1 主夫はおかずを海でとる text version
旅する冒険ライダー坪井伸吾のページです

ホーム
上へ

去年秋に結婚して神戸に越してきた。こう言うとどんな風に聞こえるだろうか?結婚後、仕事の転勤で神戸に移ったか、新居に移るために神戸に引っ越したというところだろうか?でも僕の場合、事情はちょっと違う。

96年まで、あしかけ11年。バイクで世界一周やっていた僕は日本に帰国する度に京都で資金稼ぎのために働いていた。僕にとって京都は大学時代から住んでいる勝手知った町だし、知人も多いからバイトにはことかかなかったからだ。しかし今回、結婚を機に嫁さんの地元、神戸に住む事になった。引っ越し荷物は大きめのダンボールが4っつだけ、残りはバイクに積めた。結婚当初は職安に通って仕事探しをしていたのだが、この時代に旅行経験以外にはPRできるものがない人間を雇う企業などあるはずもなく、かくして文章を書きながらの主夫生活がスタートしたのである。

幸運にもそのうち、旅についてや釣りについてのエッセイの仕事がいくつか舞い込んできた。特に釣りに関しては遊びと仕事の境界線がなく本当にありがたい事だ。今、住んでいる部屋は窓から漁港と海が見える。双眼鏡で見てもさすがに何が釣れているかまでは見えないが堤防に釣人がいるのは確認できる。須磨、塩屋、垂水、明石。小学生の頃、投げ釣り大好き少年だった僕は、釣り雑誌に出てくる神戸の地名はおろか堤防の形まで完全に暗記していた。今思えば実家の地元、和歌山の方が釣り場としてはいい環境だったのだが、子供心には写真でしか見れない神戸の釣り場は憧れだった。

僕にとって、昔から釣ってきた魚を食べるのは当たり前の事だった。堤防で釣ってきたキスやカサゴなどは母親が醤油と砂糖で煮付けてくれたし、煮物に向かないボラは父親があらいにしてくれた。ボラはヌカダンゴをエサに秋口に紀ノ川の河口でよく釣れた。しかし力が強く、釣るのは面白いボラも内臓や身には独特の臭みがあり料理は難しい。氷で匂いを取るあらいは本など読まない父親の苦心のオリジナル料理だった。僕はまたよく食べる所がないような小さな魚も持って帰ったが、それでも両親は決して捨てたりせず料理してくれた。その頃、友達の中には『釣った魚を逃がすと他の魚に教えて釣れなくなる』とい理由で魚を殺すヤツがいた。『お前だって遊びで殺してるじゃないか』と彼は言ったが、ただ殺して捨てるのと食べるのは大きな違いだと思ったし、今でも思っている。

家から歩いて10分ほどの垂水漁港で夏から秋にかけては小アジがよく釣れる。エサはアミエビと呼ばれる1センチほどの冷凍エビ。これを釣り道具屋で300円ほど買ってマキエサにしながら疑似針で釣るのだが、群れの回ってくる夕方になると1時間で100匹ぐらい釣れたりもする。これらは晩御飯のオカズに釣っているので釣れ過ぎても困るのだ。大きさが5センチぐらいなら、そのままカラアゲ粉を付けて揚げる。これを丸ごと齧りながらビールを飲む。食べ切れなかったら今度はタマネギとピーマンとニンジンの千切りに醤油と砂糖とミリンを加え、そこに先程のアジのカラアゲを付け込む。これもまたなかなかいける味だ。

夏場にお客さんが来たら、この小アジ釣りに連れて行き自分で釣った魚を食べてもらう。信じられないことだが世間にはアジが堤防で釣れるという事を知らない人が結構いたりする。そんな人はアジがこんな身近で釣れる事に驚き、自分が釣った事に感動し、そしてそれが新鮮なまま食卓に一品として並ぶ事を喜んでくれる。安上がりなうえ感動まで与えてしまう素晴らしい一品だ。

面白い事に垂水で育った嫁さんも最近まで小アジが漁港で釣れる事を知らなかった。だから3年ほど前に初めて自分で小アジを釣って食べたときはえらく感動してくれた。ところが最近は釣ってきてもあまり食べてくれない。理由はその辺の魚はダイオキシンに汚染されているかららしい。僕としては一人で食べても面白くないし、せっかくの海の幸だから一緒に食べてもらいたいのだが、その辺に関してはなぜか彼女はなかなかガンコだ。

不思議なのは同じアジでもスーパーや魚屋で買ったのならいいと言う。マグロのような外洋の魚ならともかくアジやキスなんかの浅瀬の魚は堤防で釣ったか、数百メートル沖で取ったかの違いのはずだし。さらに言うと最近は漁港内にもハマチの養殖生簀があるから、新鮮を売り物に刺身にされてる魚だって、どこから来てるのかは疑わしい。そう考えると自分で釣ってきた魚のほうが出身が分かってるだけ安心と思うんだけどなぁ。それでも、それは僕が魚好きだから知っているだけかもしれない。先日遊びに来た友達の奥さんは堤防で釣れたメバルを見て『へぇ、これがメバルなの。切り身でしか見た事なかったから知らなかった』って言ってたもんな。

でも最近、僕も明らかに汚い場所で釣った魚には抵抗を感じてきた。食べ比べてみると分かるけど極端に味が違うような魚の身、特に内臓にはその原因が間違いなく詰まっている。しかし悔しい事に瀬戸内海で釣れる最も大きい魚、クロダイやスズキはなぜか工場地帯の排水が流れ込むような所でよく釣れるのだ。釣った魚は出来るなら食べたい。もし、その哲学を貫くなら体に悪くても食べるのかというとやっぱりそれはイヤだ。しかし、そうすると釣り場も種類も限定されてくる。でもそれでは面白くない。そこで出てくるのが今、はやりのキャッチ&リリースという考え方だ。先日、大阪湾の最奥部、淀川の河口付近に友達のルアーマンとスズキ釣りに行った。彼は自他共に認めるグルメで釣った魚も必ず食べる人なのだが、それゆえに大阪湾のスズキはマズくて食えないと言う。

彼の魚に対する愛情は独特で80センチ級のスズキが釣れたりすると『お前もこの大きさになるには10年はかかっただろう。俺に釣られなかったら大阪湾の魚では生態系の頂点にいたお前の敵なんておらんかったやろう。10年かー、10年前といえば大学生やったなぁ。あの頃、お前は生まれたんやなぁ』とスズキの人生?と自分の人生がだぶるらしい。彼に釣られて傷を負ったスズキがその後、無事に生きていけるかどうかはともかく、釣るのも食べるのも好きな僕らには海の汚染は本当迷惑な話だ。

その彼と2か月ほど前、和歌山にシイラを釣りにいった。その日はシイラを釣るには絶好の暑い日だったのだが残念ながらエソしか釣れなかった。エソという魚をご存じだろうか?魚屋やスーパーではまずお目にかかれない蛇みたいな顔の魚だが、実は気付いてないだけでカマボコの原料として誰もが食べている。そのエソを使って自家製のカマボコに挑戦してみた。エソは小骨が多いのでまずは身をおろしてからマナ板の上でたたいてホネ切り。それから酒、塩を入れてよく練り、卵の白身をまぜて形を作ってから蒸して出来上がり、自家製なので形は悪いけど味はまあまあのものが出来た。彼の方はさらに凝って、練った後卵黄を表面に塗ってオーブンで焼いたら綺麗にしあがったと電子メールが来ていた。このカマボコは嫁さんも文句を言わずに食べてくれた。

先に彼女が魚を食べないと書いたが、それは汚染の可能性があるから食べたくないと言ってるだけで、本来、彼女は好き嫌いのない人だ。ただ添加物の入っている物には厳しく、出来合いの物を買ってきたりすると食べてくれない。逆に大学に入って一人暮らしを初めてから、いかに食費を安く上げるかばかり考えてきた僕は食材の中身には全く無頓着だった。つまり彼女と僕では食材を選ぶ基準が全く違うのだ。

結婚当初、僕は高い食材ばかり買ってくる嫁さんに不満だったし、彼女は安全性を無視した安いだけの食材を買う僕に不満を持っていた。しかし、そのうち僕は嫁さんのガンコさに負けた。せっかく作るなら喜んで食べてもらえる料理を作りたい。そう思って買い物の際に中身の表示を見ると、確かにほとんどの食品は薬で出来ているのかと思うほどいろんな物が入っている。そして彼女の言うとおり安い品物ほどそれはひどかった。

しかし、その基準で物を買おうと思って驚いた。これだけ広いスーパーで買える物が何もない。結局は素材を自分で料理するしかなかった。しかも問題はそれだけではなかった『ダシの素を使うな』というのだ。それまで僕の味付けはすべてダシの素に頼っていた。僕の家では小さい頃から豆腐や卵御飯にも味の素をかけて食べていた。化学調味料での味付け、それはもう疑う余地のない食の基準だった。しかしここでも僕はまたもや嫁さんのガンコさに敗北した。おかげで今我が家の料理はかなり正しい食卓になっている。

普段の生活では平日の晩御飯は僕の担当だ。しかし今日は休日なので嫁さんが料理を作っている。ドアの向こうでは包丁の音に混じって英語が聞こえる。3日前から自転車で世界一周していたフランス人カップル、アンドレとブリジットが遊びにきているのだ。とは言っても僕は3日前に初めて彼等に会った。昔、アマゾン川を一緒にイカダで下った埼玉の知人から『今、フランス人が来ている自転車でそっちに向かったから行ったら面倒みてやってくれ』と頼まれたからだ。

さて、困った。疲れてやってくるだろうフランス人に何を料理してやればいいのだろう。いろいろ考えた末、取り敢えず鉄板焼きでいろんな物を焼く事にした。フランス人なら宗教的に食べられない物はないと思うが、肉はねんのため鳥、豚、牛の3種類を出してみた。結果としてはそれで良かった。彼等は行く先ざきで寿司を振る舞われ、それにはちょっと疲れていたみたいだった。面白い事に僕の知り合いのサイクリストの中に2年前に偶然にアフリカで彼等と会ったヤツがいた。ちょうどいい機会なので京都で世界一周のサイクリスト4人と僕で宴会する事にした。アンドレ達に何を出そうか?僕らは真剣に考えてお好み焼きに決めた。

それには理由があった。2年前に僕の家に来たルーマニアのサイクリストにいろんな物を食わしたら彼はお好み焼きに一番関心を示したからだ。でも世界一周クラスの旅人は基本的には何でも食べられる。それは食に関して選択肢のない究極状態をかならず経験しているからだ。僕はそれはすごくいい経験だと思う。好き嫌いの激しい人は一度1か月ぐらい、そういう環境に住んでみたらいい。そしたら食とは何かを考えるはずだ。僕が何でも食べるから味なんて分からないとみんな言うけど、それは違うぞ。僕は何でも食べるから自分の基準で味を判断できるんだ。

『正しい食卓』1999年

This Homepage is maintained by Keiko Tsuboikeiko@a.email.ne.jp
©坪井伸吾 このサイトに置かれているすべてのテキスト、画像の無断転載を禁じます