とある日の放課後、生徒会準備室……
聞こえてくるのは男女が言い争う声。もめているというより痴話喧嘩のように聞こえるそれは、3年の軍司泰章と2年の茅野英美里である。
久しぶりに集まった面々の中には戸惑っている者も若干いるにはいるが、その大半がどうやらその光景にも慣れっこになっていて、気にする様子もない。
「ちょっと軍司! なんでそこでそういう話になるの!?」
「いいだろ? もうすぐ卒業なんだし。なんだよ、それくらい」
「それくらいって……だいたいねぇ!」
ガラッ――。
不意にドアが開いて、その場の視線が集中する。
「悪い、遅くなった。すぐ淹れるから……」
そう言いながら入ってきたのは2年の椎名逸茶、ここにいる集団、喫茶部のバリスタである。
部屋の中をざっと見回してから、自分を見ている親友の辻春臣に声をかけた。
「ハル、どうかした?」
その言葉に思わず辻の表情が楽しげに歪む。
「うん、今ちょっと面白いことになってるんだよ」
「……?」
不思議そうに首を傾げて、椎名が皆の視線を辿る。
その先にいたのは……。
「私はイヤだからね! 冗談じゃないわ!!」
「言い出したのはそっちだろ? 今さら逃げる気かよ」
椎名が入ってきたことで中断していた言い争いが再開される。
戸惑いの表情で2人を見ている椎名の首に辻が腕をかけ、ぐいっと引き寄せて小声で言った。
「それがさ、軍司先輩との何かの賭けに茅野さんが負けたらしくてさ」
「痛いよ、ハル。それで?」
「うん。どうやら勝った方のいう事を聞けって話で、軍司先輩が茅野さんに1日だけ部活中に自分専属のメイドをやれって」
そう辻が言った瞬間、準備室の扉が勢いよく開いた。
「あら、面白そうじゃない、その話」
そこには前生徒会長、佐伯塔子が立っていた。
「聞こえたのかよ……地獄耳か!?」
うっかりそうつぶやいた辻の声は、茅野達の声にかき消される。
「げっ! 塔子先輩!!」
「うわ、佐伯! なんだってここに……」
「……また意見があったわね、軍司」
「お? おぉ……」
塔子の登場に軍司と茅野が思わず顔を合わせると、塔子は怪訝そうな顔をして2人に向かって言った。
「あら、生徒会の人間が生徒会準備室に来るのに何か問題あるかしら」
「生徒会って、お前はもう引退したじゃねーか」
「僕が呼んだんですよ」
塔子の後ろからひょいと顔を出した人物を見て、あからさまに一人顔を歪めた人物がいた。
「時任……」
そうつぶやいたのがその人、成績で学年トップの座を時任と張り合っている化学部の尾崎紘一だ。
この尾崎と現職の生徒会長である時任架威、成績だけでなく何かにつけお互いを意識しているようなところがあった。
2人とも認めはしないが、言ってしまえばライバルというやつだ。
その2人が指で眼鏡をくいっと押し上げるタイミングが偶然にもぴったり重なって、尾崎も時任も2人して怪訝そうに顔を歪める。
「なんだ。お前も来ていたのか、尾崎」
「あぁ。俺も喫茶部の部員だからね」
時任と尾崎の間でむやみに火花が飛び散り始める。
それを鎮火するかのように、今度は塔子が割って入った。
「で、さっきの話。軍司、詳しく聴かせてもらえるかしら?」
詳しくも何もあるかといった態度で軍司がどうにかやり過ごそうと椅子から腰を上げる。
その腕を茅野がぐっと掴んで、その場に押しとどめた。
「この際だから、元生徒会長の塔子先輩に聞いてもらいましょうよ。学校はあくまでも学習の場。そんなふざけたものが認められるわけないって話になるに決まってるわ」
苦手な塔子と対峙して顔が若干引き攣りつつも、茅野は勝ち誇ったように軍司を見下ろした。
だが茅野の訴えもむなしく、事は何故か思わぬ方向に飛び火する。
「へぇ……そういう事。いいじゃない、メイドくらいやってあげなさいよ。もうすぐ卒業なんだし、先輩を労ってあげてもいいんじゃない?」
「え、なんで? でも、あの、塔子先輩?」
「忘れてないでしょうけど、私も卒業するのよね。ねぇ、軍司。たまにはマシな事考えるじゃない」
塔子の言葉に軍司の瞳が光を取り戻す。
そして先ほどとは反対にたじろぐ茅野に対して勝ち誇った視線を投げかけた。
「そうだよなぁ、佐伯。珍しく意見があったな」
「そうみたいね。ちょっと不本意だけど」
「ま、そういう事だから。お前も観念しろよ」
「えぇ〜っ!?」
助けてと言わんばかりのすがるような茅野の視線が、同じ学年の辻達の方に投げられる。
どう返していいものかと困る面々の中、椎名が口を開いた。
「仕方ないな。じゃ、コーヒー入ったら呼ぶから、運んでもらえる?」
ため息混じりにそう言った椎名の横で、辻が心配そうにその椎名を目で追う。
そしてその心配はやはりその通りとなるのだ。
「あら、逸茶。あなたがこの場からいなくなってどうするのよ」
当然だろうと言いたげに、塔子が自分の横を指差した。
「あなたは私の相手。言ったでしょ? 私も卒業するの。だいたい喫茶部がこうして活動していられるのも、生徒会によるところが大きいはずよ。別に私、おかしなこと言ってはいないと思うけど」
いや、言ってるだろう……とその場の誰もが思ったが、それをあえて口には出せない。
椎名は諦め半分で口を開いた。
「実際に今ここに喫茶部が存続していられるのは時任とモカのおかげって気もしないでもないけど……まぁ、それはそれとして。俺がこっちにいたら、誰がコーヒー淹れるの?」
しまった、という顔をする塔子、呆れたように目を逸らす時任。
他にコーヒーを淹れられる人間なんて……っと視線が集中したのは、意外にも……――。
「えっ? 私!?」
それまでいったいどこにいたのか。
いや、ずっとその場にいたことはいたのだが、黙ったままで成り行きを見守っていた市原萌香に視線が集まった。
「そんな……私が?」
塔子の刺す様な視線がモカを捕らえる。
「あなたが? 悪いけど、逸茶が淹れるようなコーヒーをあなたが淹れられるとは到底思えないのだけど」
「それは僕も同感ですね」
塔子の言葉に時任が続く。
困り果てたモカの顔色がどんどん蒼褪めていく。
――塔子先輩は椎名くんにいて欲しいのよね。でもあのコーヒーの味は椎名くんにしか……あぁもう。いったいどうすれば……。
俯いて、モカがありったけの知恵を振り絞る、振り絞る、振り絞りきって……一筋の光を見つけた瞬間、モカは顔を上げると同時に言った。
「こっ、ここは場所を変えて、その……お店、あの、椎名くんちに行くっていうのはどうかな」
驚いたように塔子がモカを見た。
睨まれたように感じたモカが気まずそうに顔を引き攣らせると、塔子がフッと笑って言った。
「あなたも……たまにはいいこと言うじゃない。そうね、それなら何も問題ないわね」
「そんな勝手に……塔子」
「何? 連絡なら私がマスターに直接話しておくからいいわよ。卒業の記念にちょっとした会を開きたい、とか何とか」
制する椎名の言葉も塔子には届かない。
ならばと口を開いたのは茅野だった。
「ちょっと、塔子先輩。何だか話が大きくなってませんか? 私は別にそんな……」
もちろんその言葉は軍司によってその力を失う。
「賭けに負けたお前がどうこう言えるもんじゃねーだろ。なぁ佐伯、生徒会の伝手で貸衣装屋か何かで知ってる業者ってねぇの?」
「貸衣装って……ちょっと軍司! あんた何考えてんのよ」
「今さらだろ。こんだけ話がでかくなっちまったんだから、まぁお前も腹括って頑張れよ、ミニスカメイド」
「ミニス……じょ、冗談じゃないわ! このバカエロ軍司!!」
茅野はそう怒鳴り散らすと、ひったくるように机の上のカバンを持って生徒会準備室を出て行ってしまった。
あとに残された面々が、気まずそうに顔を見合わせる中、当の軍司と佐伯は涼しい顔をしている。
「さっきの話ですが……」
そう言って、気まずい空気を打ち破ったのは時任だった。
「さっきのって……あぁ、業者の話?」
「はい」
塔子の言葉に返事をした時任が、そのまま話を続ける。
「会計の帳簿を見てみればわかると思います。文化祭で模擬店を出していたクラスもありましたし、確かそんな伝票がいくつかあったように思います。金額まではわかりませんが、まぁ業者を割り出すくらいなら」
「そうね。見てみる価値はありそうだわ。まぁレンタルにしてもそのお金をどうするかって話もあるんだけど……」
「まぁ文化祭は毎年ありますし、交渉できないことも……」
2人の生徒会長によって、話が妙な方向に固まり始めている。
だが、事の発端となった2人の片割れはすでに帰宅、残された軍司も悪びれる様子もなく、塔子達の話に耳を傾けている。
完全に巻き込まれる形になった喫茶部の面々は、ただ呆然とことの成り行きを見守るしかなく、結局その場を仕切った塔子の言葉通り、椎名の実家の店でその計画を実行することになってしまったのであった。