学問の批判
鈴木大拙氏=実践体験なき学者は謙虚・慎重であれ

鈴木大拙氏

 鈴木大拙氏は、禅経験のない学者は謙虚、慎重であれ、という。一方、実践者のほうも、学者をけなしてはならない。お互いに研究しあっていくようにとの注意を与えている。
(注)
 鈴木大拙氏の注意を学者が守らず、禅経験(苦からの実際の解決や悟道経験、慈悲行の経験であろう)を否定する傾向にあり、学問がとんでもない方角にむかった。鈴木氏が言ったように、最近は「独断、偏見」と糾弾されるような学説まで出てきた。これでは、もう学問とはいえない。
 道元も誤解されているようである。道元は、経典も否定しない。その経典が禅経験を正しく表現しているからであろう。ややもすれば、慈悲行を軽視する実践者が学ぶことがある。学者は、その文字だけから、禅経験を否定するような解釈をすると誤ってしまうのである。禅僧も、ただ目的のない坐禅観に執着して、仏教ではないものを主張している可能性がある。僧侶も、学問の成果を尊重すべきである。学者にも、釈尊や道元などの精神に迫る方向で研究をすすめている人も多い。鈴木氏は、そういう学者の学的研究は尊重せよというのであろう。
 日本の学問はとんでもない方角に向かってしまった。もう一度、鈴木氏が注意したように、禅経験者と学的研究者とがお互いを尊重し合って、精進しなければならない時である。さもないと、多くの日本人、世界の人は、日本の禅実践にも、禅の学問にも信頼をおかないであろう。
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