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話はタイムスリップし1958年〜
![]() いつまでも忘れない友人が、トレードマークのチビです。 愛犬は、Always together 「いつも一緒」です。 |
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*犬との出会 私が3才頃だと思うのだが国鉄(JRの前身)に勤める父が、いつもより遅く帰宅した。 帰宅するバイクの音でガレージを開けて父を迎えるのが私の習慣だった。 あの日はバイクの音がわからなかった。 父の食事を見ながら、家族の会話を聞いていた。 そう、まだテレビはなく、夕食のひと時は家族の語らいの場だった。 食事が終わり、年寄りから入浴を済ませ、それぞれの寝室へ・・・。 私が布団に入るとガレージで”クンクン”と子犬の泣き声。 ・・それが父からのプレゼント(チビ)だった。 |
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*遊び友達 当時、ほとんどの犬は、夕方に なると放してもらい朝まで自由に遊んでいました。 チビは毎朝、父と田んぼや畑に行き、私が起きる頃には 家に戻っていた。 チビの食事は朝夕二回、ご飯(新米・・・農家だから) に味噌汁、家族の残したおかずetc。・・・食事が終わると ガレージの前で夕方までお昼寝。 私と親友の信夫はいつもチビと一緒に遊んでいた。 信夫はブロック会社の息子で自宅には砂が山ほどあった。 僕らはチビと一日中砂遊びや 草むらを駆け回って遊んで いた。 |
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*信頼関係 4才の頃、発情期のスピッツがチビの周りをウロウロ して た。 僕がシッシと追い払うと。その時、左手首に噛みつか れた。 スピッツは首を振ってグイグイ牙を食い込ませた。 熱い痛みに僕は泣き叫んだ。 ”チビー”。。。。 チビはガレージの太い柱に固定されたクサビを引き 抜いてスピッツに噛みついた、弾みで鎖はスピッツの 首に巻きついた。 チビはスピッツに噛み付き追い払い僕を助けた。 傷口から、血がにじみ出ていた。チビが心配そうに 舐めていると家の人が、悲鳴に駆けつけ治療をして もらった。 私の腕にはまだ、チビの思い出が残っています。 |
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*出 産 曾祖父は、チビのお腹が大きくなるのを見て、チビのお産用に備え、小屋の二階から昔、 この家の子供たちを育てた時に使った”えずこ”を降ろしてきた。 ”えずこ”は、昭和初期頃まで使用したものらしいく、わらでできた円形の子供用プールのような物で、初めて見る物 だった。 中には、木の槌で叩いて柔らかくした、わらを敷いて、ふかふかの寝床をつくってあげた。 出産まで、私は中に入り、チビと添い寝をして遊んだ。 ある朝、小屋に行くと数匹の仔犬が生まれてた。 仔犬は、弱々しく、目が開いてないのにヨチヨチ這って、やっとの思いで、お母さんのオッパイにたどりつき吸っていた。 出産は、続いていて、私は、横でチビの出産を励ましていた。 生まれてくる仔犬は、卵の白身のような透明な袋に入っていた。 チビは、袋を食べて中から仔犬を出し、へその緒を噛み きり、やさしく全身を舐めて綺麗にし、そっと自分のお腹に寄せていた。 仔犬は、子猫のような声でないていた。 数日後、いつものように小屋に行くと、えずこの中の仔犬、数匹と、チビが居なかった。 少しすると、チビが仔犬を1匹くわえ、ずぶ濡れで戻ってきた。 曾祖父は、行き先の、目処のたたない仔犬を箱に入れて川に流してきたのでした。 後を追ったチビは、川に飛び込み子犬をわえて帰ってきた。 曾祖父は、もし助かったら育てあげようと涙いていた。 チビは、一生懸命なめていたが、仔犬は助からなかった。 チビは、残された仔犬を大切に育てた。 チビは、曾祖父にいつものように尻尾を振っていた。 仔犬たちは、すくすく育ち、里子に行くまで・・・・お母さんに甘え 私のおもちゃとなり、楽しく遊び・・・・巣立っていった。 チビの匂いの記憶は、この時の母乳の匂いである。 |
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*野犬狩り 10歳の時、学校から帰るとチビがいない。 当時、盛岡も転勤族の捨て犬による野良犬が多くなってきていた。 近所のおばさんからチビが連れていかれたと聞いた。 賢いチビがどうして野犬狩りに? 捕まる訳がない。 保健所の人が餌を片手に呼ばれて人間好きのチビは捕まった。 家族は殺されては大変と慌てて引き取りに行き、無事に戻った。 |
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*大怪我 ある朝、チビは目に大怪我をした。 目の周りから血だらけの肉片が出てグジュグジュ状態だった。 通りかかった大型犬に襲われたらしい。僕は心配で家族に獣医に連れて行くよう頼んだ。あまりにひどい ケガに駄目だろうと言うことだった。 初夏の数日が過ぎ、飛び出た肉片が腐り始め、見るのも辛かった。 僕はかわいそうでかわいそうで、曽祖父に獣医による安楽死を頼んだ!! チビの腐敗する眼球に苦しんでいるのを見るのがとても辛かった。 チビを・・・毎日励ました。 それから数十日後、なんと学校から帰るとチビの目から腐敗した肉片が取れて完全に元に戻っていた。 しかし、左眼の眼球は褐色で瞳孔は無かった。 殺さないで、よかった。 ・・・・何と言う生命力なのだろう。 ・・・どんな激痛に耐えたのだろうか。 また、二人は毎日遊べることとなった。 夏は、川へ、冬は雪の中で、春と秋は草むらや稲刈りの終えた田んぼで・・・いつも一緒に遊んだ。 |
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*最後の別れ 中学1年の時、いつものように通りまで送ってきて、 そこで私が見えなくなるまで見送って一人で家に帰る のが習慣でした が、その日に限って学校まで付いてくるので、おかし いと思ったら、その日がチビとの最後のお別れでした。 夕方、戻ってこないので家族で探したら翌日、チビは 近くの林で眠るように横たわっていました。 彼女は分かっていたんです。 動物好きの曽祖父は、私が戻る前にチビを裏庭に 葬っていました。 最後の別れの辛さを思いやる曽祖父は、 『生きている時のいい思い出を大切にしなさい”動物 も人も必ず別れの時は来る、生き物を大切にしたのだ からそれでいい。』生きてる時の思い出があればと。 |
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愛犬sofyは、いつも一緒です。 |
![]() sofyの出産 monet monetと岩手山2038m |
*愛犬の死 友人からこんな話を聞きました。 愛犬は二度死ぬそうです。 「一度目は天国に行ったとき」 「二度目は飼い主が、その犬を忘れたとき」──なのだそうです。 愛犬は、“Always together” 「いつも一緒」 です。 Musashi AC factory |
sofy |
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