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話はタイムスリップし1958年〜 


 

 いつまでも忘れない友人が、トレードマークのチビです。
愛犬は、Always together 「いつも一緒」です。
 

*犬との出会                                 
  私が3才頃だと思うのだが国鉄(JRの前身)に勤める父が、いつもより遅く帰宅した。
 帰宅するバイクの音でガレージを開けて父を迎えるのが私の習慣だった。
 あの日はバイクの音がわからなかった。


 父の食事を見ながら、家族の会話を聞いていた。
そう、まだテレビはなく、夕食のひと時は家族の語らいの場だった。

 食事が終わり、年寄りから入浴を済ませ、それぞれの寝室へ・・・。
 私が布団に入るとガレージで”クンクン”と子犬の泣き声。
 ・・それが父からのプレゼント(チビ)だった。

*遊び友達                                     当時、ほとんどの犬は、夕方に
なると放してもらい朝まで自由に遊んでいました。

 チビは毎朝、父と田んぼや畑に行き、私が起きる頃には
家に戻っていた。

  チビの食事は朝夕二回、ご飯(新米・・・農家だから)
に味噌汁、家族の残した
おかずetc
・・・食事が終わると
ガレージの前で夕方までお昼寝。
 私と親友の信夫はいつもチビと一緒に遊んでいた。
信夫はブロック会社の息子で自宅には砂が山ほどあった。
僕らはチビと一日中砂遊びや
 草むらを駆け回って遊んで
いた。



*
チビの失踪 
   
 ある朝、朝食の時間になってもチビが帰ってこない。
私は口笛でチビを呼ぶ“ピィーピィピィピィ”・・・・こない?
繰り返す。どんなに離れていてもこの合図で飛んでくるのに?

 不思議に思い家族に話すと、チビは父のバイクに付いて5kmほど離れた市場へ行って
はぐれたらしかった。

 曽祖父:”賢いから、もうすぐ帰ってくるさ。”家族のみんなも、そう心配しなかった。
昼になっても帰ってこない。
 夕方になっても帰ってこない。・・・さすがにみんなが心配しだした。
曽祖父:”絶対帰ってくるさ何日かかってもキット帰ってくるさ!賢い犬は必ず帰ってくる”

 翌朝、まだ帰っていない。
私は、一日中チビの繋がれている庭先で泣いていた。
夕食。空腹でさ迷うチビを思うと食事ができなかった。
みんなが”必ず帰ってくるて”と言いつつも、食事はすすまなかった。

次の日も、一日中庭先で泣いていた。
夕食、僕は相変わらず食べる気にならなかった。
”どうしてるかなーお腹すかして家を探し回っているいるだろうなー”
そんな事を考えていると・・・。
玄関のドアがカラカラとあいた音がした。
ま!まさか!!
家族全員が目を合わせ静かにした。
次の瞬間、食堂のドアがカラカラ音を立てて開いた。

チビが帰ってきた。

思いっきり抱きしめた。
みんなで泣いて喜び合った。
チビの目は涙がにじんでいた。
みんな普段食事中やってはいけないおかずをチビの食器に次々と入れていっぱいになった。
嬉しそうにチビは食べた。


*
信頼関係

 4才の頃、発情期のスピッツがチビの周りをウロウロ
して
た。

 僕がシッシと追い払うと。その時、左手首に噛みつか
れた。

スピッツは首を振ってグイグイ牙を食い込ませた。
熱い痛みに僕は泣き叫んだ。

”チビー”。。。。
チビはガレージの太い柱に固定されたクサビを引き
抜いてスピッツに噛みついた、
弾みで鎖はスピッツの
首に巻きついた。

チビはスピッツに噛み付き追い払い僕を助けた。
傷口から、血がにじみ出ていた。チビが心配そうに
舐めていると家の人が、
悲鳴に駆けつけ治療をして
もらった。

 私の腕にはまだ、チビの思い出が残っています。
 


*出 産
 曾祖父は、チビのお腹が大きくなるのを見て、チビのお産用に備え、小屋の二階から昔、
この家の子供たちを育てた時に使った”えずこ”を降ろしてきた。

 ”えずこ”は、昭和初期頃まで使用したものらしいく、わらでできた円形の子供用プールのような物で、初めて見る物
だった。

 中には、木の槌で叩いて柔らかくした、わらを敷いて、ふかふかの寝床をつくってあげた。
出産まで、私は中に入り、チビと添い寝をして遊んだ。

 ある朝、小屋に行くと数匹の仔犬が生まれてた。
仔犬は、弱々しく、目が開いてないのにヨチヨチ這って、やっとの思いで、お母さんのオッパイにたどりつき吸っていた。

 出産は、続いていて、私は、横でチビの出産を励ましていた。
生まれてくる仔犬は、卵の白身のような透明な袋に入っていた。 チビは、袋を食べて中から仔犬を出し、へその緒を噛み
きり、やさしく全身を舐めて綺麗にし、そっと自分のお腹に寄せていた。
仔犬は、子猫のような声でないていた。

 数日後、いつものように小屋に行くと、えずこの中の仔犬、数匹と、チビが居なかった。
少しすると、チビが仔犬を1匹くわえ、ずぶ濡れで戻ってきた。

 曾祖父は、行き先の、目処のたたない仔犬を箱に入れて川に流してきたのでした。
後を追ったチビは、川に飛び込み子犬をわえて帰ってきた。
曾祖父は、もし助かったら育てあげようと涙いていた。

 チビは、一生懸命なめていたが、仔犬は助からなかった。
チビは、残された仔犬を大切に育てた。
チビは、曾祖父にいつものように尻尾を振っていた。

 仔犬たちは、すくすく育ち、里子に行くまで・・・・お母さんに甘え
私のおもちゃとなり、楽しく遊び・・・・巣立っていった。

チビの匂いの記憶は、この時の母乳の匂いである。


*
野犬狩り

 10歳の時、学校から帰るとチビがいない。
当時、盛岡も転勤族の捨て犬による野良犬が多くなってきていた。

近所のおばさんからチビが連れていかれたと聞いた。
賢いチビがどうして野犬狩りに?  捕まる訳がない。

 保健所の人が餌を片手に呼ばれて人間好きのチビは捕まった。
家族は殺されては大変と慌てて引き取りに行き、無事に戻った。


*
火災通報

 TVが普及して家族がプロレスに夢中になっている時の事。チビが茶の間の外で・・・出窓のガラスを
ガリガリ描きながら吼えている。

 私が、カーテンを開けると。。。。。。向かいの林の中にある資材置き場から火が出て真っ赤に燃え盛
っている。


 近所のみんなを呼んでやっとのことで消し止めた。
発見が遅れたら・・・数軒が火災にあう所だった。

 みんな、これってニュースにならないのかな?。
チビって消防署から感謝状もらえないのかな。・・・と話題になった。
(原因:資材置き場で酒を飲んで眠ってしまった大工の火の不始末)


*数年後も同様な火事があり、深夜にチビのいつもと違う吼え方に祖父が気づいて火災を未然に防いでいた。


*
大怪我

 ある朝、チビは目に大怪我をした。
目の周りから血だらけの肉片が出て
グジュグジュ状態だった。
通りかかった大型犬に襲われたらしい。僕は心配で家族に獣医に連れて行くよう頼んだ。あまりにひどい
ケガに駄目だろうと言うことだった。


初夏の数日が過ぎ、飛び出た肉片が腐り始め、見るのも辛かった。
僕はかわいそうでかわいそうで、曽祖父に獣医による安楽死を頼んだ!!
チビの腐敗する眼球に苦しんでいるのを見るのがとても辛かった。
チビを・・・毎日励ました。

 それから数十日後、なんと学校から帰るとチビの目から腐敗した肉片が取れて完全に元に戻っていた。
しかし、左眼の眼球は褐色で瞳孔は無かった。
 殺さないで、よかった。

・・・・何と言う生命力なのだろう。
・・・どんな激痛に耐えたのだろうか。
また、二人は毎日遊べることとなった。

 夏は、川へ、冬は雪の中で、春と秋は草むらや稲刈りの終えた田んぼで・・・いつも一緒に遊んだ。


*最後の別れ
 中学1年の時、いつものように通りまで送ってきて、
そこで私が見えなく
なるまで見送って一人で家に帰る
のが習慣でした
が、その日に限って学校
まで付いてくるので、おかし
いと思ったら、その日がチビとの最後のお別れでした。


夕方、戻ってこないので家族で探したら翌日、チビは
近くの林で眠るように横た
わっていました。
 彼女は分かっていたんです。

 動物好きの曽祖父は、私が戻る前にチビを裏庭に
葬っていました。

最後の別れの辛さを思いやる曽祖父は、
生きている時のいい思い出を大切にしなさい”動物
も人も必ず別れの時は来る、生き物を大切に
したのだ
からそれでいい。』生きてる時の思い出があればと。



*sofy
 あれから28年、田舎の団地に多少ゆとりのある
土地を探し、室内で犬と一緒に暮らす
家を建てました。
 今、黒ラブ
sofyとの4人で暮らしてます。

 チビと暮らした実家のダイニングキッチンは、当時
としては珍しくアメリカの農家を真似て
床がコンクリ
ート。 靴を履いてテーブルで食事をしてい
ました。
 チビは自分でドアを開けれて、自由に出入り
してい
ました。
食事中は、いつも私の横にいて・・・時々親
の目をぬすんでおかずをポイ。


 おやつは、いつも半分に分けて食べていました。
(親は、”友達と居るときは、一人で食べないで必ず
友達にも分けなさい”)
 チビの成長は早く、私より先に大人に
なっていまし
た。


 チビは、私が嬉しい時、嬉しがり。
 悲しい時は、やさしくしペロペロなめて頬
づりし
て慰めてくれました。

 私は、チピの様に人の心がわかる愛犬に育てるた
めにも命令をする訓練をやめ、愛情を持って接し躾る
ことを望みます。

 愛犬sofyは、いつも一緒です。
 ときどき一緒に仙台へ出かけてオープンカフェ

食事する事を楽しんでます。


2001.2月6日 sofy出産:子育ての母乳の匂いで懐か
しいチビの匂いを思い出し、”これがチビの匂いだよ” と
家族に話した。


☆2008/3/3 私の愛したsofyは天国へと旅立ちましたが
私はsofyを永遠に忘れない。


sofyの思い出・・・ 2009/3/2 


2008/6/28 私はsofyが亡くなった後、淋しくて淋しくて
sofyに会いたくて会いたくて・・・ 

sofyの生まれ代わりを信じて・・・・
 英国系ラブを探しました。 
 
 縁あって、この日からmonetとの暮らしが始まりました。
 血統書を見ると、monetの誕生日は5/3・・・ 偶然にも
交配日はsofyが亡くなった3/3でした。


 monetは、monetらしく・・・・ 明るく、集中力の持続性
がありしつこいくらいにフリスビーで遊んでくれます。

 一才から、2000m級の登山に泊まりがけで登りはじめ
今では、登山の親友として一緒に登山を楽しんでいます。




sofyの出産



 monet


monetと岩手山2038m


*愛犬の死


 友人からこんな話を聞きました。

 愛犬は二度死ぬそうです。

「一度目は天国に行ったとき」

「二度目は飼い主が、その犬を忘れたとき」──なのだそうです。


  愛犬は、“Always together” 「いつも一緒」 です。 

                  Musashi AC factory


sofy

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