2006年11月 太宰治 三鷹での足跡をたどって
一応、文学部卒ですが、文学にはとんと無縁な私。
近くに太宰治が昔住んでいたらしいので、ちょっと気になって出かけてみました。。
太宰ってこんなところで、入水自殺したんだー。
ついでに山本有三記念館にも行ってみました。

2006年11月18日
2007年10月15日追加取材
2008年2月10日記事

写真と文 千葉晃
▲三鷹陸橋(全景)
太宰治という作家がいて、三鷹に一時住んでいたこと、そして玉川上水で自殺をしたことは、知っていました。ただ、どの辺に住んでいたのか、などは知らなかったのでネットサーフィンをしていたら、結構近所でリアリティーがあるので、太宰治の歩いた後などを調べてみました。
▲三鷹陸橋(りくばし)
 ここにこの橋があるのはずいぶん前から知っていました。ただ、相当昔からあるらしいです。昭和初期の頃からかも。太宰治がここでマント姿で撮影されている写真があるからです。
▲太宰のマント姿
はおそらくこの位置から撮影されたものと考えられます。南側から北側にカメラが向いています。この橋を太宰治が歩いていたのです。
▲筋交い?
そもそもこの橋は、三鷹駅から武蔵境方向に8分くらい歩くとあります。構造は古いのですが、鉄骨とコンクリートで強固につくられています。なぜか、トラス橋のように上部にも筋交いのような支えがあります。
▲陸橋からみた国鉄三鷹電車区
ここから三鷹電車区(電略:八ミツ)が一望できます。ただ、金網があって写真自体は撮影しやすいとはいえません。
昭和30年代、ここの電車区から無人の回送電車が暴走し、三鷹駅前で脱線して大事故となったのが、有名な国鉄三鷹事件。当時国鉄の組合っぽい人たちが起こした、と言われる事件が頻発していた。
▲玉鹿石(ぎょっかせき 太宰治入水地点)
 三鷹駅から玉川上水の右岸沿いにある道に、三鷹駅から6分くらい歩いたマンションのまん前にあります。ただし、太宰治入水自殺の場所とは一切書いていないのです。住民への配慮なのでしょう。
太宰治出身の金木町の石と書かれていました。太宰治のファンなら一度は訪れたいところなのかもしれない。
▲玉川上水
 こんなところで溺れて死ねるかと思いますが、昔は今より水位が高く、水が浪々と流れていたとのこと。今の状況だとそんなに水量が多くないのでとてもここで死ねる状況ではないでしょう。
▲山本有三記念館前のバス停
 デザインがおもしろくて撮影してみました。上っかしにトトロが顔を出してるのがとってもかわいい。
▲山本有三記念館
 私の場合は、本と言えばノンフィクションしか読まないので、いわゆる文学作品には全く疎いのですが、「路傍の石」という作品名だけは聞いたことがありました。まさにその路傍の石がこの三鷹の地においてあるのがおもしろいです。
 私は北仙台駅という昭和初期の建物の写真をずっと撮影していますが、、まさにそんな時期のものである。
▲建物入り口の写真
 昔の首相官邸と同じような感じである。
車寄せみたいなスペースがあって高級感を感じさせます。洋館というのはこういう家なのでしょう。
▲記念館の中
 に入ってみました。確かお金とられなかったような
気がします。魚眼で撮影してみましたが、こんな感じのつくりです。
▲お二階
 です。和室でした。こんなところでゆっくり暮らして
みたいです。ただし、旅館っぽい気もします。
▲路傍の石
直筆原稿のカラーコピーが置いてありました。雰囲気出ます。
▲1階へ降りる階段
絨毯の色が赤っていうのがすごいですよね。私は三鷹駅で乗り降りしていますが、こんなに有名な人が住んでいたなんて気がつきませんでした。
▲三鷹駅前郵便局
 気になって、2007年10月15日にもう一度自転車で出かけてみました。この駅前郵便局に太宰治はよく来たそうです。
▲三鷹井心亭
 三鷹駅から10分くらいのところにある、旧家。解放されているようです。
▲太宰治ゆかりのさるすべり
 があるのです。入らなくても外側から見られます。
▲太宰治ゆかりのさるすべり全景
 こんな感じの枝ぶりです。
▲太宰治直筆の地図(複写)
を持って、太宰の旧家近くへ来ました。おそらくこの辺です。地図は、太宰治 新潮日本文学アルバム〈19〉 に掲載されています。その本を持っているところです。
▲玉川上水から折れるところ
 左記の地図を見ながら。縦になっているのが浄水。ちょうど分かれているところです。右からエスティマがやってきました。

 旅のもくじへ

トップページへ