第3回

 武蔵浦和駅の脇のベンチで本を読んだ。目の前を仕事へ向かう人、学校へ向かう人が流れる。僕は本を読みながら、その人達の流れを視野のすみに感じ、その脇に独り静止する自分を感じた。しかしもうなんの苦痛も伴わない。
 思えば何も気にかけることなくただ休める、暇をもてあますといった感じの休日はしばらく味わえていなかった。普段この通勤通学の流れに属しているからこそ味わえるものなのかもしれない。単純に日曜日を喜び、夏休みを喜ぶといった、高校卒業までは感じていたであろうそういった感覚を感じたのは本当に久々のことだった。そして、その感覚を再び所有したそのとき、僕は大学に受かった自分を実感すると同時に過去の自分が鮮明によみがえってきた。

 僕の部屋の窓からは武蔵野線が見える。毎朝毎夕僕の目の前をまるでシシャモの腹のようにパンパンにふくらませて走っていた。僕はその光景がうらやましかった。

 二浪目。一年間自宅浪人生として生活することになった僕はその電車の流れを毎日窓から眺めては、動かぬ点としての自分の存在に苦々しい苦痛を感じていた。この頃の僕の一日の生活と言えば、朝起きて、寝まき・普段着兼用のトレーナーをほとんど着がえることもなく、外を眺めつつ机に向かい、昼がきて、昼食を食べながらだらだらとつまらないテレビを観て、また机に向かい、夜になって夕食を食べて、週二、三回コンビニへバイトへいく以外はまた机に向かって12時になったら寝るといった具合だった。勉強しても成績はいっこうに上がらず、平日も休日もなく、夏も冬もなく、日々は進行することなくただそこで回転するのみであった。昨日と同じ朝、先週と同じ一週間、昨年と同じ一年、永遠に僕はこの回転の中から抜け出せないのではないかと想像していた。

 あいかわらず悩みは尽きず、悩むのが好きで、何に悩んでいるのかも分からなくなり、昨年同様言葉に、自分の理想とする型にこだわり、他人をそこにあてはめて他人のあらさがしをしては無気力に憤っていた。何かに対する自分の考えを白か黒か、YESなのかNOなのかはっきりとしたものにしたくて、悩み、悩むことの無限を感じ、勉強も精神状態も泥沼深く沈んで、その闇の中でとちらに向かえば光が見えるのか、自分は上に向かってもがけているのか、そんなことを一人部屋で考えていた。

 たまに息抜きに図書館で勉強した。片道15分の自転車がめったに部屋を出ない僕にはいい運動だった。図書館には浮浪者がたまっている。非常に失礼だが僕は当時浮浪者に妙に親近感を持っていた。自分と同じく社会からはずれた、阻害された仲間のような気がした。僕は思い上がっていた。

 一度、夏の終わり頃だったと思うが、どうにもやりきれなくなって、ほんとにもう煮詰まってしまって、気がふれたらふれたでいい、死んだら死んだでいい、なんか大げさだけど精神的にもうどうしようもなくなってしまったことがあった。こういう時に友達に助けを求めるのは友達を利用するようで、互いの間に流れる友情をけがすようで、僕は嫌いだった。しかしどうにもたまらず、一人でいるのがこわくて友達に電話してしまったことがあった。その友人、星野くんとは高一の頃からの付き合いで高校卒業後も半月に一度くらいは一緒に飲んで、よくいろんな事を神経質に語り合っていた。星野くんは僕の孤独と陰鬱に満ちた電話に少しも嫌がるところを見せず、それどころか今から家に来いと言ってくれた。僕は彼の好意に甘え、結局一週間も彼の家でお世話になった。いつもは多くを語り合う僕達だったが、その時は彼から何を問うでもなく、何かを語るでもなく、ただずっと僕と一緒に部屋にいてくれた。そうやって僕をゆっくりと立ち直らせてくれた。その時の彼の暖かさを僕は忘れないだろう。この時以来これほど生きる事に煮詰まったと感じたことはまだない。

 浪人となって二度目の冬。人間として、受験生として、昨年と何が変わったのか分からなかった。一年間何をしてきたのかが分からなかった。昨年と同じ数値を示す偏差値が一年間の僕を否定していた。部屋のラジオがクリスマスの街並みを、木々には明かりが灯されて、その下を大勢の若いカップルが行きかって、そういった街並みを伝えてきた。そのたび僕はラジオのスイッチを切った。

 この年、僕は心理学部を三校受験することに決めた。そして入試ひと月前には三つとも落ちることを確信した。一校目、二校目はそれでもなんとか試験を受けた。三校目は受けに行くふりをして映画を観に行った。次の日親にバレた。しょぼい映画だった。

 どこにもうからなかったぼくはもういちねんやればさすがにうかるかなとおもってさんろうすることにした。

ホームページ担当編集者からひとこと 
 心に響く文章に、私自身も過去の記憶がよみがえってきました。もう10年も前のことになりますが、私自身も2浪を経験し、その間、松本氏と同じような気持ちでいた時間が多分にあった気がします。今にして思えば人生で初めての大きな挫折でした。その時いろいろ苦しみ悩んだことが今の自分を少しだけ強く、そして優しくしてくれた気がします。連載第四回も期待しています。がんばれ仁!!(ゆうじ)

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