車検を終わらせたあと、前週の練習走行の時に起きたプラグキャップのトラブルが解決しているかどうか、ウォームアップエリアでエンジンをかけてみる。暖気を終えてエンジンを高回転まで回してみると、途中でせき込むようになってしまう。明らかにトラブルが起きている。プラグキャップは新品であるから原因がよく分からない。念の為に、前週にトラブルを起こした左端のプラグを外してみると、プラグはガソリンで真っ黒。これでは火花が飛ぶわけない。左端のプラグは前週のトラブルの時からそのままであったので、プラグキャップを新品に換えても、プラグの調子はわるいままであったのだろう。慌てて今度はプラグを4本共新品に換えた。すると、ようやくエンジンは機嫌を直してくれた。
ドタバタしていたせいだろうか、予選が始まろうとしているのにどうも落ち着かない。なぜか喉が乾くので、水を予選開始直前までがぶ飲みする。今回はタイヤをミシュランのパイロット・レースに変更してからの初レース。しかも、パイロット・レースがとてもいいタイヤなので好成績を残せると思っていたが、それがプレッシャーとなってしまい体が硬くなって上手く走れない。しかし、走り終わってみると、タイムは自己ベストの1分7秒6が出ていた。これはかなりいいタイムのはずなのに予選結果は18位。でも、周りは最新鋭の水冷エンジンのバイクばかり。そして、決勝に残った空冷エンジンはわずかに3台で、水冷エンジンのバイクに割って入ることができたのは僕だけだったので、とりあえず予選の結果には納得したのだった。予選が終わった後、再びプラグをチェックした。すると、1本のプラグギャップが規定の半分しかない。決定的なトラブルではないが、トラブルの原因になる可能性は充分ある。慌てて4本ともプラグギャップをチェックして調整した。
決勝を迎えた時間は、午後3時を過ぎていた。この時期にこの時間になると、西日が眩しくなる。筑波サーキットは最もスピードが出る最終コーナの進入が、この西日の影響を受ける。その上、前のレースで転倒したバイクが、1コーナの立上りライン上にガソリンを撒いてしまっていた。これは、石灰を撒いて処理はしているものの、滑り易くなってしまっている。ウォーミングアップラップにこの2つの障害を確認していたが、決勝の展開を大きく狂わせてしまう程の障害だとは、その時全く考えていなかった。
スタートは、久々のロケットスタートを決めることができた。あっという間に2列を抜き1コーナに進入…するハズだった。最近、前の集団でレースをしていない僕は、あまりの好スタートに自分で驚いてしまって、なぜかビビッてしまい自分でアクセルを緩めてしまった。気がつけば1コーナに進入する時には、同じ列に並んでいて置いてきぼりにしたはずの後輩井出君が斜め前を走っている。彼はそのままアウト側から一気に集団を抜く事に成功したようだった。その一方で、僕はYZFーR7(400万円!)を1台抜くことが精一杯で、1コーナを立ち上がっていった。そこには、ガソリンを処理した石灰が撒かれていることは確認していた。しかし、運悪く前を走るバイクが石灰の固まりを踏んでいったらしく、目の前が真っ白になってしまった。そんな状況では、アクセルを思いきり開ける事ができずに、前を走るバイクとの差が少し開いてしまった。第一ヘアピンに進入すると、井出君は彼の前を走るSV650のインをついて、強引に抜いていった。その様子を見いた僕は少し焦った。彼をそのまま逃がすわけにはいかない。僕は、裏のストレートでSV650を抜き、さらにアクセルを開ける。と、その横をGSXーR750が抜いていった。それもかなり勢いよく抜いていったので、僕は焦ってしまった。必死でついていこうとするあまり、最終コーナのブレーキングポイントを過ぎていた。その上、ちょうど西日で逆光になってしまっていると、突然目の前にGSXーR750の姿が現れた。
「ぶつかるっ!」と思ってプレーキをかける。前を思いきり強くかけると転倒してしまうので、とっさに後ブレーキの方を強くかけていた。最終コーナに備えて少しリーンしていたので、リアが横に流れてしまう。「こんなところで転びたくない」と思うが、視界にはコースの切れ目とその先のグラベルが迫ってくる。もう最終コーナを曲がり切れるとは思っていなかったので、そのままグラベルに飛び出す。しかし、グラベルに飛び出すのは始めてではないので比較的冷静に対処できたのが幸いした。グラベルに取られそうになるハンドルをホールドし、スピードが落ちるのを待つ。とにかく、転倒しないようにするのに必死だった。逆光で前があまり見えないのが怖かったが、目の前にスポンジバリアが現れた時はほとんどスピードが落ちていた。無事スポンジバリアにたどりついた(?)ところで、バイクを支える気力がなくなり立ちゴケをした。スポンジバリア沿いは草が生えているような所なので、クランクケースに少し泥がついただけで済んだ。バイクが無事なのを確認して、直ぐにエンジンをかけてコースに復帰した。
コースに復帰した時には、目の前には当然誰もいない。当然、順位は最下位。貸し切り状態のサーキットを寂しく走る。走りながら「最下位と周回遅れだけは免れたい」と思い、必死で走る。暫くすると目の前に、最下位らしいバイクの影が見えてきた。徐々にその後ろ姿が大きくなってきた時、青旗を振られてしまう。後を見ると物凄い勢いでトップ争いの2台が迫ってくる。アクセルを緩めたくはなかったが、トップ争いを邪魔するわけにも行かないのでラインを外して譲った。その後は、気を取り直して、最下位脱出を目指す。残り1周で何とか抜く事ができたが、チェッカーが振られてレースは終わってしまった。後輩井出君は、レース中4台で接戦を繰り広げ見事10位でゴールした。ラップタイムも6秒台に入り自己ベストとのこと。一方で僕はコースアウト後の単独走行で、予選を上回る7秒台前半を目標に走ったが、コースアウト後の動揺のせいか、8秒台後半を出すのがやっとだった。
今回のレースは、プラグキャップのトラブルを大きく引きずってしまったレースだった。レース後にタイヤのグリップ感が練習の時と違っているように感じたが、後になって思い出すと、プラグ交換のドタバタでタイヤの空気圧を0.1間違えてしたことが判明したのだった。そして、クライマックスは、最終コーナのコースアウト。カメラマン森下さんは、僕のコースアウトの様子を見ていて思わず「あーっ!」と叫んでしまったらしい。すると、近くにいた人が、「知り合いの人なんですか?」と聞かれたらしい。それくらい、激しいコースアウトだったようだ。
調子が出てきたのに残念な結果に終わってしまったが、12月4日のテイスト・オブ・フリーランスでなんとか今年をいい形で締めくくりたいと思う。

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