結局は感性の違い


以前、オーディオの技術系雑誌の特集号を見ていて大変な脱力感を感じたことがあります。空しさが、やがて脱力感に変わっていきました。その特集号には日本のオーディオメーカーに対するアンケート結果が載っていました。メーカーによって意見が全く異なるといっても、あまりにも酷いのです。歪率一つ取り上げても、低歪率でなければ駄目とか、0.1%以下なら問題ないとか、ばらばらなのです。静的な電圧歪みは意味がないと言っているメーカーは一つもありませんでした。負帰還の考え方にしてもばらばらの考え方で、オーバーオールでなければ良いとか、局部帰還なら良いとか、負帰還は出来るだけ深くかけた方が良いとか、少しなら良いとか、千差万別の回答なのです。真面目に考えたらこんなに意見が違うことはあり得ないのです。

私は今まで負帰還をかけてそれがどんなに浅くても音質改善につながった経験をしたことは一度もありません。確かに負帰還をかけると音のバランスがよくなり、荒れた音がまとまりの良い音になることが多いのです。でも肝心の音の生命力が、楽器の生き生きとした表情が失われるのです。音のバランスは他の方法で調整した方が好結果が得られるので、安易に負帰還の量で音の調整をしないで欲しいのです。その分音をまとめるのは難しくなりますが、アンプは音の表情がどれだけ豊かに変化していくかが大切なことと私は考えています。そういう意味合いでは負帰還は音質を確実に悪化させます。

私はあちこちで機会がある度に、負帰還は音を悪化させると話していました。ところが、球アンプのカソードにかける電流帰還はどうなんだと言う人が今までに二人いました。私が面白いと思ったのは、いきなり球アンプのカソードにかける電流帰還を持ち出す人は負帰還が悪いことは十分知っている人なのです。それぞれ身なりの立派な年配の紳士でしたので、その都度この道の先達と言うことで私は話をお聞きしたいと思ったのですが、”あれは動作を考えれば意味が違うんじゃないですかねー”と言って説明をしようとすると、二人とも同じように、捨て台詞をはきながら、逃げるように立ち去りました。困った人たちですね。そこまで分かっている人達なのに言動の意味が不明なのです。意見が異なると言うのは、互いに勉強にもなり、新しい発見につながることが多いのですから歓迎すべきことともいえるのですし、相手の人間性を否定しているわけではないのですけれど。悲しいことに、オーディオ業界にはこんな人達が沢山いるんです。そう言えば、ちょうど、そこに知り合いの、年配で温厚な方が近くにいらして私たちのやりとりをみていたのですが、”日本には背広を着た猿が沢山歩いてるからねー”と言ったのです。思わずそこにいる皆で爆笑してしまいました。でも寂しい話です。

話がちょっと、それてしまいましたが、その特集号をは読めば読むほど統一的な考えはなくて、各メーカーの意見はばらばらでした。もし、これらの意見が同じ人の頭の中にあったらどうなるんだろうかと考えたら、こちらがおかしくなりそうでした。それぞれのメーカーは自分たちなりに正しい回答をしていると考えているのでしょうがそれを全部あわせてみると、オーディオ業界は精神が病んでいるとしか言えない結果になっているのです。自分がその中にいると思うと堪りませんでした。あの時から、オーディオが嫌いになったのです。

それからしばらくして、私は考えを変えました。本当に音楽が好きで、オーディオを好きな人がオーディオ業界にほとんど存在しないのも、オーディオを単なる職業としている人達の集団と考えたら納得がいきます。これだけ異なる意見が存在し、これだけ異なる多数の音が存在しているのは個人個人の感性が異なるからだという結論に達しました。良い楽器というのは綺麗な音ということだけではありません。一流の楽器には生命力の強さがあります。良い楽器の音を知らなければ、音に対する感性も結果も違ってくるというのもよく理解できます。全ての人が良い楽器の音に日常接していられる訳ではありません。ですから、皆が共通の感性を持っていると考えることを止めにしました。これからは、ただ私が好きな音から達した結論なので、好きな音が違ったら結論も違ってきますので、御意見無用と言うことに決めたのです。人が物事を批評し、判断したら卑小さから逃れられないと言うことはその通りなので、これからは、ただ事実のみを率直に話そうと思っています。


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