子どもを育てながら働く

第37回 『学童クラブ』

 学童クラブというのは「保護者が働いているなどで家へ帰っても面倒をみてくれる人のいない小学生(1〜3年)をお世話します」という定義が江戸川区ではされています。

 江戸川区の学童クラブは区が運営をしていて、職員も区の職員で、場所も区が用意するので、費用も月1700円のおやつ代のみです。自治体によっては保護者が運営の母体となっている民営の学童クラブもあり、場所代や人件費等で、費用も1万円程度かかるところもあるようです。学童クラブの設置されている場所は様々で、江戸川区内では、小学校の空き教室にある所、児童館にある所、団地の中にある所・・・とあります。配置も一つの学校につき1つというわけでなく、児童数の多い所は2つあるところもあるし、少ない所は2つの学校で1つというようになっていて、とりあえず、放課後、子どもが歩いて通える範囲にあります。自治体によってはバスに乗っていかなければならない場所もあるようです。
 このように江戸川区の学童クラブの状況はかなり恵まれた環境にあるといえます。それでも、近年、少子化が進んでいるにも関わらず、働く保護者が増えていることから、どこのクラブも定員一杯かオーバー気味です。クラブに入るためには毎年、区による審査が行われていて、家庭状況によって入所が決められます。定員から漏れてしまうのは3年生からで、親の勤務時間や祖父母の住んでいる場所等などが考慮されているようです。

 例外にもれず、うちの長女も保育園を卒園し、小学校に入学した後は学童保育のお世話になりました。幸いなことにうちは父・母が正規社員としてフルタイムで働いていることと、祖父母が遠方かつ就労しているということで、無事に3年間通うことができました。長女の場合、私の職場の近くの保育園、それも小規模な保育園に通っていたので、当然のことながら、誰一人、同じ小学校・学童クラブに通う友達はいませんでしたので、うまくやっていかれるのかしら・・・と心配でした。保育園の場合は親が迎えに行くので、子どもに目が届くのですが、学童クラブは午後5時で終わってしまうので、終了後は途中までは友達と一緒とはいうものの、その面でも心配でした。実際はそんな心配をよそに3年間、「やめたい」ということも言わずに元気に通ってくれました。また、娘の通っていた学童クラブは2つの学校から来ているので、他の学校の子とも友達になる機会ができ、それぞれの学校の話など情報交換して、視野も広がったように思えます。

 学童クラブでの生活の様子を紹介したいと思います。通常の授業のある日は学校が終わってから、学童クラブに移動します。時間にもよりますが、遊んだ後、おやつ、また遊んで、午後5時で帰宅します。遊びの内容は、テレビゲームなどという今時の遊びではなく、昔ながらの子供の遊びです。おにごっこ、ドッチボール等の外で体を動かす集団遊び、一輪車、竹馬等のバランス感覚を養う遊び、室内でも、剣玉、独楽回し、あやとり、編み物等の手先を使う遊び等、体のいろいろな所を使う、成長期にふさわしいすてきな遊びを3年間することができたのは、とてもよい経験でした。また、複数の人数でする遊びなので、ぶつかりあうこともあるけれど、ルールに基づいて遊ぶということも自然と身に付いてきます。また、独楽回し、一輪車等も一人で遊ぶものではあるけれど、何でもできる3年生がまだ何にもできない1年生に教えてあげることで、やはり関わり合いも出てきます。普段、少人数しかも、室内で遊ぶことの多いといわれているこのご時世、異年齢での集団遊びの場に参加できたことは、とてもよいことでした。
 夏休みなど学校が休みの時は朝9時から午後5時までの1日保育です。通常は学校がない日は給食がありませんので、毎日、毎日、お弁当を作って持たせました。休みの時生活は朝9時から10時までは強制的な勉強時間があり、何らかの勉強をしなければなりません。夏休みは学校でプール公開があるので、学童から学校のプールに行き、学童に戻ってきます。しかしながら、勉強後は遊び、昼食、遊び、おやつ、遊び、帰宅という、何とも退屈なスケジュールなので、休みの日も楽しく通えるようにイベントをあれこれ開催します。みんなでカレーライスを作ったり、児童館のお化け屋敷に出かけたり、バスに乗って出かけたり・・・楽しい経験ができました。  学童クラブは集団生活ですので、おやつを食べるときは班毎にテーブルについて食べないと、収拾がつきません。班の構成は1〜3年までいて、リーダー、副リーダーがいて、みんなをまとめて行きます。3年生がリーダーとして、下級生の面倒を見ていきます。こうした縦割りの関係の中から、上下関係をはじめとした人間関係を学んで行きます。長女を筆頭に入学したばかりの頼りなかった1年生も学童クラブで生活をしていくうちに、強くて優しい3年生へと成長していくのでした。

 こうして保育園時代はどちらかというと消極的だった長女も学童クラブに3年間通ったおかげで、学童クラブの指導員も目を見張るほど、本当に大きく成長することができました。学童クラブでも一輪車・なわとび名人として、1年生にもよく教えていました。妹の病気で父または母が在宅していたので、お休みした時も学童クラブから、「お休みしないで、教えにきてよ〜。」とリクエストを受けていました。さらに積極性も身に付き、小学校でも係りや委員を進んで引き受けるようになりました。学童クラブで3年間生活できたことは長女にとって、本当に大きな財産になりました。そんな学童クラブの終了式は涙・涙・・・。保護者も一人一人挨拶をするのですが、他の保護者の話にも涙、指導員の挨拶にも涙、さらに指導員の一人が4月から異動になる話が発表になり、また涙・・・。そんな学童クラブに入れたのも仕事を続けていたおかげ・・・と実感しました。

 さて、学童クラブが終わって4月からは自由な放課後がやってきました。春休み期間は学童クラブ時代の友達と新学期からは学校の友達と、今まで遊べなかった反動から、4月は毎日遊びほうけていました。天気もよいのだから、外で遊べばよいものの、家の中でテレビゲームに励み、手にマメを作っていました。手にマメできたのだから、控えればよいのにマメがつぶれるまでやっていました・・・。さらに視力検査では0.7〜0.9という結果になり、眼科での再検査のお達しももらってきてしまいました。これはロクでもないということで、毎週土曜日の午後に通っていたスイミングを毎週火・金曜に変えて、放課後に強制的に予定を入れました。スイミングが親が送り迎えをしていた土曜日から平日になったのですが、幸い家から徒歩5分の小学校のそばに停留所があるので、送迎バスに乗ることにしました。こうして、5月からは多少健康的な放課後になったのでした。しかし、ケナフ栽培セットが届いたので、早速やりたい長女は、母の「明日は水曜日で早く帰ってくるのだから、明日にしなさい。」という忠告を無視して、火曜日に帰宅してからやったので、まんまとバスに乗り遅れてしまいました。仕方がないので、走ってプールまで行き、どうにか間に合ったという情けない長女でした。
 学童クラブのありがたみと長女の将来が思いやられる今日この頃です。

 それでは、また。


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