西暦2000年も無事に迎えることができ、休み明けのリハビリが済み、「さあ、今週からバリバリと働くゾ!」と決意に燃えていた1月10日の朝のことです。三女が「耳が痛いの!」と言いながら起きてきました。見てみると、耳の下が腫れていて、まさにオタフク! 周囲でオタフクが流行っているという話も聞かず、まさに寝耳に水の出来事でした。すっかり油断していたので、予防接種もしていなくて、大衝撃を受けました。 とりあえず、その日は病院も休みだったのですが、オタフクと確信して、夫と出勤スケジュールを話し合い、火・木は私、水・金は夫が仕事に行くことが決定したのでした。オタフクは軽く済めば数日で済んでしまうのですが、長引くと10日以上もかかってしまいます。そうなったらどうしようと思うと、翌週の仕事の予定が立てられなくて、ドキドキでした。 ところが、三女とだらけた生活を送っていたためか、今度は私が風邪を引いてしまいました。とにかく、青っ洟がひどく、ティッシュとお友達状態でした。この鼻風邪が結構強烈で洟が収まるまで3週間余りも要したのでした。でも、熱はあっても微熱程度なので、会社には行っていましたが・・・。 時を同じくして、三女がお昼寝あけだけ、37度台後半の熱が出るという、病にかかっていました。水曜日には38.8度まで上がったので、病院に連れて行くと「インフルエンザではないけど、インフルエンザだと一度下がったら、まだ熱が出るから気をつけて」という話を聞いてきました。晩には三女の熱は37度にまで下がっていたので、インフルエンザではありませんでした。 金曜日、夫は熱が下がっても会社を休むつもりだったので、体調が不安定な三女も一緒に休ませることにしました。すると、長女が顎の下の当たりが腫れていることが発覚しました。熱はないものの、3週間余り前に三女がオタフクをやっているので、もしかしたら・・・と心配になり、夫も休みだし、病院に連れて行ってもらうことにしました。皆勤賞を目指していた長女は学校を休むのを泣いて嫌がりましたが、オタフクの場合は登校禁止なので、白黒をつけてもらわなければなりません。とりあえず、午前中に病院に行き、「予防接種もしているので、オフタクではない。確認のため尿検査をしましょう。」ということになりました。尿検査の結果、晴れてオタフクではないことが確定しました。三女も午後に熱が出ることもなく、病気でない3人は呑気にゲームをして過ごしていたのでした。とほほ。 そして2月の3連休、友達に誘われて、バブリーにも、苗場プリンスに泊まってスキーに行きました。娘たちもスキーを楽しみにしていて、前日は早々に布団に入りました。夜中に三女が私の布団に入ってくると、妙に温かく「やなかんじ〜」と思っていました。出発当日の朝、検温して見ると38.5度、しっかり熱がありました。一瞬、キャンセルという言葉が頭を巡りましたが、家で寝ているのもホテルで寝ているのも同じだし、すぐに熱が下がったら悔しいということで、行くことに決定しました。結局、金曜・土曜と熱が出ていたので、三女はベッドでごろごろと寝たり起きたりの生活をしていました。夫と順番に三女に付き添い、スキーをし、グループで行ったので、長女は仲間の人と一緒に滑りに連れて行ってもらったりもでき、ホテルがゲレンデの目の前だったので、ナイターや早朝にも滑ることができ、ラッキーでした。三女の熱も帰る日である日曜の朝にはすっかり下がっていました。おかげで、月曜から会社に行くことができて、親孝行な娘です。 ところが、火曜日、保育園に行って少ししてから、「37.7度の熱です」という連絡がありました。とりあえず、会社に向かっている夫に連絡したところ、会社で少しだけ用事を済ませたら、迎えに行くということに話がまとまりました。お迎えの後、病院に行くと、「2日間、熱が下がっていたけれど、インフルエンザでしょう。この熱が下がって終わり」ということでした。午後には、熱も着々と上がり、39度も超えていました。翌日には三女の熱もすっかり下がり、元気に保育園に行ったのでした。 こうして、悪夢の闘病月間が終わりましたが、油断大敵、日頃からもっと精進しなければ・・・と、心も新たに誓うのでした。みなさんも健康には気をつけて・・・。インフルエンザの予防接種はよく効くようですよ。 それでは、また。 |子どもを育てながら働くインデックス|酔水新聞トップページへ| ご意見ご感想はこちらまで |