ユウヒが郷の広場に姿を現したのは、もうその日の夕刻近くだった。
その手には親から土産にと今日もらったばかりと思われる包みが大切そうに抱えられていた。
ユウヒの両親は風の民として暮らしていたが、ここ数年は郷塾に通うユウヒとその妹リンと共に家族そろってホムラ郷にある家にずっと留まっていた。
その両親が、どうしても行かなくてはという何らかの用事で郷を離れたのが半年程前のこと。
それがその日の昼過ぎに戻ってきたのだ。
広場でユウヒを待っていたスマルとキトは、ユウヒの姿を見つけると顔を見合わせた。
土産を手に、さぞ嬉しそうにしているだろうと思った友人の顔は、何とも情けないほどにしょぼくれていた。
「どうしたんだ?」
キトが心配そうにその顔をのぞき込む。
スマルがその隣で様子を窺っている。
ユウヒは黙ったまま俯くと、手にしていた包みをついと二人の前に差し出した。
「ん?」
なにごとかとスマルが受け取り、包みを解いてキトと二人、その中身を覗き込む。
「あ…――」
「あぁ〜らら…」
そう言ったまま、キトもスマルも言葉を失った。
それと同時に俯いていたユウヒの目から、涙がぽろぽろと溢れ出す。
「また、やっちゃったか」
スマルが言うと、ユウヒは唇を噛んでこくこくと頷いた。
キトとスマルはまた顔を見合わせて小さく溜息を吐くと、一つ年下の友人の両側に立って、肩や頭をぽんぽんとやりながら歩き始めた。
「とりあえず、俺んちに行くぞ?」
キトがユウヒの頭を優しく撫でながら声をかける。
スマルはユウヒから受け取った包みをもう一度覗き込んで言った。
「すげぇ嬉しかったのな、お前」
スマルの言葉にユウヒが黙って頷く。
包みの中には見事な寄木細工の施された箱が入っていた。
からくりの好きなユウヒにと、両親が土産に買ってきたからくり箱だ。
その箱は、すでに壊れていた。
土産が本当に嬉しくて、夢中になって遊んでいたユウヒが壊してしまったからだ。
何度も何度も繰り返し繰り返し弄っているうちに、土産を受け取ってから半刻と経たないうちに壊してしまう。
からくりを一緒に解こうと約束をしていたキトとスマルの前に、壊れたそれを手にユウヒが現れたのは今回が初めてではない。
過去にもう三度程はあっただろうか。
「もう十一にもなるのに、お前は本当に成長しないな」
キトの家の前まで辿り着き、振り返ったスマルが言う。
すると家の中に二人を促しながらキトも口を開く。
「まぁまぁ、スマルもそう言ってやるなよ。ユウヒ、本格的に泣き始めるぞ?」
キトがユウヒの肩に手をやって、先に部屋の方へと歩き出すと、最後となったスマルが慣れた風に引き戸を閉め、灯りを灯して、二人の後を追った。
キトの部屋に入ると、スマルとキトはユウヒが持ってきた包みの中身を静かに取り出した。
からくりの仕掛けの一部が折れてしまっている。
「完全に折れてるか…スマル、どうだ? 直せそうか?」
折れた部分を手に取りまじまじと見つめるスマルにキトが訊ねると、スマルは首を捻りながら低く声を絞り出す。
「う、うぅ〜ん…どうかな? サラジの糊でくっつけたとしても、接着部分に力がけっこうかかるようならまたすぐ壊れるし」
サラジとは木の名前で、その樹液から作られた糊はとても強力で様々な用途で使われている。
「なぁ、ユウヒ。お前このからくり箱、もう開けられるのか?」
スマルの言葉を聞いてキトがユウヒに問いかけると、ユウヒは頷き、口を開いた。
「開けられる。折れたのは私がちょっと無理に押し込んじゃったからで…ちょっと貸して」
そう言ってからくり箱を手に取ると、ユウヒは少し考えるような仕草を見せてから指の腹で箱を表面を強く撫でるように触り始めた。
ただの模様のように見えていた箱の表面はいくつかの部品に分かれており、それがずれたり、引っ込んだりと動かせるようになっている。
ユウヒはどうやらその箱のからくりの仕組みを完全に覚えてしまっているようで、迷うことなくそれを順序良く動かしていく。
八度目に動かしたとき、箱の上部がすぅっと動いてからくりの箱が開いた。
「はい、これ」
そう言ってユウヒが箱をスマルに手渡す。
キトとスマルはそれを代わる代わる手にしながら、その構造をじっくり調べていた。
「あれだけ早いこと解けるんじゃ、お前相当あの箱弄り倒したな?」
キトが言うと、ユウヒはばつの悪そうな顔をしながら頷いて言った。
「うん。八段階も細工してあるからくり箱は初めてだったから、面白くて何度も何度も開けたり箱に戻したりしてたんだ」
「だろうな…」
スマルが相槌を打つと、キトも苦笑しながら頷いた。
「どう…かな? 直りそう?」
ユウヒが二人におそるおそる尋ねると、キトとスマルは顔を見合わせて盛大に溜息を吐いた。
「今回ばかりはお手上げだな、俺は。スマルはどうだ?」
「俺も直すのはちょっと…でも、これ…」
スマルがそう言いながら意味ありげにまたからくり箱を手に取った。
「でも、何なんだよ?」
キトが不思議そうに言うと、スマルは妙に照れたような顔でぼそりと言った。
「ちょっと、作ってみようかな…なんて、思ったんだけど」
スマルの言葉にユウヒとキトが驚いて顔を見合わせる。
その様子に気付いたスマルが慌てて自分の言葉をごまかすように両手をひらひらと動かしながら早口で喋り始めた。
「いやっ、その…なんだ? あの、ちょっと思っただけでさ、そもそもできるかどうかなんてわかんねぇし、実際何だか無理そうだし…ただちょっと直すのは無理なら一から作り直そうかな〜なんてそんな風に思っただけで」
床に置かれた壊れたからくりの箱から目を逸らすようにして話すスマルに、キトが笑みを浮かべて言葉を返す。
「いんや。それならどうにかなるかもしんねぇ。やってみっか?」
ユウヒがさらに驚いた様子でキトとスマルを交互に見つめる。
キトはユウヒの方を向いて言った。
「だめで元々だ。俺達にやらせてくんねぇかな?」
「いや、やるなら私も一緒にやる」
ユウヒの答えに今度はキトとスマルが顔を見合わせる。
落ち込んでいたはずのユウヒの顔に笑顔が戻っていた。
「だってさ、作り直すのならこれ、分解しなくちゃだめでしょ? 私も一緒にやれば、もし今よりもっと壊しちゃっても誰も文句は言わないもの。それになんだか…面白そうじゃない?」
当の本人にそう嬉しそうに言われてしまってはスマルもキトも返す言葉があろうはずもない。
三人は顔を見合わせ、そしてその視線はからくり箱へと落とされた。
「でも…俺達でできるのかな? 加工とか、難しそうだぞ?」
キトがユウヒとスマルを見ながら言うと、ユウヒとスマルが顔を見合わせてそれに答える。
「加工はどうにかこうにかできるんじゃないかな? もうちょっと箱を大きくすれば」
「俺もそう思う。この大きさじゃ無理だ。あと…寄木細工も、無理だろうな」
「そうか。なんかお前らがそう言うとできそうな気がしてくるから面白くてたまんねぇよ」
キトがそう言って笑うと、残りの二人もつられて笑みを浮かべた。
「よし、じゃ明日っから始めようぜ。今日はもう遅い。ユウヒは帰るんだろ?」
「うん。父さん達今日帰ってきたから、夕飯一緒に食べるんだよ」
「そっか。スマルはどうする?」
「あー、俺ももう帰るわ。これ、持って帰ってもいい?」
そう言ってからくり箱を指差すスマルに、キトが頷いて答える。
「いいんじゃないか? お前が言い出したんだしな。ユウヒ、いいよな?」
ユウヒが頷くと、スマルはからくり箱と、その壊れてしまった部品を元の包みの中に納めると、その口を紐で縛って閉じた。
「そんじゃ、明日…郷塾が終わったら。えぇっと場所は? うちはちょっと…何かもらったもんを目の前で分解するのも気が引けるから」
ユウヒがそう言うと、スマルも手をふいっと振ってそれに続く。
「うちも駄目だな。小さいのが絶対に触らせろって来るから。あいつらに渡したら、見本にも使えなくなっちまう」
スマルには弟が二人、妹が二人いる。
すぐ下の二つ違いの弟はもうずいぶんと聞き分けるようになったが、あとの三人はまだまだ暴れてばかりだ。
確かにスマルの家で作業をするのも難しそうだった。
「なんだ。じゃ結局うちか! いいよ、そうしよう」
そうしてまた明日集まる約束を交わすと、スマルとユウヒは自分の家へと帰っていった。