原音比較


原音比較の誤り

なにも原音再生を追求するのが間違いだと言っているのではありません。原音比較の手法に間違いがあるのではないかと言いたいのです。コンデンサーをカップリングにして聴いた音と、銅線をつないだ音を比較する場合、銅線を通して聴いた音が原音という手法です。たとえ短い銅線でも、銅線の種類で音は大きく変化します。この原音比較手法の場合、銅線の音の個性は無視して比較することになるので、比較するコンデンサーに銅線と同じ個性が含まれていないと原音と相似とは判断されないということになります。

さらにこの考えをシステム全体に広げていくと恐ろしい話なのです。分解能の悪いシステムで、部品の分解能が良いとか悪いとか、判断できるかという問題です。あらゆる音の要素について同じことが言えるが故に、原音再生の基準のシステムと同じ欠点をもつ音が原音と同じと判断されることになります。理想の再生装置を基準にしないと、こういった原音比較の手法はほとんど無意味ということです。

何故、こんな些細なことを問題にするかと言うと、昔、原音比較で音作りをしているメーカーの音に仰天したことがあるからです。このメーカーが発売したアンプの音は原音比較で音作りをしたことがはっきり感じられるものでした。楽器の個性を殺した味も素っ気もない無味乾燥としか言いようのない音で、グァルネリも安物のヴァイオリンも音色こそ異なれど、どんな安物のヴァイオリンでもこんな躍動感のない音は出さないだろうという音でした。ピアノで言えばベーゼンドルファーとスタインウェイのもつ生命感はかけらも感じられない音でした。間違った原音比較手法の当然の帰結で、それが製品となって市場に現れたのはある意味で記念碑的と言える製品でした。そう言えば、絶対音感を持っている人のみに音の良し悪しを判断させたり、20kHzまで聞こえる人を選んで音の良し悪しを判断させたり、ある意味、大変に生真面目なメーカーがありました。でも的を外してると考えていたのは私だけではなかったようです。

メーカーのオーディオ設計者で日常生活の中で生の楽器の音を聴いている人、或いは生で一流の楽器の音を聴くように心がけている人はほとんどいません。日本の有名スピーカーメーカーを訪れた時のことですが、生の楽器の音をいつも聴いているとか、私は楽器を演奏するから音を良く知っていると自慢げに話す人ばかりで呆れた事を思い出します。楽器の音を良く知っていると言うポーズを取ることがこのメーカーの姿勢でした。確かに生の楽器の音を聴く努力はしていたと思いますし真面目で熱心な設計者が多くいました。でもこのメーカーの設計者は、並の楽器と一流の楽器の違いを知りませんでした。必然として、このメーカーの作る音は生真面目ではありましたが、一流の楽器の持つ彩、そして生命感などを感じることはできない音でした。楽器の音を知っている必要があるという思想はあっても、一流の楽器の音を知るという思想が欠けていたばかりに誤った方向に進んでいくのは、見ていてつらいものがありました。

  中には、日常の生活音は生で聴いていると反論する方がいます。この主張は正しくもあり、また幾つかの間違いを含んでいます。一流の楽器の音は日常生活では絶対聴けない音の要素を多く持っているということが一つの問題です。 さらに、日常の生活音もマイクを通すと激変します。このマイクを通した音がどのような音に変化しているのか知らなくては日常の生活音を知っているとは言い難い一面があるのです。 じゃー、楽器の音だって同じじゃないか・・・・そうです・・・一流の楽器の音を知っていても、マイクを通してその音がどう変化しているのかも知らなくては、また片手落ちなのです。 もし日常の生活音を基準にするのなら、楽器の音を聴いて音の良し悪しを判断しないでくれということも言いたいことの一つです。日常の生活音しか知らない人が、弦楽四重奏のレコードをかけて音の良し悪しを判断することの危険性と無意味さを認識して欲しいのです。生活音の中にも素晴らしい音源が存在するのも確かですから、ストラディヴァリの音を聴いたことのない人がストラディヴァリで演奏したレコードで音の良し悪しを簡単に判断して音作りをしないという真面目さも、また必要なことだと思うのです。


CDやレコードの再生音はどれが原音に最も近いと考えるべきなのでしょうか?

一流の楽器の音を、日常聴くことができない場合は素直に生活音など自分の良く知っている音源を選んで基準にすれば良いのに、と私は思うのです。私は朗読や語り、生活音の入っているレコードをかけて音の判断をすることも多くあります。

さらにホールによって音はどう変化するのか、マイクを通した場合、楽器や人の声はどう変化するのか、スタジオのシステムの性格等、様様なファクターによる音の変化を知っている必要があります。より厳密に言えば日常、一流の楽器の音に親しんでいる人が録音現場に立会い、生の音とモニターからの音を確認してから出来上がったレコードなりCDを再生して音の良し悪しを判断の基準にする必要もあるのです。

マイクを通して聞く生の音は現実の音とはかなり異なっています。マイクも理想的なものは存在しません。ですからスタジオのモニターを通して聞く音こそが、真の生の音に最も近いと考えるのが妥当とも言えるような気がします。でもスタジオで聴いた音がレコードやCDにはどう変化してどんな音で入っているのかは神のみぞ知ると言ったところです。ただ、レコードやCDの再生における基準の音について、私の知りうる限り、録音現場のモニターから出てくる音をよく知っている人は、確実に音の良し悪しを判断できる人でもあり、自分の装置で最高の音を出している人が多かったのも現実です。

定評のあるモニタースピーカーを使っているからスタジオの音は想像がつくとか、モニタースピーカーは最高などと、けっして考えないでくださいね。 スタジオで聴くモニターの音はまた家庭で聴く音とは次元の異なる場合が多いのです。考えても見なかったファクターが多く存在します。そしてモニタースピーカーの癖や性格も考慮に入れて判断しなくてはなりません。

そういう意味合いでは、困ったことに生の楽器の音、それも一流の楽器の音を良く知っていることは基本ではありますが、必ず正しく音の判断ができる、とは限りません。演奏会での音を基準にして音を判断しても誤った判断をする危険性もあります。嫌になりますね。どのような録音手法をしているか詳しく知らなくては判断を誤る可能性もあるのです、マイクで拾ってもいない弦の胴鳴りの音を再現できていないとか、マイクの近接効果でブーミーに変化した音をバランスが悪いと判断したり、ホール固有の残響を癖が強い音と判断したり・・・・。そう言えば、クラシックCDの残響は大半がDSPにより操作されたものです。CDに録音されている響きが素晴らしいからといって、録音したホールの残響が素晴らしいと判断しないほうが良いようです。


audioの最初に戻る