2007年2月 廃線巡り 国鉄武蔵野競技場線
拙宅近くに、廃線跡があります。それは中央線の枝線で
武蔵野競技場線と言います。何で遊歩道がカーブになっているのかなーと
不思議に思って調べたら、昔の鉄道の跡でした。

2007年2月11日
2008年2月11日記事UP

写真と文 千葉晃


▲中央線から分岐するところ
 地図を見ていると拙宅の近くにカーブを描いている箇所があることに気付き、ずっと不思議に思っていました。ネットで調べたら、昭和34年まで武蔵野競技場線という国鉄線の枝線があることに気付きました。今日、自転車でその跡をたどってみました。
▲堀合児童公園の中をつっきります
 左側は都営住宅のようです。電車の線路は基本的に直角に曲がったりせず、弧を描いているのですぐに探せます。この前に堀合方面に分岐するところもありますので、そこと間違わないでください。三鷹陸橋(りくばし)を越えてからが競技場線跡になります。
▲この辺は三鷹市です
 基本的に中央線の北側は武蔵野市、南側は三鷹市になっていますが、この辺だけは三鷹市が北側に食い込んでいます。上連雀1丁目です。堀合遊歩道と名付けられているようです。
▲アジア大通・みずき通
 と交差するとことです。昔はここに踏切があったのでしょうか。私は通りの名前を覚えるのが非常に苦手です。調べてみましたら、ここはいろいろな名前で呼ばれているようです。
▲堀合遊歩道へ
 アジア大通を過ぎると、少しひらけてきます。ここを電車が走っていたなんて考えるだけでもわくわくします。今、走っていたら、家から少し遠いですが写真とりにくるでしょう。よく。
▲懐かしい井戸のポンプ
がありました。昔、お墓参りに行くと、よくこれで水を汲んでいたことを思い出しました。
▲梅が咲いていました
 三鷹は北口に梅林があったのですが、再開発でなくなってしまいました。
▲枕木?
 を埋め込んだものでしょうか。少なくとも鉄道で使用されていたもの、こんな感じで埋めたのでしょうか。
▲こんな感じで埋まっています ▲堀合通と交差するところです
▲鉄道敷地を意味する標柱でしょう ▲玉川上水を越えます
 いろいろな方のホームページにもあるように橋台が残っている有名な場所です。
▲橋台アップ
 これは玉川上水を下流に向かって撮影しました。望遠レンズでです。右が右岸。鉄筋がたくさん見えます。
▲境浄水場南側
にある桜通りとパスするところです。この通り、1週間に1度仕事で通りますが、桜通というのははじめてです。
▲グリーンパーク遊歩道
 ここからは境浄水場の東側を直線で走行していたようです。
▲井ノ頭通
 300m過ぎると、井ノ頭通りとパスします。ここに前、バスでできた図書館があったのですが、なくなってしまいました。
▲伏見通り沿い
にある遊歩道です。道路よりは一段高くなっています。
▲仲通と交差
 山谷通りは、どんつきを過ぎると名前が変わって仲通となります。
▲明星食品
のところの通りです。昔、この関前に住んでいましたが、武蔵野らしい風景のところです。見通しもよいです。
▲関前公園
 です。この前にある関前3郵便局には昔よく来ていました。小さい池があります。
▲五日市街道
と交差するところです。ここにも踏切があったのでしょうか。
▲たこ焼、今川焼、ちんちんかすてら
のスタンドです。営業しているのでしょうか。バス車窓からはご覧になっている方、多いと思います。
▲ここにも標柱がありました ▲ここからは八幡町一丁目になります。
ここに、温泉施設があって、やぐらが見えます。
▲また標柱ありました
ここからはだんだん右カーブがかかってきます。ちょうどこのウラっかしに、ヤマト運輸さんがあって、急ぎの荷物などはここに直接持ち込みます。
▲まもなく武蔵野中央公園に
 ここは緑町からの通りとぶつかるところです。小さな公園になっています。
▲武蔵野中央公園
ここが昔の競技場だったところです。どこに電車の終点があるのかは不明。
▲GPSで遊んでみました
 公園内にホームの遺構などがないか確認してみましたが、それらしきものはありませんでした。いずれにせよ、ネットのレベルでは競技場線のお写真はありませんでした。

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