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記憶の記録
失われつつあるけれども、
失ってしまってはならないもの。
今、出逢わないと間に合わなくなるもの。
流れを途絶えさせてはならないもの。

自然、神社仏閣、市場、学校、駅舎(鉄路)、食堂、銭湯、
職人の仕事、人としてのたしなみ、親と子の関係、
町の記憶、人の記憶…
そうしたものたちを危機感をもって記録しておくべきです。
たとえば 従来の市町村史 という形ではなく、
人を、町を、時代を、
見つづけてきた方の言葉を聞くこと。
その人の肉声、表情、身ぶり、手ぶりを
感じながらそれらに出逢うこと。
その人の記憶の中には厳然として存在しているのに、
その人がいなくなったら一緒に消滅してしまうこと。
その人が知り得た、その人の周辺のことだけを語っているのに、
そこにはきっと、町の「来し方」が、また、ひょっとして、
「行く末」もが、浮かび上がってくるはずです。
其の壱「七番蔵」由来