クリスマスイブ前日の23日、シスター牧野&ご近所仲間とのパーティを予定通りに実施。わざわざ我が家までお越し頂きました。運転は西田さん、ナビゲータはシスター! ふたりの絶妙のコンビで、シスターの修道院のある瀬田から246号線、首都高速、常磐道…と目まぐるしく東京を縫って柏まで。順路地図の作成者(私)が良かったのか、わずか1時間ちょっとのドライブで見事にゴールインとなりました。シスターの到着は、電飾をほどこした庭木が鮮やかにその光を撒き散らし始めた日没時にドンピシャで、グッドタイミングでした。

 相前後して仲間たちが続々とお手製の料理を運び込み(私はキッシュとローストビーフを担当)、ゴルフを終えた夫も18時にはパーティテーブルに滑り込んで全員集合。シャンペンを抜いた「スポン」という炸裂音が宴の開始ベル。「メリークリスマス!」の華やいだ掛け声に互いのグラスを重ね響かせて「乾杯!カンパイ!かんぱい!」。それからは飲む、食べる、喋る、笑うの大賑わいでした。

 その日集まったメンバーは11人(夫、長女・香織、次男・康大も含む)。シスターとマダガスカル駐在時代にご近所だったという「なおこさん(今はうちのご近所)」も駆けつけてくれ、懐かしい再会の感激で、宴はさらにさらに盛り上がったのでした。

 シスターは、せっかくの一時帰国であっても、休むことなく政治、経済、社会の勉強漬けで、さらなる修練を積まれようとご努力をされ、さらにお忙しい合間にも、国内あちこちの産院を駆け回って、医療現場での研修に追われておられたので、私たちは、ゆっくりくつろいで頂きたい思いで一杯でした。

 仲間たちの提案でクリスマスプレゼント交換まで企画しました。ひとり1、000円以内。3億円の年末ジャンボ宝くじをプレゼントのひとつにしのばせていた人もいて、万が一にも当選し、どっさりお金が入ったらマダガスカルの子供たちのために使おう?と思ったか思わなかったか(笑)。
夜も深まった頃、シスターがふと時計を見上げて、「あらら、急がないと」。門限が過ぎると、修道院の玄関ドアを開けた時におびただしいベル音が鳴るとかで、冬の宴は名残り惜しくもそこでお開きとなりました。でもシスターだったら修道院の塀も乗り越えられそう思わぬでもなく、その姿を想像して吹き出しそうになりました(笑)。

 シスターは新春早々、再び授業が始まり、3月16日までは多忙を極め、その間にもマダガスカルに持ち帰る医療品や必要用品を買い揃えて荷造りをし、20日過ぎにマダガスカルに戻られるとのこと。厳しい環境の中でまたシスターの活動の日々が始まるのです。聖なる夜に、ささやかではあるけれど、これからもでき得るお手伝いを続けていこうとの思いを強めた集いでした。(福永 佳津子)


楽しいクリスマス会でした。  
シスターの肌がつやつやでお若いのは「太った」せいだと聞き、
「なるほど」と。
「マダガスカルに帰るとすぐにしぼみます」と
シスター。
日本と食料事情が違うのでそうなのでしょう。
「衣・食・住」満たされている日本に住んでいながら
不安でしょうがない私達。
感謝する気持ちを取り戻し、生かされていると感じなければ
なかなか、気持ちが落ち着かないかも知れませんね。
「足を知る」「身の丈に合った生活」好きな言葉ですが、
「夢」は大きく。
折り返し地点をすぎた訳で、
次の世代に何かを引き継ぐためにこつこつと。HIROKO

                                         2005年クリスマス(福永宅にて)

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