2004年8月 イタリア・ローマへの旅
2004年8月にイタリアのローマに行ってみました。
2004年8月19日〜24日

写真と文 千葉晃
▲ローマまでのチケット 
イタリアに行ってみようと思った。HISで格安チケットをとり、2004年8月19日、成田空港に行く。キャセイが安いので乗る機会が多い。本日も、以前乗ったことがあるCX505便。1830に出発する。
▲CX-505の747
成田空港1ビル16番スポットから18:17にボーディングが始まる。本日の機体番号はUJ。私と家内は49Gに座したが、なんと機内のディスプレイは我々2席のみ壊れていた。何も見れずに香港に到着した。
▲今晩のごはん
 キャセイっぽい独特の牛肉料理。日本時間で20:14にこの写真を撮影した。離陸後1時間半後くらいである。いつも思うのだが、外国語教育は、こういう飛行機で何かが供される瞬間のスキットからはじめたほうがよい。ちなみに、私はキャセイに乗るときは広東語の会話集を持って乗る。
▲VHHH香港
 また香港のチェクラプコック空港に到着。日本時間で22:45頃ついた。トランジット専用の入り口から入り直して、再びセキュリティーチェックを受ける。そして、ローマ便のところに来た。これが、これからローマまで飛ぶ、キャセイの747。ちなみに、VHHHとは香港の4文字レター空港コードである。
▲テイクオフ
 CX293便、23:55発ローマ行きは飛び立った。ローマは広東語では羅馬。最後召集と書かれた23番ゲートから乗る。どちらかというと白人が多いような感じ。今日ももちろん満席。私はこの画面をずっと見続けて、通過地点、速度、気温観測を実施。家内は、シンプソンズのリサに似たスポンジボブを見ている。
▲デリー上空を通過
 チェクラプコックを離陸後ハイナン島の付け根の半島上空を通過し、昆明へ。ここを通過した後はマンダレーというところの少し北側を通って、ダッカ上空まで引っ張られる。ダッカ上空の対地速度は951だった。まずまずの速度だ。 ダッカ、デリーと通って、カラチとラホールの中間点もヒット。その後、アフガニスタン国境の最南部からテヘランにヘディングした。
▲テヘラン通過後は
 トルコ国内に。アンカラ上空にさしかかる。アンカラからはイスタンブール上空を飛ぶ。ちょうどイスタンブール上空で朝食となる。次に、ギリシャのテッサロニキを通過して、いよいよイタリアへ。ちょうど長靴のかがとのところからローマを目指す。

▲FCOローマに到着。
 キャセイ293便は、6時25分頃に到着。夏時間なので、まだ夜明け間もないといった感じ。シャルルドゴールに6時に到着したときもちょうどこんな感じの暗さだった。早速入国手続き。ここのガイドは英語ガイドのみとのこと。VWか何かの大きなコーチに乗せられ、ポンテルンゴ駅近くのホリデイインにチェックイン。
▲朝のローマ市内
 ホリデイインでチェックインしようとしたら、何と私のが1日ずれて予約されているとのこと。ただ、きちゃったからしょうがないじゃん、と英語で言うと、OKをもらってステイできることになった。外国ではよくあることだ。ここでは日本語がまったく通じないので、英語で勝負する必要がある。
▲とってもコワイ地下鉄に乗ってバチカンへ
 ホテルで一息つく。なんとエアコンがつかない。なんでつかないのかなー、と思っていたら、窓が開いていたからだった。窓開けながらエアコン付けたいときもあるんだ!!ホテルは安い割には、まずまず。不満はない。ポンテルンゴ駅から宗教都市バチカンへ。昼の地下鉄、誰も乗っていなくて、結構怪しい。行きは何もなく到着した。地下鉄の中で楽器を演奏し(それも家族で)、おめぐみください、というのはやめて欲しい。びっくりするではないか。
▲サンピエトロ大聖堂
 駅から15分くらい歩いて大聖堂へ。色々な国の人がいる。黒人さんも多い。要するに、カトリックのお伊勢参りのような感じなのだろう。私はキリスト者ではないが、小さい時からヴァイオリンを弾いていたので教会の響きは嫌いではない。
▲チッタ・デル・バチカーノ
 上まで何ユーロか払って、狭い階段を上ってみた。こんなきれいな景色が見える。おういうところは東京都明らかに違い、あー、16時間もかけて遠いところに来たな、という感じがする。ここまで上がるのに結構並んだ。
▲国境線
 境界線でまたいで写真を撮るほど、境界線が好きな私。この柵の奥はイターリア。手前はバチカン。もう一本白い線が引いてあって、そこで思い切り写真を撮ってしまった。そこは国境とは関係のない線だった。その後、イタリア側のカフェーでサンドイッチを食べる。相変わらずおーいお茶とかは置いていない。せめてサントリーのウーロン茶でもあるとよいのだが。 
帰りの地下鉄ではスリが出没した。私と家内は隣に座ったが、家内の隣に座っているヤツが怪しい。電車の奥の方で、何か大声を出しているヤツがいる。それぞじーっと見ている。我々もつられて見ると、おケツの財布などがすられるパターンだろう。危なかった。

▲ホテルの窓から電車が見える
もう一つ、途中の駅で中学生が2人乗ってきた。それも何と女ではないか。まず座っている私の前に立ち、後ろに何か書いてあるぞ、というそぶりをする。ここで立ったらアウトなので、私は知らないフリをした。そうしたら、あきらめたようで、その次には別な人がカモに。日本人の坊主頭のバックパッカーにたかっていたが、勇敢なイタリア人男性がイタリア語で「ダメじゃないか、そんなことして」と言っていた追い払っていた。こういうのがヨーロッパのイヤなところなのだ。
 そう考えると日本は治安がよい。まず電車で寝た瞬間から、もう財布がないと思って良い。
▲8月21日朝
 ホテルで朝食をとり、また歩いてポンテルンゴ駅まで行く。勇気を出して地下鉄に乗る。まあまあの乗車率。ただ、何があるかわからないので、気は抜けない。警察官が途中からたまたま乗ってきたが、あとから考えるとコスプレの察マニアかもしれない・・・とにかく疑心暗鬼になる。広場に到着。今日の観光はここから。
▲トレビの泉
 ややラテン系のお化粧をされた日本人のガイドさんについてゆく。イヤホンを渡されて、聞きながら観光。まずはトレビの泉。後ろを向いてお金を入れると願いが叶うとか。ここはジプシーが多いので、周囲に気を遣う。ただポリツィア(警察)が結構いるので、そういう意味では安心。お金をすくっている人を注意していた。
▲歩いてピアッツァ・ヴェネツィア(ヴェネツィア広場)へ
 あのお馬さんに乗っている人は、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世とのこと。エマヌエーレ2世記念堂というところ。世界史で習ったことがある。ここで、インド系のおじさんから水を2ユーロで購入。2ユーロ、高いなー。ガイドさんに聞いたらローマには警察が2つあるとのこと。車の塗装が違う。
▲フォロ・ロマーノ
 コロッセオ近くの遺跡。歴史はあまり得意ではないが、ずいぶん古い時代から人が住んでいるんだなー、という印象を受ける。これはジュリアのバシリカというもののようだ。 結構暑い。私はデジカメで撮影しているが、他の国の人はまだ銀塩カメラが多い。韓国人はニコンの50万くらいする一眼デジカメで撮影していた。
▲コロッセオ
 今回は入らなかったが、ここは人が多かった。ぐるっと一周して終わり。剣を持った記念撮影の人もいた。前に伊東四朗のテレビで息子さんと写っているのを見たことがある。それほど治安は悪くないもよう。ほとんど外国人。日本の東京でこんなに外国人が集まるところはないですね。この後、バスに乗ってローマの三越(正確には三越ローマ店)があるところまでつれてきてもらう。このバスにも怪しい人がいた。じーっと女の人を見ているヤツ。三越には入り口にガードマンが立っていた。この共和国広場で解散。
▲ホテルの裏通り
 その後、レパブリカという駅から地下鉄に乗って帰った。あまり記憶がないが、6つ我慢して乗った。記憶がないのは、危険なことが何もなかったからだろう。ホテルで一服して、近くを回ってみた。 エクスプレス バイ ホリディ イン サン ジョヴァンニ の周辺にはこんな景色が続く。危なくない。歩いて15分くらいのところにスーパーがあって、入ってみた。なかなか活気がある。薄型ではなく思い気切りでかいフィリップスのブラウン管テレビもあった。
▲今日はカプリ島へ
 朝7時頃、ホテルに大型バスがピックアップしに来て、これからカプリ島に行く。乗ってきたガイドさんが今日案内する人ではない。テルミニ駅前のホテルメトロポールでクレジットカードで払う。300ユーロくらい払った記憶がある。クレジットカードはオンラインになっておらず、エンボスを写すタイプ。出発後、バスの中ではアリンコが来るので食べ物は禁止、イタリアのアリんこはしょっぱいモノにも寄ってくる。ホテルで食べたピザにも寄ってきた。トイレもダメ。なんのためのトイレなんだ!
▲ナポリへ
 イタリアは南部ほど、貧乏で治安が悪くなると高校の時に教わった。なるほど、ロバが道を歩いていたり、いろいろ。ガイドさんからも危ないから市内観光は基本的にありません、との忠告を受ける。あとでテレビでナポリの街並み散策をやっていたが、人間はよさそうだった。
 ちなみにヨーロッパの観光バスは、サイドミラーがかっこいい。最近、日本でもこのデザインを取り入れたものが出てきた。特許権、意匠権大丈夫なのだろうか。

 
▲ナポリの海岸
 ナポリで唯一降ろされたのは、ここの海岸ぱた。私の職場の方は、ナポリでビデオカメラをひったくられた、と伺っていたので、用心する。
▲ベスビオ火山
 ナポリ富士とでも呼ぼうか、ベスビオ火山である。船の中からもよく見えた。
▲カプリ島へ
 ナポリから船で1時間程度でカプリ島へ。比較的揺れない船だが、トイレでは的が定まらなかった。この船で、同じツアーの茶髪の新婚さん(新婦)はもう酔っていました・・・。普通は大丈夫です。ここでおもしろかったのが、日産セレナのオープントップ。誰がどこで改造したのかわかりませんが、こんなのがたくさん走っていました。これ、日本で売れるような気がしますがゴーンさん、いかがですか??
▲残念ながら蒼の洞窟は波が高くて入れません
 とのこと。家内は、日本だったらはじめからローマから情報を得てスタートしないのに、といっていた。ただそうしてしまうとカプリ島観光が成立しなくなるので、致し方ないだろう。日本だったら、東京駅の八重洲口あたりで「えー、本日は波が高いので中止となります」なんてアナウンスがあるだろう。とにかくカプリ島を楽しもう。すごい狭い道。
▲ここが蒼の洞窟の入り口
 ここにUNICのクレーンをおいて、ゴンドラで見せるとか、あとは中にライブカメラを入れておくとか、いろいろ方策はあるだろう。


▲ロープウェイで山のてっぺんへ
 次に空中索道に乗って 山の上に。Seggiovia Monte Solaroというふうにチケットに書いているので、ソラロ山というのだろうか。。ここからの景色は最高。ただ、日に焼けるので女性は何かかぶったほうがよいかもしれません。このロープウェイ、カメラのEXIF情報から12分くらい乗っていたようです。
▲下山する
 また島の中腹に戻ってきた。ここでおみやげを買う。私はレモンチェロという酒を買った。ここはレモンで有名なもの。この売店には日本語でかき氷あります、とかいてあった。ここで買ったレモンチェロの卵入りのほうはまだ飲んでいない。懐かしくなったので飲んでみようか。
▲こんなところでバスを待つ
 この辺がカプリ島のおみやげスポット。お昼は、他のお客さんとともにとる。確か魚の煮物みたいなものを食べたような気がする。一緒のおじさんに白ワインをおごってもらった。さっきのセレナのオープンカー(タクシー)やプジョーのオープンも頻繁に見る。
▲岸壁から転落しないでね、のカンバン。 ▲牛のぬいぐるみが可愛い。
▲カプリ島を去る
 この船は600トンくらいのトン数。これに乗ってまたナポリに変える。なかなか楽しかった。次にこれるのはいつだろう。この日はイタリアのホリデーが終わる日とのことで、高速道路は渋滞。といっても、よく日本でみられるような渋滞よりはたいしたとはない、という感じ。
▲途中のSAで
 このようなフルトレーラーなど見たことないものが走っている。イタリアの高速道路のSAではお酒が売っている。日本では考えられない。
▲日が暮れた
 8月下旬のイタリアは夏時間の関係で午後8時頃に日没を迎える。このバス、なんと帰りはホテルまで送ってくれないとのこと。それでしょうがないので、テルミニ駅前からどにかして帰らなければいけない。夜の地下鉄は危険だと判断した私は、タクシーに乗ることに。テルミニのタクシー乗り場、午後8時すぎはどこかからの国際列車が到着したのか、結構並んでいる。でも15分も並んだら乗れた。このタクシーを乗るときに、ちょっとした危険があった。
▲イタリアでアルジャジーラを見ていた
インドやパキスタン系のおばさんが、荷物を持ってあげるよー、こっちに乗りなーと誘導している。明らかに怪しい。たぶん、荷物を積んでくれるフリをして、荷物をそのまま持って行ってしまうのではないかと踏んだ。何事もなく、老齢な運転手さんのプジョーのタクシーに乗った。もちろんマニュアルで、やや危なっかしい送りハンドル。ホリデイインなんとかといっても通じなさそうなので、とにかくイタリア語っぽく「スタツィオーネ ポンテルンゴ」と言ったら、「メトロポリターノ?」ときかれたので頷く。運転手さんはシーシーといって走り始めた。
▲フィウミチーノ空港へ
男性ガイドさんがホテルにやってきた。このホテルに泊まっていた教員風の3人家族と一緒になる。お父さんは明らかに教員さん。空港に到着した。チェックインするときにどっちだかわからないので、体育会系の日本人の女の子(群馬県人)を案内したら、写真をとってくれと言われて応じる。私は男性モデルとはほど遠い顔をしているが、よく仕事場で写真とらせてください、と言われる。動物園のパンダとレベルは同じ。
▲A319?
 アリタリアのA319。A319はA320よりも短い。もっと短いのはA318というのがある。逆に長いのはA321。A322というのはない。とにかく生まれて初めてみたので、撮影。ブラジルのエンブラエルだったらどうしよう。。。なかなか区別はつきにくいです。
▲ソビエトのツポレフ154?
 ベラビア航空のツポレフ。白ロシアのだろうか。レジはEW85748。
▲これから乗るCX292
 香港行きのCX292便。747−400でレジはUI。ボーディングタイムは12:05。だから出発は12:25くらいだったろう。
▲牛肉とマカロニ
 CX292便のミール。ビールはカールズバーグを飲んでいたようだ。あまり記憶にない。
▲ローマからカスピ海へ
 東行きの飛行機は、時間の進み方が速い。お昼に乗ったはずなのに、すぐに夕暮れとなる。ローマからはイスタンブール、シバスを通った。カスピ海の左側からアラル海まで1時間8分だった。
▲アルメニアのイェレヴァンからカスピ海へ
▲カスピ海からアラル海上空へ
 ウズベキスタンのカラカルパック共和国のはじっこを通過。ここをなるべく通らないようにしているのだろう。通過料がかかるから。
▲カザフステップ通過中
 カザフスタン国内を通過し、右に見えるバルハシ湖をめざす。バルハシ湖とサイザン湖の中間点を通った。バルハシ湖から北に数百キロ進むとセミパラチンスクがある。
▲ウルムチから蘭州へ
 砂漠のオアシス、ウルムチから蘭州、そして重慶の少し西側、成都あたりを通過、貴陽で東ヘディングとなり、ウーチョウ(梧州)、広州から香港にアプローチした。ウルムチではすごい揺れて目が覚める。
▲この辺で朝食
 時間感覚がなくなってくるが、香港には朝到着するので、朝だ!と自己認識させる。サラミとパン。さすがに酒は出ない。
▲エイカーズからのアップリンク?
 CX便にはこういうサービスがある。これを見ていると結構おもしろい。成田行きのCX504は9時10分、1番ゲートから出る。
▲まもなくチェクラプコックに到着 ▲香港時間6:48に到着。
▲CX504 東京行き 9:10
 この便は、9:36にブロックアウトして、9:45に離陸。37Fに座る。Cptはブルーノ・シシリアーノ(名前かっこいいですね)、パーサーはイシクラマサコとのアナウンスがあった。
▲CX504 東京行きの朝食
 若干空席が残る504便。すぐに朝食が出た。ご飯、炒め物、パンが出た。JEPPESENのFAR EAST HIGH/LOW ALTITUDE ENROUTE CHARTSを見ながら。
▲香港からは台北へ
 香港を出ると、M750という航空路を通るようだ。ENVAR(エンバー)ポイントでヘディング61度で台北より北のKUDOS(クドス)ポイントへ。たぶん台北市内は左に見えているはず。
▲ここからは九州へ
 台北を過ぎると南西諸島西の東シナ海上空を通る。おそらく香港を出ると、M750という航路だろう。
▲あとはダイレクトで引っ張られている?
 鹿児島空港上空をヒットしていない。足摺岬の南のMADOK(マドック)ポイントは通過しているようだ。室戸岬のあたりでdairect to NIIJIMA(NJC)をリクエストしたのかもしれない。
▲到着!お疲れさま。
 成田には14:40頃到着。朝9時に出たのに、もう午後3時だ。香港から帰るときは一日つぶれてしまう。ジャンボのレジはUF。この日は吉祥寺までバスで帰った。

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