ジャンク闘病日記2001・その2

どうかアメリカには武力行使などせず、地道な努力でテロリストに立ち向かって欲しいという気持ちと、なんとか手術以外の方法で助からないだろうかと云う気持ちが頭の中で相似型を描いていた。どちらも、その願いを願った瞬間から「でもきっと、やらなアカンのなんやろな・・・」という諦念と表裏一体になっていた。こんな大きな話と自分一人の健康問題を重ねて語るのはずいぶん不謹慎だと思うのだが。

病気が発覚してから、絵を描きたい気持ちが強くなった。だが日に日に握力が落ち、10月中旬には箸や鉛筆を握る事すら辛くなっていた。元気な内にもっと描いておけば良かった。期末テストが終わると急に勉強したくなる学生時代と変わってない。
特に10月2日のMRIを終えてからは体調がガクッと落ちてしまう事になった。頭痛、寒気、体が重くて階段を二階まで昇るのに2〜3分もかかってしまう・・・などなど。
中でも困らされたのが朝起きると手首から先の関節が動かなくなっているという症状。おかげで毎朝ベッドから体を起こすのも(下手したら捻挫しそうだから)寝室のドアを開けるのも(ドアノブが握れないから)一苦労である。なんとかして寝室を抜け出すと、風呂場に行き、湯で手首と指をじっくり暖めた。こうするとなんとか動くようになるのだ。

10月9日
老妻病院二度目の診察。またまた連休明けで人がいっぱい。この前撮影したMRIを見た。説明を受けるまでもなく写真を見ただけで、これはちょっとやばいなということが判った。
腫瘍は想像していたよりかなり大きかった。直径3センチから4センチぐらいの塊が、下垂体やら視神経が写っているはずの場所にどーんと居座っている。山崎先生からは頭痛はしないか、視野が狭くなっていないか、と尋ねられた。もう既に腫瘍が視神経に接触していて、視野狭窄が起こっていても不思議ではないというのだ。
「この大きさだと開頭手術になるかも知れないね」
ヒドイ。この前はHardyで済むから簡単ですよ、なんて言ってたのに。
「いえ、Hardyで大丈夫かどうか、もう一度脳外科全体で話し合ってみますけど。取り敢えずHardyでやってみて腫瘍が取り切れなければ再手術という方法もありますし」どうやら意見が分かれているらしい。医者の方でもどれが一番いい方法なのか判断しかねている状態とあって、私の気持ちはますます揺れるばかりである。

脳外科の診察を終えた後、眼科に向かった。視野のテストだ。
視野を計る機械は小型のプラネタリウムのようだった。プラネタリウムのドーム部分に顔を突っ込んで眼球を動かさない様にじっと一点を見つめ、ドームの中の星が光ったのが判れば手に持ったスイッチのボタンを押す。

視力と視野の検査が終わると、30人もの人に混じって眼科の診察を待った。こんなに人がいる場所なのに、涙が出てきて止まらなかった。もっと大変な病気の人もすぐそこにいるかもしれないのに、と思ってもどうしようもなかった。
体力が衰えるのと比例して手術を回避したいという希望ももはや消えつつあったが、Hardyか開頭か、もしかすると2度の手術が必要かもしれないと言われたことで心が大きく揺れた。

この日の診察では他にも新たな事が判った。

ひとつは、当初プロラクチン産性腺腫(腫瘍からプロラクチンというホルモンが異常に分泌されるもの)だと思われていた腫瘍が、どうやら非産性腺腫(特に何のホルモンも分泌しない)らしいということ。
先日採った血液を調べると確かにプロラクチンは正常値の4倍ほどになっていたが、プロラクチン産性腺腫の場合正常値の数百倍から千倍にまで濃度が上がるのが普通なのだそうだ。
プロラクチンは下垂体から分泌される性ホルモンのひとつで、血中濃度が高まると生理が止まる、乳が張って母乳のような物が出てくる、といった症状が出てくる。プロラクチン産性腺腫はこのような目に見える症状があるため早期発見される事が多く、私のような大きさになるまで発見が遅れるということは考えられないらしい。

もうひとつは下垂体卒中の跡、つまり下垂体が腫瘍に圧迫されて出血を起こした跡があるということ。非産性腺腫であるにも関わらずホルモン異常が起こっているのはこのためである。
血液検査では様々なホルモン異常が確認された。プロラクチン過多、成長ホルモン過多、甲状腺ホルモン不足、副腎皮質ホルモン不足などなど。
成長ホルモンは言うまでもなく体の成長を促すホルモン。成長期を過ぎてから過剰分泌があると末端肥大症になる。その際、関節の痛み、むくみなどを伴う。
甲状腺ホルモン、副腎皮質ホルモンが不足すると血圧と体温が低下、代謝機能が衰える、疲れやすくなるなどの症状が出る。
毎朝、手が動かなくなるのは恐らくこの3種類のホルモンが原因らしい。しかし、成長ホルモンとプロラクチンが過剰なのに
乳が突っ張ったり大きくなったりする事は全くなかった。何故だ。納得出来ない。

インターネットで知り合った人の中には同じ病気を克服した人や医療関係者らしき人もいて、暖かい励ましと助言をくれた。東京のとある大学病院にすごい医者がいる、宮崎の病院は設備が素晴らしいなどなど。
さすがに大阪からそこまで行く気にはなれなかったが、セカンドオピニオンへのアプローチを試みるべきかと思うようになった。老妻病院を信用しないわけではないが、手術方法について結論が出るのをじっと待っているのも居心地が悪いし、必要な知識を得るためにも別の医者の意見を聞いてみるのは良いだろうと思ったのだ。

親戚の昌弘さんという人は、脳外科医ではないが兵庫県内の病院で働く医者である。忙しい身の上にも関わらず、病気が発覚して以来何度も相談に乗ってくれていた。彼がその病院の脳外科に相談してやるので写真だけでも送って来いと言ってくれた。

10月16日
親戚のコネを利用することに多少の後ろめたさを感じながらもその厚意に甘える事にした。親戚の医者に写真を見てもらうとだけ説明して老妻病院で先日のMRIのコピーを作ってもらい、兵庫県内の病院へ送った。
数日後、昌弘さんから連絡があった。彼の働く病院では下垂体の手術は某医科大学の秋田先生という下垂体の専門家が執刀する事になっていて、私の送った写真も秋田先生に見て貰ったのだそうだ。
その結果、腫瘍は確かに大きいが一つの大きな袋のような状態になっているのでHardyで大丈夫だろうとのことだった。同じ大きさでも葡萄のように小さな腫瘍がいくつも集まった物だと取り除くのが大変らしい。
昌弘さんには自分のいる病院で手術する事を勧められた。因みにその病院は私が生まれた病院でもある。名医と呼ばれる先生に任せられる、そしてその名医がHardyで大丈夫だよと言ってくれていることで、その方向に気持ちが傾きかけた。だがその病院は自宅からかなり遠い。電車に20分乗っただけで酔ってしまう今の私にとって、これは大きな問題であった。
老妻病院での診察日が近々予定されていたのでその時は取り敢えず結論を先延ばしにした。

10月20日
日本シリーズ開幕。大阪ドームは私にとって最寄の球場なので観に行きたいのは山々だったのだが今の体力ではドームにたどり着くのも大変なので断念した。
この日は石井カズヒサが年に一度あるかないかという好投を見せ、スワローズ先勝。こういうピッチングを年に5回ぐらいはして欲しかった(過去形)。

10月21日
悔しいけど水口とローズを誉めるほかない。ひとつ亮太の名誉の為に言っておくが彼は被打率に関しては驚くほど低いのだ。だが四球と被ホームランが多いという欠点が全開して敗戦投手になった。速球派投手の宿命か。

10月23日
老妻病院での診察。手術方法について話があったのだが、いきなり予期せぬ名前が出てきた。
「秋田先生という下垂体を専門的に診ている方に相談したところ、
Hardyで大丈夫だろうとのことでしたよ」
待てコラ。最初から秋田先生は写真を見ることになっていたのか。わざわざコピーを取って送ったのは何の為だったのか。
聞けば老妻病院でも難しい手術の時は秋田先生に協力を仰ぐことがあるのだそうだ。山崎先生も下垂体の手術は何度も経験していて充分に信頼できる腕前を持っているのだが、専門にしている分野が血管なので難しい判断が必要な時はそうするのだそうだ。
私の手術も秋田先生に来てもらってはとの提案があった。二つ返事でお願いした。この時初めて、自分の口から手術して下さいという言葉が出た。

この日は場所を神宮に移して日本シリーズ第3戦。拍子抜けするほどにスワローズが圧勝。8回にバファローズの盛田投手がマウンドに上がった時、私はいつの間にか彼を応援する側にまわっていた。スワローズがリードしていなければそんな気持ちの余裕も出てこなかっただろう。我ながらなんと勝手なことだ。

10月24日
スワローズの快勝と手術の決断を下した事で気が大きくなっていたこともあって、今まで家族以外には内緒にしていた病名を職場の人々や友人達に告白した。自分のことのように心配する人、力強く励ましてくれる人。反応は様々だったが、どれも感謝しつつ受け止める事が出来た。

副島のホームランがCM中に出てしまった。これだから地上波はイヤだ。

10月25日
スワローズが4年ぶりの日本一に輝く。
現場へ観戦に行く事が出来なかったのは残念だが、TVの前で胸が熱くなった。活躍した一人一人の選手に心から感謝。
また、怪我で活躍できなかった選手のこともいつも心の片隅にあった。彼らがリハビリに励んでいる時の小さなニュースは優勝という結果と同じぐらい私を勇気付けてくれた。感謝。そして復活に期待。(続く)