失われた音


今でも忘れられない、悔しい話です。もう20年も昔、VT52プッシュプルの球アンプを作った時のことです。配線が終わったのは深夜の2時過ぎでした。深夜なので、確認の意味程度に小さな音で音出しをしてみました。いきなりオーディオベクター(Audiovector)からベースの低域が、地響きを思わせる鳴り方で響いてきました。全ての音が、風が吹きすさぶように私の後ろに吹き抜けていきました。軽やかに、実在感のある立ち上がりと立下りの良い音で、ウェスタンでもあんな音は聴いたことがありませんでした。その音に興奮して中々寝付けなかったのを覚えています。朝になってから、あらゆるレコードを引っ張り出して聴きまくりました。なんと表現したら良いのでしょうか。スピーカーの存在を感じさせない音で、野放図ともいえる音伸びと、目のさめるようなプレゼンスがありました。その日は、一日中聴いて聴いて聴きまくりました。真空管をWEのVT-25Aに変更し、さらに2A3に変更しても球の個性による音の変化はあっても、その音はどれも素晴らしかったのです。

アンプはどんな物でも、作ってからエージングにより音はかなり変化していくので、それから、毎日その音を聴いては安心して別のアンプの設計を進めていました。そして、2週間後にその音は突然失われました。通常のエージングによる音の変化とは明らかに異なっていました。そのとき私は、同じ音を再現できる自信がありました。電源が特殊だったので、電源の部品交換で簡単に治ると思ったのです。今思えば、自信過剰以外の何物でもありません。オーディオの世界はそんなに甘いものではなかったのです。それから2ヶ月間、失われた音を探して、1個ずつ部品を交換し、元に戻し、何度も配線をやり直し、全ての部品を交換し悪戦苦闘しましたが、結局、その音は二度と再現できませんでした。

それ以後、私は管球アンプの自作を止め、メーカーでトランジスターアンプの設計を始めました。同じ音が再現できなければ、私には管球アンプを自作する意味がなかったのです。そして、あれから以後20年間、私にとって、あの音を超える音は聴いたことがありません。あの20年前に自作した管球アンプは、今もバラックのまま私の手元にあります。

私と同じようなことを経験した人は、他にも沢山いるのではないかと思います。何かのファクターが一致した時にとんでもなく素晴らしい音が出る時が。もしかしたらウェスタンの少数の技術者はその秘密の一端を知っていたのかもしれないと思うときがあります。かといって、私はウェスタンが最高のシステムだとは思っていません、確かに高い峰の一つ、それも、最も高い峰なのかも知れませんが。

何年か前にオーディオフェアーのとあるガレージメーカーのブースで懐かしい音を聴きました。20年前、私が同じ音を再現する為に二ヶ月間悪戦苦闘していたときの音を思い起こさせる物でした。その音出しをしている管球アンプの回路を見て納得しました。電源が同じノウハウで作られていたのです。

今現在も、私の何処かに、いまだに結論を見出せていない寂しさがあります。私にとっては、やり残した仕事ということなんでしょうね。

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