ナクシタキオク



[prologue]

『いいもの見せてあげる』
その言葉に釣られ、真夜中に連れ出されたのは敷地内にある大きな桜の木の下だった。

今日の夕食時にこっそりと耳打ちされたのは、「夜中まで起きていられる?」という台詞で、その音の中に多少馬鹿にされたような感じがしたのが気に障って、すぐさま「当たり前だ」と応えた。そんなことでカッとなるのは子供っぽかったと気づいたが、今更取り消せる訳がなく、すでにその言葉は隣にいる少年の耳にしっかりと届いたようだった。
「じゃあさ、今夜起きててよ。夜中に迎えに行くから」
「何をする気だ?」
そう問えば、少年はニヤリと笑い、
「いいもの見せてあげる」
と返事をしたのだった。

12時過ぎ、多少疑いながらも起きて待っていれば、控えめにドアを叩く音が聞こえた。ドアを開けてやれば、暗い廊下の中に懐中電灯を片手に持ちながら、寝巻きの上にジャケットを羽織った少年が立っていた。にこりと笑い、言う。
「ちゃんと起きてた」
「当たり前だ」
「じゃあ来て。あ、上着着てこいよ。昼間はあったかいけど夜は冷えるから」
「ちょっと待て。外に行くのか?」
少年の言葉に驚きそう問い返せば、あっさりと頷き返された。屋敷内だと思っていたので戸惑いはあったが、仕方なく上着を着ながら先を歩く少年の後に付いていく。縁側にある雨戸をゆっくりと静かに開けると少年は草履を渡した。ここから外へ出るのだという。
「俺は歩きなれてるから平気だけど、お前はこんな暗い中無理だろ。懐中電灯もな、万が一の時のために持ってきただけだからさ。点けて見つかったらヤバイし」
言われ周囲を見回せば確かに真っ暗だった。庭の外灯もすでに消されていて頼るのは月明かりぐらいだ。だが今日は幸いに………。
「だから、……ほら」
少年の言葉に思考は遮られ、目の前に出された手をぼんやりと見つめた。何の反応もないこちらに焦れたのか、少年はさらに言い募った。
「だからさ、その、手を繋げば、大丈夫だと、思うから」
ああ、そうか。
差し出された手はそういうことか。
迷いもなく手を重ねれば、触れ合った瞬間、ギュッと握られた。
「じゃあ、しっかり付いて来いよ。すぐそこだからな」
微かに声が弾んでいるように聞こえたのは気のせいか。それとも心が弾むほどいいものなんだろうか。どちらかはわからないが、強く握り返し、暗い庭へと歩き出した。
緩やかな凹凸がある敷石を踏み締めながら、ゆっくり一歩一歩気をつけて歩いた。もう少し速度を上げても平気だったが、隣を歩く少年の早さは変わらなかった。途中わき道に入り、人の背丈ほどある低木を掻き分け、前に進めば急にぽっかりと空いた空間にたどり着いた。視界が開け、目の前の風景を見つめ、思わず息を飲んだ。

大きな桜の木だった。その薄紅色の花は生命を誇示するかのように満開であり、晴れ渡る夜空には満月が煌々と輝いていた。月の青白い光を受けぼんやりと煌めく桜の木は、どこかこの世のものではないようにも感じられた。
「すごいだろ」
少年は言った。その台詞に首を縦に振りながら応える。
「ああ。とても綺麗だ」
「この桜は俺ん家の庭に植えてある桜の中で一番大きいんだ。庭の奥にあるから表からだとあんまり見えなくて、気づかれにくいけど」
もっと近くで見ようということになり、桜の木の真下まで歩いた。頭上を見上げれば、一面桜の花で視界が覆われた。重なり合う花びらの僅かな隙間から明るい夜空が見えた。
「明日……」
隣から聞こえた呟きに気づき、桜を見ていた視線を少年へと移した。あちこちに跳ねている茶色い頭を下に向け、少年は何かを考え込むように俯いている。
「明日?」
促すように聞き返せば、前髪の間から少年の緑色の瞳がこちらを見た。それからおもむろに顔を上げ、咲き乱れる桜を見つめた。
「明日は、ナナリーも連れてきて三人で写真でも撮ろうぜ」
「そうだな。ナナリーにも見せてやりたい」
少年は緑色の瞳を真っ直ぐこちらに向けた。さきほどまであった戸惑いはない。真剣な眼差しだった。お互いに黙って見詰め合う。繋いだ手は離れるのを拒むように硬く握り締めていた。
「明日」
少年は言った。
「明日、何時の飛行機?」
「夜の8時15分。午後早く出れば間に合うと思う」
暗に、午前中にみんなで写真を撮ろうと提案したつもりだった。少年は頷いたが、どこか上の空だった。
「明日、帰るんだな」
「ああ、ブリタニアに戻る」
そう言った瞬間いきなり抱き締められた。その力は強く骨が軋む感覚がしたが、拒むことも出来ず、小刻みに震える少年の身体を優しく抱き返し、軽く背中を撫でた。どのくらいそうしていたのか、やがて少年の震えは納まりきつく抱き締めていた腕は緩み、目の前に少年の顔があった。いつでも雄弁に気持ちを表す瞳は、今は悲しみのため揺らめいていた。背中に回っていた手がいつの間にか両肩に添えられいてた。その手は軽く乗せてあるだけで振り払おうと思えば振り払えたが、それをすることはなく、黙って近づいてくる緑色の瞳を見ていた。唇に触れられたのは一瞬。だがそれだけで全身が震えた。
「俺のこと、覚えていてね」
「ああ、決して忘れない」
再会を約束するような言葉は口に出せなかった。この地からブリタニアは遠い。その圧倒的な距離を越えるには自分たちはまだ子供すぎた。そして時間は残酷だ。自分の力だけでその距離を越えることができるのは、はるか遠い未来のことだ。それまでの膨大な時間は人の心を変化させ、やがて気持ちは移ろい、そして思い出になるのだ。
思い出は思い出のままに。せめて過去の片隅に居場所を残しておいて、いつか懐かしく振り返る日も来るんだろう。そしてきっと今日のことは忘れられない記憶になる。そんな風に思った。
「明日、俺、空港に見送りに行けない。学校もあるし」
「ああ。写真はお前が登校する前に撮ろう。みんなで早起きしなきゃな」
そしてこの桜の下で写真を撮ろう。きっと最後の写真になる。
「ルルーシュ」
「ああ」
少年が名前を呼んだ。呼ばれた方も軽く頷いた。
「好きだったよ。とっても」
「ああ、わかってる」
「明日は言えないから今言っておくけど、本当に好きだった」
「ああ、知っている」
大きな緑色の瞳に涙を滲ませながら少年は笑顔でそう言った。
二人が会っていた期間は短かった。出会った時からいずれ本国へ戻ることはわかっていた。最初から短期間の滞在になることは知っていた。それでも感情というのは止められないものなのだ。別れることを前提にしても。だから、最後の最後まで二人は何も言わなかった。言葉を伝えるのは別れの儀式の時だ。そして今がその時なのだ。
「明日、お別れだね」
「そうだな」
「さようなら、ルルーシュ」
そう言って少年は視線をずらし、満開の桜を見上げた。ひとつ、ふたつ、桜の花びらが舞い落ちる。釣られ一緒になって見上げた。吸い込まれそうな無数の花びらに目をやりながら、別れの言葉を口にする。

「……さようなら、スザク」



あの頃、ちょうど両親の離婚騒動が持ち上がっていた。父親は神聖ブリタニア帝国皇帝、母親は元ナイトオブラウンズの軍人出身で、互いに想い合っていたようだが周囲の環境が二人に穏やかな生活を与えてくれなかった。皇帝はその身分から一夫多妻制だ。そのほとんどが大貴族の令嬢ばかりで、そんな完全な貴族社会の中、元軍人で庶民であった母親には皇妃という立場はそうとう辛かったらしい。それでも自分の記憶に残っている宮廷での暮らしの中で、母親はそんなことは微塵も感じさせないぐらい堂々としていたような気がする。彼女は彼女なりに、元ナイトオブラウンズという帝国最強の騎士であった己に自信を持ち、身分社会の中で戦っていたようだ。だが、そんなプライドを粉々にする忌まわしい事件が起きたのだった。
皇族はそれぞれの宮殿を持っていて、自分たちに与えられ住んでいたのはアリエス離宮といった。そのアリエス離宮を狙った爆弾テロが起きたのだ。犠牲者は宮殿で働いていたメイド2名、警備員1名、負傷者は自分たちを含め十数人に上った。ブリタニア皇族を狙った無差別テロだということだったが、そうではないことは火を見るよりも明らかだ。他の皇族が皇帝の寵が深い母親を妬んで行ったテロに見せかけた暗殺だった。
それまでも幾度も嫌がらせなどはあったらしい。だがこのように命を狙ったものは初めてだった。彼女は決断した。このままでは自分だけでなく子供らも命を落とすことになるだろう。それを避けるために「皇妃」という座から降りようと。子供共々市民に戻ろうと。
皇帝である父親は当初、母親の決断に大反対したらしい。だが彼女の意思は固かった。どのように説得しても決して折れなかったという。そんな両親の離婚をめぐるいざこざの中、自分と妹のナナリーが身の安全のため預けられたのが、はるか遠い国、日本の枢木家だったというわけだ。
どうしてそんな遠いところに預けられたのか。その理由のひとつはブリタニア帝国内のほうが返って危険だったからに他ならない。ブリタニアは君主制国家だ。その国の頂点に立っている皇帝の反対を押し切り、母親は市民になろうとしている。そんな時に自分たちが誘拐でもされ、それを盾に母親に撤回を求められたら彼女はきっと屈するに違いない。それを避けるために状況が落ち着くまで、皇帝の権力が届かない国外へ連れ出されたのだ。
そしてもうひとつ、何故日本だったのか。それはアリエス離宮に勤めていたメイドの篠崎咲世子の紹介だった。日本に代々と続くキョウト六家のひとつである枢木家、日本の、しかも有数の名家ならばブリタニアもそうやすやすと手出しできないだろう、という判断だった。だが、いくら咲世子が枢木家の親戚筋だからといっても、下手をすればブリタニアを敵に回すことになる。それなのに自分らを預かってくれた枢木家には感謝してもし足りなかった。そうしてそんな中、自分は出会ったのだ、枢木スザクという少年に。


結局、両親の離婚騒動は、母親が国外へ亡命するよりはということで皇帝が折れたらしい。それを聞いた時、自分たちを日本に送り出したのはある意味布石だったのだということを理解した。いざとなったら母親は日本へ行くつもりだったのだろう。
一般市民になり、皇位継承権も放棄すると、それまで度々あった嫌がらせの類はピッタリと収まった。あからさまな変化に思わず苦笑いが零れるほどだった。権力がそんなに大事か。その権力を貴様らが使いこなせるのか。首謀者にそう問いかけたくなった。
日本からブリタニアに戻ってすぐにアリエス離宮を出て、帝都ペンドラゴンにある屋敷に移った。「皇帝から慰謝料たくさん貰ったのよ」と明るく笑う母親だったが、この屋敷は皇帝から押し付けられたのだ、ということが後からわかった。
そして家族そろって一般人になった母親は再び軍人に戻った。だが希望していた前線のKMFのパイロットはさせてもらえず、開発部所属になった。これも皇帝が手を回したらしい。屋敷にしろ、開発部所属にしろ、父親である皇帝の母に対する執着はそうとうなものだ。それにある晩見てしまったことがある。深夜、高級車が来ているのを。完全にスモークがしてあり誰がのっているかわからなかったが、直感で皇帝なのだということがわかった。月に三度ほど、そういったのを目にした。今でも回数の増減はあるものの、月に一度は必ず訪問しているようだった。
皇帝は母を愛しているのだろうか。きっとそんなこと聞くまでもないんだろう。けれど、そんなふうに想い合っていてもどうしょうもないことがある。自分とあの少年のように、想いだけではどうにもならないことがあるのだ。

あの桜の木の下で別れを口にしてからすでに数年が経っている。あの幻想的な夜のことを忘れたことはない。




[2010/04/14]

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