1999年を振り返ると、さして進歩の見られなかった1年の様に思えます。すでに確立されている霞家の生活パターンにも、進化が見られませんでした。 まず、1998年はバブリーだったので、お金の流れを把握しようと思っていましたが、レシート・領収書の類を集めただけで、結局何もせずに終わってしまいました。家電崩壊の嵐も過ぎ去り、1999年の大きな出費は、一眼レフカメラ・キャンプ用品・スキーのキャリア・スタッドレスタイヤ等でした。濡れ手に粟の地域振興券の20000×3=60000円という、臨時収入もあったので、年末の通帳の残高も1998年よりも多くて、にんまりと新年を迎える予定でした。が、12月20日の朝、電子レンジがついに力つきてしまいました。前日まで順調に動いていたのですが、タイマーは動くのに肝心のモーター部分が動かず、うんともすんとも言わない状態でした。その晩、酔水電気入りを密かに狙う理系夫が大張り切りで、レンジ内部をチェックしました。ヒューズやスイッチ系統には異常が無く、回路系がよくないという結論になりました。お手軽には直せそうにもないので、買い換えることになりました。年末の帰省を控えたこともあり、2000年になってから購入することになりました。おかげで1週間あまり、電子レンジなしの生活でした。冷蔵庫の中にはレンジ対応食品の山、2000年問題に備えて、冷蔵庫の中身を無くして、帰省したいところなので、どうにかして消費しなければなりませんでした。プラスチック系容器からわざわざ耐熱容器に移し替えて、オープントースターで調理したり・・・と、大変な苦労でした。改めて、霞家における電子レンジの役割の偉大さを実感しました。 さて、生活面を振り返ると、1999年は私と夫が怪我をしたことが残念な出来事でした。幸い、夫の怪我も順調に回復してきて、だいぶ動かせるようになってきました。子どもたちもそれぞれ成長をし、家族でレジャーを楽しめるようになりました。酔水会のうつけ・三崎キャンプへの参加、家族スキーも少しずつ復活しました。アウトドアだけでなく、インドアでも家族で、トランプ、ウノ、ポケモンポンジャン、テレビゲーム等を楽しんだりしています。家族共通の楽しみが増えてきたことは、南家にとってちょっぴり進化した点かもしれません。 最後に、とても悲しい話になりますが、娘の通う保育園の卒園児である女の子が病気で急逝してしまいました。保育園の年長組の時に病気で入院していたこともあったのですが、その後はすくすくと小学校5年生になりました。10月の保育園の運動会にも妹さんを見に来ていて、卒園児の競技で長女と一緒に手押し車をしたり・・・と、元気な姿を見ていたぱかりだったので、とても信じられませんでした。自らも子どもを持つ親となると、我が事の様に悲しさを感じます。こうした話を体験するたびに、娘たちは多少できが悪くとも、元気に育っているだけでも、大変ありがたいことだと実感するのです。しかしながら、現実は親の欲目もあり、いろいろと期待もしてしまい、毎日毎日、指導の嵐が飛んでいます。もっと優しく大らかな気持ちで娘たちにも接してあげたいと思いながらもできていない現実、2000年からの大きな目標です。 それでは、また。
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