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  sofyの思い出

2009/3/2
 あれからもう直ぐ一年・・・ やっと『sofyの思い出
を書き終えました。


☆出会い
 1996/9/5まだ暗い早朝、子犬の到着を待ちきれず運送会社に行ったのを思い出す。
この日は偶然にも私の誕生日と、この家が完成し引っ越した日でもある。
生後45日の子犬をブリーダーに無理を言って10日早く送ってもらった小さな小さなsofy
との出会いでした。


 私はsofyを犬としてでは無く、自分の子供の様に人格を認め育てました。
だから家でのルールは外から帰ったら足とお尻を洗う事、テーブルに手をかけない事、
それ以外は、どの部屋も出入り自由で夜は、いつも私のベットで一緒に寝ていました。


 子犬のsofyは子猫のように戯れて本当に女の子かと疑うほどヤンチャでした。
それでも物覚えは早くトイレは3回で、庭のオシッコは一度の注意で覚えてしまったsofy
の賢さは今でも感心しています。

 


☆狩猟本能
 家から少し歩けば山の中、いつもリードフリーでお散歩をし、sofyをできるだけ話
しかけ自由に育てました。

まだ、一才に満たない散歩中・・・ sofyは前方にキジ(野鳥)を見つけると姿勢を低く
し振り返ると、まるで自分が追い立てるから撃てとアイコンタクトをしたのです。

もちろん私に猟銃は無いけど、ヨシと合図を送ると、走ってキジを追い立てたのです。
猟犬本能に驚かされました。


 落ちていた枝を拾い投げるとsofyは拾って持ってきました。
投げ方が悪くて雑草の中に見失うとsofyはこちらを振り返り、私に指示を仰ぐのです
 前後左右と判りやすいように腕と手のひらで合図すると教えた訳でもないのに私の
合図を理解し探す能力を備えていました。





☆遭難(sofy 1才3ヶ月)
 秋の夕方、近くの山にキノコ採りは入り、あわや遭難しそうになった時の話です。
山で迷った私は、必死で帰路を探しましたが、日没で暗くなり始め焦る私にsofyは気付
くと、雑木の中をジグザグに走り匂いを探し、私に付いて来いと振り向きながら誘導す
るのです。


 sofyの後に付いて稜線を二つほど越えてやっとの思いで乗って来たバイクに戻った時、
あたりは暗くなり、あわや遭難騒ぎでした。

 それ以来、私のsofyに対する思いは愛犬から親友に変わったのでした。
その夜、sofyには数十匹のダニが付いていて、朝まで寝室の明かり点けて掻いた所の
ダニを取ってあげました。



 留守番−−9日間の海外旅行
 朝夕の食事と散歩を知り合いの大学生にお願いし旅行に出かけました。
旅先から頻繁にsofyの様子を聞くと、普段と変わりなく元気にしているとの事で私の
方が心配している有様でした。

ところが帰国して数日後・・・生理かと思っていた血尿は、日増しに濃くなり痛そう
に見えて通院しました。

結果はストレス性膀胱炎でsofyにしてみれば家族が突然帰ってこなくなったのだから
心配で寂しかったんですね。






二度目の留守番(13日間の海外旅行)
 前回を反省し、sofyが良く知ている、近所の友人にお願いしました。
朝夕の散歩をしてもらい、日中は友人宅の室内で過ごし夜は自宅に戻り
私のベットで眠る日々・・・・

 七日間目の朝、友人が迎えに行くとsofyは家から出る事を拒否し食事も食べようと
しなかったそうです。

困り果てた友人は、自宅冷蔵庫からsofyが食べそうな食品を持ち込み、sofyの前に並
べたそうです。 
そしたら、やっとチーズとヨーグルトを食べて散歩に出たそうです。

 友人はスーパーでチーズとヨーグルトを沢山買い込んで好きなだけ食べさせて
あと何日で帰ってくるからねと毎日、教えたそうです。

 帰国日の朝、玄関を開けるとsofyは上機嫌で迎えてくれたそうです。
私たちも10日を過ぎるとsofyが心配で心配で・・・早く帰ってsofyに会いたい気持ち
でいっぱいでした。


 空港から急いで帰宅しドアを開けるとsofyは、いつものように前歯をむき出し笑っ
ているかの様な顔で私
に1度だけ軽くkissをしてくれました。 

 sofyを抱きしめた私の腕の中でじっとしていました。
夜は、いつもの様に私のベットで一緒に寝ました。



 出産と別れ
 sofyは生理が終わって60日すると母乳が出てその対応に困っていました。
それは想像妊娠の様なもので冷やしたり、ホルモン療法もしましたが効果が見られず、
一度出産をさせてみるのも一つの方法とのことでした。

出産を真剣に考えると、子犬の引き取り手を探せるだろうか、子犬の将来は、すべて私
にかかっていると随分悩みました。

しかし、こんなにすばらしいsofyとの暮らしに、おなじ思いの犬好きは必ず居るはず、
子犬を譲る条件は『室内飼いできる人』にし、残った子犬は全て自分が育てる! 

私の意志は固まった。

人は高価なものは大切にします。
子犬のためにも私は、できるだけプレミアムをつける事にして優良な血統を探していると、
英国系ラブラドールの権威、リーベハウス(故)佐藤さんを紹介されました。

sofyは血統審査を受けると、偶然にも佐藤氏が英国王室サンドリンガム犬舎からの輸入し
た英国、欧州、世界チャンピオンの血統と知らされました。

もちろん交配を快諾していただきsofyは、妊娠、出産、子育てを家族とともに迎えること
となったのです。





子供たちとの再会
2003/10月 出産から2年後、私も子犬たちに会って見たくなったのです。
仙台のラヴィ、ソフィアは時々遊びに来るし、函館のクレアちゃんは7月にわざわざ会いに
来てくれました。

東京のさきちゃん、luckyちゃん、岐阜のロロちゃん宅を訪問しました。
子犬達がみんなsofyを覚えているのには驚きました。
子犬の飼い主は、ふだん犬や他人に吠えるので再会を心配していましたが親子仲良く家の中
に入っていく様子に私たちが驚いたほどです。






看 病
  万座でski大会があり遠征から戻った時の話です。
前日からの体調不良に行きがバスで10時間、2日間のレースを滑り、帰りは9時間も・・
夕方、帰宅し直ぐにベットでダウンした。

ついもの風邪なら不調になるほど、逆に増す食欲も・・・まるで受付けない。
 布団の中で寒気に震えていると・・・sofyが早々と2Fに来て私の布団に潜ってきた。
私はsofyの心地よい暖かさに救われた。 
いつもなら布団に入っても、暑くなると出て布団の上で寝るのに、この日に限り、
私の右に入り、暑くなると左に入りを交互に朝まで繰り返し暖めてくれたのです。

夜中、寝汗で何度か着替えた私は、翌朝、不思議なことに気が付いた。
一ヶ月通院しても治らなかった咳が嘘のように止まってる。
翌日、休みを取って一日中寝ていたがsofyは、この二日間、私を暖めようと付いて離れなか
った。

sofyと暮らし始めて7年になるが初めてみる行動は、私の具合が悪いのを判って看病(暖める)
したのだと判りました。
二日後、私が元気になると、sofyは、いつものように少し離れて寝ていました。






ヘビの話 2005/6/19  
 日曜の夕方、庭で友人と話しをしている所にsofyが散歩から戻って来た。
 話が梅雨の合間にヘビが出る話になると、妻が散歩中にヘビらしき物が車に轢かれた痕が
道路に残っていたと話すと、sofyはジャンプして私の膝に手をかけて“ハゥワゥ”と声を出
して何かを訴えました。

 しつこいので、『どうしたの?』と立ち上がると、先になって私を誘導するので付いて行く
と、庭を出て、自宅前の道路を北へ、メイン道路に出て右折、後ろを振り向きながら私を誘導
し200mほど付いて行った。

 sofyは路上に残る染みの匂いを嗅いで見せた。
そう、妻の会話を聞いて、私にその場所を案内したのでした。






急性胃炎 2007/5/22
 
中国産原料が原因で発生したアメリカの犬猫大量死ニュースが流れた。

心配になり国産フード(ヒューマンレベルの食材)に切り替えた翌週、sofyの食欲
が無くなり嘔吐を繰り返し通院した。

食事を受け付けず点滴をする事になった。
am9:00からpm 6:00まで家族が交代で休暇を取って一週間看病しました。
私は毎日、pm6:00~pm12:00まで付き添い深夜に連れ帰り、一緒に眠りました。
幸いなことに、一週間の点滴でsofyは完治しました。

 



腫瘍手術 2007/8/24
 五月頃から、sofyの乳房に1cmほどの小さなしこりがある事に気づいて医師に相談し経過
観察をしていました。
夏になると腫瘍が少し大きくなっているので摘出手術し細胞検査する事になりました。
私はセカンドオピニオンとして3つの病院で検査し、手術方法、リスク、入院中の体制に関し
て相談し、もっとも良いと思われる病院で手術しました。


 私は、先生にお願いして手術に立ち合わせていただきました。
麻酔が効くまでsofyを抱きしめて、初めて見る手術に私は貧血症状となり一時、退席した・・・
しかし、
sofyを思い呼吸を整えて最後まで見守りました。

術後、ガス麻酔は10分ほどで目覚めはじめましたが完全に覚めるまでsofyを抱きしめていまし
たが
1時間ほどで歩るけるようになり帰宅しました。


その後の経過は、順調に進みました。
東大獣医学部の検査結果、悪性腫瘍ですが適切な範囲の切除を行っているので血管内部へ転移
している確率は低いであろうとの報告書・・・

その後も定期的検査を繰り返して行きました。




sammy君との再会 2007/11
 sammy君は、2才から約6年間オーストラリアに行っていました。
今年の春に帰国したとの事でsofyとの再会をさせました。
8年ぶりに合う、親子はちゃんと覚えていてsammy君の家でもリラックスしていました。
生後60日から8年経っても覚えてる事に驚きと感動を覚えました。




☆ Always together「いつも一緒」
2008/1月、いつものスキーが始まり、土日はいつも一緒に行くsofyでしたが、異変に気づい
たのは朝、
2Fから階段を降りる時、立ち止まって動かなくなった事からでしたが

 少し白内障もあるのでそのせいか? 年齢から来る関節障害? と思いましたが庭で棒を
投げると、真っ直ぐ走るのでいずれでも無いと思いました。


更に数日すると、階段を登れないと訴えたので通院したが、癌の再発も特に異常も無い
と言われた。
 更に数日すると元気が無くなり始めたので通院・・・結果は異常無し
血液検査の結果待ちとなった。

しかし、sofyは日に日に弱り、少しお腹が膨らんで見えたので病院を変えると
肺がん末期で余命
5ヶ月と言われた。
 
私はその知らせに愕然としましたが、でも、まだ5ヶ月もある。 
奇跡を起こす方法もあるはずだと自分に言い聞かせ、癌治療に関するあらゆる治療方法を調べ
まくりました。


  そしてsofyの最後は、依然読んで同感していた『奇跡の犬』の様に、私はsofyの尊厳を守り、
私の腕の中に抱いて安楽死をさせてあげようと思いました。


 先生は、私を思いやり、遠まわしに治療について話し始めましたが『私はsofyを愛しているから
こそ、最後は安楽死も考えています』と伝えると、彼は病状と治療について率直に話してくれまし
た。

  そして苦しませない方法で治療することで思いは一致し、体内の腹水を抜いてくれました。
sofyは見違えるほど元気になり、美味しそうに食事をしました。
この日から、2Fに登れないsofyに家族が交代でリビングでの添い寝が始まりました。



私はレーザー療法、免疫療法の医師に相談したがsofyの症状から治療は困難でした。
それでも奇跡を信じ、アガリスク、ハタケシメジ、自然治癒力増すペンダントまでも取り寄せて
奇跡を祈りました。


3日後、通院、また少し腹水が増えたが心臓に近い位置で抜く事はできなかった。

4日後、通院、少し、呼吸を苦しそうにして布団から外れて冷たい床にお腹を下にして
寝るようになった。

5日後、通院、食事はお肉の缶詰は食べるがドライフードは食べなくなったがゆっくりと
歩く事はできた。
 トイレを
1F廊下に置いてあげたけど、sofyは室内でする事は無く、痛いのに無理してでも歩いて
外で用をしました。
苦しいのか夜中に何度か私を起こし、身体をさすって欲しいと訴えた。

6日後、通院、やはり腹水は抜けない病状でした。

2008/3/2 一日、早いけどsofyのお雛様のケーキが届いた。
この日の夕食は何をやっても食べる事はなかった。
お雛様ケーキも匂いを嗅ぐだけで食べなかった。



夜、私はリビングに布団を敷いて一緒に寝ましたが、夜中、冷たい床に移動しては戻り、触って欲
しいとねだりました。
 深夜に何度か冷たい床に伏せるsofyを抱いてさすってあげるとsofyは少しの間、痛みを忘れて眠
っていることに私は幸せを感じた。

 数回、繰り返しているうちに私も床に座ったままsofyを抱いて眠っていました。

2008/3/3
 夜が明け布団から立ち上がると、布団の端に顔を乗せて目で私を追うので、布団に寝そべり頬
ずりして『
sofy愛してるよ』 kissをした。


 あまりに可愛い顔をしているので写真を撮ってあげた。
sofy行って来るよ』・・・顔をなでて出社した。



sofyは朝食を食べずに自分で歩いて車まで行っても飛び乗れずに家族が乗せてあげて通院。

 出社して間も無く、sofyは心肺停止し人口マッサージ中との電話が入り病院に向った。

sofyに思いをはせて向かう高速道の途中、突然涙が溢れ出て私はsofyを感じた、同時に携帯電話
が鳴った・・・・

病院に着き診察台に眠るsofyに頬ずりし『sofy愛してるよ』と囁いた。

娘も駆けつけた。 娘は胸騒ぎがして出社せずに車をただ走らせていたらしい。
先生と看護スタッフにお礼をいいsofyと自宅に戻った。

 ダビに向う前、毎日、sofyを気遣って来てくれたタール君(G・レトリーバー)のママに立ち寄
ると、不在でご主人が見送ってくれました。

 途中、お花屋さんに寄るとsofyにふさわしい明るい花がないので別な店で買う事にした。
カーナビは途中、2度も右折と案内したが何故か行った事も無い場所なのに、ナビとは別ルート
で向うと田園地帯に出てしまい、お花を買えるか心配になった。

 突然、前方に新しい大型スーパーが現れ沢山の車が並ぶ駐車場の間に乗り入れた。
 車内で待っていた私が何気なくルームミラーで後ろを見ると、奇跡が起きた!
タール君のママの車だった。 初めて来た30kmも離れたこんな場所で偶然に会うなんて奇跡
としか考えられない・・・・
sofyも彼女もお互いに最後のお別れができたのです。

翌朝、私はいつもの時間に目覚め目を開けてベットに寝ていた。
すると左耳元で『ウォン』と低い声が聞こえた・・・・
左を向くとsofyは枕元に座っていた。
まさかぁ、もう一度、振り向いた・・・ sofyの姿は消えていた、でも、私は間違いなく声も
sofyもはっきりと見えたのです。

 朝食時、家族に話すと娘がうなずいて言った。
パパそれ間違いないよ、私は昨夜、風呂上りにドライヤーをかけている時に、何気なく左を
見たらパパの書斎に
sofyを見たわよ。 きっとパパと私はsofyの臨終に会えなかったから逢
いに来たのよ。


 私はsofyに逢えてとても嬉しかった。


最後の別れをした私たちは、
sofy
が好きな庭のもみの木の下に眠らせてあげました。


sofy is always together.

sofyは、いつも一緒です。


             sofyに、沢山のお花をありがとうございました。




2009/3/2あれから一年が経ちやっとsofyの思い出を書き終えました。

 どんなにsofyを愛していても別れの時は、必ず来るものです。
私はsofyが亡くなって淋しさはあっても悲しくはありませんでした。
sofyと暮らした日々は素敵な人生であり、sofyも楽しかったと思うからです。

ただsofyの居ない空間が無性に淋しくて、sofyに逢いたくて、逢いたくて淋しくて
その一身でsofyの生まれ変わりと思える英国系ラブの仔犬を探しました。

 縁あって、昨年の6月末からmonetと暮らし始めています。 
sofyに代わって私を励ましてくれる
monetには感謝でいっぱいです。

monetは、今、私のかけがえの無いパートナーとして
明るい性格でmonetらしく
私と遊んでくれています。

それにしても今、思えば
ひな祭りに天国に行くなんて・・・ 
sofyは、なんともおしゃれな子でしたね。

 偶然にもmonetの出産日が5月3日という事は、妊娠した日が3月3日
・・・・ 偶然過ぎます。

 友人から、こんな話を聞きました。
愛犬は二度死ぬそうです。

一度目は、亡くなった時
二度目は、飼い主がその犬を忘れた時なそうです。


sofy is always together.
私の中でsofyは永遠に一緒です。

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