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追悼・辻内鏡人

 

教え子と友人たちの取り組みの記録

Last Update 2002/02/04

はじめに
起訴状の概要
なぜビラ配布行動を始めたのか
捜査・報道とビラ配布行動の関係
なぜひきつづき情報提供をよびかけているのか

 

2001.1.4

 

辻内さん轢殺事件の概要と情報提供のよびかけについて

 


はじめに

辻内さんの轢殺事件(2000年12月4日)をめぐっては、2000年12月14日から20日までのあいだ、教え子・友人たちが大規模なビラ配布行動をして「真相究明」への協力を市民の皆さんに呼びかけました。辻内さんの職場であった一橋大学社会学研究科も、同僚だけでなく、学部長・評議員の声明として、事件の真相解明を訴えています。

しかし、このビラ配布行動については、市民や学生の皆さんから、犯人が逮捕されているのになぜ?という素朴な疑問の声を耳にしたことも事実です。また遠方にいらっしゃる辻内さんの友人の皆さんには、分からないことだらけではないでしょうか。たしかに、犯人は逮捕・起訴されました。しかし、辻内さんがなぜ轢き殺されてしまったのかについては、まだ、決して明らかになったとはいえません。それが、ひきつづき私たちが情報の提供を訴えている最大の理由でもあります。まずこの点についてご説明しておきたいと思います。

 


起訴状の概要

2000年12月26日の新聞各紙(多摩版)が報道したところによれば、加害者を傷害致死容疑で告発した東京地方検察庁八王子支部の起訴状は、容疑者が12月4日午後8時25分頃、国分寺市富士本1丁目の市道で軽トラックを運転中(地図参照)、辻内さんが自転車に乗っているのを見つけ、時速約20キロから30キロに加速させ、前を走る辻内さんの自転車に衝突、辻内さんを路上に転倒させた上ひいて、約1時間半後に死亡させた、というのがその主な内容のようです。起訴状が指摘する犯行は、もし事実であれば、加害者があえて車を加速させて追突したうえ、さらに辻内さんをひいているという点で非常に悪質であり、怒りを禁じ得ません。しかし、この起訴状には動機がふれられていません。このことについて、地検八王子支部は「法廷で明らかにしていきたい」としています。

現場付近の地図(歴史共同研究室作成・配布ビラ裏面)


なぜ、ビラ配布行動を始めたのか

事件の発生当初から、辻内さんの友人たちのほとんど全てにとって一番のひっかかりになっているのは、上に述べたようにまだ明らかになっていない事件の動機・背景だと言ってよいと思います。

もちろん、事件の動機・背景を解明する主体は起訴前は警察・検察であり、起訴後は法廷において事実が究明されるべきものであり、第三者が性急に事件の真相について憶測めいたことを語るべきではないし、基本的には司法のプロセスを信頼して冷静に見守るべきだと考えます。

それにもかかわらず事件の動機・背景に教え子や友人たちが当初からこだわり、ビラ配布行動に出たのは、事件の真相を知りたいという気持ちもさることながら、むしろ、事件の発生当初の一部新聞報道が、事件直後の加害者の供述を警察があたかも事実と断定したかのような不用意な記事を配信した結果、あたかも辻内さんが一方的に加害者に脅威を与えるような行動をしたことが原因で加害者が犯行に及んだかの印象を不特定多数の読者に与えてしまったことに対する不満や怒りに発していると言うことができると思います。

「調べによると、容疑者がJR国立駅付近を走行中、自転車に乗った辻内さんが助手席のドアをたたくなどしたためスピードを出して数百メートル逃げた。辻内さんが追いかけてきて右から追い抜き、軽トラックを止めようと左へハンドルを切ったところへ、車をぶつけたという。同署でトラブルの詳しい原因などを調べている」(朝日新聞12月5日朝刊)

上記の報道記事は、事件直後の12月5日午前1時49分に同社のホームページに掲載されました。午前2時前に私もこの記事をインターネット上で発見してディスクにセーブしましたが、このとき、辻内さんが死んだということのショックで呆然としていた私の横で、妻がこの記事は一方的だと怒り出したことを記憶しています。もちろん全ての新聞がそうだったわけではなく、読売・毎日などは、供述の内容を容疑者の主張であることを明記していました。しかし、実際にビラ配布行動をしてみると、こうした新聞報道から、多くの方が事件の原因が辻内さんの側にあったと思い込んでしまっていることに気がつき、またこのような事件像を「まだ何もわかっていない」という本来の姿に修正するのに、いかに大きな努力が必要かを思い知らされたのでした。

いずれにしても、事件の現場とは別に、加害者が当初の供述では「国立駅南口」で、あるいは少なくとも現場からはだいぶ離れたところで辻内さんとの間に「トラブル」があったと述べていたことは、各種報道から明らかでした。しかし、普段の辻内さんから想像する限り、何かよほど深刻な原因がない限り、加害者が「怖くなった(読売新聞12月10日朝刊多摩版)」と述べるほどのトラブルが起きるとは到底信じられないというのが、報道に接した私たちの率直な印象でした。

そしてその後、辻内さんの通夜・告別式が8日、9日に営まれる一方、警察の捜査にもかかわらず「トラブルを裏付ける目撃者や証拠は見つかっていない」(読売新聞12月8日夕刊・多摩版)ことが報道され、本当に現場から離れたところで「トラブル」があったのかどうかさえもよく分からないことが報道されました。このままでは、その内容もよく分からないまま「トラブル」が原因で加害者が犯行に到ったとして、辻内さんに事件の発端の責任があると一方的に認定されてしまう恐れがあるのではないかという懸念を、私は持ちました。そして、ご家族・教え子・友人たちの間でも、犯人がすでに逮捕されており故意に車をぶつけたことを認めているために捜査の範囲が「トラブル」の原因究明に向いていないのではないかという思いや(実際には警察もこの点も十分に考慮しながら捜査していると理解しているのですが)、辻内さんの傷ついた名誉の回復のために何かしたいという思いが強くあって、弁護士の方とも相談し、また捜査にあたっている小金井警察署刑事課のご理解を得たうえで、ビラの配布、目撃者の情報収集の行動を始めたのでした。

辻内さんと、仕事上、同一の科目を担当しあうなど同僚としては最も近い立場にあった関係で、ビラ配布行動の呼びかけ人や段取りのまとめ役は、私がやらせていただきました。そして私は事件が起きるまで知りませんでしたが、かつて松井坦氏の交通事故死をめぐるその友人たちの真相究明と家族支援の取り組みで辻内さんと20年来の知己であった、同僚の渡辺治・加藤哲郎の両氏が、その豊富な経験と識見で、いかにも経験不足の私に的確な指示を出してくれました。しかし、1万枚を超えるビラや立て看板の作成、行動計画の作成・実施の大半の仕事をやってくれたのは、何と言っても、歴史共同研究室の助手、山本さんと人見さんであり、職場の友人でした。辻内さんの人柄と、教職員組合活動への熱心な取り組みが、私の最も不得手な「動員」を難なく可能にしたのだと思います。社会学研究科の事務室にも多大の協力をいただきました。また寒いなか、雨模様の晩もあったにもかかわらず、教え子、友人、同僚、辻内衣子さんや御親族さらにはお嬢さんのお友達のお母様まで、毎日30名から50名ものボランティアに参加していただき、1万数千枚のビラを配布して、100件以上の情報・ご意見を市民の皆さんからいただくことができました。その様子は、加藤哲郎さんHPにくわしく記録されましたので、これ以上ここで繰り返す必要はないでしょう。

加藤哲郎HP ビラ配布行動の記録


捜査・報道とビラ配布行動の関係

ビラ配布行動の終結にあたっての挨拶で述べたことの繰り返しになりますが、ここで確認しておきたいのは、私たちの行動が、警察に代わって捜査したり真相を究明しようとしているのではない/なかったということです。また、当然のことながら私たちは辻内さんの人柄を信頼しているがゆえにこの行動に到ったとはいえ、私たちは事実を離れて辻内さんに有利な事件像を構築しようと考えているわけではありません。そもそも私たちには、どのような情報が誰に有利であるかを判断するだけの捜査技術もなければ、事件の全体像についての十分な知識もありません。さらに、司法が事件の当事者全てに対して公平を欠いてはならないことは言うまでもありません。それゆえ、私たちが最も注意を払わなければならないのは、集まった情報の断片から事件像を憶測したり、その憶測が噂として広がることを絶対に防がなければならないことでした。このことは、せっかく情報の収集にあたっていただいたビラ配布行動のボランティアの皆さんには、その行動の具体的な結果をすぐには何らご報告できないことや、集めた情報を秘匿していただくという点で精神的な負担もかけることになり、申し訳なく思っています。ボランティアの皆さんにはこの点をよくご理解いただき、感謝しています。集まった情報は、その内容を検討したうえで、また情報の提供者の方に確認したりしたうえで、捜査担当者に逐一お伝えしています。また、ビラを見て、直接、警察に情報を提供する方々もいると聞いております。

一方、ビラ配布行動のもうひとつの大きな目的は、初期の一部の報道が構築した辻内さんについての私たちからみると不名誉な事件像を是正することであり、また、私たちが普段から知っている辻内さんと、この理不尽な事件をどうすれば連続的に理解できるのかという意味での真相究明に対する教え子・友人たちの強い思いをアピールすることでした。この点は、ビラ配布行動への市民・学生の皆さんの声援と、ビラ配布行動とともに辻内さんの人柄を伝える新聞報道によって、その目的をある程度、達成することができたと思います。また、刑事事件被害者に対する配慮の必要性が語られる最近の世論動向に加えて、このような行動があったからこそ、警察・検察ともに、辻内さんのご家族には丁寧に対応していただき、また、起訴状の内容が当初の予想をこえて相当にくわしく報道されたのだと私は思っております。


なぜひきつづき情報の提供を呼びかけているのか

それでは、私たちは、なぜ、検察による容疑者の起訴後も、ひきつづき情報の提供を呼びかけているのでしょうか。それは、事件の正確な経緯が、まだ文字通り誰にも把握できていないということに尽きます。

このような言い方自体が、情報収集活動の結果を秘匿するという上記の表現と若干矛盾することは十分に承知していますが、傷害致死容疑の「動機」面の解明が進んでいないことはすでに新聞でも報道されていることなので差し支えないでしょう。検察・警察も、現在、裁判に向けて補充捜査を続行していると聞いています。

できる限り正確な事実を把握し、そこで認められた事実に即して司法が公平にして厳正な判断を下すことは、優れた歴史家であった故人の遺志でもあると考えます。また、刑事裁判の問題にとどまらず、加害者と被害者の間で発生した事実を正確に明らかにすることは、さまざまの補償や請求権の問題について関係者が納得し得る結論に達するためにもたいへんに重要なことであることもつけ加えておきたいと思います。

もちろん、本件をめぐる事実の解明は決して簡単なことではなく、本当にそれは可能なのかという問題も、社会科学を志す者として、辻内さんの同僚・教え子の全てが胸にしまっておくべき問いでしょう。しかし、故人の最後の一日が、常と変わらぬ充実した平静な教育研究生活のそれであったことを知る者のひとりとして、その日常性から突然の理不尽な事件に至った経緯を何とか連続的に理解できる結論をやがて得ることができると、私は確信しています。またそのことが、遺された御家族の、故人の仕事をこれからのアメリカ研究に生かしてゆくために頑張らなければならない教え子や研究仲間たちの、そして同僚の喪失をある意味で冷静にのりこえていかざるを得ない職場の同僚たちの心の平和のためにも是非とも必要なことだと考えています。

最後になりますが、私たちが情報提供を呼びかけている国立駅周辺の市民の皆さんには、この事件が、確かに交通事故ではなく傷害致死事件という突出した形で発生したとはいえ、地域の劣悪な道路状況の日常のなかで起きた事実を重く受けとめていただければと思います。事件と直接の関係はないものの、いかに地域の道路状況が危険に満ちているかを、今回のビラ配布行動を通じて知り、私は本当に驚きました。それはまた日本の都市のどこにでも、多かれ少なかれあることでしょう。このような状況を放置しないためにも、少しでも今回の事件に関係があると思われるあらゆる情報を、私たち[一橋大学歴史共同研究室 042-580-8918 or 中野あてEmail] または小金井警察署刑事課まで寄せていただければまことに幸いに存じます。

2001.1.4 中野聡

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