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嫁さんのオメデタで主夫ピンチ?
結婚してからここ一年、平日の晩ゴハンは僕が担当している。だけどちょっと前まで本を片手に新しい料理に作ってきたのに、この頃少しだれてきた。考えてみりゃこれまで16年間自炊をしてきたけど、それは自分のための料理であって人の好みに合わせて作ってきたわけじゃない。人に食べてもらう料理というのはなんか今まで作ってきたものとは全然違うのだ。

なんで急にそう思ったかというと、実はうちの嫁さんが3か月ほど前にある時、急に醤油、塩ダメ、甘い物ダメ、濃い味の料理ダメ、刺身などの生物も魚料理もダメのダメダメ状態に陥ったのだ。原因はつわりだったのだが、彼女の場合はそれでいて食欲だけは全く落ちなかった。もともと化学調味料のたぐいを使った料理は絶対イヤな彼女にそれらのダメダメが加わると、もう何を作っていいのかさっぱり分からなくなった。

確か某有名料理マンガではつわりに苦しむ友人の奥さんのために、主人公が味も匂いもないのに栄養がある料理としてフカヒレ料理を作っていたはずだ。そのアイデアはすごいけど現実にはそんな事やっていられない。そこで取り敢えず、料理本で上記のダメ要素が入ってない物を探してみた。

まず素材でいけば海草類を除く海産物はほぼ全滅だ。次に醤油ダメ、濃い味、甘い味ダメとなると煮物類もかなり厳しい。スープ類はどうかと言うと塩分の多い味噌汁はダメだし、コンソメ味は濃い、いけそうなのはミルク系かコンブ?でもそれらは単独では味としては薄すぎるのでは?。結局、こんな事は自分で試行錯誤するより本人に聞くほうが早い。だいたい昼間は会社で何食べてるんだ?夜、じっくり聞いてみると意外な事に一番ダメだと思っていた揚げ物は大丈夫らしい。『そんな事は早く言え!』揚げ物が可能ならいろんな素材をメインデッシュにできそうだ。そういや前にも似たような事があった。以前日本人3人でアマゾン川をイカダで下った時だ。

イカダ漂流の食事情
ペルーのプカルパって町から川下りを始めた僕らは4か月の間、町に上陸した時を除けば川と川沿いの村で手に入る物で食いつないでいた。具体的に何があるかというと、じゃがいも、にんじん、玉葱、トマト、きゅうり、ニンニク、バナナ、パパイヤ、ナマズで、ちょっと大きめの村にいけば卵、お米、小麦粉、肉などもある。(もっとも保存のきかない肉は、町に上陸した時以外は食べられない贅沢品なのだが)。これらの素材に加えて簡単に手に入る調味料は砂糖と塩と固形コンソメ。ちょっと貴重なのがケチャプ、マーガリン、ジャム、マヨネーズ、食用油。大航海時代の胡椒に匹敵するのが醤油、味噌、だしの素、その上を行くのがインスタント味噌汁、ふりかけ、漬物などだ。醤油より後に書いた品物は日系人の多いサンパウロとかだったら日常的に手に入る品だけど、アマゾンエリアでは、あれば奇跡で、あっても日本で買うより高かった。これらの食材で僕らはなんとかやってきたはずだ。

ちなみにこれらの食材でアナタはどれだけの種類の料理が作れるますか?これだけで全然OKなら、アナタはどこでも生きていける柔軟な脳味噌の人だと思う。何年か前にお米が手に入らないで日本中が大騒ぎしてた時もきっと平気だったのではないですか?当時の記録を見てみると、イカダの上での初日のメニューは昼は卵焼きとジャガイモのマーガリン炒めとフレンチフライ。夜は野菜と卵の雑炊。二日目の昼は野菜スープ。夜は野菜炒め。三日目の昼はチャーハン、魚の空揚げ。夜はハッシュポテト、サラダ、チリスープとなっている。このメニューを見て何か気付かないだろうか?そう、野菜ばっかりなのだ。僕らはベジタリアンじゃないから、これじゃやっぱり物足りない。そこで注目したのが魚だ。三日目のメニューの魚の空揚げというのはその日、午前中に釣った白ナマズ(ブランキーニョ)である。僕は前にアメリカでおいしいナマズを食べた事はあるけど、それまで自分で料理した事はない。というのも日本じゃナマズはポピュラーな食材じゃないし、たまに釣れても住んでる所があまりにも汚すぎてとてもそんな気になれない。しかし肉が手に入らないなら、釣れる魚は重要な食材と考えるべきだ。ナマズをナイフで捌いてみると身は透明で甘そうなのだが、なんとなくしまりが悪く生臭さかった。渓流の魚やコイなどを除き、もともと淡水魚はあんまり刺身には向かないがやはりコイツもそのようだ。さて、どうしようか?焼くか?でもただ焼くだけでは泥臭さが残りそうだし、柔らかそうな身は煮ると崩れそうだ。それで結局、空揚げにしてみた。小さいヤツは丸揚げで三杯酢につけてそのまま齧り、大きいのはブツ切りで揚げる。これが思ったより悪くない味がする。新しいメニューの誕生だった。

アマゾンのナマズ
アマゾンにはナマズ系を中心に、カレイやエイのような本来なら海にしかいないはずの魚まで多種多様の魚達がいる。最初はアマゾンなら魚なんて釣り放題だから食べ物に困る事ないやと思っていたけど、実際はどんなに多くの魚がいようとも魚というのはいる所にしかいない。そこを見つけられない限り魚は釣れないのだ。だからスケールの大きいアマゾンではかえって釣りが難しかったりする。ある日、漁師にお米と鎧ナマズを交換してもらいじっくり観察するとこの魚がコケを食べるタイプだと分かった。なるほどこれじゃいくらいても釣れないはずである。それじゃ、という事で漁師に投網の打ち方を習ったが、こんどは全く透明度のない川でどうポイントを探したらいいのか分からない。適当に投げてるとすぐに投網が水中の倒木にひっ掛かって破れた。食料の時給はやっぱりなかなか大変なのだ。ちなみに僕は今まで海外で釣れた魚はほとんど食べてきたけど一度も食あたりはしていない。そこから得た教訓は『食べられない魚はない』と『グロテスクな奴ほどウマイ』である。この法則はアマゾンでも通用した。

ともかく魚の自力調達が意外に難しい事が分かったので、今度はいざという時のための保存食としてナマズの干物に挑戦した。以前、本で読んだ記憶を頼りに塩水に浸してから屋根に干してみる。しかし簡単だと思っていた干物も何が間違っていたのか、出来たのはただの腐った魚だった。悔しいのでせめてダシに使おうとそれでスープを作ると世にも恐ろしい味になってしまった。

パパイヤ大根
中流付近で日系人のお宅に泊めてもらった時だった。食卓に大根の千切りの煮物が出た。アマゾン流域ではめったにお目にかかれない大根は僕らにとっては憧れの食材で、ひと口食べるとダシも利いていて懐かしさにホロホロ泣けてくる。しかしそこに奥さんの『これなんだと思う?』の予期せぬ一声が・・・。なんとそれはパパイヤだというのだ。パパイヤのまだ熟れていない青いのを、醤油と乾燥させたナマズの粉末のダシで煮ると大根そっくりの味になるらしい。その時は夢中で食べていたから、なるほどとしか思わなかったけどよくよく考えてみるとこれはすごい事だ。一体どうやってこの味を発見したんだろう?偶然だろうか?それともどうしても大根が食べたくて、似た味を探しているうちにこの料理に辿り着いたのだろうか?その瞬間を想像するとなんだかこっちまで感動した。お金さえ出せばすべてが買えてしまう国じゃ、なかなかこんなドラマはないもんね。その感動のナマズダシを袋一杯もらった。完全な粉末じゃないので、中には乾燥してくずれかけた頭が残っていたりヒレがあったりして、ちょっと不気味だけど僕らはそれでスープを作ってみた。そりゃカツオや煮干しにはかなわないけど、コンソメ味の味付けばかりしていた僕らにはそれはそれは新鮮だった。日本人は長年の経験からダシはカツオが最高だという結論に至ったのかもしれないけど、ひょっとしたら交通手段が発達してなかった昔、山の中でナマズのダシやフナのダシで料理を作った人がいたかもしれないし、カツオダシと張り合って消えていった魚もあったんじゃないだろうか?

ヒマにあかせてそんな事ばかり考えていると、ふとナマズダシをかけたオニオンリングっていけるんじゃないか?というアイデアが閃いた。実際作ってみると、これがなかなか面白い味だ。じゃあ他に使える物はないかと見渡すとイカダの角にヤシの実がある。素早く中身をつぶして振り掛け、揚げるとこれがまたウマい。そしたら、どうして今までパン粉がないからオニオンリングが出来ないなんて思っていたのか不思議になってきた。もっと何か出来る物はないのだろうか、オヤツは何かできないだろうか?考えてみれば1ドルでバナナの木、まるごと1本とパパイヤ13個も買える世界では失敗も試作品も思いのままだ。

アマゾンのバナナは2種類ある。ひとつはそのまま食べられる日本で売ってるのと同じやつ、もうひとつは生では食べられない大きいバナナ。面白いのはこの大きい方で魚と一緒に煮たり、すりつぶしてからダンゴにして塩と油をかけた料理もある。要するにうまけりゃ、どんな料理を作ってもいい。しかも幸せな事に使い放題の時間もある。こんな機会はそうはない。

主夫、任務完遂
結局、素材が限定された嫁さん用の料理も考え方としてはこれと同じ事だった。野菜とゴハンは食べられるなら味付けに気をつけて、これを組み合わせた料理をいろいろ作ればいいだけだ。それで出来たのが自家製のキュウリのピクルスと義母の手作り紅しょうがを刻んで混ぜ、それに少量のピクルスの漬汁をかけたゴハン。厳密にいうとピクルスは漬ける段階で砂糖と塩も入ってるけど、でもゴハンと混ぜたら大丈夫だった。野菜はジャガイモとカボチャのコロッケ、サラダ、ハッシュポテトなど、組み合わせ次第でメインにもサラダにもなるものを多用し、なんとかボリュームがでるようにした。そうして頭のトレーニングさせてもらっているうちに、あれだけ『アレもコレもダメ』と言っていた嫁さんは、ある朝いきなり何でも平気で食べるようになった。

ダメダメ事件で思い出したこと
  僕らが川を下っていた4か月の間に食糧危機が二度あった。最初はいつまでたっても村が見つけられず、とうとう食材が小麦粉だけしかなくなった。その時、三人でアイデアを出し合った末にできたのが水とんだった。でも水とんってただの小麦粉のダンゴを入れたスープではない。いいダシがあってシイタケやネギがあって、初めて水とん自体の味も生きてくる料理だ。具もないコンソメ味の水とんはあまりにも寂しい味がした。二回目は確か年末年始の頃で沖からの強風がふき続け、移動も出来ず、魚も取れなかった時だ。僕らに残されたのはジャガイモとお米だけ。それも数日分しかなかった。この時は一日、二食の食事制限をすると共になんとかバリエーションを増やそうと、マーガリンゴハンとマヨネーズゴハンに挑戦した。しかしこれらは残念ながらウマくない。それよりもナマズ粉末醤油かけゴハンの方がまだ日本人の味覚に合ってるようだった。

この旅行で僕が感じたのは本当に物がなければ、それを補う知恵や発想が自然と出てくるという事だった。普段はなかなか気付かないけど、本来人はそんなエネルギーに満ちているんじゃないだろうか?嫁さんのダメダメ事件は忘れていたそんな感覚を久し振りに気付かせてくれた。今までそんな環境で鍛えられた事を思い出せたおかげで、今回晩ゴハン担当はなんとかその任務を果たせたのだった。

『正しい食卓』1999年

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