第2回

 さて早くも大好評の松本仁の四浪記、筆一本で食っていけるんじゃないかという勢いのなか、今回はいよいよ四浪の一年目について書いていこうと思います。

 前回書き忘れたのですが、高三の秋頃、現役中に一度だけ模試を受けたことがあり、KNOWの過去分詞形をなぜかKNOWEDという架空の単語を書いて(答えはKNOWN)当然バツをつけられ、しかも自分では何故それがバツなのか友達に指摘されるまで気づかず、結局偏差値30という慶応進学会にも相手にされないありさまで現役時代を終えたのでした。

 そして一浪目。進学を自ら選択したとかしないとかに関係なく、とりあえず予備校に進みます。この頃僕は友達がいて、彼女がいてという甘える場所に満たされている自分の環境に嫌気がさしていました。人に甘える自分の弱さ、自分と一対一で向き合えない弱さを周りの人のせいにして、周りの人間を排除しない限り自分は二度と一人では立てない弱い人間になってしまう、今ならまだ間に合う、そう考えたのでした。高校生のときの水泳部の練習では部長としての威厳を保てても、いざ試合のスタート台に立つと裸の自分になってしまい、「緊張」という周囲への甘え、自分自身への甘えからくる感情でガクガクになり、たかがターンもできない程の自分の弱さ、そういったものを取り除くためには一人に戻らなくてはと、それをそれまで自分の周囲にいた人間のせいにして、同じ予備校に通う高校のともだち、水泳部の仲間から遠ざかり、人への愛着、一人で入ることによる孤独感などの感情を軽視して、何もかもを言葉によってくくり、物事に対していちいち定義付けをしていくという、言葉にどっぷりと漬かった生活が始ります。そしていざ二重三重の他人の目というフィルターをはずしてみればその中には何もなく、自分の存在が崩壊したように感じ、それを言葉によって一生懸命再構築するということを繰り返していました。そして自分に向けるはずであった目は次第に他人に向かうようになり、たまに人と話しては他人への批判や自分が考えている物事などを聞き手も自分もブルーになるほどくどくどと話す、いわゆる一人よがりの雄弁家(ミソロゴス)であったと思います。何のために自分の考えなどをべらべらとしゃべっていたのかと言えば、他人を批判することで自分がすごいと思われたいとか、自分は物事をこんなに深く考えていますよといった、要するに他人への自己宣伝であったと思います。西高生だとか水泳部の部長といった周りから認められる肩書きがすべてなくなって丸裸になった自分を、その自分に向き合うはずであったのに、今度は言葉によって自身を武装し、勉強からの、現実からの逃避が物事を考えるということになり、勉強よりも物事を考えるほうが大切だとありきたりのセリフで自分を正当化し、行動よりも常に言葉が先行するといったありさまであったので、自分が受験生であるという現実がまるで見えていなくて、だんだん予備校にも行かなくなり、家のベッドで三日間眠らずに夕食以外は動かずにボケェーと何かを考えていたり、初期の井上陽水のCD(これがかなりキツイ事言ってたりするんですよね)を聞きまくってひたすら共感したりしているうちに夏がきて、模試が始り、普通模試というとだいたい東大宮駅にある芝浦工大(駅からかなり歩く)が会場となって、そこで受けていたのですが、ある日の模試でやる気のなかった僕は会場が駿台大宮校であったのにかんちがいして芝浦工大に行ってしまい、普通のキャンパスライフを見学してそのまま帰ってきたりしているうちに夏が終わり、秋が終わり、冬がおとずれる頃まだ言葉にどっぷりと漬かっていた僕は心理学に非常に興味を持っていたのですが、その時点での偏差値が40ぐらいであったので、このままではとても心理学科へは進めないと考え(心理学の方向へ進むには偏差値65ぐらいは必要だったと思う)最後の模試でいっきに偏差値を上げて自信をつけようと考え、最後の模試に向け高校受験以来動かしたことのなかった脳みそをフル回転させてテスト勉強にのぞみ、フル回転させすぎて疲れがたまったのか当日寝ぼうしてしまい、試験会場は芝浦工大だったのですが、ギリギリセーフで慌てて飛び乗った電車が東大宮駅まであと2駅というところで終点(大宮駅)になってしまい、次の電車を待っていたら模試一限目の英語にギリギリか五分位遅れてしまう、今回ばかりは余裕を持って試験にのぞみたいと思い、大宮駅からタクシーを使おうと考え、持ち合わせのお金が千三百八十円しかなかったがなんとかそれで行けるだろうと思い、タクシーに乗り込み運転手に千三百八十円で行けるかと聞いたら途中までしか行けないと言われ、それでもとりあえず千三百八十円で行けるとこまで行ってもらうことにしつつ、内心運転手の同情で芝浦工大まで行ってくれることを期待し、マジかよっ!って早さで料金はガンガン上がっていき、あっという間に千三百八十円まできて、大宮公園をちょっとすぎたあたりで運転手に同情されつつ降ろされ、歩いている人に道を聞きながらひた走り、なんかいっつもワンパターンな自分に憤り、冬なのになぜか便所サンダルをはいてきた自分を恨み、走っても走っても目的地は見えず、時計をみれば模試は始っていて次の電車を待ってさえいれば今頃は席について…と後悔し、足が痛くなり、生まれてはじめて自転車をマンションの駐輪所から盗み、鍵がかかってなかっただけあってパンクしており、一向に進まず、やっと目的地に着くも30分遅れで模試を受け、30分遅れの割に勉強しただけあってけっこうできたっぽいなと思いつつ、昼食代もなく、ひもじさに耐えながら午後の模試を受け、しかし松本よくやったと自分の頑張りの満足感にひたること一ヶ月、返ってきた偏差値を見てビックリ、なんと偏差値40のまま。あの頑張りは一体…と複雑なヒジョーにブルーな脱力感にひたりつつ、とても心理学科に入れるアタマではないと悟り、遊び人になろうと決意し、A大学の二部を受け、あっさりと落ち、ほんと勉強しなくちゃなと痛感しつつも思うだけ、言うだけで行動のともなわない僕はやたらやる気だけをどんどんふくらませ、二浪してやる!と他に選択肢が思いついたわけでもなくわりとあっさりと二浪をきめたのでありました。

 こうして二浪目に突入していくのでありますが、次回予告をしておきますと、二浪目勉強してません。読むだけムダ、「四浪記」とかいって名ばかりのサギです。割に合わないのでみなさん次回は読まないように!

担当編集者からひとこと 
 5月号でセンセーショナルなデビューを飾った松本仁。おまたせいたしました。隔月で登場です。大学生活やアルバイトが忙しくなったことと、紙面からもおわかりのとおりの内省的な性格から第二回の筆が思うようにすすまず、二ヶ月間人知れず苦労したようです。彼の原稿をタイプしていて圧巻だったのは第三段落のなかごろ、1300字におよぶひとつづきの文章です。日頃の閉塞感と試験に間に合わない焦燥感の描写が読点で延々延々と続いていて、胸が痛くなります。手記にするにはまだ記憶が新しすぎて、書いていると気持ちが落ち込んでくると彼は言っています。それでもわたしたちは読みたい!隔月でもいいですから、少しづつでもぜひ書きつづけてもらいたいと思います。筆者の都合により、第三回は9月号に掲載の予定です。(あ)

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