オーディオ装置によって演奏評価が変わってしまう怖さ


私の友人に、日本有数のクラシック音楽のレコードコレクターや、そこまで行かなくても部屋中レコードで埋まっているという大変うるさい音楽マニアがいます。そのうるさい友人達は、レコードやCDの音楽評論のいい加減さに怒っている人も多いです。甚だしいのは、××という評論家がけなしているレコードやCDがあると喜んでそのレコードやCDを買いに走る友人がいます。なぜならその評論家がけなしているレコードやCDの演奏は決まって素晴らしい演奏だからです。くだんの友人はなんとも嬉しそうに、にこにこしながらそういうレコードを何枚か聴かせてくれました。通常、二人の意見が必ずしも一致する訳ではないのですが、たしかに評論家の評価と異なり、これらの演奏はどれも素晴らしい演奏でした。もともと感性の異なるのが人間ですし、感性が異なるが故の面白さがあると思うので、評価が異なるのはそれはそれで当然のことですが、明らかに限度を超えた的外れな評論もあるのですね。

限度を超えた的外れな音楽評論の原因についてその友人とも話したのですが、再生装置の違いによるとしか考えられないという結論になりました。やはり立ち上がりの悪い音では演奏の良し悪しは判らないことが多い事を友人もよく知っているから意見は一致したのだと思います。音楽を楽しむのなら、ラジカセでも十分音楽は楽しめます。でも、評論を生業としているのなら、演奏の良し悪しを判断するのに再生装置がいいかげんだと、演奏の良し悪しは判らないことも多いことは認識する必要があるんじゃないでしょうか。

私は今まで数え切れないぐらい生録をしてきました。DATが出てきてから、音も良くなり、破綻の少ない録音が簡単に出来るようになり、音も今までのアナログ録音と異なり、生演奏を聴いているようで、それなりに満足していました。気になっていたのは、生演奏の粗が目立たないぐらいでした。でも粗が目立たないのは演奏家にも好まれましたし、アナログ録音でも、再生音の場合、粗は目立たなくなるのが普通でしたから最初は、それ程気にしていませんでした。それが5回目か6回目かのデジタル録音で、何人かのピアノソロ演奏をダビングのために再生していて、愕然としました。デジタル録音だと誰が弾いているのか良く判らないのです。あれほど顕著だった演奏者による演奏の違いが曖昧なものになっているのです。慌てて、サブに録音していたカセットの音と比較してみて驚きました。カセットの方は明らかに生の音色とは異なるし、ワウフラによる音揺れとバランスの悪さはあるのですが、演奏の違いは判るのです。とほほと言う気分でした。/p>

その後、DATの改造をして色々調整してみてもこの溝は埋まりませんでした。そして、SACDやDVD-AUDIOが出現してからその溝は益々深くなっているような気がします。勿論、音色や音場感など改良された面も多いのですが、音楽の生命感がますます希薄になって来たように感じます。

やはり再生音というのは録音も含めて機器に注意しないと危険な面があるんじゃないでしょうか。生演奏を聞いての評価と異なり、CDやレコードの再生音で演奏に対する評価をする場合はそれなりに再生装置に気を配る必要があると思っています。そしてデジタル録音は一見、生演奏に近く聴こえる分だけ危険な気がします。大げさに言うと文化の破壊にもつながる面があるのではないのでしょうか。心配です・・・・。


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