・・・ SKIT ・・・

小ネタTOPにもどる

■眠れぬ夜

 始めはこちらから一方的に必要最低限の簡潔な言葉を伝えるだけだった。
 それが私感や軽口を交え、相手の反応や返答を待つようになり、やがて雑談をするまでになっていた。
 こちらの態度や口調を読んで次第に打ち解けて接してくるようになった少年騎士は、心だても頭の回転も良いようで、決してこちらを不快にさせることはない。むしろこちらが許容するよりも距離をおいたり、口をつぐんだりする。
 近くに来るよう差し招いたり、言葉の続きを促したりしたときの、はにかみながらこちらを見上げる表情を、いつの間にか好ましく思うようになった。
 そこには警戒心の強い小鳥を手懐けるような愉しさと満足感があったのだ。

 小さな山村の出身だという子どもの話は、何もかもが興味深かった。故郷の古老が語りついできたという伝承、亡命中に実際に見聞きした海や島国の話、果ては星めぐりのことまで、年若いながらも確たる知性と洞察力を感じさせる内容だった。
 一方こちらは王都の話をする。戦争が起こる前、国王一家がご健在だった折の宮廷行事や、街の賑わい、騎士団での生活。そんなありふれたことを、まるで伝説の英雄譚であるかのように瞳を輝かせて聞き入る様子はとても可愛らしく感じられた。
 馴れ合いは好きではないが、戦いの日々のなか、こいつの存在が息抜きになっていたのは確かだ。ともに過ごす時を重ねるにつれて、互いの距離が縮まるのを感じていた。

 同盟軍のなかで国や騎士団の括りをなくした歩兵の弓部隊が編制されたのは、そんな折のことだった。
 隊長には俺が、副官として件の少年が指名され、やや大きい天幕を共同で使用することになり、文字通り昼も夜も共に過ごすようになったのだ。



 その変化にはすぐに気づいた。
 まるで花がしぼむように、数日のうちにみるみる憔悴した様子は、明らかに尋常ではない。就寝前、天幕にふたりきりのときを見計らって、体の具合が悪いようだな、と衝立の向こうに声を掛けると、大丈夫です、と返される。

「怪我でも病でもありませんから、ご心配なく」
「確かに怪我はないようだが、治療者には見てもらったのか? それとも原因が分かっているのか?」

 ためらいがちに語られた返答は意外なものだった。

「……夜、眠れないだけです」

 なんだ、そんなことかと胸を撫で下ろしたが、同時に新たな疑問が頭をもたげる。

「以前は問題なかったということは、俺と同じ天幕になってからだな?」
「違うんです。あなたに問題があるんじゃなくて……ぼくが……」

 緊張した声音が気掛かりで衝立の裏に回ると、簡易寝台に腰かけている少年は、心中を隠すように目をそらした。身を屈め少年の頬に手を添えて、視線を合わせる。

「お前が……?」

 口をぎゅっと結んだまま、少年はこちらを見上げている。言葉を選び、最低限のことだけを伝えて納得してもらおうと、必死に考えているのが分かる。

「ぼくが、未熟な子どもだからです」
「それは兵士としてか? 人としてか?」
「……両方です」

 なおも黙って見つめていると、観念したように目を伏せ、ため息をついた後に呟いた。

「夢を、見るんです。もう何年も前、敵軍の捕虜になった時の……」
「うなされて夜中に俺を起こさないように、ここ数日、ろくに寝ていないということか」

 問いながら隣に腰を下ろすと、少年はこくりと頷く。疲れた表情をしてはいるが、心を打ち明けたことで、少しほっとしたように見えた。

「過ぎたことは変えられません。忘れて、明日に向かわなければいけない。でも、忘れることができないんです。自分にはどうすることもできないという悔しさで頭がいっぱいになって……もう、どうしたらいいのか……」
「忘れる必要はないだろう」

 潤んだ深い色の瞳がこちらを窺う。

「同じ敗北を、決して繰り返しはしないと肝に命じておけばいい。それが、お前の正義になるんだ」
「正義……?」
「誰かに命じられたり、周囲が当然だと見做しても、納得がいかないことはあるだろう。そんなとき、お前の心を支える基になる」
「軍隊に一個人の感情なんか……」
「必要ないか。ではお前は、何のために戦う? 何をもって相手を敵と判じて屠る?」

 はっとしたように目が見開かれた。

「お前の主君は間違うことがないと言いきれるか? 俺たちは命令通りに動くだけの犬じゃない。忘れてはいけないこともある」
「でも……あなたの迷惑になります。衝立を挟んだすぐ隣で、ぼくが夜中に喚いたりしたら……」
「構わん。なんなら俺の寝台に入ってくればいい。枕を抱えて、怖い夢を見た、と泣きながら」
「そ……そこまで子どもじゃありません!」

 こちらの軽口に顔を紅くしつつ憤慨して声を張る様子は、先ほどまでの消え入りそうな弱々しいものから、いつもの見慣れたものに戻っていた。
 内心の安堵を悟られないよう、からかうようにくしゃくしゃと少年の髪をかき混ぜた後に再び視線を合わせる。

「戦場に立つ者は、多かれ少なかれ、誰もが傷を抱えている。何も感じなくなることの方が恐ろしいとは思わないか?」
「……傷を負ったのは自分が弱いからで、兵士としてそんな弱さは罪だと思います」
「問題なのは弱さじゃない。克服しようとする意志をなくすことだと俺は思う。そしてお前は、自分が正しいと信じるもののために足掻いている。何ひとつ間違ってはいない」

 そう言ってから立ち上がり、背丈ほどある衝立を折りたたんで天幕の隅の柱に凭せかけた。ふたつの簡易寝台は、少し距離を空けて並んでいる。自分の寝台に座りなおし、正面から相手と目を合わせた。

「お前は間違ってはいない──不安になったのなら、この言葉を思い出せ。それでも気持ちが静まらないときは、俺に言え。いつでも話を聞こう」
「……どうしてあなたが……」
「俺は、お前の師になるんだろう? 迷う弟子を教え導くのは、師の役目ではないのか? 一人で抱え込むな。持ちきれないなら、預ければいい」

 頬に手を添えると、大きく開かれた目から、涙が溢れた。視線を外すことなく、こちらを見つめたまま、ぽろぽろと零れていく。その透きとおった瞳がとても美しく、そして愛おしく感じられて、目が離せなくなった。
 自分の柄ではないと思ったが、その肩を抱き寄せた。緊張の糸が切れたのか、少年は堰を切ったように泣き出した。腕の中で小さく震え、声を殺して泣くのを見て、この子どものここ数年の辛苦が容易に想像できた。
 今までずっと、がまんしていたのだろう。自分を責め、誰にも頼ることなく、たったひとりで辛い記憶と向き合ってきたのだ。
 健気でいじらしい様に、慰めてやりたい、と思ったが、どうしたら良いものか。こいつが女ならば話は簡単だが、まさか同じことをする訳にもいくまい。軽く抱き寄せたまま、頭を撫で、髪を梳くしかなかった。

「ありがとうございます。もう大丈夫です」

 しばらくして、赤い目をしたまま、掠れる声で呟いた。感情を吐露したせいか、すっきりとした顔つきになっている。

『若木は自ら育つ。俺は周りの枝を掃い、水を遣るだけだ』

 武術指南役だった老傭兵の言葉が思い出された。
 ああ、そうだな。水を遣る役も悪いものじゃない。伸びゆく様を見るのは、楽しいものだ。

「角灯は……なるべく炎を小さくしますから、点けたままでいいですか?」
「ああ。暗闇も悪い夢につながるか?」
「いえ……あの……あなたを見ていたいんです。眠る、そのすぐ前まで」

 かすかに頬を赤らめて告げられる言葉に対して、表情を保つのに苦労した。小さな子どもに懐かれることなど初めてで、どういう態度をとったらいいのかまるで分からない。
 おやすみ、と言うと、おやすみなさい、と返された。
 ここ数日の疲労と泣いた後の気の緩みもあるのだろう、ほどなく安らかな寝息が聞こえだした。そのゆっくりとした音に誘われるように、こちらも眠りについた。


 心を預ける──それがどれだけ勇気のいることなのか、俺には分かっていなかったのだと思い知るのは、もう少し後のことになる。





■夜明け前

 恥ずかしさと焦りで頭がいっぱいになる。
 どうしよう。どうしよう……。

「……もう起きてるのか? まだ早いだろう……」

 寝台に膝を抱えて座るぼくの背後から声が掛かり、驚いて心臓が跳ねる。何か言わなくては、と振り返ったものの、言葉は出てこないまま、視界がにじむ。

「例の悪い夢を見たか?」

 ぎしりと簡易寝台を軋ませて、彼が身を起こして心配そうにこちらを覗きこむ。二つの寝台の間にあった衝立は、昨晩片付けたままになっていた。
 だめだ。知られてしまう。きっと、呆れられる。嫌われる。

「違うんです……いや……来ないで!」
「なんだ? ……ああ」

 あわてて両手で毛布を押さえこんだら、その上から温かな手が触れた。

「別に恥ずかしがることはないだろう」
「え……?」

 間近で囁かれる低い声。眠そうに目を細めた彼の頬や顎に僅かに見えるのは……

「ジョルジュさん……それ……」
「ん?」

 彼の頬に手を添えると、指先にはちくちくとした感触。

「何を珍しがることがある」
「あなたみたいに若くてキレイでもヒゲが生えるんですか!?」
「さっきから何を言っている?
 ……そうか。お前はここ数年ずっと一人で寝ていたんだったな。あの家老殿は生活習慣や身だしなみにも煩そうだし……」

 呟きながら面倒そうにこちらを見る。
 彼の頬にあったぼくの手がとられ、導かれた先は……

「ジョルジュさん!?」
「いちいち騒ぐな。服の上からでも分かるだろう? 男なら寝起きはこうなって当たり前だ。俺だってそういう気分になっている訳じゃない」
「あ……当たり前……?」
「そうだ。だから、もう泣くな」

 はじめは動揺しての涙だった。でも、平気だと分かったら、すごくほっとしたんだ。

「すみません。なんだか……気が抜けて……」

 呆れたようにフンと鼻を鳴らす彼に、おずおずと話しかける。

「あの……ひげ剃り……ぼくがしましょうか?」
「ん?」
「騎士見習いをしていた頃、領主の身の回りのお世話をしていました。ぼく、上手だって褒められてたんですよ」
「ああ……じゃあ頼む。朝になったらな。とりあえず、まだ寝ていろ」

 犬にでも言い聞かせるようにぼくの頭をぐしゃぐしゃと無造作にかき混ぜて呟くと、あくびを一つしてから、彼は毛布に包まり目を閉じて横になった。

 隣の寝台で眠る彼を、まじまじと見てしまう。
 ……やっぱりヒゲだ。ヒゲなんて、もっとおじさんにならないと生えてこないと思っていた。じゃあ、ぼくにもそう遠くないうちに生えるようになるのかな。
 この人は全体的にすらりとした印象だけど、体格はしっかりしていて肩幅もあり、剣士や騎兵と並んでいても見劣りすることはない。
 いつもぼくの頭を撫でてくれる手は、指が長くきれいな形だけど、大きくてがっしりした大人のものだ。

 自分の手を見る。
 比べるまでもなく、小さくて頼りない、子どもっぽさの残る造りだ。
 骨っぽいのは痩せて貧相だからで、身長も体格も、まだまだ立派な大人とは言い難い。声も低くなりきらないままだし、喉仏もあまり目立たない。

 ため息をついて、彼に目を戻す。
 この人みたいになりたい、と普通なら思うのだろう。ずっと憧れていた、名高い騎士だもの。ぼくだって、実際に会うまではそう思っていた。
 現実のこの人は、当然だけど、神様でも伝説の騎士でもなく一人の血の通った人間で。彼なりに苦しみながら、現状に驕ることなくより高いところを目指し努力を重ねていることに感動し、ますます尊敬の念が深まるとともに──自分がこの人になることはないと思い知った。

 それでも、違う人間だからこそ、手助けをしたり交歓することができるのだ。
 彼のようになる必要はない。ぼくは、ぼくのままでいい。
 そのうえで彼に認められる力をつけたい。彼を支える存在になりたい。
 それは新しく生まれた、ぼくの願い。

 なおも寝姿を見つめていると、ぼくとは違う、大人の男の人なんだと、改めて感じられた。
 この手の温かさに安心して、腕の中で泣いてしまった。まるで小さな子どものように。
 下に兄弟がいるいせいかもしれないけど、ずっと自分はしっかりしなきゃって思っていた。あんなふうに誰かに甘えた記憶は、本当に小さな頃のもの。
 無理をしているつもりはなかったけど、年長の先輩たちに遅れをとることがないようにと、ここ数年の自分は、ずいぶん気を張っていたようだ。素直に感情を吐露することで、気持ちが落ち着いたように感じる。

 そういえば、さっき……服の上からだけど……触っちゃったんだ。
 急に恥ずかしさがわいてきて、鎮まりかけていた腰のあたりに熱が集まるのを感じた。
 当たり前なんかじゃない。やっぱりぼくは、おかしいのかもしれない。
 この人にしか話せないことと、この人にだけは知られたくないこと。頭の中がいっぱいになって、ぐるぐる回る。

──ああ、そうだ。この人が、特別な人だからだ。
 そう思ったら、ぽかっと気持ちが楽になった。そのことに安心して、ぼくはそれ以上考えるのをやめた。


 どうしてこの人が特別なのか、ぼくがその本当の理由に気づくのは、少し後のことになるのだけど。




20130630up(1019弟子視点追加)


小ネタTOPにもどる

TOPMEIN MENUごあいさつmail