そしてその翌日から三人の作業が始まった。
いつものように郷塾へ通う日々だが、それが終わると大急ぎで家へ帰り、荷物を置くなりすぐにキトの家へと向かう。
職人の手によって作られたからくりの箱は、想像していた以上に手ごわいものだったが、それでも三人は難解な謎解きに挑戦しているかのように夢中になっていた。
精巧に作られたそれは分解するだけでも相当に苦労した。
そしてやはりユウヒが言っていたように、その後数度となく部品が欠けたり、折れたりを繰り返すこととなり、三人がどうにかその構造が理解できるようになった頃には、最早それがいったい何だったのか、わからない程にばらばらになっていた。
「けっこう…複雑になってんだな、これ」
キトが溜息混じりに零すと、ユウヒは部品を一つ一つ手に取りながらそれに応える。
「長さや何かもきっちり測ってあるんだね。大きすぎたら動かないし、小さすぎたらそこだけカタカタ動いて細工がしてあるってすぐにわかっちゃうもの。それに…手に触れるところはちゃんと面取りしてあるのね」
スマルも手にした部品を手にしながら言った。
「これを組んだだけで作れるってのがすげぇよ。ぴったり合うのもすげぇし…こういうの思いつく人って、どんな事いつも考えてんだろうな」
「さぁね…あ、あれじゃない? 解けるものなら解いてみろ、みたいな事を思ってるとか」
「なんだよ、それ。挑戦状かよ」
ユウヒの言葉にキトが笑いながらそう返した。
三人は部品を一つ手に取ってはあれやこれやと話をした。
そのうちスマルが何か思いついたように口を開いた。
「なぁ…これってさ、何か、組み合わせようでいろいろ出来るのかな?」
「え?」
キトが聞き返すと、スマルは握った手を口許に当てて黙り込んでしまった。
「あ、考えてる考えてる」
キトとユウヒがそう言って、一人考え込んでいるスマルを見守る。
スマルは握った手を開くと部品をまた一つ一つ手に取って調べ始めた。
「どう? 何かわかった?」
ユウヒが聞くと、スマルは身振り手振りを交えながら二人に説明を始めた。
「わかったのかどうか…例えばさ、こう…横にずらして蓋が開く箱があるだろ? この蓋がすぐに開かない様にするために、こっち側からこんな風に木を咬ませると、この咬ませた木をずらさないと蓋が開かなくなる、よな?」
キトがふんふんと頷きながらスマルの話に耳を傾け、ユウヒは笑みを浮かべて夢中になって話すスマルの方を見つめている。
スマルはそんな二人の様子を気にもせずに話を続けた。
「だからさ、それを繰り返していけば…からくりが出来上がっていくのかなって思ったんだよ。まぁだからって部品の形だとか、どう組み合わせていくかとかを考えなくちゃいけないから、そうは簡単にいくもんじゃねぇとは思うけど」
「へえぇぇ、なるほどなー」
キトが言うと、スマルは部品を一箇所に集めて二人に向かって言った。
「あのさ…これ、ちょっと借りてっていいかな? その…お手上げになったらまた声かけるから」
「俺は全然かまわねぇけど…ユウヒは?」
キトがユウヒの方を窺いながら返事をすると、ユウヒもゆっくりと頷いて言った。
「うん、スマルにまかせるよ。もうちょっといろいろ見たいんだろ?」
「あ、あぁ…うん、そうなんだ」
スマルは嬉しそうに答えながら部品を一つ一つ丁寧に片付け始めた。
「よっしゃ! じゃ、これでとりあえずは終わりだな。あとはスマルから声かかるのを待つよ」
「うん、そうだね。二人とも、どうもありがとね」
キトとユウヒがそう言って立ち上がると、スマルも部品の入った袋を持って立ち上がった。
「じゃ、今日はこれで帰るよ。スマルはどうする?」
「俺も帰る。キト、毎日ごめんな」
そう言い合いながら三人で部屋を出ると、キトの母親がひょっこりと顔を出した。
「おや? 帰るのかい?」
「はい。おばさんすみません。毎日毎日」
「いいのよぉ。この馬鹿がおとなしくしててくれるから大助かりだったさ。またいつでもおいでね、ユウヒ、スマル」
「はい」
「ったく…母さんは一言余計なんだよ」
ユウヒと母親のやり取りを聞いていたキトがぼそりとつぶやくと、ユウヒとスマルは思わず顔を見合わせて笑った。
キトの家の戸口で、からくり箱が出来上がったらまた集まる約束をしてから三人は別れたが、驚くべきことにその日はすぐにやってきた。
その翌日、いかにも寝不足といった顔で郷塾に現れたスマルの手には、紐でまとめた教本ともう一つ、何やらかさばる中身の入った布袋があった。
郷塾での勉強が終わって、不思議に思ったユウヒとキトが声をかけると、スマルは大きなあくびを一つして、目を擦りながらその袋を二人の前に差し出した。
「ほい、これ…」
わけもわからずそれを受け取ったキトがその袋の中をのぞくと、両手の平の上に置くと調度いいくらいの大きさの箱が三つと、袋に入れられた箱が一つ入っていた。
「これは?」
キトが袋の方を取り出して訊ねると、スマルはちょいちょいとユウヒの方を指し示して言った。
「それは…こいつの。で、そこにごろごろ入ってるのがお前の」
「おいおい、俺のはずいぶん扱いが悪いんじゃねぇの?」
キトが笑いながら袋をユウヒに手渡し、自分は箱を一つ手に取った。
「なんだ? この亀裂は…」
箱の側面に入った切り込みを指してキトがスマルに訊ねると、スマルは少し悔しそうな顔をして言った。
「あぁ…それはもうしょうがねぇんだよ。ユウヒが土産でもらったやつみたいに寄木の細工がされてるわけじゃねぇだろ?だからさ、部品の継ぎ目っての? ごまかしようがねぇんだよな。だからどうやってもさ、どこが動くかばればれになっちゃってさ」
「あー、なるほど。そゆことね」
悔しそうなスマルの様子を見て、キトはその話をそれ以上突っ込もうとはせずに切り上げた。
そして手にした箱を舐めるようにじろじろと見た後、そのからくりを解きにかかった。
とは言ってもスマルの言うように、部品の分かれ目が目に見えているというのはからくりを解く上で非常にわかりやすかった。
キトが最初に手にした箱は、三回目で蓋が開いた。
自分達が分解したものに比べればとても簡単なからくりだったが、それでも立派なからくり箱として仕上がっていた。
「うまいもんだな」
キトが口笛を吹いてそう言うと、ユウヒが思いついたようにキトの開けた箱を指差して言った。
「これ、さ。全部の部品を二重にして、動くのも動かないのも大きさ揃えて貼り付けたら? 動く部品は貼り付けないで…」
スマルはユウヒの言葉を聞くと、ユウヒの持った袋を指差して驚いたように言った。
「俺もさ、作っててそれ気が付いて…お前のはそうなってる。でもやっぱり簡単だけどな、すごく」
「へぇ〜、そうなんだ。見てもいいの?」
「うん」
スマルが頷くのを確認して、ユウヒは袋の中から箱を取り出した。
先ほどキトが開けた箱の倍はある大きなからくり箱に、ユウヒは思わず驚きの声を上げた。
「で、でかっ! それに何か重たい…」
ユウヒはそう言ってその箱を振ってみると、中に何かが入っているらしく、それはかたことと音を立てた。
「中身、何?」
「…さぁ?」
スマルはそう言って笑うと、キトとユウヒに向かって言った。
「この次はもうちょっとマシなもん作るから。今はこれくらいがめいっぱいだわ」
「いやいや、十分っしょ。俺のとユウヒので出来に差があるのが気になるけど、元々ユウヒの箱を直そうっつってたんだもんな。今回だけは大目に見てやんよ」
キトが笑って言うと、ユウヒも笑いながらそれに続いた。
「スマル、お前、昨日寝てないんだろ? ありがとね。大切にするよ」
キトとユウヒの言葉にスマルは照れくさそうに笑うと、また大きなあくびをしながら両手を上げて伸びをした。
「…じゃ俺、帰って寝るわ」
「うん、気を付けて帰れよ?」
「途中で寝ないでよ?」
「おぉ。じゃあな。また明日」
「うん。また明日」
スマルは小さく手を振ってそのまま静かに帰って行った。
その姿を見送った二人は、顔を見合わせてどちらからともなく笑いが止まらなくなっていた。
その夜、ユウヒがからくりを解いて蓋を開けてみると、四段階で開けられたその箱の中には、戻すに戻せなくなったユウヒのあのからくり箱の部品が『ごめん、無理』と書かれた紙の切れ端と共に無造作に詰められていた。