私のことです

昭和35年(西暦1960年)子年 3月21日生 牡羊座
血液型 
動物占い コアラ

1974年〜1978年
中学3年のとき「かぐや姫」の「あかちょうちん」を聴き感動の涙を流す・・・変なガキ。
その影響でフォーク・ギターを親にねだりYAMAHA FG-130(1万3千円)を買ってもらう。
でも弾けないまま高校入学。

大崎君(LIBERTYのボーカル)がギターを買ったのをきっかけに2人で練習を始める。
「かぐや姫」の曲ばっかりやってたなぁ。
大崎君とバンドを結成、その名も「あかちょうちん」・・・親に笑われ、友人には「あかちんちん」とか言われる。

でも負けずに2年半ほどライブ活動(といってもかぐや姫のコピーばっかでしたが)を続ける。
初めて書いたオリジナル曲は「仙人様の歌」・・・・(大丈夫か?)
途中から松島君(名前だけ書いてもわかんねぇよな・・・)がベースを持って参加、
いよいよ「かぐや姫」スタイルになる。

面白いもんで、3人ちゃんと役割みたいのがあり、僕が南こうせつ、
大崎君が伊勢正三で、松島君が山田パンダの歌を唄ってたです。

このころ「足利フォーク村」に参加。

当時地元で人気の「たんぽぽ」という、これも「チューリップ」のコピー・バンドがあって、
彼らとジョイント・コンサートをよくやりました。
彼らとやると人の入りが良いもので。。。

そして、高校3年のときに「解散」。
「解散コンサート」は3回くらいやりました。
「解散」というと人の入りがよかったので。。。

この辺から肉親、親戚筋には読ませたくないんだけど、きっと読まないので続けます。

1978年〜1980年
高校卒業後、都内にある某専門学校に入学。中野区で一人暮らしを始める。

そのアパートが、、、ハハ。
「かぐや姫」の世界に憧れていたものだから、4畳半一間(もちろん裸電球!)、風呂無し、トイレ共同。。。
雨戸を開けると木屑が落ちるという2階の角部屋、
窓から見えるのは新宿高層ビルと隣のアパートの階段。
詩の世界は現実に生きてみると、寒かった。。。

3軒茶屋にあった音楽事務所に入り弾き語りの仕事をもらい、銀座や原宿のパブで歌い始める。
その事務所のウリが、忌野清志郎がいたことがあるという怪しいものだった。
そこで知り合った人たちと「MASH」というポップス・バンドを結成、数回のライブとコンテストに出場する。
そのころから服装に変化が現れ始める。
友人曰く「ステージ衣装より普段着の方が派手だね。」

18才〜20才まで東京に住み、20才の夏、渡米。

1980年〜1987年