奄美大島訪問記−また行きたい度100!
2001年3月29日〜31日 文・千葉 晃
このページについて

最近南西諸島の島々に凝っています。奄美大島にはまだ行ったことがなく、ガイドブックもたくさん見ました。あまり良いものは出ていなくて、そういうところに魅了されました。このページでは、奄美大島で見つけたもの、良かったものの地理学的(?)報告です。奄美大島に行ってみたい人に是非見ていただきたいです。

あまみ便り(K'NA)奄美大島観光のページへ。アマミノクロウサギのマスコットがとってもかわいい!

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2001年3月のJAS時刻表・往路は羽田発JD549便、復路はJD548便に搭乗
この時刻表は過去のものなので最新のものを参照してください。
観光客でほぼ満席の奄美大島線
奄美大島行きは右側の席を取るべし

 東京−奄美大島までの直行便は日本エアシステムの便が毎日1往復あるのみです。ちょっと前までは朝6:30出発でしたが、最近9時になりました。往路に搭乗したのはのMD-81(JA8294)でした。当日、バスで10分くらいのOPENスポットに連れて行かれて、9:04にドアクローズ。混雑する時間帯で、9:24に離陸。エンルートは比較的雲が多く、九州南部から雲が切れて、屋久島が見えました。

羽田−奄美の一般的なルートはURAGA(横須賀・浦賀上空)-OCEAN/TR(オーシャントランジション)-YZ(焼津)-OCEAN/TR-BANJO(バンジョーポイント)-A1-KEC(串本)-A1-SUC(土佐清水)-B597-TJE(種子島)-B597-AME(奄美空港)です。沖縄行きのようにいきなり洋上に出ないので、見るべき景色が多い路線です。

右側に座って天気が良いと日本南岸沿いがずっと見えるはずです。11時過ぎに屋久島が見え、右側に奄美大島最北端の笠利崎を右に見て南下。奄美空港をハイステーションで通過した後、レフトターンで南側より進入。11:34に着陸しました。

奄美大島最北端・笠利崎を右に見て降下
「赤木名クレーター」が右に見える(写真中央の左に開いた半円形の湾)
 
住用村のマングローブ

 空港のニッポンレンタカーで鹿児島ナンバーのスプリンターを借り、すぐに名瀬市内に向かいます。空港−名瀬間は40分くらい。市内のダイエーでお弁当を買って屋上の駐車場に止めて食べました。奄美大島を左回りで早回りし、国道58号線沿いに見える住用村住用川のマングローブが見えるところで車を止めました。71haもあるそうです。名瀬方面向車線に駐車できるスペースがあります。鬱蒼と茂ったマングローブ。夕暮れに映えていました。
 
名瀬新港パノラマ全景(写真左が東シナ海方向)

2泊とも名瀬のトロピカルステーションホテルに宿泊。どちらかというとビジネス的雰囲気のホテル。ただ、JASのパックツアー・「JASナイスウイング」を使うと2泊3日飛行機代宿代込みで6万円 程度で行けるので、これは絶対お得です。ツインの部屋は少ないようで名瀬新港が見える部屋に通されました。駐車場は目の前(道路横断の必要あり)にあり台数も充分のようです。船・物流マニアの人はよだれが出るほど港湾状況が把握できます。奄美大島の物流は、鹿児島を中心に海運で流れてきます。帰りに東京まで宅急便で荷物を送りましたが、担当の方が「この荷物は今日の船に乗るから」ということを強調していました。まさに、ここが名瀬の荷物の中心地。ここからの景色はすばらしく忘れられません。トロピカルステーションホテルのすぐ横に、ヤマト運輸の名瀬港のブランチがあり、荷物を送るのは便利です。
 
深夜から早朝に船が出る (写真は30日午後9時半)

奄美大島への船便は、大阪・東京・那覇新港・鹿児島・喜界島など様々。フェリー(マリックスラインや大島運輸)等が深夜に出入港します。ですから、夜中にごーっという音が聞こえて、最初は何事かと思いました。大型のフォークリフトが荷物やコンテナを運び往復。荷物を満載したトレーラーはなんとバックで船の中に入っていきます。
 また夜中に「ワー」とか「キャー」という声が聞こえるので尋常ではないと思い、ゆっくり観察してみました。すると、船から紙テープがたくさん出ているではないですか。そう、年度末は学校の先生を中心に転勤があって、教え子が船に群がる。垂れ幕も掲げられ「○×先生、鹿児島県△×中学校に行ってもがんばって!」などと書かれたものがほとんど。取り巻きはすごい数で賑わっていました。
 
名瀬に次ぐ大きな街−古仁屋(瀬戸内町)

翌30日、名瀬市内から国道58号を一路下って1時間半弱。大島南部の港町古仁屋(こにや)に向かいました。ここはかつての軍港で自衛隊の駐屯地なども。今日の目的は、ここからフェリーに乗って加計呂麻島(カケロマ)に行くことです。昨年テレビで、この島のシーカヤックのガイドの方が映り、ずいぶんきれいだなという印象から足を運んでみました。もちろん、万葉仮名的な名前もそそられます。「フェリーかけろま」での往復航送料金は5800円なのでそんなに高い感じはしませんでした。出発30分前くらいに窓口に行って乗船手続きをしました。帰りの便が心配なときは到着してから電話で予約して、とのこと。

R58号途中の見晴台で、スーパー・カブに乗ってるおじいさんの2人組に話しかけました。名瀬からはるばる来たそうです。「奄美大島では雪が降りますか?」と訊いたら、湯湾岳(ゆわんだけ)であられが降ったことがある、と言っていました。

「フェリーかけろま」車はバック進入で
狭小な沖積低地にできた古仁屋の町並み
生間(いけんま)港に近づく
加計呂麻島より瀬戸内町蘇刈集落を望む
 島尾敏雄の碑の前の海
 戦争中に加計呂麻島で従軍した作家、島尾敏雄の文学碑がありました。島尾敏雄は「ヤポネシア」という概念を打ち出しています。その碑の前の海のきれいなこと。ゴミなんぞやひとつも浮いていません。この写真のフィルムはフジクローム・ベルビアで色が鮮やかに出る傾向があります。また偏光のPLフィルターも装着しています。しかしながら見た目もこのように鮮やかでした。
瀬相港での正しいフェリーの乗り方
失敗が一つありました。ここでも島の先生の転勤で、おそらく島中の中学生が 港に来ていました。一応乗船手続きはしたものの、どこにどうやって車を並ば せて良いかわかりません。船の発着に合わせて運行する「加計呂麻バス(ニッ サン・シビリアン)」が何台も集まります。シビリアンだけど、大型二種免許 が必要です!

引っ越しの軽トラ、古仁屋郵便局の郵便車、 佐川急便、島中の車が集まります。軽トラも乗船するのかと思い、その車の前 にいたら邪魔らしいことが判明。軽トラは荷物の積み下ろしだけ で、乗船しないものもあるので注意。乗用車の後に並ぶのが鉄則です。

結局、その積み込みが終わったあとに、地元のおじさんの 「ほら、今行きな!」という優しい誘導で無事船にバックで車を入れました。 下船するときも、着岸をぼけっとみていないで、港に近づいたら車内にいて すぐにエンジンをかけられる状態にしておくのが礼儀のようです。後から乗った 人が最初に降りることになるので、要注意。このシステムがわかっていないので 我々は明らかに地元民ではないことがバレてしまいました。

先生の転勤

 昨晩の名瀬港での紙テープはすごいものがありましたが、ここ加計呂麻島でも同様な光景が見られました。おそらく一年に1回の出来事なのでしょう。第三者的に拝見させていただきました。時間経過は、まず子供たちが集まり出し、布団などを満載した引っ越しの軽トラが来て、親が車に乗ってくる。その次に先生夫婦が到着して、校長先生が送辞を述べる。そんなドラマが繰り広げられていました。ハンドマイクが必需品。船のハッチが閉じ、出港すると紙テープが海に落ちてドラマが終わる。だんだん人が小さくなっていって・・・。加計呂麻 島の方の温かい人情がよくわかりました。

 
だんだん遠くなる瀬相港・加計呂麻島

 おそらく、島に何年も暮らして去る方は最後にこの景色を見るのでしょう。かなり大きい徳洲会の病院も、港の人もだんだんと小さくなっていきます。
瀬戸内町のホノホシ海岸

こぶし大でかつ円摩度の高い石が海岸を埋めている。石がぶつかり合う不思議な音がしました。
群倉(ぼれぐら)

奄美大島独特の高床式倉庫。大和村の大和浜にあります。ネズミ防止よりも、火災防止で集落から離れたところに立地しているようです。
黒糖焼酎って知っていますか?

 西日本は焼酎の文化と言われています。その焼酎は沖縄では泡盛、奄美では黒糖焼酎というように同じ南西諸島でも2つに分かれます。黒糖で作った焼酎は唯一奄美大島〜与論島の間にある島だけで醸造が許可されています。今 回は、宇検村にある「奄美大島開運酒造株式会社」のご厚意でラインを見学させていただきました。

蒸留機で透明に

原料である板状の黒糖をどばっと入れて作業をします。黒糖焼酎は黒砂糖の甘い香りがしますが、色は透明。これは右の写真の蒸留機を使用してアルコール分だけ抽出するからです。タンクにスピーカをたくさんくっつけて、クラシック音楽を焼酎に聴かせていました。品質をまろやかにする効果をがあるそうです。そのようにして熟成されたのが、黒糖焼酎 「れんと」と呼ばれる商品。薄い青のボトルで、都内でも購入することができます。焼酎好きな方は是非トライしてみてください。私は大の酒好きですが、ビールから焼酎の方にシフトしつつあります。また、工場を見てしまうと、ついその商品を飲みたくなってしまいます。

 
旧奄美大島空港滑走路

現在の奄美大島空港は、珊瑚礁のリーフを埋め立てて作った空港です。石垣空港も同じやり方で建設しようという計画がありましたが、猛烈に反対されました。その前の奄美空港は現在の空港から南側に車で 5分くらいのところにあります。滑走路は1200mしかなくYS-11の就航がやっとでした。新空港に移ってからは、地形図上でかろうじて確認できるだけ。奄美パークが建設中です(現在オープンしました)が、立ち入り禁止でしたがちょっと失礼して入ってみました。 古い空港の滑走路に立つのが最近好きになりました。滑走路のアスファルトって、細かい溝が掘ってあるのです。
 
現在の奄美大島ターミナル

奄美空港は大島最北の町・笠利町にあります。さきほどの写真の群倉をモチーフにした屋根がおもしろい。 トランクが開いているのが、借りたスプリンター。奄美空港の滑走路は2000mの長さで、MD-81クラスまで の離発着が可能です。2001年夏でエアーニッポンが撤退し、JAS・JACの独壇場になってしまいました。
奄美空港待合室
これは日本の空港の造りの典型的なものだと思います。2階建てで思ったほど狭くないです。2階におみや げやさんなどがあります。意外と賑わっています。当日は、サッカーかバスケットか何かの(中学生くらい の)チームの方たちで満席でした。
JASのMD-87(奄美大島飛来は珍しい)

ずっと前からJASのWEBで機種変更があることを掴んでいました。MD-87は比較的機種数が多くなく、東京からだと南紀白浜や北九州、出雲、三沢便等に割り当てられます。MD-87は、アメリカの旧マクダネルダグラス社の旅客機で、パイロットは2人で乗務できます。MD-80シリーズを短くし(定員134名に抑えてある)、逆に離着陸性能を上げたタイプです。当日、理由は不明(おそらく月末の機体回航のため?)ですが、とにかく生まれて初めてMD-87に搭乗しました。羽田到着後、ちゃんと機体尾部の階段ステアから降りました。

当日の機体は、前脚のところにペイントされた数字「80」が読みとれるので、1990年7月に登録されたJA8280(製造番号:49466) である。

奄美民謡を聴こう!

琉球民謡はずいぶん聴きました。ちょっと前に、奄美民謡をテレビで見ました。なんとももの悲しい響きがします。かつて長い間支配していた薩摩の役人が意味がわからないように、わざと発音は不 鮮明にしているとのこと。琉球民謡を一通り聴いた人におススめ。
奄美の唄者としてCDが出ていて有名な方は、瀬戸内町出身の武下和平氏だと思います。100年に一度の歌い手と言われ、CD2枚買いました。上は「武下和平傑作集」というタイトル。お若いときのものでしょう。名瀬市にあるセントラル楽器というレコード屋さんが出しているCD。「朝花節」、「むちゃ加奈節」など全22曲。これは奄美空港の売店で買って、「いい!」と思い、たまに満員電車の中で聴いています。おそらく東京の中央線電車の中、MDで奄美民謡を聴いているのは私だけだと思います??
もうひとつは写真の下のもので、これはビクターから出ていて手に入りやすいと思います(私は東京の吉祥寺で買いました)。「奄美しまうたの神髄・FOLK SONGS OF AMAMI」というタイトル。VICG-60398で検索してみてください。これも朝花節から始まり全11曲。お囃子が、早田信子さんに変わっています。1994年宝塚での録音です。

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